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野草(イエツァオ)なくらし!

文京区改め金生町で草をアートし売り、食べています

第44回野草(イエッアオ)野外教室パート2(村上水軍)

2016-05-31 21:59:40 | 野外教室

”戦国より江戸へ”。

赤い布を使っているのが村上水軍が活躍した戦国時代で市松模様のハンカチで鍋を覆っているのが江戸時代だそうな。

セットのお鍋は友達より送られてきたがIH対応でなく私は使うことができず妹のきんかんが持ち帰ったものの中が黒いお鍋は使いたくないとの理由でまた帰ってきた。

鍋として使えなくても素材として使ってあげたく持ってきたのをきんかんがさっそく使った。

”能島の花見”

村上水軍が活躍した時代にはお城や見張り台が建っていた能島も時代が変わり今はヨシノザクラが植えられ花見の時期は観光船も出るそうだ。

きんかんより能島を入れて写してくれとの注文があり能島の花のころをイメージした作品。

後で聞いたが村上水軍が日本遺産になり能島の重要度がアップしたためかヨシノザクラの根っこで城跡が変形する恐れがあるので桜は伐採されるそうだ。

桜が植わっていることで村上水軍に興味のない人たちも能島に親しみを持ち村上水軍を顕彰する人たちの地道で粘り強い努力で今注目を浴びている。

桜で興味を持ってもらうのも大事なことと思ったが完璧に城塞跡と分かる地形に作られた能島を見ているとヨシノザクラはない方がいいと思う。

いろんな場所より能島をながめてきたが一度も渡ったことはない。

ヨシノザクラが切られないうちに一度わ渡ってみたいと思ってきた。

 

 

 

 

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第44回野草(イエツァオ)野外教室パート1(展望台で)

2016-05-30 22:17:25 | 野外教室

あいにくの小雨模様。

いつもの場所でシャッターを押す。

遠望の山並みはそれなりに美しい。

来島海峡大橋もそれなりに美しい。

最初の作業場は能島をまじかに見下ろすカレイ山展望台。

村上水軍をイメージした建物のようで去年の作業場の亀老山展望台のような軽やかさはない。

展望台には立派な展望案内図が設置されていた。

妹のきんかんはお鍋のふた2個を目として”遠望”。

私はケムリノキの鉢植えを小雨模様で見晴らしが悪くけむっているとの思いで置いた。

鉢は写さないつもりが写っていてガッカリ。

赤と黒の着物地は村上水軍が活躍した時代のイメージで使った。

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2016アートでたんぼパート3(番外編)

2016-05-29 22:28:11 | 日記・エッセイ・コラム

アートでたんぼの会場へは一時間ほどで行けるが寄り道したい場所が多くて一時間ではいけない。

毎回立ち寄る直産市で欲しかったグリーンのケムリノキを買った。

会場は葬送ムードだったので梵字を書いた作品”まがたま”をバックに記念撮影。

途中立ち寄った海岸では大量の食べられる海岸植物を採集。

野山で採れる食べられる植物を山菜と言うが海岸で採れるのはどう言えばいいのだろう。

手前の白っぽくて細長い葉っぱはシロザだが右下のツルナや左上のオカヒジキに交じって砂浜に生えていた。

環境にあわせたのか葉は肉厚になっている。

まじきりに湯がいたツワブキを使ったがツワブキは砂浜までは進出することはなく山菜だ。

アートでたんぼは田植え前のお祭りで道中の寄り道は出店を冷やかす気分で楽しい。

 

 

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2016アートでたんぼパート2

2016-05-28 05:25:00 | 日記・エッセイ・コラム

初夏にピッタシの涼しげな作品。

葬送ムードなので止まっているのは喪服を着た黒い虫と思える。

ビニールを通した鉄線で作られたのはさまよっている魂に見えてきたりする。

同じく漂う魂。

もしかしてこれは再生へ。。

もしかしてこれは荼毘にふす。

よく燃えそうな木組だ。

竹林をバックに写した。

煙は高く上がりそうだ。

これは黄泉の国か。。

柱が6本で三内丸山遺跡も連想させるが近ずくとおどろおどろしい。

作家の名前も書かれてないが毎回見ていると去年のどの作家の作品かはなんとなくわかるのも楽しい。

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2016アートでたんぼパート1(葬送)

