俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

イレッサ

2011-11-18 13:26:31 | Weblog
 私は肺癌治療薬のイレッサを支持する。治療効果のある薬だからだ。決して厚生労働省の味方をしたい訳ではない。それどころか小宮山厚生労働大臣が大嫌いだ。国会で質問されるたびに後方の席にいる官僚達に教えを乞わなければ答弁さえできない税金泥棒の不適材大臣だからだ。
 それはさておき薬に副作用は付き物だ。副作用の無い薬は効かない薬だとさえ言える。効果も副作用も無い、毒にも薬にもならない薬など金の無駄遣いでしかない。必要なのは効く薬だ。
 最悪の薬は無益かつ有害な薬だ。そんな薬などある筈が無いという反論がありそうだが、風邪薬と下痢止めなどがそれだ。殆んどの風邪薬は風邪の諸症状を緩和するだけで治療効果は全く無い。(治療効果があるのは副作用が問題になっているタミフルなど。)下痢止めは排便されるべき有毒物を体内に留めることによって有毒性を拡大する。これらは薬ではない。ただの毒物だ。麻薬のようなものだ。
 良薬は口に苦しと言うとおり良薬は有害性を併せ持つ。なぜなら効く薬とは人体に異常な反応を起こさせる危険物であり、うまく効けば薬となり効き方が悪ければ毒物になる。
 治療効果が無いだけではなく有害な対症療法の風邪薬や下痢止めを有難がって、効くからこそ副作用の大きいイレッサを否定する人は薬の意味を理解していない。薬の本質は人体に異常な反応を起こすということだ。

風邪の症状

2011-11-18 13:10:26 | Weblog
 風邪の症状と治癒反応がしばしば混同されている。そのために対症療法によってかえって悪化させることが少なくない。
 風邪症候群を起こす病原菌にとって好ましい状態は寄生体が元気で病原菌を撒き散らすことだろう。咳や鼻水や下痢などは感染を広めることになるので症状と見なせる。但し下痢は両面性がある。病原菌が拡散されることと体が異物を排除することという2面性だ。感染した個体にとっては、有害な異物を排除することは有益なことだ。
 一方、発熱や悪寒は体温を上げることによって免疫機能を高め、同時に病原菌の活動を抑える効果があるので治癒反応と考えられる。治癒反応である発熱や悪寒を無闇に鎮めることは病原菌を利することになる。
 頭痛や倦怠感は安静にさせるためのシグナルだろう。この病状が現れると人は活動を控えるので治癒が促される。つまり痛みが傷の所在を知らせ傷を庇わせるように、頭痛などの不快感によって活動を抑制しようとしていると考えられる。この不快感を薬で消してしまうことは、傷の痛みを感じなくするようなことであり、その人が普段通りの生活をすることによって病状の悪化と感染の拡大を招く。
 要するに風邪をひいたら栄養価の高い物を食べて安静にすべきだということだ。対症療法に過ぎない風邪薬を使うことは本人にとっても周囲にとっても有害なことだ。

1969

2011-11-15 15:24:26 | Weblog
 由紀さおりさんのアルバム「1969」が国際的にヒットしているそうだ。日本語の歌が国際的に評価されるのは坂本九氏の「スキヤキ=上を向いて歩こう」以来だろう。
 1960年代は日本の音楽にとって文化大革命とも言える時期だった。それまでの洋楽はアメリカンポップスとロシア民謡ぐらいしか知られていなかった。ところがイギリスからはビートルズやローリングストーンズなど、フランスからはシャンソン、イタリアからはカンツォーネ、そしてアメリカからはサイモンとガーファンクルやカーペンターズといったポップスのレベルを超えた音楽が怒涛のように流れ込んだ。日本の音楽は全面的に見直しを迫られた。
 70年代のアイドル歌手時代への過渡期として60年代には奇妙な音楽も生まれた。橋幸夫氏の「恋をするなら」などのリズム歌謡と呼ばれたジャンルだ。しかしこれは全く中途半端なもので邦楽ファンからも洋楽ファンからも評価されなかった。
 件の「夜明けのスキャット」はラジオの深夜放送番組のテーマソングとして作られたと思っている。当初は歌詞の無い「♪ルールールルル♪」だけの歌だった。私は「サウンド・オブ・サイレンス」のリメイクだと思っていた。それに歌詞が付けられて新曲として発売された時には少なからず驚いた。
 今回のヒットをきっかけにして盗作問題にならないか気掛かりだ。当時の日本では今の中国と同じで洋楽のフレーズをパクることは普通のことだった。

