長田家の明石便り

皆様、お元気ですか。私たちは、明石市(大久保町大窪)で、神様の守りを頂きながら元気にしております。

8章 その2

2014-02-18 19:45:32 | Dunn "Baptism in the Holy Spirit"

エペソの12名の「弟子たち」についての著者の議論は、大変緻密で説得力を持つものです。ただ、この聖書の箇所を、前後と合わせて何度か読んでみると、なお疑問が残るのも事実です。もし著者が言う通りのことをルカが言いたかったのであれば、どうしてももって分かりやすく、明瞭に書かなかったのだろうか、という点です。「幾人かの弟子たち」、また「信じたとき」という表現は、そのまま読めば自然に12名がクリスチャンであると読めてしまいます。

「弟子たち」に冠詞がつかないのは、地域のクリスチャン共同体とつながりがないからというより、単に、「幾人かの」弟子たちだったからではないのでしょうか。彼らが真のクリスチャンでなかったいうことを表現したいのであれば、ルカはどうして「弟子を自称する者たち」と表現しなかったのでしょうか。彼らが真のクリスチャンでないことをパウロが見抜きかけていたのであれば、どうして「あなたがたが信じたと思ったとき」等と言わなかったのでしょう。

F・F・ブルースは、この箇所について次のように注解しています。「彼らのキリスト教についての知識は、アポロがプリスキラとアクラに会う前に持っていた知識と全く同じ欠陥のある状態にあった。けれどもこの人たちがキリスト者であったことは、ルカが彼らを『弟子たち』と記していることから確実に推定しうる。この語は、ルカが普通キリスト者の意味に用いる語である。かりにルカが、弟子とはキリストの弟子でなく、3節の言葉によって時に推論されているようにバプテスマのヨハネの弟子のことであると指示するつもりであったとしたら、はっきりとそのようにことわったであろう。」「パウロが『あなたがたは、信仰にはいった時に、聖霊を受けたのか』と尋ねたことは、彼がこの人たちを真のキリスト信者とみなしていたことを、十分に思わせる。」(F・F・ブルース著『新約聖書注解 使徒行伝』聖書図書刊行会発行、416頁)

ここには、サマリヤの謎を検討したときと同様の状況が生まれます。この個所を素直に読むと、サマリヤの人々と同様、エペソの12名の弟子たちも、信仰者であったと読めてしまいます。そこで、もし彼らがクリスチャンであったとしたら、聖霊を受けていなかったという事実をどう理解したらよいのかということが問題になります。「サマリヤの謎」に対しては、5つの見解が提出され、そのうち、第五の見解は、ランプのもので、現代イギリスで最も影響力のある見解だということでした。F・F・ブルースは、この箇所の注解で、このランプの言葉を引用しながら、次のように書いています。

「ここで、パウロがこの人たちの上に手をおいたことと、8:17のペテロ(とヨハネと)がサマリヤ人の回心者たちの上に手をおいたこととの間には、筆者によってもくろまれた並行関係があるのかもしれない。ランプ教授は、その論題を追求して、パウロのエペソ到着は、『伝道史上の今ひとつの決定的瞬間』を表わしていると指摘している(G・W・H・Lampe,The Seal of the Spirit[London,1951],p76).」(上掲書、418頁)

サマリヤ人の場合同様、特殊な歴史的状況の中での例外的事例として考えられていることになります。確かに、聖霊を受けていないことが分かったとき、パウロはそのことを放置せず、彼らが聖霊を受けるよう導きました。しかし、私にはそれが驚きや戸惑いの中で進められた一面と共に、落ち着いた対応として進められた一面が感じられます。聖霊を受けていないエペソのクリスチャンたちに対するパウロの対応は、病を抱えてやってきた患者に対して、優れた医者がその原因を速やかに見つけ、適切に対応していくような姿にも見えます。

ここで、もう一度この箇所の直前に記されたアポロについての記述からの流れを確認してみます。18:24-28の記述は、アポロがエペソに来たという記述から始まっています。このアポロは、「雄弁」「聖書に通じていた」「主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていた」人物です。しかし、彼は「ただヨハネのバプテスマしか知らなかった」ので、「プリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した」のでした。27、28節では、アポロがその後アカヤに渡り、力強い働きを展開したことが記されています。

