俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

群居

2016-07-30 09:54:51 | Weblog
 ニーチェからの強い影響もあり私は人類の群居本能をネガティブに捕らえている。人間は群れると愚かになる。子供ばかりではなく大人もまた群れると群の外と敵対したがる。小さな群の秩序が最優先され勝ちだ。
 群の空気によって同化された人は群の外と対立する。民族主義にせよ原理主義宗教にせよ彼らは「我々」と異なる価値観を持つ者を異常者と見なす。異常者を倒すために群の絆は一層強固になる。
 群居の発端は母子による授乳だ。「鳩ミルク」のような例外はあるものの、哺乳類独特の仕組みによって母子間で築かれた絆が拡張されて血縁者集団が形作られる。この延長だからこそ近い者への愛つまり隣人愛が育まれる。
 哺乳類である限り授乳・受乳という関係が失われることは無い。この本能を失った変異体は必ず淘汰されるからだ。進化の過程において本能は「学習」に置き換わり易いが、授乳・受乳という関係は生存のために必須だから簡単に失われることは無い。
 最も本能が破壊された動物である人類においても食べることと母子の関係は生存と直結しているだけに本能が維持される。しかし妙なところに本能が残っていると全体のバランスが崩れる。本能と非本能が対立するからこそ集団の理念と個人の理念が対立する。集団生活に対する過大な評価の根源になっているのは群居本能だ。本能が理性に敵対する。
 人は利他性を好む。極めて自然と思える利己主義に逆らう利他主義は「神的」あるいは「超越的」とまで誤解され勝ちだが実は本能的なものだ。人類には群居本能が根付いている。
 強固な淘汰の仕組みに逆らって群居本能を弱体化させた人がいる。これは性別進化の賜物だろう。母子関係であれば100%淘汰される筈の変異が父子関係においては必ずしも淘汰因とはならない。授乳を嫌う変異遺伝子xが現れた場合、その遺伝子を持つメスの子供は餓死する。しかしオスが遺伝子xを持っていてもその伴侶のメスが正常であればその子は淘汰されない。だから遺伝子xはオスを通じて温存され得る。
 遺伝子xを持つオスは群居本能から解放され得る。だから彼らは群居倫理に縛られず群居倫理を利用しようとする。彼らが利他主義を讃えるのはそのことによって彼らが利益を得るからに過ぎない。こんな事情があるから倫理・道徳を説く人は大半が二枚舌の悪党だ。
 実は、私自身は群居本能に縛られた人間だ。だからサディズムもいじめも楽しめず、群居本能を否定する行動もできない。論理においては群居倫理を否定しながらも生活においては居心地の良い群居にどっぷりと浸っている情けない群居動物だ。群居本能に縛られた者が群居倫理を否定して、群居本能を失った者が群居倫理を肯定するとは全く奇妙な構図ではあるが、「利他性」という不合理な本能が人類に備わっているからこそこんな矛盾に陥るのだろう。

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