俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

原因不明

2016-02-21 07:43:43 | Weblog
 原因が分かれば対策を立てられる。たとえ複数の複雑な原因が絡み合っていても、どれかを改善することによって幾らかは改善できる。例えば企業の業績低迷の原因は多数あるだろうが、重要と思える弱点を克服できればほぼ確実に向上することが期待できる。
 しかし原因が分からない場合、あるいは分かっていても手を付けられない場合、小手先の対応をしても解決には至らない。例えばJR北海道は構造的な問題点を抱えているから、事故や不祥事を防止することは難しい。
 同じことが医療についても言える。原因が特定されれば医療はそれに対応できる。しかし原因が特定できる病は余りにも少ない。怪我と感染症と欠乏症と中毒ぐらいしか無いのではなかろうか。中には風邪などのウィルス性疾患のように原因が特定できても対処できない病もある。ウィルスは生物ではないから病原菌や寄生虫のように殺すことはできないからだ。
 癌と精神病は原因不明の病気だ。無数の発癌物質が列挙されているのはその原因が分からないという意味だ。中には石綿と中皮腫のように因果性が分かっている癌もあるが原因が分かっても治療できる訳ではない。
 原因が分からない時、医療はどう対応するか?お決まりのパターンになる。対症療法によってその場凌ぎをする。頭痛に鎮痛剤、下痢には下痢止めといった治療効果の無い薬でお茶を濁す。
 しかし原因が分からない病を治療しようとすれば却って悪化させる。かつて精神病の治療法としてロボトミー手術が脚光を浴びノーベル医学賞まで受賞したが、これは人間性を破壊するとんでもない医療だった。現在は抗精神病薬に頼っているが、抗鬱剤の副作用が鬱病の誘発であるように、抗精神病薬の多くが「向精神病薬」だ。
 原因が分からない病に対する治療は期待できない。原因が分かるまでは対症療法に徹するべきであり、分かったという思い込みに基づくオカルト的な医療は却って患者を不幸にする。

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