野草(イエツァオ)なくらし!

文京区改め金生町で草をアートし売り、食べています

第46回野草(イエツアオ)野外教室の報告NO3(かげろう)

2017-05-31 22:08:46 | 野外教室

遺跡海岸に降り立った時砂浜に映るテトラポットの影が目についた。

去年素材として持ってきたケムリノキをを畑に移植したのが立派に煙をつけたのを持ってきている。

”かげろう”を作った。

手前の魚獲用網籠は下調べに来た時見つけておいたものだ。

網にさしているのはチガヤ。

この時期白い穂を風になびかせているチガヤはよく目だつ。

ブルーの網籠は第13回クラフト展(イエツァオグループによる)の時参加作家の長野和子さんより頂いたものを素材として持ってきて使っている。

今回は素材として活躍してくれるだろう。


 

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第46回野草(イエツアオ)野外教室の報告NO2(孫2人)

2017-05-30 22:37:08 | 野外教室

村上水軍の遺構が残る磯で妹のきんかんは”孫2人”を作った。

去年の野外教室では妊娠がわかったばかしで”どちらかな”を作っている。


岩のくぼみに強そうなロープを置き華やかで暖かそうに感じる豪華な袋帯の上に赤いネットの袋はお姉ちゃん。

ブルーのスカーフを丸めたのは弟。

強そうなロープはお父さん、暖かそうで豪華なのはお母さんの愛情らしい。

赤い網ネットを結んで周りに散らしたのはきんかんたちの愛情だそうな。

きんかんの得意分野でまずは始まった。



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第46回野草(イエツアオ)野外教室の報告NO1(上天気)

2017-05-29 23:12:54 | 野外教室

今回の野外教室は今までにない上天気だ。

毎回来島海峡を渡るときは天気に関係なく胸躍る気分になるが今回は特別だ。

今回は野外教室前に能島あたりの渦潮体験の船に乗る計画だ。

妹のきんかんは船が渦潮に巻き込まれ脱出する体験をするのを楽しみにしていたがちょうど渦潮が起こらない時間帯に乗ることになった。

午後の乗船にすれば渦潮体験ができるが今回の本番は野外教室。

渦巻がなくても遠くから眺めていた能島がまじかで見られる。

アッと言う間に能島。

渦潮の時間帯でないためか本当に近くまで船を近づけてくれる。

矢の柄にしたという細い茎の笹まで見えた。

岩に開けられたピットも見える。

鵜島や大島からは見えなかった船着き場には旗がたてられていた。

定期船はないが予約制の上陸できる観光船は土日に出ているようだ。

仏様像も初めて見た。

海鳥が頭のてっぺんに止まっている。

つるつるして足場が悪いと思うが・・。

渦潮体験ができないためか造船所へ船を進めてくれた。

来島海峡大橋の橋げたになっている朝の散歩で行く予定の見近島の近くも通ってくれる。

帰りに宗方から乗るフェリーでも下は通るが19時出航で19:30分頃通過の時はもう薄暗い。

飛び切りきれいな色の空と海のあいだの来島海峡大橋。

その日の干潮は18時ごろ。

14時半ごろまで素材集めなどをして作業場である遺跡海岸へ行く。

途中きれいな壁を見たがただ単にトタンが錆びているだけだった。

きれいな青空だから当別きれいに見えたようだ。

途中立ち寄った湯浦道の駅で石を丸く積んだ場所より煙が沸き上がる見慣れぬ光景に遭遇し驚く。

きれいな新緑と青空がバックで目立ったのだろう

煙がたってない石を積んだ場所。

道の駅の瓦がきれいだ。

朝市で野菜を売っているおじさんがヒーターに水をかけ煙を出しているだけだと教えてくれた。

温泉をイメージしたモニュメントのようだ。

上天気だと鮮明に見えるものが多い。

上天気だとどんな作品ができるのだろう。

 

 

 

 


 

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形見の着物

2017-05-28 23:32:48 | 日記・エッセイ・コラム

友達より亡くなったお母さんの形見の着物や帯が送られてきた。

16枚もある。

絹物が多く高価なものだろうししつけが付いている着物もある。

まだまだたくさんあるそうだ。

着物として着てくれる人がいればいいが今の時代なかなかいない。

送ってくれた友達も創作の素材として使えればとの思いで送ってくれたようだがもったいない気がする。

お母さんが亡くなってもう15年以上。

やっと気持ちも含め整理がついたのだろう。

高価なものだろうが安価なものだろうが創作の素材とは関係がない。

一枚だけ麻地の夏物の着物を解く気になった。

後帯地を野外教室に持って行く予定。

 






