車社会になるまで粟島では瓦産業が盛んだったが今は稼動している釜はなく今回参加作家の田村友一郎さんの思いでこの海辺にあるダルマ釜に火が入った。
持ち主のおばさんは”何年も使ってないのに焼けたのよね”と嬉しそうに話してくれダルマさんに似ているからダルマ釜といっていたと教えてくれた。
おじさんは新居浜市にある大きな会社を勤め上げたUターン組みだが参加作家達にいろいろと便宜を図り私も移動のとき車に乗せていただいた。
40年ほど前鬼瓦を専門に焼いていた新六釜も雑木に覆いつくされていたのを田村友一郎さんは木を切り草を刈り周りを片付けてよみがえらせた。
この釜も海辺に設置されている。
焼いた瓦類は船に載せられ売りさばかれたのだろう。
すぐ近くの東北の鬼門の位置に鬼瓦がある家では舞台が設置されていた。
年齢を合わせると240歳以上になる3人の男性の踊りは楽しいものだった。
粟島には弓矢を使う百々手祭りに獅子舞や芸能、若い芸術家達を受け入れる下地は充分にあるようだ。
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