俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

疑わしきは

2016-02-13 10:49:18 | Weblog
 刑法では「疑わしきは罰せず」が大原則だ。99%有罪と思えても1%の疑惑があれば有罪にはできない。それにも拘わらず冤罪が絶えないのはこの原則が守られていない証拠であり裁判官には猛省を促したい。冤罪判決を下した裁判官には有罪判決を下したいとさえ思う。
 その一方で医療の世界では「疑わしきは罰す」がルールになっておりこれもまた困ったことだ。癌を良性腫瘍と診断すれば誤診として告訴され、良性腫瘍を癌と診断して手術をしても咎められることは滅多に無い。だから殆んどの病理医がごくごく薄いグレーを黒と判定する。早期発見・早期治療によって完治したとされる症例の殆んどが薄いグレーを癌と判定したものだ。本物の癌の治療は今尚、かなり厳しい状況だ。
 「念のために」は医療に蔓延る悪弊だ。風邪の患者に抗生物質を処方するから多剤耐性菌が増える。これは決して患者に対する配慮ではなく、自らの保身のためだ。「肺炎を見逃した」と非難されないために、風邪には全く効果の無い抗生物質を処方して自分の身を守っているだけだ。
 癌の過剰治療の問題はもっと深刻だ。欧米であれば良性と診断される腫瘍まで癌と判定されている。良性腫瘍を癌と判定して手術をすることは医師にとって多大なメリットがある。医療収入の増加だけではなく手術の成功率も高くなる。だから白に近いグレーの患者は「呼ぼう医療」にとっては最も有難いお客様だ。
 癌かどうかを判定する権限を握っているのは病理医だ。残念なことにこの病理医のレベルは余り高くない。病理医の多くが臨床医ではなく研究医であり、患者を診るよりも基礎研究のほうが好きな人が大半だ。そんな病理医は厄介なことを嫌う。少しでも疑わしければ迷わずに黒(=癌)と判定する。仮に患者に訴えられても癌の可能性がゼロでない限り責任を問われることはないし、手術後に執刀医が「発見が早かったから完治できたと思います」とでも発言しておけば一生感謝されるだろう。
 こんな病理医の判断に頼っているから、日本の癌患者の生存率はどんどん高くなっているのに、日本人全体の癌死亡率は上昇し続けている。これは決して高齢化だけが原因ではあるまい。健康な患者を幾ら治療しても病人は減らない。本当の患者を治療しなければ無駄な医療が増えるだけだ。

不治の病

2016-02-13 09:51:55 | Weblog
 自分が患者になり当事者として調べれば調べるほど、癌が今尚、不治の病だと痛感させられる。こんな発言は患者の希望を挫くと非難されそうだが、患者の一人として、事実に基づくべきだと強く主張したい。
 国立がん研究センターの1月19日の発表に基づけば癌の10年生存率は58.2%だ。この発表を鵜呑みにすれば患者の半分以上が10年以上生きていることになり、克服とまでは言えないまでも治療可能な病であるかのように期待させられる。
 しかしこの10年生存者の大半が転移していない癌の患者だ。転移した癌であれば、幾ら手術をしても次々に新しい癌が出現して、まるでモグラ叩きのように手術を重ねた挙句、死に至る。
 では転移する・しないは何によって決まるのか。現在の常識においては、早期の癌であれば転移しておらず、長期間放置された癌だけが転移するとされている。だから早期発見・早期治療によって癌の転移を予防できると信じられている。転移すればお手上げになるから転移する前に切除することが推奨されている。しかしこの論理には大きな矛盾がある。初期の筈の小さな癌が既に転移していることもあれば、かなり大きく成長していながら転移していない癌もある。この事実に基づくなら癌には2種類あり、転移性の癌と非転移性の癌があると考えるべきではないだろうか。転移性の癌であればどれだけ早く発見しても助からず、非転移性の癌であれば病状が現れてからでも治療できるということだ。前者が本物の癌であり、後者が近藤誠氏の言う「がんもどき」だろう。癌であれば治療不可能であり、がんもどきなら元々良性腫瘍なのだから簡単に除去できる。従って癌検診で早期発見することは無意味であり、逆に検診で浴びる放射線によって発癌リスクを高めることになる。
 私は決して癌患者の希望を奪いたい訳ではない。事実に基づくべきだと考える。この世を理不尽と考える人はありもしない来世や神の裁きを捏造して満足を得ようとする。IS(イスラミック・ステート)のテロリストが平気で残虐な犯罪を繰り返すのは聖戦(ジハード)についての勝手な解釈に基づく。独善的な宗教は他の信仰を否定するから宗教間・宗派間での対立を招く。嘘に基づいて生きるよりも事実に基づくべきだ。神による救済があり得ないように本物の癌の完治もあり得ない。癌を不治の病と認めないから無駄な医療によって苦しい思いをして時には却って死期を早めているのが現状だろう。不治の病であるという事実を直視した上で、残された時間を最も有意義に使うべきであり、無駄な足掻きは貴重な時間と金の浪費にしかならない。

