俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

2015-05-01 10:46:19 | Weblog
 ○月○日○時○分という表示は実に奇妙だ。1年は365日か366日と不確実だ。これは地球の自転と公転の周期にズレがあるために、正確な1年は365.2422日でありこの半端な日数を閏年を使って修正しているからだ。このことは自然現象だからやむを得ない。
 月は12ヵ月が1年になる12進法だ。日は28~31日が1か月となる不定進法だ。時は12進法だが24進法が使われることもある。分と秒は60進法だ。秒の下のコンマ何秒で初めて10進法が使われる。なぜこんな奇妙な体系になっているのだろうか?
 日時の起源は「日」だろう。これは多分、日の出から日没までを意味したのだろう。だからdayには「日」という意味と「昼」という意味がある。日を分割して時が、時を分割して秒が定められたのだろう。しかしここで12進法や60進法を使う必要はあるまい。
 もし日時の体系を合理的に定めるなら、1年を一律30日の12ヵ月にして、5日または6日の閏日を設けたほうが分かり易い。1日は10時間だろう。1時間を100分、1分を100秒にすれば時間の計算は今よりも遥かに楽になる。現在の1日は86,400秒でこの合理的時間なら100,000秒だからそれほど大きくは違わない。しかしこんな変更は絶対に受け入れられまい。これを導入するためには世界中でシステム変更が必要になって大混乱を招く。一旦定着したものを変えるのは大変なことだ。
 日時の表記がたとえ不合理でも変更できないように、一旦定着した習慣を改めることは難しい。しかしたとえ定着していても変更しなければならないことは沢山ある。特に法律は社会の変化に敏感でなければならない。例えばドローンのように危険な新製品には速やかに対応する必要があるし、たとえ憲法であろうとも常に見直す必要がある。憲法を不磨の大典と思っているのは日本人だけだ。敗戦国という特殊事情があるとは言え、進駐軍から有り難く頂戴した憲法が一字一句修正されていないのは怠慢の極みだ。これは「祖法を守る」という儒教的倫理観を今尚日本人が持っていることも一因だろう。私にとって最も不可解なのは、革新を自称するグループが憲法と歴史の見直しに対してはヒステリックに拒絶反応を起こすことだ。革新を自称する者が最も保守的なのはなぜだろうか。彼らはガチガチの保守主義者あるいは教条主義者なのではないだろうか。
 憲法を修正しないから曲解を許すことになる。曲解は改憲よりも危険だ。改憲であれば国民が介入できるが、曲解は権力者の意のままであり歯止めが利かない。曲解を許さない憲法であるべきだ。

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