野草(イエツァオ)なくらし!

文京区改め金生町で草をアートし売り、食べています

第4回粟島芸術家村滞在作家展へパート4

2012-07-17 18:51:49 | 旅行記

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杉原信幸さんは海辺の草が覆い茂っていた場所へストーンサークルを作った。

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写真左後方の赤茶色の塊に見えるのはストーンサークルを作るために掘り起こしたイタドリの根っこだ。

かなりの量が積み上げられていたが翌日島民の人たちと作ったてびねりの作品を野焼きするマキになった。

4月に入村して5~6月ごろには石を設置したと思うがもうかなり草が進入している。

石の位置は変わらないとしても来年は草に覆いつくされているだろう。

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うまい具合に角の取れた石はこのあたりから運んだらしい。

引き潮のとき選んだ石に紐をつけ満ち潮になると浮かしながら舟で運んぶボランテァをした人より聞いたが海や山など自然と対峙しながら暮らしている人たちの知恵は計り知れないものがある。

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そのボランテァの人が”ただ石を置いたのと違うんだよ、よーく考えて置いてた”と言っていた。

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第4回粟島粟島芸術家村滞在作家展パート3

2012-07-17 18:51:01 | 旅行記

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車社会になるまで粟島では瓦産業が盛んだったが今は稼動している釜はなく今回参加作家の田村友一郎さんの思いでこの海辺にあるダルマ釜に火が入った。

持ち主のおばさんは”何年も使ってないのに焼けたのよね”と嬉しそうに話してくれダルマさんに似ているからダルマ釜といっていたと教えてくれた。

おじさんは新居浜市にある大きな会社を勤め上げたUターン組みだが参加作家達にいろいろと便宜を図り私も移動のとき車に乗せていただいた。

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40年ほど前鬼瓦を専門に焼いていた新六釜も雑木に覆いつくされていたのを田村友一郎さんは木を切り草を刈り周りを片付けてよみがえらせた。

この釜も海辺に設置されている。

焼いた瓦類は船に載せられ売りさばかれたのだろう。

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すぐ近くの東北の鬼門の位置に鬼瓦がある家では舞台が設置されていた。

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年齢を合わせると240歳以上になる3人の男性の踊りは楽しいものだった。

粟島には弓矢を使う百々手祭りに獅子舞や芸能、若い芸術家達を受け入れる下地は充分にあるようだ。

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