桃太郎

2011-11-15 15:07:59 | Weblog
 御伽噺や古典童話は割と好きなほうだが、子供の頃から桃太郎だけは嫌いだった。
 まず鬼退治の必然性が感じられない。桃太郎軍は一方的に攻め込んでいる。私は被害者である鬼に同情する。
 犬・猿・雉を餌で手懐けるのも下劣だ。大体、黍団子が命懸けの戦闘に相応しい報酬だろうか。動物の浅知恵に付け込んでいるとしか思えない。
 文部省唱歌の歌詞も酷い。特に4番は最低だ。「♪面白い面白い 残らず鬼を攻め伏せて 分捕り物をえんやらや♪」完全に侵略を楽しんでいる。相手に対する思いやりは微塵も感じられない。これではまるで不良少年グループが近所の村を襲って略奪するような話だ。大日本帝国による侵略戦争でもこんな酷いことはしなかった。近現代でこんな非人道的な例は中南米のインカ文明・アステカ文明を滅ぼしたピサロとコルテスぐらいしか思い当たらない。彼らは大虐殺をして金銀宝物を略奪し、英雄としてスペインに凱旋した。桃太郎にそっくりだ。
 中国での反日教育にも利用されかねない。「日本では子供にまでこんな侵略を美化する話を教えている。だから日帝に気を許してはならない。」と教えるということにもなりかねない。
 桃太郎の話は私有財産を認め平和を尊重する現代の日本には相応しくない。昔はこんなに野蛮だったという反面教師として伝えるべきだろう。

個人と社会

2011-11-15 14:53:16 | Weblog
 蟻や蜂と同様、社会的動物である人類にとって社会は個人と対立するものではない。理由は2つ挙げられる。
 ①人類は元々群居動物だ。猿人・旧人の時代からずっと群居生活を営んでいる。類人猿も猿も多くは群居生活をする。猿から進化した人類の遺伝子には群居生活を好む本能が組み込まれている。
 ②社会生活は合理的だ。分業によって個人では不可能なことが可能になる。食料の調達を考えてもそのことは明白だ。例えば鮪は誰でも簡単に小売店で購入できるが、もし個人が独力で鮪を得ようとすればそれは大変な仕事になる。船を作り、釣竿と釣糸を作らねばならない。釣糸を作ることさえ困難なので鮪を食べることは諦めざるを得ない。
 人は他人の役に立つことが大好きが。他人の役に立つことに自分の存在価値を見出す人もいるぐらいだ。
 問題は集団のレベルだろう。家族の利害は町内会の利害と合致しない。町内会の利害は市と対立する。市と国とは整合しないし、国は世界と敵対することもある。どのレベルを最優先すべきか、あるいはどのレベルを重視して調整すべきかは個人が選択せねばならない。対立するのは個人と社会ではなくて集団間の利害だ。

ポルトガルの衰退

2011-11-11 13:24:39 | Weblog
 ポルトガルがなぜ衰退したのか疑問に思わないだろうか。ポルトガルはスペインやイギリスと海の覇権争いをしていたが突然世界史から姿を消した。
 ポルトガル衰退の最大の原因は1755年に起こったリスボン大震災だろう。マグニチュード8.7と言われる大地震と津波で6万人が死亡しGDPの半分が失われたそうだ。この頃からポルトガルの姿は世界史から消える。その後1822年のブラジルの独立までポルトガルは世界史に登場しない。
 鉄砲を日本に伝えたポルトガルがたった一度の地震で衰退したということは俄かには信じられない話かも知れないが、イギリスやスペインのような強国と覇権を争うためには総力戦が必要だ。国力が半減したら到底、太刀打ちできない。
 競争とは厳しいものだ。ほんの少しの差で勝敗は決まる。99点と98点が争えば99点のほうが勝つ。99点側が100%を取り98点側は何も得られない。ベストを尽くしても勝てないこともあるのだから半身不随の状態では競争に参加することさえ難しい。
 日本は第二のポルトガルになるのではないだろうか。「日出づる国」は急速に「日没する国」へと向かいつつあるように思える

円高対策

2011-11-11 13:08:54 | Weblog
 私は様々なジャンルに関心を持つが経済学ほど訳の分らない代物は無い。言っていることがバラバラだからだ。「風が吹けば桶屋が儲かる」のような理屈での我田引水ばかりが目立つ。これほど学者ごとに意見が食い違う学問は他には無い。まるで宗教論争のようなものだ。もし経済学が有効なら日本の長期停滞は起こらなかった筈だ。
 そんな経済音痴の男の意見だから軽く聞き流して欲しい。
 単独での為替介入は殆んど無意味だ。日本の都合で介入してもその効果は高が知れている。何兆円も注ぎ込んでもその効果は僅か数日しか持たない。むしろ日本が円安にしようと仕掛けることで円高が日本の国益に背く、つまり諸外国の国益には適うと誰もが考えてしまう。これでは益々円高を招く。
 国際潮流が円高に向かうならそれに棹ささずに乗ってしまえば良い。外貨準備を吐き出して米国債も大量に売る。こうすれば超々円高になるだろう。その時点で海外から目一杯買い漁る。レアアースなどの資源も土地も企業も知的財産もプロスポーツチームも成金のように買い漁る。経済大国日本の面目躍如だ。
 円が暴走して世界経済を掻き回せば世界中が円高の恐ろしさを痛感して円高を阻止しようとするだろう。そうなれば円は勝手に安くなる。世界が望んだことだから円安で安定するだろう。
 これは素人の妄想だろうか。