2016-05-27 22:15:19 | 日記・エッセイ・コラム

今回はなぜかいつもと会場の雰囲気が違う。

いつもはカラフルなテントがふわふわと風になびいているが今回は新調の黒テントだ。

下には般若心経のプリントが無造作に置かれている。

平日でほとんど人はいない。

去年食べごろのクワの実がたくさんなった木を見つけたのでまずは腹ごしらえをしてとその方向を見たら軽トラックのそばに人影。

そこを通るしかないので行くと平面の作品。

いたのはこの作品の作家だった。

今年あさに3人もの死者があり葬送ムードの作品つくりにしたそうで布にお経を書いたのをベースにした作品を作っているが出来上がりは最終日ぐらいになるそうだ。

クワの実を採りに草むらに入り始めるとマムシがいるかもしれないからと長い竹を手渡してくれた。

去年の作品のリメイクで華やかだが仏様に供える花のようだ。

 

灯篭に見えるが黒い苗用のポットが使われていて風に飛ばされないようにカラフルなビニールを通した鉄線で止められていた。

テーマを決めてのアートでたんぼは初めてだと思う。

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妖怪の里山城町へパート8(番外編)

2016-05-26 22:09:56 | 旅行記

国道沿いにモダンな建物群が目に付いた。

アウトドアー用の広い店舗もある。

カヤックなど渓流でのスポーツ人口が多いからだろう。

都会から移り住んでいる人たちもいるとの話は聞いたことがある。

 かなり前よりウエストポーチが欲しいと思っていた。

日常の生活ではワザワザ買に行く時間は作れなかったが気に入ったのがあるかもしれないと立ち寄った。

若い女性が2人で仕切り、質問するとテキパキと答えてくれる。

幸い気に入ったのがあり買った。

木工品の展示コーナーがある営林所にも若い職員が目に付いた。

そこでいただいてきた小雑誌にはなじみのない林業関係の記事が多く少し世界が広がった気分。

大歩危小歩危の遊覧船には外国からの団体客や修学旅行らしき学生団体も来ている。

隣接する三好市は四国中央市とはかなり趣が違う活気が感じられた。

 

一緒に写っているニゲラは空き地で採ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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妖怪の里山城町へパート7(神社仏閣)

2016-05-26 22:01:26 | 旅行記

山城町をめざし国道32号線を走っていると梅宮の指導票があり行ってみることにした。

急斜面の細い県道を走りどうにかたどり着いた場所は意外と開け境内の大杉が目を引いた。

時代を感じさせる鳥居がある立派な神社だった。

 梅宮へは迷いながら行った。

梅宮を目指して急な県道を走っているとお寺が見えてきたのだ。

幸い犬を連れた年配の男性がいたので尋ねることができた。

谷を隔てての見晴らしは良い。

”ブルーの屋根の家の上の道を行けばいい”と教えてくれたおかげで梅宮にたどり着けた。

国道の入口に梅宮の指導票があったきり後はなかった。

車社会になるまでは急な坂道を登っての大変な生活だと思っていたので年配の男性にいつごろから道路ができたのか尋ねると昭和55年ごろだと教えてくれた。

お寺も見学していきますと別れたが男性は電動自動車での散歩だったらしく犬をお供に悠然と下って行った。

男性の電動自動車はお地蔵様が祀られている場所の近くに止めてあった。

 歩危地蔵だがぼけ封じと書かれ外見は鉄筋だが中に入ると天井画や飾りも立派で参拝客も多そうだ。

テラスもあり見晴らしは良い。

電動自動車の男性は毎日お参りにきているのかもしれない。

耳もよく聞こえるし梅宮の行き方も的確に教えてくれた、

お寺は急斜面に建っていた。

それでも立派な鐘つき堂があり谷を隔てた向かいの山をながめていると鐘をついてみたくなった。

光の具合で前面の緑一色の山が白く写ってしまっていたのにはガッカリ。

大きな看板がかかっていた賢見神社へ帰り道に行た。

道中はなだらかな山道だったが神社は急な階段の上にあった。

覆う建物に守られたおすや。

かなり走り田んぼもあるに賢見神社はあり大歩危小歩危あたりの急な斜面の山村をながめた後なのでたんぼのあるのが珍しかった。

小さなでお寺はなくても神社があることは多い。

知らないで来たが引き返さないで進むと四国中央市の新宮に通じる道だった。

大歩危小歩危は徳島県だが四国中央市とは隣接している。

ちかくに魅力的な地域発見でどんな展開になるか楽しみだ。

 