その直後、エペソの12名の弟子たちの記述が続きます。彼らは「弟子たち」でした。パウロもまた、彼らがキリストを信じていることを認めました。それにもかかわらず、パウロは何か疑問を持ったようです。「信じたとき、聖霊を受けましたか」と質問します。彼らの答えは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」(別訳「聖霊のあることを聞いたことさえありませんでした」)というものでした。しかし、ここでパウロは聖霊について語りだしたのでもなく、キリストについて詳細に教え始めたのでもありませんでした。パウロはここで、第二の質問として「では、どんなバプテスマを受けたのですか」と尋ねます。一見、唐突な質問のようですが、自然な解釈としては、ヨハネのバプテスマしか知らなかったアポロが少し前までエペソで働いていたことを、すでにパウロはどこかで聞いていたのでしょう。彼らが聖霊を受けていない原因として、バプテスマに原因があるのではないかと考えた気配が伺えます。パウロの予想通り、彼らの答えは、「ヨハネのバプテスマです」というものでした。そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と、イエスの名によるバプテスマについて説明します。そこで、彼らは主イエスの名によるバプテスマを受けます。パウロの按手については、ダンが考えるように、バプテスマ式の一環と考えることもできますが、聖霊を受けるようにとの按手と考えることもできます。聖霊を受けなかった原因が取り除かれた今、聖霊を受けることは自然なことと考えられた様子も伺えます。直後、聖霊が彼らに臨みます。

これらの経緯について考えるに当たっては、使徒2:38をもう一度振り返ってみることも必要でしょう。パウロはエペソの人々が「弟子たち」であり、「信じた」ことを認めました。、言い換えれば、、使徒2:38で挙げられた「悔い改め」は果たされているとパウロは認めたと考えられます。にもかかわらず、ペテロが告げた「賜物として聖霊を受ける」との約束は果たされていませんでした。そこで、パウロは、使徒2:38で挙げられているもう一つの要素、「イエス・キリストの名によるバプテスマ」に目を留めた可能性もあります。

要約すれば、以下のようなことになるのではないでしょうか。キリストを信じたエペソの弟子たちは、にも関わらず聖霊を受けていなかった。その原因となったと考えられたのは、彼らがヨハネのバプテスマしか受けていなかったことだった。パウロは彼らが主イエスの名によるバプテスマについて説明し、彼らは主イエスの名によるバプテスマを受けた。この時、彼らはパウロの按手とともに聖霊を受けた・・・。

キリストを信じたクリスチャンが聖霊を受けないでいることがありえるということは、パウロ自身が手紙で書いていることと矛盾するように思われますが、少なくとも使徒行伝を読む限り、そう理解することが自然であるように思われます。

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8章 その1

2014-02-15 07:31:36 | Dunn "Baptism in the Holy Spirit"

第8章は、エペソの12人の「弟子たち」を扱います。著者は、使徒19:1-7が、ペンテコステ派の聖霊のバプテスマの神学において、もう一つの基本的箇所であると指摘します。ここには、三つの要素があると言います。

(a)12人のエペソのクリスチャンは、パウロが彼らに出会う前にクリスチャンだった(μαθηται, πιστυσαντεσ)が、聖霊を受けていなかった。
(b)19:2でのパウロの質問は、パウロにとってある人がクリスチャンでありながら聖霊を持たない(受けていない)ことがありうるということを示唆しているように見える。
(c)エペソ人のバプテスマとパウロの按手との間の時間的間隔は回心(バプテスマに先立つ)と聖霊がくだること(按手に続く)との間に時間的間隔があることを意味する。

(a)について

パウロに出会う前に12人のエペソ人たちはすでにクリスチャンであったとルカはみなしていたのでしょうか。著者はまず聖霊とイエスについての無知、また、パウロが彼らの以前のバプテスマを十分と考えないで主イエスの名によるバプテスマを施したことを取り上げ、そうではなかったことを意味すると指摘します。

著者はここで、μαθηται(弟子)という表現について検討します。著者は、「弟子」という表現が使徒行伝では通常クリスチャンを意味することを認めます。しかし、19:1の用法は、ユニークであると言います。まず、οι μαθηταιという定冠詞付きの表現は、ある都市や地域のクリスチャン共同体全体を表すことを指摘します。群れ全体よりも小さなグループを表現したい場合には、οι μαθηταιという表現を正確に限定するか(9:25)、「(その)弟子たちの何人か」(και των μαθητων、21:16)について語ると言います。したがって、τινεσ μαθηταιという表現は、12人がエペソの「(その)弟子たち」に属していなかったことを示唆すると言います。