生活保護受給者

2011-11-11 12:54:04 | Weblog
 7月の生活保護受給者数が2,050,495人と史上最多になった。受給者は4種類に分類される。①高齢者②障害者③母子家庭④その他。
 ニセ障害者という問題はあるが、障害者と母子家庭には支援が必要だ。母子家庭の場合、育児と仕事の両立は難しい。世話をしてくれる親族がいなければ幼児を監禁して働くという無茶なことにもなりかねない。
 高齢者と「その他」については減額を考えるべきだろう。
 障害を持った高齢者ならともかく、多くの高齢者は充分な年金保険料を支払わなかった人だ。保険を怠っておいて年金より高額の生活保護費を受け取るのは厚かまし過ぎる。
 「その他」は3種類に分類できる。働けない人と働かない人と非合法収入を得ている人だ。働かない人が問題にされることが多いがもっと酷いのは非合法収入を得ている人だ。
 覚醒剤の密売や強盗・窃盗などで稼いでいる人の表向きの収入はゼロとなる。勿論、納税もしない。布団しか無いボロアパートを住所として登録すれば簡単に生活保護を受けられる。何しろ表向きの収入はゼロだからだ。固定電話なら実際に居住しているか調査できるが、携帯電話なら非居住地のボロアパートを住所として登録しても電話連絡が可能だ。たとえ立派な別宅とベンツを持っていてもそこまでは調べられない。こんな犯罪者優遇制度は見直されるべきだろう。

外国語

2011-11-08 15:21:56 | Weblog
 TシャツはT字型をしているからこう呼ばれるが、ワイシャツはY字型をしているからではない。white shirtが語源だ。従って「青いワイシャツ」は形容矛盾でありピンキーとキラーズの「恋の季節」のように「♪青いシャツ着てさ~♪」とか「青いドレスシャツ」と表現するのが正しい。
 ある夫婦がパリでレストランに立ち寄った。フランス語を話せる夫が一人で注文をして妻は黙っていた。ウェイターが「マダム・オシ」と言ったので妻は「唖」と言われたと思って怒った。実はウェイターは`Madame aussi'つまり「奥様も同じですか」と言ったのだ。
 漫画の「おそ松君」ではイヤミ氏が`Merci madame'と言うとおそ松君の母は「飯まだ?」と言われたと思って食事を提供した。
 キャビンアテンダント(「スチュワーデス」の名が懐かしい)が機内で男性の服に水を零してしまった。慌てて取り繕おうとしていると男は「イッチョラ」と言った。一張羅を濡らしてしまったと思った彼女は一層一所懸命に水を拭いた。すると男は何度も「イッチョラ、イッチョラ」と言う。この時初めてこの男が日系外国人であり`It's all right'つまり「構わないよ」と言っていることに気付いたそうだ。
 日本語には「ん」以外に子音だけの音は無い。子音+母音か母音だけの音しか無い。そのために子音だけの音は聞き取りにくい。日本人が外国語会話を苦手とするのは日本語のこの特性も大きな要因だ。

狐狸庵

2011-11-08 15:08:15 | Weblog
 遠藤周作氏は「ぐうたら」シリーズでは狐狸庵という名前を使っているがこれはkoreanを意味するのではないだろうか。
 遠藤氏の著書は本名で出版されているが氏がペンネームに無関心だったとは思えない。「日本人とユダヤ人」が評判になった時にイザヤ・ベンダサンの正体を「日本人でありこのペンネームは『いざや便出さん』の意味だ」と見抜いた遠藤氏だから狐狸庵という名前に意味を込めた可能性はかなり高い。それだけに自らのルーツが朝鮮人であることを告白したものと思える。
 ところで「朝鮮人」という言葉を蔑称と感じる人は少なくなかろう。かつての朝鮮支配もその一因だろうが、朝鮮人自らがこの言葉を使っているだけにこの語を排除すれば朝鮮半島や朝鮮語などを何と呼んだら良いのか分らなくなる。
 しかし歴史的に考えれば「朝鮮」は冊封体制下において中国から授けられた名称であり、今も中国の属国である朝鮮民主主義人民共和国ならともかく独立国である大韓民国にとっては好ましい名称とは思えない。むしろ「韓」や「高麗」のほうが誇りを持てる名称ではないだろうか。