 

 

 

 

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妖怪の里山城町へパート6(妖怪ロード)

2016-05-25 22:48:12 | 旅行記

7:20分に出発して妖怪ロードへ入ったのは12:20分。

一時間で着くつもりが5時間もかかってしまい長い道草をしたが良い時間だった。

じめじめした岩を背に児啼爺石像。

藤棚には倒れたような龍。

よく見れば倒れたのでなく枯れた木の幹をそのまま利用して創作していた。

今茂っている藤の先代かもしれない。

 

道路にでんとヤマジチ。

在所までは訪ねなかった。

怖そうな妖怪には立派な牙がある。

夫婦遍路。

大きな岩の上に設置されよく目につく。

ヤマジジ

気味悪い妖怪は歯が少ない。

妖怪ロードの中ほどにある藤の里公園では毎年11月3週目の日曜日に妖怪祭りが催されているそうだ。

公園に設置されている夜行さんと首切れ馬。

夜行さんも怖そうだ。

くわん淵。

龍と一緒だが親しみやすい顔立ちの妖怪だ。

ヤマミサキ。

少し気味悪くて歯が2本。

木造の妖怪は妖怪屋敷に展示されているのと同じく親しみやすい。

山城町の人たちによる力作のようだ。

藤の里公園にちなんでか色鮮やかな藤娘像。

山里に妖怪はなじむが藤娘を見上げたときは妖怪にあった気分になった。

橋が架かっている脇道に入ってみた。

見下ろすとちょっと怖そうな淵。

渡ってすぐ石垣をついた上に家が建っていた。

脇道はその家および畑へ行く道のようだ。

橋が架かってないときはその淵を渡っていたのだろう。

淵などの危険な場所の多い急斜面に開けた山村だからこそ妖怪話が多いと聞いていたがナットク。

まだまだ見落とした妖怪も多いしまだまだ興味の尽きない山城町だがその日は引き返すことにした。

 

 

 

 

 

 

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妖怪の里山城町へパート5(こいのぼり)

2016-05-24 21:31:09 | 旅行記

こいのぼりが泳いでいるのが見えた。

渓流観光の発着所らしい。

駐車場には展望台があり。

立派なカメラを持った先客がいるが遠慮はしていられない。

なぜか展望台の中ほどに陣取っている。

私は頂上へ急いだが先客が陣取っている場所の方が写すのにはいい場所だ。

”すみませんここで写させてください”とそばに行きシャッターを押そうとしたらマッタがかかった。

そのあとすぐ遊覧船が下を通り始めたのでナットク。

ほんの表紙のような写真が撮れてしまった。

先客は2時もかけて先週に続き琴平から来たそうだ。

広報誌の表紙の写真を撮る仕事をしていたようで写すポイントをわかっているのだろう。

思わず遊覧船に乗ってみたいと思い始めた。

又山城町が遠くなる。

発着場は大きな建物の下にあるようだ。

急な坂道を急ぐ。

発着場へ着くと切符は上で買ってくださいと言われる。

かなりガッカリして五月の空に泳ぐこいのぼりを見上げる。

切符売り場には東南アジアからの団体客でごった返しているし修学旅行客も来るのを見ているうち今度にしようと思った。

切符売り場の建物より船着き場を見下ろし山城町へ急いだ。

 

 

 

 

 

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妖怪の里山城町へパート4(営林所)

2016-05-23 21:57:37 | 旅行記

目を引く建物に木工品販売コーナーの看板があり立ち寄った。

営林所の事務所も兼ねた建物で木工品展示コーナーの柱やドアは杉や桜の木材などと表示され使われている建材がそのまま見本になっていた。

廊下を隔てた食堂の皮を剥いだだけの大イチョウの大黒柱がすごい。

飾られていたガマ、木のどの部分なのだろう。

イノシシ。

テレビ台は樹齢200年の杉。

ガラス窓は外に植わっている木の新緑で覆われている。

まだ10時過ぎでお客はいない。

ふと祖谷そばを食べてみる気分になった。

祖谷そばを運んでくれた従業員さんに”緑がきれいですね”と言ったがにこやかに笑いながら”ここに生まれ育ったので雑草並みにうっとしいです”との返事。

私は新緑を愛でながら心地よく祖谷そばを味わった。

なぜか寄り道が面白い、目的地の山城町の妖怪伝説の地へはいつごろ着くことができるのだろう。

 