鎮痛

2016-02-11 10:42:56 | Weblog
 自覚症状の無い病気もあるが、治療は基本的には様々な不快感の除去を意味する。たとえ根本原因を解決できなくても、不快感の除去さえできれば治療効果があったと判定できる。
 しかし除去することと感じなくさせることは全く違う。患者の主観においては同じであってもその意味は全く異なる。困ったことに大半の患者や医師がこの2つを混同している。
 血の付いた刃物を持った男が目の前に現れた場合、逃げるか武器を持つかを選ぶべきだろう。目を覆っても危機は去らない。
 赤信号に会えば止まらねばならない。目を閉じれば主観的には赤信号は存在しなくなるが交差する車は青信号に従う。主観世界に浸れば事故死の確率は極めて高くなる。
 迷彩服を着た兵士が藪に潜めば姿は殆んど見えなくなるが彼は確実にそこにいる。
 足を傷めた短距離走者が痛み止めを使えばそのレース中、痛みを忘れて走れる。しかし痛み止めの効果が切れれば激痛に苦しめられるし傷を悪化させて再起不能になるかも知れない。
 扱き使われて疲労困憊した人を最も元気にできる薬は覚醒剤だろう。しかしこの元気は贋物であり、仮に覚醒剤に中毒性が無くてもこんな薬に頼るべきではない。覚醒剤は特別なエネルギー源として働く訳ではなく脳が狂って疲労を感じなくなっているだけだ。
 痛みを感じるのは痛覚だが脳が狂って痛覚との連結を失ってしまえば痛くなくなる。痛みは解消された訳ではなく知覚できなくなっただけだ。
 医師は様々な鎮痛剤を処方する。しかしその殆んどが傷みを治す薬ではなく痛みを感じなくさせる薬だ。治療効果は全く無い。
 単なる鎮痛剤が役に立つのは手術や検査の時だけだろう。痛みを感じなくさせている間に本来なら痛みを伴う筈の作業を終える。麻酔薬が使われるようになるまでの外科手術は地獄の苦しみだったそうだ。
 後のことを考えなければ鎮痛剤も抗鬱剤も覚醒剤も同程度に有効だろう。未来を無視するならこんなその場凌ぎに頼っても良かろう。しかしその場凌ぎで誤魔化している間も病気は悪化し続ける。医師も患者も鎮痛剤で誤魔化すことを治療だと思い込んでいるが、これは治療ではなく一時的な麻痺に過ぎない。感じなくなっても存在するだけではなく悪化し続けている。