πιστυσαντεσ(信じた)という表現については、一方でパウロが間違った前提を持ったこと(クリスチャンではない12名をクリスチャンだと考えた)を意味するのではなく、他方では彼らを単に「バプテスマのヨハネの弟子」と称したのでもないと指摘します。この後、著者は、「バプテスマのヨハネの弟子」と「クリスチャン」との間に位置づけられるであろう無限に多様な人々がいることを(かなり詳しく)論じます。そして、パウロの質問は、そのような背景に対してのみ理解可能になると言います。すなわち、彼らは「弟子たち」であったが、「その弟子たち」ではなかった、すなわち、彼らはいまだクリスチャンではなかったと、著者は結論づけます。

(b)について

著者はまず、この議論が間違った仮定をしていると指摘します。すなわち、パウロは自分がクリスチャンを扱っており、クリスチャンにふさわしい質問をしたという仮定です。しかし、この仮定は固く基礎づけられているわけではないと著者は言います。ここで著者は、ローマ8:9を引用し、手紙の中のパウロにとっては、聖霊を受けることなしには人がクリスチャンとなることが不可能であると指摘します。そして、使徒行伝の中のパウロも同様であるはずだと言います。

ここで、著者は、パウロの第二の質問以降の成り行きに目を向けます。パウロの第二の質問は、人がバプテスマと共に聖霊を受けることを示唆している。彼にとっては、主イエスの名によるバプテスマにおいて主イエスに対し自分をコミットした人、すなわちクリスチャンが聖霊なしにいるということはありえない。これが、12人が十分な入信手順に進まなければならなかった理由である。パウロは不十分な経験をしたクリスチャンを扱ったのではなく、彼らは全くクリスチャンではなかったのだ。御霊を持つ人々だけがクリスチャンであると信じるパウロが、クリスチャンに対して聖霊を受けたかどうか尋ねて回るはずがない。

このような議論を踏まえ、著者は、最初の質問が疑いと驚きの質問であったであろうと指摘します。そして、そのことは、12人に対するルカの表現(τινεσ μαθηται)によって、また、質問そのものの形によって支持される。パウロは、その地のクリスチャン共同体から外れたクリスチャンを知らなかったので、戸惑った。彼らはどんな種類の信仰者なのか?そこで、パウロは彼らがクリスチャンであるかどうかを示すであろう質問を直接的に尋ねた。彼らの信仰の行為は、聖霊の賜物をもたらすものだったのか?彼らの答えは速やかに彼の疑惑を確証した。彼らはクリスチャンではなかった。すなわち、19:2は、パウロがクリスチャンたちに聖霊を受けたかどうか(必要であるが付加的なものとして)を尋ねたものではない。むしろ、信仰を表明する12人の「弟子たち」がクリスチャンであるかどうかを尋ねたのだ。

(c)について

この議論に対して、著者は、バプテスマとここでの按手が一つに儀式であったという事実を見落としていると指摘します。パウロは第一の質問によって彼らが聖霊を受けていなかったことを知り、ただちに彼らのバプテスマについて尋ねた。3節は、バプテスマと聖霊を受けることとの密接な関係を示している。6節の按手は、単一の儀式のクライマックスであり、その儀式のもっとも重要な要素はバプテスマであり、その目的は聖霊を受けることである。5、6節は、「・・・彼らは主イエスの名によってバプテスマを受けた。そして、(パウロhじゃ彼らに按手し)聖霊が彼らの上にくだった」と訳せる。すなわち、按手はほとんど挿入的であり、一連の出来事は「聖霊・・・(を結果するところの)バプテスマ」である。すなわち、一つの行為(バプテスマ)は見分けられる間隙なしにもう一つの結果(聖霊)に導き至る。

(a)(b)(c)についての議論を踏まえ、著者はここでの一連の流れを確認するとともに、アポロの事例に注目します(18:24-28)。彼もまた、「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」し、「神の道」についてより十分な指導を必要とした。しかし、12名の「弟子たち」と違って、彼は再洗礼を受けなかった。というのは、彼は一つの決定的点において彼らと違っていた。彼はすでに御霊を持っていた(18:25)が(この点についての議論を著者は加えています)、彼らは持っていなかった。

ペンテコステの日における弟子たち同様、アポロのヨハネのバプテスマの約束は、聖霊の賜物によって成就された。それゆえ彼はクリスチャンの水のバプテスマを必要としなかった。しかし、12名の弟子たちのヨハネのバプテスマは、彼らが聖霊を受けなかったので、無に等しいとみなされた。それで、彼らは完全なクリスチャンの入信儀式を受けなければならなかった。ルカはこれらの二つの物語を並置し、ポイントを明確にしようとしている。すなわち、「最初のキリスト教において、聖霊は決定的要素であった」。この単一のポイントにおいて、両方の物語は回っている。彼らがより十分な指導を必要とするクリスチャンであるか、新しい求道者として扱われなければならないノンクリスチャンであるか、この単一の問題(聖霊を受けたかどうか)が決定している。