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妖怪の里山城町へパート3(山奥部落への行商)

2016-05-22 21:35:08 | 旅行記

深い谷をはさみ急な山の斜面へ建つ家をながめるのは壮観だが大きなトラックがブンブン走る県道から眺めているだけでは身近には感じられない。

思い切って脇道へ入ると曲がりくねり対向車が来ると怯むような道。

小川沿いに急な石段があり石垣をついた上に家。

道路の石垣には倉庫が作られていた。

狭い土地の良い利用法だ。

急斜面の見事なお茶畑。

転げ落ちれば谷底だ。

少し広い場所にお茶工場があり広場のブルーシートの上にはお茶が干されていた。

いい香りが漂い見ているのは良いが朝夕の出し入れは大変だろう。

道路わきに急な階段があり登ると荷物用だと書かれた貨車が放置されていた。

車社会になるまでは重宝されていただろう。

話は変わるが図書館がたちあげた”ふる里の記憶を残す”プロジェクトに友達より聞いた話を投稿した。

大歩危小歩危方面へ行く前だったので聞いた話の場所を特定できなかったが通っているうちこの辺りだと確信した。

                         山奥への行商

 いさ子さんが3~4歳の時なので昭和26年ごろと思うがお母さんが背負えるだけの下着類を背負いバスに乗るため家を出るのを後追いした記憶が鮮明にあるあるそうだ。

戦後すぐの車社会になる前山奥に点在する家々に下着類を行商に行く前の風景だ。

1~2週間の行商期間だが後を守るのは9歳年上の姉で病気のお父さんを含め6人の世話をする。

米、味噌、梅干し、つくだ煮2種は置いてある。

 

数年前湖水祭りで富郷方面の山村を訪れた時こういう場所が行商地だったんだとしみじみ言った。

隣の家へ行くにも数時間は歩かなければいけないこともある。

荷物を背負いなれない道で迷ったこともあっただろう。

泊めてもらいながらの行商だが初めての時はどちらも疑心暗鬼の気持ちにもなる。

食後“そろそろデコ回そうか”と言うのを聞いたときはドキッとしたがかごに入れた蒸かしイモを回しながら取り食べる事だったとよく聞かされたそうだ。

“デコまわそうか”との言い回しから徳島方面なのかと彼女は言っていたが今車で192号線を走りながら見る徳島方面の山の人家は歩いていくことなぞ考えられない場所に点在している。

そんな行商も紙の機械漉き工場ができはじめ就職することにより2年ほどで終わった。

 戦後数年の混乱期、庶民は様々な生き方で生き抜いてきたが、製紙の地場産業があることは近場で生活の糧が得られるありがたいことだ。

生き方が死に方に表れるとよく言われるが、そのお母さんは102歳で5人の子供たちに大事に看取られた。

聞き書きイエツァオ

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妖怪の町山城町パート2(吊り橋)

2016-05-21 22:01:04 | 旅行記

祖谷口駅を下れば向かいに吊橋。

駅を降りた人たちが谷を越えた向かいの山にある家に帰ることを考えれば納得のいく位置に架かっている。

いつのころからか橋があると渡ってみたくなる。

途中まで行ってちょっと怯む。

橋の床のいたがボキッと音がした。

入口は新しい板だった。

全部床を新しい板にするのは大変な作業だろう。

手すりを持ち釘が打たれているあたりを踏みしめて歩いたが途中で引き返した。

見晴らしは最高。

前方に見えるブルーの橋は車が通れる。

しばらく走ると又吊り橋。

床が鉄なので安心して歩ける。

橋から眺めると道路も橋並みにスリリングな場所に通っている。

次に現れたのは前回渡ったことがある橋。

どの橋も人が通る気配はない。

野外教室の作業場としては借景は抜群だ。

まだ第44回野草(イエツァオ)野外教室も終わってないが45回野草(イエツァオ)野外教室の作業場にした風景が頭をよぎる。

道路よりかなり下になるが思わぬ広い駐車場。

渓流を借景にモダンな風景。

あの手この手と急斜面で狭い土地を生活空間にしているのがすごい。

              第44回野草(イエツァオ)野外教室参加者募集

日時   5月28日(土)~29日

 