食道癌

2016-02-11 09:58:44 | Weblog
 食道癌の患者になってしまった。5大癌(胃、大腸、肝臓、肺、乳房)ではないため余りよく知らなかったが厄介な癌だ。1月19日に国立がん研究センターが発表した10年生存率は29.7%で低いほうから4番目だ。膵臓、肝臓、胆嚢胆道に次ぐ低さだ。他の癌がいかにも死亡率が高そうなものばかり並ぶ中で食道癌が4番目とは全く意外に感じる。恥ずかしい話だが食道癌と告知された時にはそんな重病だとは思わず、情報収集をして初めて愕然とした。
 食道癌の死亡率が高いのは長い臓器だかららしい。喉から胃に至る臓器だから、胸も腹も切開せねばならないそうだ。かつては術死率50%という恐ろしい手術だったらしいが今では約5%で、3か月死亡率は15%と言われている。その一方で術後1年以内に30~50%が亡くなっているという報告も多数ある。
 内視鏡手術のほうが随分生存率が高いらしいのでそれを希望したところ「そんなレベルではない」とあっさり否定された。仮にこれがレベルⅢという意味であれば5年生存率は26.6%、10年生存率は15.4%と更に低くなる。
 興味深いデータがある。食道癌の手術率は38.1%で肝臓癌(29.1%)と膵臓癌(35.0%)に次いで3番目に低い。明らかに危険な手術と思える2者に次いで低いのは、後遺症が大きくてQOL(クオリティ・オブ・ライフ)の低下が著しいからだろう。
 食道癌で困るのは食べられなくなることだ。固形物は総て吐いてしまうから今月の6日以降6日間、流動食だけに頼っている。今のところ飲めるだけマシであり飲めなくなれば衰弱死に至る。この期に及んでも毎日プールで体を鍛えておりついでに体重を測っているが6日間で4㎏痩せた。
 私としては手術を回避して放射線治療に頼りたいと思っている。運良く手術が成功してもQOLは著しく低下するし余命も長くない。それなら多少短命になってもQOLを高く維持したほうが少しは生きることを満喫できるだろう。
 この辺りの判断は得意の確率論に基づく期待値を使って算出すべきところだろうが、データが余りにも乏しくて試算できない。そもそも放射線治療が私にとってどれほど有効かさえさっぱり分からない。分からないことであれば実験に身を委ねるしか無い。とりあえず放射線治療に賭けてそれで失敗すれば手術に賭けるという選択肢しか無かろう。但し放射線治療には大きな欠点がある。再治療ができないということだ。治療のためには許容限度一杯にまで照射する必要があり再発してもそれ以上照射できないから手術以外の選択肢は無くなる。放射線も手術も綱渡りのような危険な治療法だとつくづく思う。こんな状況に遭うとやはり癌は今尚「不治の病」だと痛感する。

席取り

2016-02-09 10:26:17 | Weblog
 セルフサービスの食堂では、先に席を押さえてから料理を買いに行く人が少なくない。私の元勤務先の社員食堂はこれを禁止していた。先に席を押さえれば座席の回転率が下がるからだ。席を押さえてから料理を買いに行けばその間、その席は無人の席になるから回転率が下がるし料理を抱えたまま立ち往生する人も増える。しかしこのルールは空文化していた。グループ行動をしたがる女性社員が必ずまとまった席を押さえていたからだ。そんな女性グループを敢えて咎めようとする人はいなかった。
 こんな例は少なくない。温泉などの公衆浴場では風呂桶やタオルなどによって洗い場を先に押さえる人がいる。あるいはプールの更衣室の洗面所にパンツやタオルなどを置いて他人を排斥しようとする人がいる。こんな権利など認めるべきとは思えないが、こんな下らないことで喧嘩になってもつまらないだけだから黙認されている。日本人の多くは寛大で優しい。だから無法者が付け上がる。
 こんな人が外国へ行くと思い掛けない目に遭う。フードコートなどでテーブルにバッグなどを置いても無視して占領される。日本人以外にこんなルールは通用しない。セルフサービスのテーブルは準備ができた人から順番に使うことが常識だ。レストランとは違う。
 それで済めばまだマシだ。万引に遭うこともある。バッグなどを放置すれば「盗ってくれ」と言っているようなものだ。こんな日本人のグループを専門に狙う万引犯さえいるようだ。
 優しい日本人に囲まれていると自分がどれほど厚遇されているかに気付かない。知らず知らずのうちに傍若無人な振舞いをしていることが少なくない。寛大な人々に囲まれていると自分が我儘であることに気付かない。甘やかされた駄々っ子のようなものだ。海外に旅行をすれば日本での常識がいかに非常識であるかに気付かされることが多い。これは中国人観光客と同じことだ。海外旅行で憤る人の多くは国内で傍若無人な振舞いをしている人だろう。権利意識の高い西洋人は他者の我儘を許さない。人の好意は受け入れるべきだがそれを好意と理解しなければ恥知らずになる。

