昨年の今頃、15日に衆議院で安保法制が強行採決された。18日には作家の澤地久江さんの呼びかけで「アベ政治を許さない」スタンディングが始まった。19日党派を超えた総行動「松本アクション」が開催された・・・あれから1年がたった。
朝は、地元の平和を守る岡田の会のスタンディング。夕方は「戦争をさせない1000人委員会」や「憲法9条を守り広げる会」などの総がかり行動。参議院選挙、長野県選挙区は勝ったが、日本全体では安倍に負けた。これからが勝負だ。本日配布したチラシの中身を掲載しておきます。
憲法改悪を許すな!
安倍首相は、参議院でも改憲勢力が3分の2を占めたことから、自民党の改憲草案をベースに改憲に向けた議論を加速するとしています。
自民党の憲法改正草案は、「立憲主義をふみにじり、基本的人権を国家が制約、国防軍を創設する」としています。まさに、これこそが自民党が目指す社会です。憲法改悪を許してはなりません。
■立憲主義が踏みにじられる「自民党改憲草案」
今ある日本国憲法は、国民が憲法によって権力者をしばり、権力の暴走を止めるものです。
しかし、「自民党憲法改正草案」は権力が国民をしばるものに180度変えてしまっています。
【自民党憲法改正草案前文】
日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
*主語が、「日本国民は」から、「日本国は」と国家が主語に変わっている。
我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
*同様に主語が「われらは」から、「我が国は」に変わっている。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
*「国と郷土を誇りと気概を持って守り」と国防の義務をうたい、「基本的人権」を守る責務を政府から国民にすり替えている。
*「家族や社会全体が互いに助け合って」と、道徳を忍び込ませ内心の自由を侵している。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
*国民が「自由と規律を重んじ」るように、国民が守るべき規範にすり替えている。
*国家の目的を経済活動に矮小化している。
日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。
*不戦の誓いは、無くなってしまっている。
自民党の起草委員は「三大原則は守らなければならない」と言っていますが、「国民主権」「平和主義」「基本的人権を尊重」という言葉だけが書いてあるにすぎません。
■国民の義務のオンパレード
前文に書かれている「国防義務」のほか、国旗・国歌尊重義務(3条)、領土・資源確保義務(9条の3)、公益及び公の秩序服従義務(12条)、個人情報不当取得禁止義務(19条の2)、環境保全義務(25条の2)、地方自治負担分任義務(92条の2)、緊急事態指示服従義務(99条3)、憲法尊重義務(第102条)と国民の義務のオンパレードです。
たとえば「国旗・国歌尊重義務」を考えてみましょう。現在は「国旗は、日章旗とする。国家は、君が代とする」という制定だけを定めた法律があります。しかし、憲法で「日本国民は国旗、国歌を尊重しなければならない」と定めることは、「内心の自由」を奪うものです。
■「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」に変わる
改憲12条この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
責任と義務を果たしたものだけに自由と権利が与えられるという考え方で、「すべての個人が奪うことができない自由と権利を持つ」と考える近代の自然権思想に反しています。
また、「公共の福祉」とは、ある人権と他者の人権の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理です。基本的人権を「侵すことのできない永久の権利から」「公益及び公の秩序」の範囲内に制限するものに変えられています。
「公益及び公の秩序」の基準はどのように決めるのでしょうか。この間の安倍首相や高市総務大臣の発言、自民党のマスコミへの圧力を見れば、「公益及び公の秩序」の基準はまさに安倍首相が決めるのです。
さらに、最高法規既定の第97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」を削除しています。
■「個人の尊重」から「人の尊重」へ書き換える意味?
改憲13条全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。
現行憲法で「全て国民は、個人として尊重される」としているものをわざわざ「人として」に変える意味は何でしょうか?人の対義語は動物とかでしょうか?「個人」の対義語は「全体」です。全体主義に対して個人主義という言葉を現行憲法は使うことでファシズムを抑制していると考えられます。そして、またまた「公益及び公の秩序に反しない限り」です。
■平和主義の破壊
前文から過去の戦争への深い反省と不戦の決意を削除。「平和」を国家政策の問題ではなく、「人権」の問題として位置づけた「平和的生存権」の根拠規定も削除されています。
第2章の章題が「戦争放棄」から「安全保障」に変更され、9条1項はほぼそのままですが、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」を削除。代わりに「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」を加え、第9条の2で「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」とし、国防軍の任務として「国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。」、また軍法会議とおぼしき「国防軍に審判所を置く」としています。
■緊急事態条項=戒厳令
自民党の改憲草案第98条・99条で、緊急事態条項をあらたに起草しています。「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる」とし、国会機能を停止して政令で何でも決め、国民の基本的人権も制約できるとしています。これは、戦前の戒厳令に他なりません。
東日本大震災の被災自治体の首長の皆さんは、緊急事態宣言の必要性はないとマスコミのアンケートに答えています。
自民党は、まずこのいかにも反対しにくい「緊急事態条項」を国民投票にかけ、憲法改正アレルギーをなくし、その後憲法改正発議要件の国会の3分の2を、2分の1に変えるでしょう。そうすれば必ず憲法9条に手をかけてきます。
憲法は不磨の大典ではありません。しかし、憲法の番人である内閣法制局長官の首を挿げ替えて憲法解釈を変更し、数の力で「戦争のできる」集団的自衛権行使を押し通すような安倍政権に憲法を変えさせることは、極めて危険です。
加えて自民党の憲法改正草案は、憲法と言える代物ではなく、権力を縛る鎖を解き放つものとなってしまいます。この国のあり方を180度転換する憲法改悪に反対しましょう!