場所   伯方島、鵜島、大島

 

電話   0896-72-6808まで

 

自然の中での造形教室。

 

 

 

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妖怪の里山城町へパート1(駅)

2016-05-20 22:10:01 | 旅行記

去年の夏山城町の道の駅にある妖怪屋敷へ行った。

展示が面白くて長居しすぎ山城町の妖怪伝説のある場所は散策してない。

一時間ほどで山城町へは行けるので7:20分発、昼過ぎには帰る予定で妖怪伝説の里散策目的でバイクで出発

今回で3回目になるが道路に沿って鉄道が走っている場所があるのを初めて発見。

 

線路の支柱の長いこと。

少し走ると祖谷口駅の指導票があったので行って見ることにした。

急な坂を登ると無人駅で可愛い待合所があった。

待合所の真ん中あたりに新聞紙が敷かれている。

上には鳥の糞。

真上に鳥が巣をつくっている。

少し遠慮してのきの下にでも作ればいいと思うが駅を利用する人たちは巣を取り払うこともせず新聞紙を敷いて糞の始末をしている。

ホームへ上がると見晴らしもいいしひさしの付いたベンチもここちよさそうなのでお茶を飲むことにした。

汽車は一時間に一本も通らない。

思わぬいいお茶の時間を過ごすことができた。

しばらく走ると国政片桟道橋の看板が目に付いた。

バイクを路肩に止め階段を下りると道路に沿って立派な歩道がついている。

新緑越しに渓谷美を楽しめる。

車で来たときは気が付かなかったがかなりの部分道路にそって立派な歩道と渓谷へ下る階段がつけられている。

車でなくバイクで来たから見えたのか3回目だから見えたのかはわからないがすんなり山城町までは行けないようだ。

 

 

 

 

 

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コリアンダー

2016-05-19 22:31:49 | 日記・エッセイ・コラム

自分の家には植える場所がないからと買った種を時々送ってくる友達がいる。

薬膳料理の勉強をしたりと植物には詳しい人なので思わぬうれしい種を蒔くことになる。

頂いて秋に蒔いたコリアンダーが芽吹き寒い間小さな葉を摘んで薬味にして楽しんだのがアッと言う間に伸び始た。

かなり癖のある薬味だが虜になると言うのかもうなくてはならない薬味になってしまった。

頂いた春に蒔いたのはあまり味わう時もないまま白い花をつけ実がなった。

今咲いているのは半分残しておいた種を蒔いたのが育ったもので後は買うしかない。

ふと春蒔きで実った種をとっておいたのを思いだし蒔くと数本は芽吹いたので大事に移植した。

コリアンダーの下に赤く芽吹いているのはアカシソだ。

毎年種は蒔かないが勝手に生え長い間薬味として活躍してくれる。

私にとっては理想の力強い野菜だ。

先日春に種を蒔き実がなった場所の土を耕した跡へ行くとコリアンダーがたくさん芽吹いている

わざわざ種を蒔かなくても勝手に生えてくれるみたいだ。

コリアンダーの花は珍しい花びらで魅力的だが種がなることを思うと今のところ切り花として楽しむ気持ちにはならない。

(先日コリアンダーと思っていたのが同じせり科のニンジンと判明つかの間の喜びだった)6月2日記 

 

 

 

 

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暮らしの手帳

2016-05-18 22:32:36 | 日記・エッセイ・コラム

”暮らしの手帳”二人三脚物語の本の副題に大橋鎭子の名前が書かれてあり読んでみる気持ちになった。

彼女には2度ほど会ったことがある。

一度は第一回野草(イエツァオ)で、2回目は神保町で営んでいた花の店野草(イエツァオ)で。

一回目はたくさんのショートケーキを、2回目は花束を買っていただいた。

メリハリの利いた迫力のある女性だったと記憶にある。

図書館では暮らしの手帳関係の本がたくさん並べられていると思ったら朝の連続ドラマになっているそうだ。

新聞の書評を読んでいたら”出版の冒険者たち”創業の志熱き7社の実録物語の副題がついた本のことが書かれていた。

朝の連続ドラマは世の流れを作るようだ。

一緒に写っている1985年暮らしの手帳94の素敵なあなたコーナーに載せていただいた。

ライターは増田れい子さん。

ほんの少しの記事だったが反響は大きかった。

それがきっかけでいまだに付き合っている人もいる。

 

 

 

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