 

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島原旅行NO10(三崎経由で)

2017-05-26 22:24:24 | 旅行記

臼杵八幡浜フェリーへ乗船予定だった。

行の三崎フェリー乗り場へは少しでも早い時間に乗船したくてわき目も降らずに走る。

見晴らしのいい場所があったり道の駅があったり、それに乗船して見える風車も近くで見たい。

三崎フェリー乗り場から金生町までの距離(207.3キロ)を考えるとひるんでいたがやっぱし決行。
行は三崎発12:30分ぎりぎりに乗船したため写す余裕もなかった三崎フェリー乗り場を着岸前に写す。
佐賀関港13:00分発三崎港14:10分。
明るいうちに金生町まで帰ることを考えるとゆっくり走っていられないが風車をまじかで見てきた。
三崎半島は緑が多く快適だったが八幡浜から金生町まではただ走るだけ。
7:35分金生町着。
その日の走行距離292.2キロ。
伯方島経由島原行き走行距離1005.8キロ。
前回の伯方島経由国東半島の走行距離は811.2キロだった。
バイク旅行なのでお土産はあまり買えないが世話になっている妹のきんかんには何か買いたい。
いい具合に島原でコイのプリントの日本手拭いを買うことができた。
きんかんの孫は今年初めてこいのぼりを飾ったところだ。
それに伯方島野草(イエツァオ)野外教室での素材にもなる。
佐賀関港での時間待ちの時道の駅で関ぶりどんとクロメ汁の昼食をした。
クロメという海藻は初めてだったがとろみがあり美味しい。
話のタネにきんかんと私に。
友達がフノリにはまっているので三崎の道の駅でフノリを買う。
帰った翌日に畑へ行くと隣の畑のおじさんより立派なキャベツとスナックエンドウをいただく。
キャベツは3分の2程塩漬けにしたのでっ小さくなっている。
草ばかりが目立つ我が畑へ行き立派な野菜を持って帰っているのを見ると人は不思議に思うだろう。



 

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暑い日

2017-05-26 11:38:59 | 日記・エッセイ・コラム

先日図書館の催で”歴史と街道の街上分を歩く”に参加した。

集合場所は向山公園駐車場。

上分町を見渡す目的もあり向山公園頂上へ、暑い日だったが歩くには緑におおわれさわやかだった。

冬は木々の葉も落ち見晴らしはいいがさわやかな緑におおわれた今は見晴らしはいまいちでザンネン。

子供のころより人口は金生町のほうが多いのにどうして上分町に商店街があり金生町にはないのかと疑問だった。

文京区より帰り金生町暮らしを始めてもう10年。

徳島方面や新宮へ行くうち、なんとなく理由がわかってきた。

立派な石の指導票には東はこんぴらさんに続く丸亀、西は九州に続く八幡浜と交通の要所だったのだ。

商店街の店主が大事にとってある昔出した広告を見せてくれた。

時代の波には抗えず閉まっている店が多い。

少し前まで空き家としてあったがいまは取り壊され碑が立っていた。

昭和初期の上分町の構成地図を資料としていただいたが馬つなぎ場があり蹄鉄屋があり風呂屋があり飲食店があり呉服屋がありあらゆる店が並んでいる。

新宮や阿波高知から馬を引き商いにやってきた人が馬つなぎ場に馬をつなぎその間に蹄鉄を打ってもらったりひと風呂浴びたりお土産に着物などを買っていったのだろう。

母の出里は上分町で旅館を営んでいたが洪水で流され仮に立てた家で生まれたと話していた。

今は枯れてしまっているが槍下げの松で有名な松月庵。

参勤交代で江戸へ向かう土佐のお殿様の槍持ちが道路に伸びた松の枝のため槍を下げて通ったいわれがある。

戦時中の上分小学校の奉安殿を譲り受け拝殿とした金沢地区の荒神様。

上分神社の石垣にはタバコ製造で財を成した人の寄進で作られていた。

馬にタバコの葉を積み境目峠を越えて阿波方面より上分町へ人々は来たのだろう。

不思議なことに上分町には神社があってもお寺がない。

長年の疑問がおかげで解けたが炎天下9時より12:40分ごろまで休むこともない強行軍だったが午後からは尾藤二州顕彰会の総会だ。

三島地区に磐座太鼓のチームがあるのを知らなかったが今回演奏を聴くことができた。

講演は”歴史を繋ぐ 人を結ぶ 太鼓の響き”講師の河野敏明さんは村上水軍の血を引き水軍太鼓にも関係している人だった。

野外教室で伯方島方面へ行っているうちに村上水軍に興味がわき創作のテーマにもしているが尾藤二州顕彰会とつながるとは思わなかったがうれしかった。

今回の野外教室の作業場の一つはは因島村上水軍の遺構がある遺跡海岸。








 

