俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

医療の非常識

2015-05-01 10:02:02 | Weblog
 医療に批判的な人は少なくない。そんな人の多くはかつては医療を信頼していて裏切られた人だろう。医療にできることは実は限られている。できないことまでできると言うから、全然当たらない地震予知と同レベルにまで信用失墜してしまった。できることとできないことを峻別することが医療の信頼回復のためには絶対に欠かせない。実際には治療が自然治癒力と免疫力に全面的に依存しているという事実を直視せねばならない。
 医療は傷の治療さえできない。大きな切り傷ができた時、医療にできることは縫合することだけだ。もし自然治癒力が働かなければ縫合に使った糸を抜くことはできない。傷口が開いてしまう。縫合によって時間稼ぎをしている間に自然治癒力が働いて傷口が接合する。骨折でも同じことだ。医療にできることは折れた骨を元の位置に戻して固定するだけだ。こうしておくだけで骨が勝手にくっついて治癒する。
 細菌に対しては抗生物質が有効だがウィルスに有効な薬は殆んど無い。だから何らかの方法でウィルスの増殖を止めることが対策だ。増殖を止めさえすれば免疫力によってウィルスを退治できるかも知れない。
 抗癌剤が延命に役立つことはあり得る。しかし激しい副作用を伴う延命であるなら果たして意味があるのだろうか?QOL(クオリティー・オブ・ライフ)の向上に役立たない治療であれば拷問を長引かせるだけなのではないだろうか。
 老化を防ぐことはできない。現在行われているアンチエイジングは若く見せることだけが目的だ。実際に老化を防いでいる訳ではない。それどころか様々なホルモン療法はドーピングと同じように後遺症があるのではないだろうか。
 現在の医療は風邪さえ治療できない。解熱剤は治療薬ではない。不快感を緩和するだけだ。怪我に対する痛み止めと同じことだ。こんなデタラメが医療として罷り通っている。
 科学には実験が不可欠だ。実験を欠けばオカルトになる。人体実験ができない医学は科学たり得ない。抗癌剤や認知症治療薬は「病気の進行を遅れさせる」という触れ込みだが証拠は全く無い。動物実験で薬効を確認することさえできない認知症治療薬は本当に有効なのだろうか。効果は曖昧なままで、副作用の存在だけが多くの臨床「実験」を通じて証明されている。
 この原稿を書いている最中に訳の分からない訴訟が終結した。武田薬品工業が糖尿病治療薬アクトスの副作用の和解金などのために27億ドルの引当金を計上したとのことだ。この訴訟は昨年4月に60億ドルの賠償が一旦命じられたものの、10月に3,687万ドルに減額されていた。それがなぜ、因果関係を認めない内容での和解であるにも拘わらずこんな巨額の和解金になるのか全く理解できない。判決よりも遥かに悪い条件で和解するのは何等かの裏事情があるからとしか考えられない。医療の世界は不可解なことばかりだ。

コメントを投稿