先天性と後天性

2016-02-09 09:48:35 | Weblog
 能力とは先天性×後天性だと私は考えている。猿にどれほど高度な教育をしても人間にはなれないし、完全に育児放棄をされた人は獣以下の動物になる。どちらが不充分であっても不充分な能力しか獲得できない。
 日本人は先天性の差を認めたがらない。生まれた時は皆同じであって、育児と教育によってその差が生まれると考える人が少なくない。実際には生まれた時点で既に潜在的には大きな差があるのに、スタート時点では平等だと考えたがる。
 そう考える親は残酷だ。他人に負けるのは努力が足りないからと決め付けて子供を咎める。責任の半分は自分が受け継がせた先天性であることを認めようとはしない。
 先天性は変えられない。そのまま肯定するしか無い。先天的な特徴を長所・短所としてではなく個性と認めるべきだろう。個性に合わせて教育は行われるべきだろう。特に優れた点があれば英才教育があっても良かろう。してはならないことは妙な型に嵌めることだ。型に嵌められれば歪んだ形で成長する。
 自然は肯定されねばならない。自然法則に基づいて人工物は作られるべきであり自然を否定すれば自然によって逆襲される。もし引力の法則に逆らった建物を作れば忽ち破壊される。
 私が医療を批判するのは、それが自然治癒力を軽視するからだ。せっかく自然治癒力が働いて健康を取り戻そうとしている時に、人間の浅知恵が妨害する。あるいは自然治癒力の手柄を横取りする。長い間、傷口は消毒されていたが、こんな妨害にも拘わらず自然治癒力は黙々と役割を果たし続けた。
 医療が前提とすべきことは自然治癒力の肯定だ。高血圧症や鬱病に罹るのは何か訳があってのことと疑うべきだ。それが必要性に基づくか機能の狂いに基づくかを識別せねばならない。必要性に基づく反応であるなら薬によって抑え込むことは却って有害だ。
 確かに自然治癒力が誤ることはある。しかしそれはむしろレアケースだろう。自然治癒力に弱点や欠点があることは事実だ。アレルギー反応は免疫力の暴走であり、癌などの腫瘍が成長するのは免疫力が異物と認識したものしか攻撃しないからだ。まず自然治癒力を肯定した上で、その弱点・欠点を補完することが医療の最も重要な役割だろう。
 これは全くの素人考えだが、免疫力が癌細胞を異物と認識しないのであれば、遺伝子操作によって癌細胞を異物のレベルにまで変異させてしまうという対策は無いものだろうか。有害性が高まる可能性もあるが、免疫力の力を借りられるというメリットのほうが大きいのではないだろうか。

自然治癒力の限界

2016-02-07 10:43:14 | Weblog
 批判を続けている医療に頼ることになりそうだ。
 昨年末以来、嚥下障害がありビールやお茶などで流し込んでいたが一昨日(5日)から吐血を伴う嘔吐が始まり何も食べられなくなった。6日に胃腸科で検診を受けたところ食道に腫瘍と潰瘍が見つかり、これらが嚥下を困難にし潰瘍からの出血が吐血に繋がったと分かった。歯の治療と小学生の時の骨折以外、病気と怪我を総て自然治癒力だけで治して来たが今回は流石に無理だ。食べられなければ手の打ちようが無い。
 実は全く食べられなくなったことでホッとしている自分がいる。ようやく無理に食べるという苦痛から解放されたからだ。私は母と同居しており沢山食べさせることが愛情と母は信じ込んでいる。私が少食になると母は不機嫌になる。だから妥協して少なからず大目に食べていたがようやくこの苦行から解放された。独り暮らしであれば節食してこの腫瘍と仲良く付き合っていたのではないかと思う。しかしそれは腫瘍の肥大に繋がっていただろう。
 自然治癒力は2つの機能に分けられる。再生力と免疫力だ。再生力があるからこそ傷口は修復され、免疫力によって外部から侵入しようとする異物が退治される。強力な盾と矛があれば万全の体制の筈だが弱点があった。免疫力は内なる敵に弱い。病原体のような異物であれば免疫細胞の猛攻に晒されるが、腫瘍は異物ではなく自己の細胞の変異体だ。この変異が極端であれば異物と認知され得るだろうが多くの腫瘍は異物扱いされない。だから免疫力が充分に働かない。
 癌が難病であるのは自然治癒力の協力が充分に得られないからだろう。免疫力は癌を敵視しないから医療は単独で癌と戦わねばならない。戦力が半減すれば当然戦いは不利になる。
 抗生物質が体内の細菌を殺せば免疫力にとってこれほど心強い援軍は無い。一方エボラ出血熱のように抗ウィルス薬が全く無ければ、医療にできることは点滴だけだ。点滴によって体力を辛うじて維持して免疫力がウィルスに勝つことに期待するしかない。癌とは逆に免疫力だけが頼りだ。だから死亡率も高くなる。免疫力と医療は車の両輪であってこそ最高の力を発揮する。
 自然治癒力は医療よりも遥かに高いレベルの防疫力を持っているが自己の細胞の変異体を攻撃できないという大きな弱点を持っている。弱点を充分に理解してその弱点を補完することと共に、医療よりも遥かに頼りになる免疫力を高める方法の研究も今後の医療の重要な課題だろう。