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島原へNO9(トンネル)

2017-05-25 22:51:55 | 旅行記

竹田駅。

後ろの山並みに数か所あるトンネルを抜けて市内に入るが入っても小山がありトンネルをくぐることになる。

岡城を見学し町中を少し走り不思議な地形のことが知りたくなり明日は民俗資料館へ行こうと思った。

阿蘇で霧の中彷徨で疲れ道の駅で熱いコーヒーを飲んだ時せっかく放牧場を見学したのだからとボリユームたっぷりのカツサンドも食べているので宿へは朝食だけをお願いしている。

市内見学後ゆっくりと竹田温泉を楽しみ宿へは8時過ぎに入る。

食べなれたものを食べたくなっていたがいい具合に岡城あたりでフキ、ミツバ、木の芽が採れている。

9時過ぎより手持ちのカツオの真空バック、チーズ、友達が作ってくれたおにぎりなどを肴に酒盛り。

島原に住む友達家族には会えたし昔登った米塚も見た、雨や霧の中も無事走り抜けたことを思い出していたら12時近くなった。

あす金生町へ帰りつくまでも大変な道のりなのであわてて寝る。

翌日宿を出るとき受付の人にトンネルの無い昔は山を越えて行ってたのですかと聞くと車社会になる前は手掘りのトンネルはありましたとの答えだった。

そうだろうなと思って8時過ぎ出発。

公共機関の開館は9時だ。

ロス時間がないように場所確認のため行くと建て替えのため歴史資料館は閉館。

すぐ近くにあるらしい田能村竹田生家も見たいと思っているが見当たらず。

後ろにはまた小山。

階段が見える。

登ると生家があり門も開いていた。

何かの工事がなされているようだったが恐る恐る入る。

人がいたので外観だけでも見学したいと告げ見学。

サッとみて帰ろうとしたとき観光客ですかと尋ねられたのではいと言ったら記念館も見せていただけた。

入るとすぐ田能村竹田は神様として祀られている。

軍人の広瀬武夫も神様として祀られていた。

そういう土地柄なのだろうか。

その人にトンネルが多いことを告げるときっぱりと明治までは一つもありませんでしたと言われた。

町全体が要塞になっていたらしい。

年若い岡城城主が敵の大軍を撤退させた話を思い出した。

この地形だからだ。

慣れてくるとトンネルを抜けることにも違和感がなくなった。

通ると滝廉太郎のメロディーが流れるトンネルがあるらしく行くが見当たらず。

工事中の人に聞くとここですと言われる。

前にブルドーザー中に軽トラック。

見つからないはずだ。

早速軽トラックを出し通していただけた。

竹田にも隠れキリシタンの遺跡あり。

島原城で資料を見学したのでどうしても見たい。

くねくねとバイクで登り隠れ礼拝堂を見学。

島原ではまだ正月飾りがつけたままの家がたくさんあった。

家はキリシタンではありませんとの印のためだと散歩中友達のおじいさんに教えていただいたが竹田では見かけていない。

すぐ下には武家屋敷通り。

着物の女性が歩いてくる。

9時になり開館したばかしの佐藤義美記念館へ。

いぬのおまわりさんの作詞者だ。

2階より駅方面遠望。

死後竹田出身ということがわかり記念館ができたらしい。

もりだくさんの町を9:30分ごろ出発。




 



 


 


阿蘇で

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島原へNO8(岡城址)