以上の著者の議論もまた、大変緻密で説得力を持つものです。ただ、この聖書の箇所を、前後と合わせて何度か読んでみると、なお疑問が残ります。この点についての検討を次回行ないたいと思います。

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礼拝のご奉仕

2014-02-09 17:34:00 | 栄一便り
一昨日、急きょ礼拝の御用の依頼を頂きました。その教会の牧師が事故により入院されたとのこと。昨日までは雪で全面通行止めだった高速も、今朝には開通、無事行ってくることができました。教会の皆さんは、試練の中にも心ひとつに主を仰いで進もうとしておられるご様子でした。牧師の速やかな回復を祈りつつ帰ってきました。

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サンチョンとフルーツフラワーパーク

2014-02-09 17:29:56 | 長田家便り
貞美の韓国の母教会の後輩が先々週遊びにきました。韓国では旧暦のお正月休みだったので・・・。

フルーツフラワーパークのイルミネーション・イベントを観に行きました。
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7章 その2

2014-02-02 16:47:42 | Dunn "Baptism in the Holy Spirit"

コルネリオの回心については、使徒行伝の3箇所に記されています。使徒10章のコルネリオたちの回心の記述と共に、その回心を振り返ってペテロが人々に語っている11章、15章の記述があります。これらを踏まえつつ、著者の議論を検討してみます。

前回取り上げられたペンテコステ派の議論のうち、ペテロの説教を聞く前に新生していたとする(a)の考え方は、使徒11:14により無理がありますので、信仰に至ったのは、ペテロの説教を聞いている間ということになります。他方、(b)と(c)の考え方は、コルネリオが信仰に至り、心をきよめられた(新生した)直後、または同時に、聖霊の賜物を受けたが、両者は別個の神のみわざであるというものです。しかし、仮に両者が別個の神のみわざであるとしても、使徒行伝の記録において、両者の瞬間がそれぞれいつであるかが明示されているわけでなく、ただちに「聖霊がおくだりになった」(使徒10:44)とだけあるわけですから、「別個の神のみわざ」が同時であるか直後であるかは、聖書の記事からは立証できないことになります。著者が(b)と(c)を一緒にして取り扱っているのも妥当なことと思います。

著者は、5つのポイントを指摘して、これらの考え方を退けています。しかし、これらの点について、私が提案してきた線は、(b)(c)とは同一ではないとしても、近い線になります。私としては、そのような線で理解することも(かなり微妙なものを含みつつも)可能であると思われるので、その点について順を追って記してみたいと思います。

(1)聖霊がコルネリオにくだったのは、ペテロが罪の赦しについて語っていた時であった。(使徒10:43、44)

この点については、もう一度使徒2:38に戻る必要があると思います。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう」(使徒2:38)。ここでは、悔い改め、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けることが、罪の赦しを受けることに結び付けられています。そして、その結果として聖霊を受けるという約束が語られています。コルネリオの場合、悔い改め、罪の赦し、そして聖霊を受けることは瞬間的に、あるいは短時間のうちに行われたのであり、時間的に区別するのは難しいわけですが、少なくとも概念的には、「罪の赦し」と「聖霊を受けること」との間に区別を想定することが、使徒2:38からはむしろ自然なことではないかと思われます。

(2)御使いはコルネリオに対してペテロが「あなたとあなたの家にいるすべての人を救うことばを話して」くれると告げた。そして、ペテロが話し始めたときに起こったのは、聖霊が彼らの上にくだることだった。(使徒11:14、15)

ペテロのメッセージが聖霊の注ぎをもたらしたのは確かですが、「それ以外の何物ももたらさなかった」というのは言い過ぎではないでしょうか(前回参照)。少なくとも、「罪の赦し」(使徒10:43)、「いのち」(使徒11:18)はもたらしたはずです。著者にとっては、それらは聖霊を受けることと一体として考えるので、「それ以外の何物ももたらさなかった」ということになります。(そこから、聖霊の賜物こそがコルネリオに救いをもたらしたものであると結論づけるわけです。)しかし、ここでは、それらの一体性自体が議論されているのですから、それを前提に議論を進めることはできないように思われます。


(3)神がペテロたちに聖霊を与えたように、神がコルネリオにも同じ賜物を与えたということを聞いたとき、ユダヤのクリスチャンたちはこう結論づけた。「これは神が異邦人にも命を与える悔い改めを認めたことを意味する」。(使徒11:18、NEB)