平等の罠

2016-02-07 09:53:53 | Weblog
 最近、安倍首相が同一賃金同一労働を唱えるようになりこれがまるで労働条件の改善に繋がるかのように言われている。民主党が以前から主張していたことでもあり余り強く反対する勢力も無いようだ。しかしこれは危険な制度だ。
 2005年に西友を子会社化したアメリカ資本のウォルマートが採用した制度が同一労働同一賃金だった。そしてその実態は、正社員の雇用条件を非正規雇用労働者並みに落とすことだった。米資本の元での改革だったから余り問題にはならなかったがこれは酷い制度だ。
 鮮魚売場の販売員の賃金はパートタイム労働者の賃金に統一された。鮮魚の販売という同一業務を担当するからだ。しかし本当に同一業務だろうか。ベテランの販売員であれば目利きができるだろうし顧客の心の壺を押さえる接客技術など様々なノウハウも修得しているだろう。これを同一労働と見なすことは正当だろうか?
 日本の正社員は恵まれている。古き良き時代の慣行が残されている。基本思想は終身雇用だ。この制度の元では転職すれば不利になるから労働者側も生涯勤続することを考えて安定した長期的な関係が築かれる。
 労働者市場の活性化を唱える人はこれを人材の硬直化と非難して流動性を求める。確かに当初の選択を誤った人であれば流動的な雇用のほうが好ましいが、誤らなかった人にとっては硬直化が好ましい。だからこそ非正規雇用労働者は正社員を羨む。正社員という安定した地位は決して高い地位でなくても生涯に亘る充分な安全性が確保されている。
 失われた20年の間に企業は労働条件を改悪した。その中で辛うじて生き残ったのが現在の雇用慣行だ。同一労働同一賃金が国是とされたらどうなるか。流石にウォルマートのようなことはできないが、足して2で割ることなら許容されるだろう。つまり正社員の地位の低下と非正規雇用労働者の地位の向上の同時実現だ。経営者が企んでいるのは正社員の持つ権利の切り崩しであり従業員全員の使い捨て労働者化だ。
 ゆとり教育は学力の平準化を目指した。それによって低学力者のレベルは上がったが高学力者のレベルは下がり、全体のレベルは低下した。
 所得再分配とは高所得者の所得を低所得者に振り分けることだ。確かにこうすることによって平等にはなるが全体の所得は変わらない。長期的には勤労意欲の低下によって所得の減少を招く。
 私が最も恐れるのは、同一労働同一賃金という錦の御旗の元で平等化の嵐が吹き荒れて辛うじて生き残っていた古き良き日本型経営が息の根を止められてしまうことだ。同一労働同一賃金が狙っているのは実質的には正社員を非正規雇用労働者化することだ。

成金

2016-02-05 10:48:57 | Weblog
 ノブレス・オブリージュ(noblesse oblÍge)はフランス語で「高貴な者の義務」を意味する。貴族階級は庶民以上に思い責任と義務を負うという思想だ。
 日本の貴族であれば和歌を詠み蹴鞠をして「~でおじゃる」とでも言っているようなイメージがある。これは世界に類を見ない特殊な地位だ。貴族だけではなく皇室も特殊だ。古代においてはともかく中世以降の天皇は王よりも宗教的指導者に近い。国家・国民の安全を祈願して和歌を詠むことが最も重要な業務だ。和歌の役割は呪文や祈祷のようなものだ。
 ヨーロッパの貴族は日本とは全く違い、基本的には騎士(knight)だ。王のために命懸けで戦うことが本来の業務だ。
 騎士道を背景にして身を律するから考え方は日本の武士道に近くストイックだ。江戸時代までの日本にはノブレス・オブリージュがあった。しかし明治維新の四民平等によって消し飛ばされの価値観が支配する社会になった。サンフランシスコ平和条約が戦前・戦中・戦後史を歪めたように、維新政府もまた江戸時代史を歪めた。江戸時代の武士には地位に相応しい矜持があったがこれらは否定された。現代日本語にはノブレス・オブリージュに該当する言葉さえ無い。
 成金には高貴さが欠けている。だから私腹を肥やし庶民以上の権利まで得ようとする。一時期「重役出勤」という言葉が平気で遅刻をすることを意味していたが、アメリカの経営者は猛烈に働く。正に身を粉にして働くことが重役の仕事だ。
 日本でも民間では大半の企業でノブレス・オブリージュが蘇っている。地位が高まるほど責任は重大になり責任を全うするために大変な苦労をしている。しかし公務員と政治家においてノブレス・オブリージュは未だ充分に蘇っていない。
 救急医や消防隊員などは危険を顧みず命懸けで働くという高い職業意識を持っている。アメリカでは消防隊員は最も尊敬される職業の1つらしい。
 高貴さを欠いた権力者は醜い。権力者としての特権だけでは飽き足らず庶民の持つ権利も悉く我がものにしようとする。まるで中国が経済大国と発展途上国の顔を使い分けるように、権力者でありながら労働者としての権利も要求する。
 権利は誰が主張しても構わない。しかし特権を既に得ている人は庶民の細やかな権利を羨むべきではなかろう。庶民の細やかな小遣い稼ぎにまで割り込もうとする守銭奴のようなものだ。権力者はもっと責任と義務を自覚する必要がある。

