こんにちは「中川ひろじ」です。

みんなのお困りごとが私のしごと

憲法と暮らし

2016-07-02 07:37:02 | 政策・訴え・声
 
憲法とくらし

新しい命が誕生。
出生届を出すと、親の社会的立場や財産で差別されることなく健康診断や予防接種の案内が送られてきます。人は生まれながらにして基本的人権を持ち(憲法11条)、個人として尊重され、幸福を追求する権利が認められています(13条)。
 6歳になると、みんなが小学1年生に。子どもには教育を受ける権利、保護者には受けさせる義務があり、国も無償で義務教育を提供します(26条)。

高校や大学に進み、
好きな科目や専攻を選べるのは学問の自由(23条)が保障されているから。これがないと、国や教師が決めた分野だけを学ぶことになりかねません。教師に違う意見をぶつけられるのも、思想及び良心の自由(19条)があるためです。サークル活動で自由な創作活動や発表ができるのは、表現の自由(21条)があるおかげです。

社会人になり、
才能を生かした仕事に就いたり、住みたい街に引っ越したりできるのは居住・移転及び職業選択の自由(22条)があるから。成年者で意中の人が見つかれば親の同意なしでも二人の合意だけで結婚できます(24条)。

妊娠・出産をした場合、
産休・育休を取得できるのは勤労条件の基準(27条)について定めがあるから。この条文は働き続ける限り、過酷な労働からの防波堤の役割を果たします。


人生には思わぬ壁が立ちはだかった時、
憲法が救いの手を差し伸べることもあります。憲法は災害や病気、加齢で働けなくなり困窮した場合でも、健康で文化的な最低限度の生活を営めるよう、生存権と国の社会的使命(25条)を明記しています。生活保護の受給も施しではなく権利なのです。

憲法をよく知れば、もっと自分らしく生きられるようになります。現憲法は「人と違っていてあたりまえ。あなたは、あなたのままでいい」とあなたの生き方を後押ししてくれています。
(5月4日中日新聞参考)

自民党憲法改正草案に変わると・・
どうなるのでしょう?

今ある日本国憲法は、権力の暴走によって戦争が起こされたことを反省し、国民が憲法によって権力者をしばり、権力の暴走を止めるものです。しかし、「自民党憲法改正草案」は権力が国民をしばるものに180度変えるものとなっています。
自民党憲法改正草案の「前文」だけ見ても、不戦の誓いはなくなり、「国と郷土を誇りと気概を持って守り」と国防の義務をうたい、「基本的人権」を守る責務を政府から国民にすり替え、「家族や社会全体が互いに助け合って」と、道徳を忍び込ませ内心の自由を侵しています。
国民が「自由と規律を重んじ」るように、憲法を国民が守るべき規範にすり替え、国家の目的を経済活動に矮小化しています。
憲法の三大原則である「国民主権」「平和主義」「基本的人権を尊重」という言葉だけが書いてあるにすぎません。

前文に書かれている国防義務のほか、国旗・国歌尊重義務(第3条2項)、領土・資源確保義務(第9条の3項)、公益及び公の秩序服従義務(第12条)、個人情報不当取得禁止義務(第19条2項)、環境保全義務(第25条の2項)、地方自治負担分任義務(第92条2項)、緊急事態支持服従義務(第99条3項)、憲法尊重義務(第102条)と国民の義務のオンパレードです。
たとえば「国旗・国歌尊重義務」を考えてみましょう。現在は「国旗は、日章旗とする。国家は、君が代とする」という制定だけを定めた法律があります。しかし、憲法で「日本国民は国旗、国歌を尊重しなければならない」と定めることは、「内心の自由」を奪うものです。

これまでの憲法は基本的人権について、すべての個人が奪うことができない自由と権利を持つと考えていますが、自民党案は、責任と義務を果たしたものだけに自由と権利が与えられるという考え方です。
また「公共の福祉」とは、ある人権と他者の人権の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理です。しかし自民党改憲案は、現行97条を削除し、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利から」「公益及び公の秩序」の範囲内に制限しています。

さらに問題なのは、前文から過去の戦争への深い反省と不戦の決意を削除していることです。
「平和」を国家政策の問題ではなく、「人権」の問題として位置づけた「平和的生存権」の根拠規定が削除され、第2章の題が「戦争放棄」から「安全保障」に変更され、「国防軍を保持する」と軍隊の保持を定めているのです。これでは集団的自衛権を制限なく行使し、アメリカとともに世界中で戦争をする国に変わってしまうことになります。

「あなたはあなたのままでいいですよ」という社会から「国家の言うことをきけ」という社会になったら、みなさんどうしますか。

自民党は、まず戦前の戒厳令と同じような「緊急事態条項」を発議し、国民投票にかけ、憲法改正アレルギーをなくそうとしています。その後憲法改正発議要件の国会議員の3分の2を、2分の1に変えるでしょう。そうすれば必ず憲法9条に手をかけてきます。

憲法は不磨の大典ではありません。しかし、憲法の番人である内閣法制局長官の首を挿げ替えて憲法解釈を変更し、数の力で「戦争のできる」集団的自衛権行使を押し通すような安倍政権に憲法を変えさせることは、極めて危険です。

加えて自民党の憲法改正草案は、憲法と言える代物ではなく、権力を縛る鎖を解き放つものとなってしまいます。この国のあり方を180度転換する憲法改悪に反対しましょう!

・・・最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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