著者はこの箇所から、「聖霊の賜物」こそは「命を与える悔い改め」が認められたことを意味する神のみわざと結論づけます。この考え方は、この箇所をNEBのように訳すことから導かれています。しかし、「認めた」と訳されるεδωκενは、「与えた」とも訳される言葉です。ですから、新改訳聖書の訳ももちろん可能です。「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」(新改訳)。微妙な違いのようですが、このように訳すと、「聖霊の賜物」は「命を与える悔い改め」が認められて与えられるものというより、「命を与える悔い改め」が与えられたことを確証する神のみわざという理解の線が出てきます。この場合、「聖霊の賜物」が救いの確証として機能しているととらえることが可能になります。


(4)使徒15:8と使徒15:9


ここで、著者が言うように両節が同じ意味であるかどうかを検討する前に、「異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし」に注目したいと思います。この表現からも、救いの確証としての聖霊の賜物という線での理解が可能になりそうです。

そのことを踏まえた上で、両節が同じ意味であることに対してはおそらくその通りだろうと、同意したいと思います。「きよめる」(καθαριζω)は、ここではおそらく聖霊によって内側に変革がもたらされることを意味しているのでしょう。

著者が指摘していることからすれば、ペンテコステ派の議論(b)では、「心のきよめ」を救いに結び付け、聖霊の賜物を直後の別個な恵みのみわざであると主張するということです。これは、使徒15:8で聖霊の賜物について語っており、使徒15:9でそれとは別個でかつその直前の救いのみわざについて語ることになり、不自然な解釈となりそうです。

著者が言うように、ここでは心のきよめを聖霊の賜物と結び付けて理解するのが自然でしょう。


(5)聖霊の賜物は信仰に対する応答であった(使徒15:9)


使徒15:8と15:9が同じ意味であったとすると、「彼らの心を信仰によってきよめてくださった」ということは、信仰によって彼らに聖霊を与えてくださったことを意味することになります。この信仰は罪の赦しを得させる信仰(使徒10:43等)と同一であるとの著者の主張は、使徒2:38に照らしても頷けます。使徒2:38では、悔い改めが罪の赦しと結びつけられていますが、悔い改めと信仰は相互に裏表の関係にあるものと考えれば、悔い改め=信仰によって罪の赦しが与えられ、同じ悔い改め=信仰によって聖霊の賜物が与えられることになります。けれども、このことは、「罪の赦し」=「聖霊の賜物」を必ずしも意味しないのではないかということは、これまでも繰り返してきた点です。

ここで、ここまでのポイントを、私が提案させていただいている方向でまとめると、コルネリオの事例は、罪の赦しと聖霊の賜物が同時的に与えられた例であると考えることができます。それは、使徒2:38において、本来的に示されていたことであると言えるでしょう。使徒行伝において、「聖霊によってバプテスマを授ける」という表現が現われるのは、使徒1:5に次いで、11:16においてだけです。この点を考慮するなら、なおさらコルネリオの事例は、聖霊のバプテスマの本来的あり方を示していると言えるかもしれません。

ただ、同時に注目すべき点は、ここで、「聖霊の賜物」は、「救いの確証」として機能したように思われることです。使徒11:18を新改訳のように訳すことが可能であること、また、使徒15:8でも聖霊の賜物が彼らの救いを証ししたと考えられていることを考慮すると、この点を無視することはできないと思います。しかも、使徒行伝全体の流れから言っても、エルサレムから始まった福音宣教の働きが、ここでの出来事を起点として、明確に異邦人への宣教へと広がっていくわけですから、「救いの確証」としての「聖霊の賜物」という視点は、かなり重要なものと思われます。

コルネリオの場合、短時間のうちに、神のみわざの様々な要素が混然一体となって行なわれたであろうことは確実です。しかし、それらの要素の中で、どの要素とどの要素が固く結びついているのか、またどの要素とどの要素は分離可能なのかを詳細に見ていくと、一方では「聖霊の賜物」は「心のきよめ」と固く結びついているように思われます。しかし、「罪の赦し」との関係については、ここでは「聖霊の賜物」とほぼ同時的に与えられていますが、切り離し不可能であるという決定的証拠は見出せないように思われます。もしここでの「聖霊の賜物」が「救いの確証」として機能したのであれば、「罪の赦し」としての救いと、「聖霊の賜物」とを区別して考えるよう示唆されていると受け取ることも、不可能ではないように思われます。

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