長田家の明石便り

皆様、お元気ですか。私たちは、明石市(大久保町大窪)で、神様の守りを頂きながら元気にしております。

「必要なことはただ一つ」(ルカ10:38-42、2015年1月11日、東播磨中央教会にて)

2015-01-11 16:40:43 | メッセージ

有名な姉妹マルタマリアのお話です。聖書に親しんでおられたら、一読してまざまざと光景を思い浮かべることのできる方も多いのではないでしょうか。今日はこの所から私たちの信仰生活において忘れてはならないことをご一緒に考えたいと思います。

1.マルタの姿

まず、私達の目をマルタの様子に向けてみたいと思います。彼女は、イエス様を家にお迎えしました。敬愛します先生をお迎えし、自慢の腕によりをかけて沢山ご馳走をお出ししましょうと、メニューを考え、あれこれと忙しく準備していました。ふと見ると妹のマリアがイエス様の前に座り込んでお話を聞いています。マルタは思わずイラっとしてしまいます。そして、イエス様に訴えます。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」(40節)。「忙しくしている自分を横目に、自分だけ何をしているの」という思いでした。

ところが、イエス様は「そうだよね」とは仰いませんでした。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」(41節)と仰いました。これは、マルタの急所を突くお言葉でした。マルタが自分でも気づかない自分自身の姿をズバっと示されるお言葉でした。

このようなことは私たちにも起こり得ることではないでしょうか。「今年こそ心穏やかに」と願いつつ、自分だけあたふたとしている横でのんびりされたりすると、ついイラッとなったりします。有能な人ほど、色々な必要が目に見えて、あれこれ動き回るのですが、そういうことに無頓着な人に我慢できない、といったことも起こり得ます。

パウロは言いました。「(愛は)いらだたず」と(コリント一13:5)。また、「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい」と(コロサイ3:14)。多くのことに思い悩み、信仰者として持つべき心の平安をつい失ってしまう…マルタの姿に私たちが陥りやすい姿を見ます。

2.マリアの姿

次にマリアの姿に目を留めることができます。「主の足もとに座って、その話に聞き入っていた」(39節)。彼女は、イエス様が語られるお言葉を一つも聞き漏らすまいと耳を傾けていました。このマリアの姿勢を主はよしとされました。「必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(42節)

ここに、対照的な二人の姿があります。片やマルタは多くの事に思い悩み、心乱しています。他方のマリアは、心をただ一つの事に集中していました。「それは彼女にとって必要なことだから、取り上げてはいけない」と仰いました。

イエス様の御声を聞くこと…それは、ただマリアにとって必要なだけではありません。マルタにとっても、あるいはすべての人にとっても必要なことでした。しかも「必要なことはただ一つ」とさえ言われます。イエス様の御言葉に耳傾ける事は、それなければ本当の意味で価値ある生き方ができないというほど、大切で、必要なただ一つの事だと仰いました。マリアはそのことに心を集中させていたのでした。

3.主がマルタに伝えたかたったこと

マルタとマリアの姿を見てきました。しかし、今回この箇所を読んで改めて気づいたのは、このエピソードがイエス様からマルタへのお言葉で終わっていることです。私達の目はマルタの姿を見、マリアの姿を見ます。しかし、そこで終わるのではいけないのかもしれません。イエス様はマリアの姿を示しながら、マルタに何かを教えたかったのではないでしょうか。

「必要なことはただ一つ」と仰いました。これは、マリアにとってだけではなく、マルタにとってもそうだと言うのでした。そうかと言って、ここでマルタに対して、「奉仕をやめよ」とも仰っていません。そうではなく、「あなたの心と生活の真ん中にどうしても必要なただ一つの事をしっかりと据えなさい。あなたの奉仕を、私との関係に根差したものとしなさい。」ということではないでしょうか。

年頭に当たり、皆さんの心はどうでしょうか。必要なただ一つの事に集中させて頂き、キリストの平和の中にご一緒に歩んで参りましょう。

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