刑法では「疑わしきは罰せず」が大原則だ。99%有罪と思えても1%の疑惑があれば有罪にはできない。それにも拘わらず冤罪が絶えないのはこの原則が守られていない証拠であり裁判官には猛省を促したい。冤罪判決を下した裁判官には有罪判決を下したいとさえ思う。
その一方で医療の世界では「疑わしきは罰す」がルールになっておりこれもまた困ったことだ。癌を良性腫瘍と診断すれば誤診として告訴され、良性腫瘍を癌と診断して手術をしても咎められることは滅多に無い。だから殆んどの病理医がごくごく薄いグレーを黒と判定する。早期発見・早期治療によって完治したとされる症例の殆んどが薄いグレーを癌と判定したものだ。本物の癌の治療は今尚、かなり厳しい状況だ。
「念のために」は医療に蔓延る悪弊だ。風邪の患者に抗生物質を処方するから多剤耐性菌が増える。これは決して患者に対する配慮ではなく、自らの保身のためだ。「肺炎を見逃した」と非難されないために、風邪には全く効果の無い抗生物質を処方して自分の身を守っているだけだ。
癌の過剰治療の問題はもっと深刻だ。欧米であれば良性と診断される腫瘍まで癌と判定されている。良性腫瘍を癌と判定して手術をすることは医師にとって多大なメリットがある。医療収入の増加だけではなく手術の成功率も高くなる。だから白に近いグレーの患者は「呼ぼう医療」にとっては最も有難いお客様だ。
癌かどうかを判定する権限を握っているのは病理医だ。残念なことにこの病理医のレベルは余り高くない。病理医の多くが臨床医ではなく研究医であり、患者を診るよりも基礎研究のほうが好きな人が大半だ。そんな病理医は厄介なことを嫌う。少しでも疑わしければ迷わずに黒(=癌)と判定する。仮に患者に訴えられても癌の可能性がゼロでない限り責任を問われることはないし、手術後に執刀医が「発見が早かったから完治できたと思います」とでも発言しておけば一生感謝されるだろう。
こんな病理医の判断に頼っているから、日本の癌患者の生存率はどんどん高くなっているのに、日本人全体の癌死亡率は上昇し続けている。これは決して高齢化だけが原因ではあるまい。健康な患者を幾ら治療しても病人は減らない。本当の患者を治療しなければ無駄な医療が増えるだけだ。
その一方で医療の世界では「疑わしきは罰す」がルールになっておりこれもまた困ったことだ。癌を良性腫瘍と診断すれば誤診として告訴され、良性腫瘍を癌と診断して手術をしても咎められることは滅多に無い。だから殆んどの病理医がごくごく薄いグレーを黒と判定する。早期発見・早期治療によって完治したとされる症例の殆んどが薄いグレーを癌と判定したものだ。本物の癌の治療は今尚、かなり厳しい状況だ。
「念のために」は医療に蔓延る悪弊だ。風邪の患者に抗生物質を処方するから多剤耐性菌が増える。これは決して患者に対する配慮ではなく、自らの保身のためだ。「肺炎を見逃した」と非難されないために、風邪には全く効果の無い抗生物質を処方して自分の身を守っているだけだ。
癌の過剰治療の問題はもっと深刻だ。欧米であれば良性と診断される腫瘍まで癌と判定されている。良性腫瘍を癌と判定して手術をすることは医師にとって多大なメリットがある。医療収入の増加だけではなく手術の成功率も高くなる。だから白に近いグレーの患者は「呼ぼう医療」にとっては最も有難いお客様だ。
癌かどうかを判定する権限を握っているのは病理医だ。残念なことにこの病理医のレベルは余り高くない。病理医の多くが臨床医ではなく研究医であり、患者を診るよりも基礎研究のほうが好きな人が大半だ。そんな病理医は厄介なことを嫌う。少しでも疑わしければ迷わずに黒(=癌)と判定する。仮に患者に訴えられても癌の可能性がゼロでない限り責任を問われることはないし、手術後に執刀医が「発見が早かったから完治できたと思います」とでも発言しておけば一生感謝されるだろう。
こんな病理医の判断に頼っているから、日本の癌患者の生存率はどんどん高くなっているのに、日本人全体の癌死亡率は上昇し続けている。これは決して高齢化だけが原因ではあるまい。健康な患者を幾ら治療しても病人は減らない。本当の患者を治療しなければ無駄な医療が増えるだけだ。