俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

本能が壊れた動物(2)

2008-05-24 14:39:58 | Weblog
 2月26日付けの「本能が壊れた動物」にも書いたとおり、人間は本能が壊れているからこそ「自由」が獲得できると私は考えている。
 この考え方は「人間は本能が壊れた猿」をスローガンとする岸田秀氏とは大きく異なる。岸田氏は本能が壊れた人間は本能の代替物として共同幻想に頼らざるを得ないと考えている。しかし共同幻想の究極の形態は宗教であり、こんなマヤカシに頼りたくないということが私の基本スタンスだ。
 私は論理と慈悲を信じている。共同幻想などに頼らなくても、事実に基づいた平和な共同社会が実現できると考えている。
 詭弁を排除すれば論理は非常に便利で普遍的なツールだ。正しい論理を身に付ければ正しい思索と正確なコミュニケーションが可能だ。
 慈悲や思いやりも人間に普遍的な能力だ。慈悲を欠いた人間が存在することはこのことの反証にはならない。壊れたテレビがあってもテレビの存在が否定される訳ではない。壊れたテレビも壊れた人間も例外にすぎない。
 人間には論理や慈悲を理解する能力が先天的に備わっている。但しこの能力は「可能性」として備わっており、育むことが必要だ。育まないと幻想に頼ることになってしまう。

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