2017-05-24 22:22:01 | 旅行記

竹田市へ着いたのは4:50分。

その足で岡城へ向かう。

金生町まで帰ることを考えると明日もゆっくりはしていられない。

時期的に6時過ぎまで明るいのがありがたい。

竹田市はトンネルが多い。

私の感覚だとトンネルを抜けると違った地域へ行ってしまいそうで不安になるがトンネルを抜けないと目的地へは行けない。

川に囲まれた地形でその中にポッポコと小山っと言おうか岡というのがたくさんある。

岡城址もその小山の上にあった。

見下ろすと急斜面に建っていたのがよくわかる。

戦国時代の城なので攻防戦を考えての場所なのだろう。

急斜面にどんな足場を組んで石垣を築いたのかとつくづく思う。

夕方の城跡見学は少し気味が悪いがありがたいことに犬の散歩の女性がいた。

犬のそばには野良猫がピタッとついて歩いている。

毎回やってくるそうだ。

もちろん平らな場所もある。

滝廉太郎の像と対面した時は来たんだとつくづく思った。

ゆっくりしたかったが散歩の女性も帰ったし私も帰ることにした。

山を下りトンネルを抜けると急な階段。

広瀬神社だが上がると鳥居が何個もある。

いろんな神社がまつられているようだ。

広瀬神社に祭られているのは軍人。

第2次世界大戦の終戦の日に切腹した阿南陸軍大将も竹田市出身。

それにしても切腹は昭和の時代にもあったんだ。

先日イギリスで自爆テロがあり大勢の若い人たちが犠牲になった。

形は違え人はいつの時代も怖いことをしてしまう。

愛染堂も丘の上にあり急な階段を上る。

この辺りに滝廉太郎の生家があるようだが見つけられず。

めづらしい地形の町だとの思いを残してその日の観光を終えた。










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島原へNO7(阿蘇彷徨)

2017-05-23 22:28:45 | 旅行記

9:45分友達宅出発。

ぎりぎりまで島原市内を見学し11:10分熊本行フェリーに乗船。

前日が大雨だったにもかかわらずスッキリしない天候で山のあたりには雲がかかっている。

前日走った道路なので見当もつき阿蘇へ行く迂回道路まではスムーズに走れた。

時間があればもう一度草千里や米塚あたりを走ろうと思ていたが昨年の地震のため57号線が全線復旧されてなく迂回路で阿蘇へはいるあたりより霧がかかってきた。

時々出会う対向車のライトがほんの近くまで来なければ確認できない。

周りは草原。

小雨が降りはじめ寒くて手もかじかむ。

スピードはだせないながらもかなり走ったあたりで道を間違えたと思った。

指導票はあってもなじみのない地名で見当もつかない。

いい具合に路肩に止まっている車あり。

その人も道に迷いナビで検索しているところだった。

阿蘇盆地には入ってといると言われ安心して教えられた道を走れど57号線には入れず。

再度路肩で泊まっている車があり長い間携帯で話しているのを待って聞く。

途中阿蘇神社のあたりでは霧も晴れすぐ57号に合流。

途中大観峰のそばを通ったのと阿蘇神社に行きついたことより後で調べると彷徨のルートは確認できた。

20キロで一時間ほど霧の中を彷徨していたようだ。

阿蘇の草原を走る予定が一時間も余分に走れたが寒い霧の中だった。

時間的に余裕があり不安はあったがいい経験をしているワクワク感もあり。

そのまま左折して目的地の竹田へ行けば近いが道の駅阿蘇までひきかえし熱いコーヒーを飲み休む。

竹田までは一本道で一度通っている。

竹田に着いたのは4:50分。

走行距離141,4キロ。


 


 


 

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島原へNO6(おじいさん)