医療批判

2016-02-05 09:56:11 | Weblog
 ニーチェはキリスト教の害毒を告発し続けたが俗物である私は医療の嘘を告発し続けたい。日本の医療は余りにも酷い。日本は決して医療先進国ではない。
 専門知識を持たない門外漢の私が医療を批判するのは彼らよりも因果性を理解していると自負しているからだ。彼らは因果性と相関性を区別できない。だからデタラメな医療を続けている。
 医療は確かに多くの人々を救った。しかしそれは主に2つの功績に基づく。病原菌や寄生虫の発見と欠乏症対策だ。それ以外の医療はオカルトのレベルに留まっている。オカルトと同様に、自然治癒力による治癒を自らの手柄と僭称している。動物には自然治癒力が備わっているから間違った治療をしても治ってしまう。そのために間違った治療法が放置されている。
 根本的な問題は対症療法を治療だと思い込んでいることだ。当たり前の話だが、骨折の痛みを消すことは治療ではない。やるべきことは骨の整形をした上で動かさないように固定することだ。後は自然治癒力が骨を接合するのを待つだけだ。
 下痢止めも治療ではない。有害物を排泄することの妨害でしかない。医療がすべきことは有害物の正体を見極めて適切な処理をすることだ。砒素カレー事件でもО-157による集団食中毒事件でも下痢止めを処方された患者の死亡率は極端に高い。ヤブ医者だらけだ。
 風邪の諸症状の大半が免疫反応だ。体温を高めて病原体の活動を抑えようとしている時に解熱剤を処方することは利敵行為だ。
 筋肉や関節を傷めれば炎症を起こす。炎症が起これば血流が増えて自然治癒力が高まる。これを妨害するのがアイシングだ。アイシングをすれば炎症は起こりにくい。しかしこれは自然治癒力の妨害に過ぎない。炎症を症状だと思い込んでいるから、炎症を予防できれば傷害を防止できるなどととんでもない妄想を持っている。因果関係を全く理解していない。炎症は傷害を治癒するために起こっているのにそれを敵視している。これは消防隊の妨害をすることによって火事が減ると考えるような気違いじみた発想だ。
 昔「♪み~んな悩んで大きくなった♪」というCМがあったが、人は悩み苦しむことを通じて成長する。悩む青少年に抗鬱剤を処方してパッパラパーの状態にしてしまえば成長する機会を奪う。それどころか精神に異常反応を起こさせる抗精神病薬を使えば異常者が増える。SSRIという抗鬱剤が治療薬として使われるようになってから鬱病患者は劇的に増えた。同様にアリセプトという治療薬が使われ始めてから認知症患者は激増している。これらは治療薬ではなく「向精神病薬」だろう。
 命を預かる医療がデタラメであることに私は義憤を感じる。しかし残念ながら私は医師ではない。素人が幾ら批判しても無視される。もし独学で医師の資格が取れるなら迷わずに取得するがそんな制度は無く、大学へ再入学せねば医師にはなれない。残り短い余生の使い方として大学の6年間は余りにも勿体ないから私は素人の立場で批判を続けるつもりだ。