特に、7節終りに心に留まっています。「万軍の主の熱心がこれをなされるのである。」
「悟り世代」ということを聞きました。1980年代半ば以降生まれた世代をさすそうです。この世代は、バブル崩壊後不況経済しか知らないためか、欲がなくほどほどで満足するそうです。また、無駄な努力や衝突を避ける、過度に期待したり夢を持ったりしない、そんな特徴をもったのがこの世代だそうです。そんな世代のことを聞きながら、若い人たちに限らず、教会の中にもそんな風潮が入り込んではいないだろうか、私自身どうだろうかと問われます。
アドベントのこの時期、主の熱心ということをご一緒に覚えたいと思います。
1.主の熱心によるご計画
「万軍の主の熱心がこれをなされる」とあります。何をなされるのでしょうか。大きく言えば、とこしえの御国を立てるという偉大なご計画の成就と言えるでしょう。当時、イスラエルの国を巡る状況は不安定でした。大国や周辺諸国が押し迫っていました。国はどうなるのかという不安がありました。国の外側だけではなく、内側にも不正や不信仰が満ちていました。そんな中で、ダビデの位に座する君が現われ、「その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである」と語られました(7節)。永遠の御国を立てると言われました。
神様が熱心をもって立てようとされるとこしえの国とはどんな国でしょうか。
第一に、光に満ちた国です。「しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる」(1節)、「暗闇の中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。」(2節)。当時、国の状況は闇で覆われていました。そんな中、光が照ると言われました。
第二に、平和の国です。当時、地は争いに満ちていました。しかし、「戦場で、歩兵のはいたくつと、地にまみれた衣とは、火の燃えくさとなって焼かれる」(5節)と語られました。更に、国を治めるお方は「平和の君」と呼ばれると言われました(6節)。
第三に、公平と正義の国です。当時、罪悪、不義、不正が満ちていました。しかし、その国は「公平と正義」によって治められる国でした(7節)。
光と平和、公平と正義に満ちたとこしえの国が立てられ、保たれる。そのすべては万軍の主の熱心によって成し遂げられると言うのでした。これは、私達に大きな励ましを与えるのではないでしょうか。今、私たちの周りには、当時のイスラエルに似た状況があります。闇があり、争い、不義、不正があります。万軍の主が働いて下さらなければ望みを持つことができない状況でしょう。しかし、主は熱心をもって、この時代にも光と平和、公平と正義に満ちた国を打ち立ててくださる…これは励ましです。
2.主の熱心によるご計画の焦点
このような主のご計画の焦点は、ひとりの男の子の誕生だと言います。
「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた。ひとりの男の子がわれわれに与えられた。」(6節)
続いて「まつりごとはその肩にあり」とあります。とこしえに揺らがない御国の統治を担うのは、ひとりのみどりご、ひとりの男の子だと言うのです。この時期、諸教会では聖誕劇が行なわれます。そこでは、不思議な光景が見られます。一人の赤ん坊の前に、人々が来て、宝物をささげたり、礼拝をしたりします。「まつりごとはその肩にあり」、この赤ん坊こそはとこしえの御国を打ち立てるお方だと言うのです。
更に驚かされることに、聖書全体を通して教えられるのは、この赤ん坊こそ神の独り子であり、神と等しいご本質をお持ちのお方であり、そのお方が栄光ある姿を捨てて赤ん坊としてお生まれになったのであるということです。「言は肉体となり、私たちのうちに宿った」(ヨハネ1章14節)。天地を造られたお方が罪悪に満ちた地に入り込んでくださり、人として生きてくださった。それどころか私たちの醜悪な罪悪贖い、むごい死を遂げてくださった。更には、死に打ち勝ち、三日目に復活し、御国に入る道開いてくださった…神様だけがお考えになることできることばかりです。
「万軍の主の熱心がこれをなされる」。クリスマスは神様の愛が現われた日と言われますが、その愛は決してセンチメンタルなものではありません。あなた達のためどんな犠牲を払ってもよいという、決然とした思いがそこには表わされています。
3.主のご熱心をどう受け止めるか
このような主のご熱心を私たちはどう受け止めたらよいでしょうか。
第一に、自分自身のためのご熱心であると受け止めることです。他人事ではありません。闇は私たちの外にあるだけではありません。内にもあります。闇を抱えた私自身のためのご熱心です。内なる罪を悔い改め、赦しと潔めを頂きましょう。私たち自身がまず、光の国、義と平和の国に生きる者とならせて頂きましょう。
第二に、主の熱心を私たちの熱心ともさせて頂きましょう。御国建設の戦いを担わせて頂きましょう。闇は深いのです。決して容易い事業ではありません。しかし、万軍の主は熱心をもって今も働いておられます。私たちもまた同じ熱心をもって働きたいものです。主のご熱心を内に注いでいただきながら。