2017-05-22 21:45:31 | 旅行記

バックの写真の真ん中に写っているのがおじいさんだ。

90歳までは何も変わらず仕事ができたという。

今もできると思っているが周りが危ないと言うからやめているらしい。

ポスターに写っている手の中におじいさんの手も写っている。

島原で代々続く鍛冶屋の生まれで11人兄弟の女性以外9人の男性は鍛冶屋だった。

友達夫婦より話は聞いていたがお会いしてどうしても仕事場を見せてもらいたくなった。

昭和16年に建った工場は今も続いている。

昔からあまり変わらない道具を使っての制作だと思う。

土の床。

鉄が赤く染まっている。

おじいさんは工場ができてすぐ出征したそうだ。

食事の時、自前の歯なので”きれいな歯ですね”と言ったら”ビンタで奥歯が2本折れた”と言った。

友達が4人出征して4人返ってきたがそれなりに辛いこともあったと言っていたが4人出征して4人返らない家族だってあった。

工場まで歩いていく途中ポツリポツリと町の案内をしてくれる。

生まれ育ち96年のガイドは趣がある。

湧水庭園の前を通った時開園前だが門が開いていた。

昔は人が住み解放された後おじいさんは入ったことがなかったそうだ。

入り腰かけてコイをながめていたら女性が現れお茶を入れてくれた。

湧水を利用した庭園は清らかで美しかった。

側溝の水も子供のころは飲んでいたと言う。

湧水に泳ぐ緋鯉は水がきれいすぎるためそのうち白くなるらしい。

ある家の前を通った時”元私の家だったんです”と言った。

7歳違いの奥さんが39歳で亡くなった時の治療代のため売ったそうだ。

3人のうち2人の孫娘は一緒に住んでいる。

2人の孫娘とおじいさんは一緒に洋服を買いに行く。

おじいさんは古くないと孫娘たちは言いおじいさんを大事にしている。

近くに結婚する孫娘は特におじいさんべったしなので友達に”爺さんも連れていけ”と言われていた。

子育て中忙しかった友達夫婦に変わりおじいさんの愛情をたっぷりもらったようだ

家の近くに広い駐車場がある。

時々警備のため見回るそうだ。

 おじいさんとの散歩から帰るとみんな仕事に出かけていた。

 おじいさんがいるので出かける者たちは家の心配もせず出かけたことだろう。

私もその日の目的地は竹田市でゆっくりはしていられない。

駐車場で出発の準備をしているとおじいさんが忘れ物を届けてくれた。

長年の経験を活かしバタバタと生活をする者たちを静かに見つめ、たりないところを静かに補ってくれる。

豊かな歴史と文化があり湧水のわく観光地島原をまたおじいさんの案内で歩いてみたい。














 

 

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島原へNO5(目的地へ)

2017-05-21 22:58:22 | 旅行記

友達夫婦とは彼の仕事場で4時にあった。

200メートルほど歩くと家に着く。

ずぶぬれで行ったが我が家へ帰った気分でホッとする。

途中島原大変で有名な地震の供養碑があった。

近くには足湯もある。

地元の人たちと観光客が一緒に浸かっている。

少し離れているが島原大変の時にできた白土湖もある。

湖に小さな舟が浮かんでいたが繁殖しすぎた外来種のカナダモを刈り取る船だった。

翌朝おじいさんとの散歩のとき写したがほんの近くに水頭の井戸。

もちろんおじいさんもそうだが近所の人たちが掃除をしたりと管理している。

井戸のそばには石の亀像。

年の数ほど湧き水をかけると長生きするそうな。

おじいさんは96パイかけないと長生きできない。

細い路地道を通って行った浜の湧水だが女性が靴を洗っていた。

食器類を洗うところ洗濯をするところ靴などを洗うところと区切られている。

書かれてないが長年の生活の場なので書く必要はないようだ。

洗っていた女性は汚れがよく落ちると言っていた。

豊かな文化と自然に恵まれた観光地のど真ん中に住んでいる友達家族は生活の場なので淡々と日常に追われながら暮らしている。

彼らと知り合たのは東京でお互いの修行期間だった。

気が合うと言うのか年に一度私は野草(イエツァオ)展のDMを出し彼らが年賀状をくれるだけの付き合いだが血のつながってない兄弟のような?信頼関係はある。

私が金生町生活を始めて3年目の野草(イエツァオ)展には夫婦で突然やってきて一晩泊まってすぐ島原へ帰った。

文京区で花の店野草(イエツァオ)の営んでいるときは子供3人と突然やってきた。


その日の夕食は前日から家族で作ってくれた料理が次々と出てくる。

連休明けに行くにつきちょっとだけ家族の一員にしてくださいと言うことでの泊りだった。

翌日はおじいさん以外全員通常と同じく仕事に出かけた。

それでも7時間以上は一緒に暮らせ楽しかった。






 




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島原へNO4(島原城)

2017-05-20 22:03:56 | 旅行記

熊本港から島原港までは一時間。

雨は相変わらず降っている。

いい季節を選んでのバイク旅行だが雨に降られるとつらい。

それでも気持ちを切り替え雨を楽しむ術は持っている。

友達家族に会うための島原旅行だがお城は見たい。

それに予定より早く着いたので市役所にもよった。

こじんまりした役所でお城の場所を聞いたが丁寧に教えていただいた。

お城のある町だとまずお城へいく。

城址だけでもその町の雰囲気がつかめる。

島原城の歴史資料の大半は島原の乱についてだった。

島原城の石垣に生える草が雨降りのためかやけに目につく。

聞くところによると年に何回か自衛隊が訓練を兼ねて草を刈るそうだが見たいものだ。

バイクでも駐車料金¥100だったが武家屋敷へ行くまでの道をプリントした地図をいただく。

武家屋敷を両サイドに流れる湧水にあこがれてやってきたが美しい街だと思った。

町中も歩いてみたが石塀に生えるツタが歴史を感じさせる。

家は建て替えても塀は昔のままだと思う。




 

