今は記念館になっている大正9年に建てられた海員養成学校も滞在作家の発表の場になっている。
90年以上経た木造建築はそれなりの貫禄とともにやさしさが加わりこの場に立てたことに感謝する気持ちになる。
天井近くの壁には88箇所のお寺の名前と言葉が書かれていた。
海を生きる場にした人たちは何か人智ではあがなえないものに対する畏敬の思いが強かったのかもしれない。
海洋記念館のそばには以前の滞在作家の作品が飾られていた。
粟島もいずれの島と変わりなく高齢化、過疎化が問題になっているが船員として過ごし豊かな年金で暮らしている人たちも多いと聞く。
中学校跡は芸術家村として、海員養成学校跡は公園になり施設は記念館として残し近代的な施設も作られている。
(写真はクリックすると大きくなります)