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島原へNO3(フェリー)

2017-05-19 22:57:21 | 旅行記

バイクで何車線もある都会の道路を走るのは苦手だ。

一番心配なコースの熊本市内を抜け熊本港へ向かうときがあいにくの雨。

それでもガソリンスタンドで簡単に熊本港へ行くコースを教えていただき57号線が途中より51号線に名称が変わったもののスムーズに熊本港に着く。

橋が架かった瀬戸内海のフェリー航路は次々となくなるが熊本島原へのフェリーは便数も多く健在だ。

バイクは車より先に乗船する。

降りるときは車の後。

今回は私を含め3台のバイクが乗船。

私以外は高速道路も走れる立派なバイクだ。

フェリーからは走っているときは見えなかった山が見えた。

島原までの乗船時間は1時間、雨で視界が悪いにもかかわらず豪華客船を見ることができた。

友達家族が暮らす町なので眉山を背に開ける島原が近づいたときははじめての町を訪れる期待感とともに懐かしさのようなものがあった。

 

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島原へNO2(熊本城)

2017-05-18 22:45:21 | 旅行記

バイク旅行で何車線もある都会を走るのは苦手だ。

今回は熊本城経由で熊本港までがそのコースなのにあいにくの雨。

その上阿蘇より一本で行けるはずの57号線が去年の地震の被害で迂回路を走ることになる。

阿蘇発7:20分で熊本城着9:20分。

今回は熊本城、島原城、竹田城址を見るのを楽しみにしている。

見学予定の工芸館にバイクを止める。

立派な石垣が見えるが何やら異様な雰囲気。

警備の人に聞くと”誰も城内には入れません”と言われた。

少し行くと石垣が崩れている。

崩れた石垣の石が並べられている。

かなりショックな光景。

石垣の構造が見られたと思えば貴重な体験だが美しい建物を見たかった。

天守閣も修理中。

ここから熊本市内を見る予定だった。

加藤神社へ行くまでの石垣も補強されている。

石垣に生えていた木の根は弱かったのか木ごと崩れているが後ろに生える桜の根は石垣を守ったようだ。

駐車場あたりに生えるズタジイの巨木。

落葉樹の巨木。

崩れた建物や石垣を見てしまった後で眺める巨木に安らぎをいただく。

工芸館、美術館見学を予定していたが少し工芸館を見学しただけで島原へ向かう。



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島原へNO1(阿蘇)

2017-05-17 22:53:08 | 旅行記

 

高校卒業してすぐ阿蘇の草千里に憧れ旅行した。

写真のように美しい景色だったが牛のふんにがっかりした。

それでも米塚に魅せられ登り太古を思わす雄大ですがすがしい見晴らしに感激し美しい景色も人に見られることにより”目垢”が付くことを実感。

米塚より景色を楽しんだ人はあまりいないと思う。

伯方島を8時に出発で三崎発12:30発のフェリーにぎりぎり間に合い4:40分に阿蘇駅着。

280.6キロ走行。

翌日雨予報なので草千里へ向かう。

柵内の草は牛や馬に食べられ滑らかだが柵外の草はふさふさと豊かだ。

昔がっかりしたふんだまりだが外輪山遠望風景は雄大。

見慣れないごつごつした山風景。

去年の地震のためか道路は修理の跡が目立つ。

工事中の道路もあり。

連休明けで5時ごろだったので駐車場も閑散。

火山博物館の外壁はテントで覆われていた。

泊まった宿も外壁はテントで覆われていた。

地震のため廃業に追い込まれたユースホステル。

草千里米塚に近いので止めていただきたく電話しても通じずやっと通じて現状を知る。

オーナーの女性は地震より一滴の水も出ませんとおっしゃった。

今再開の準備中だとか。

泊まった内牧温泉でも営業中止状態の宿があった

内牧温泉に行く途中に立派な石碑があり立ち寄る。

広大なカルデラ内に作った水田の苦労を記していた。

阿蘇は雄大で魅力的だが自然の厳しさをつくづく感じた。

 

 


 

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