家内の青年時代、母教会の水営路教会でお世話になった先生方。
その後、セネガルで宣教。お体を悪くされ、
今後、アフリカその他での宣教は無理と医者からの宣告。
「日本ならOK」との医者の言葉に、日本での宣教を志しておられます。
三か月前から日本語を学び始め、結構私との会話が成り立っていました。
今後、良い道が開かれ、導かれますようにお祈りしたいと思います。
第二部は、使徒行伝による検討です。第4章は、その最初の章であり、「ペンテコステ派」の名前のもとにもなった、ペンテコステの日の出来事を扱っています。そのためもあってか、これまでペンテコステ派、礼典主義者の両方の立場を視野に入れながら議論が進められてきましたが、この章では、ほとんどペンテコステ派の主張だけが視野に入れられていると言ってもよいでしょう。
まず、ここでのペンテコステ派の主張を著者は次のように要約します。「ペンテコステの日に聖霊に満たされた者たちは、既に救われ、新生した者たちだった。その日聖霊を受けたことは彼らの回心ではない。クリスチャン生涯の始まりでもない。言いかえれば、ペンテコステの日の出来事は彼らのより早い時期の新生とは区別され、またそれに続くところの第二の経験である。これはその後のすべてのクリスチャンの経験のパターンとなるものである。弟子たちが新生に続く経験として、ペンテコステの日に聖霊のバプテスマを受けたように、すべてのクリスチャンは回心後に洗礼のバプテスマを受けることができる(受けるべきである)」(38頁)。
この主張を証明するものとして、福音書、特にヨハネの福音書からの引用がなされます(ヨハネ13:10、11、15:3、20:22、ルカ10:20)。この議論は、古いホーリネス説教者たち(R.A.トーレーやA.マーレー等)によって用いられていること、また、ペンテコステが使徒たちの堅信礼であるというあるカソリックの人々による教えでも全く同様であることが指摘されます。
そこで、著者は、ヨハネの福音書に訴えることは基本的な方法論上の問題をもたらすと指摘します。すなわち、聖書各巻は、その著者独自の強調点や思想上の文脈を持っているので、それを無視して一定の神学的枠組みに
合うように聖書個所を選び、何らかの結論を導き出すのは妥当でないと言います。従って、著者は、ヨハネの福音書を一旦横に置いておいて、まずはペンテコステの出来事をルカがどう理解したかを明確にしようとします。
ここで、ヨルダンでの出来事について指摘されたのと似たようなことが指摘されます。すなわち、ペンテコステの日の出来事は、救済の歴史における分水嶺であり、新しい時代、新しい契約の始まりである。但し、今度はイエスにとってではなく、弟子たちにとって。イエスがヨルダンでの聖霊のバプテスマによって新しい時代、新しい契約に入ったように、弟子たちはペンテコステの日の出来事によって同じようにイエスについていくことになったのだと。
ここで、ルカがルカの福音書と使徒行伝を書いたのだという事を思い起こせば、二つの書を全体的な枠組みで見る必要があると著者は言います。すなわち、ルカは歴史を三つの段階で見ている。イスラエルの時代、イエスの時代、イエスの来臨と再臨の間の時代。イエスはこれらの移行をもたらしたお方である。彼の生涯において、彼が聖霊との新しい関係に入ることによって、各段階は開始された。第一に、彼の人としての生涯は聖霊による創造によって始まった(ルカ1:35)。第二に、彼が聖霊の注ぎを受け、油注がれたお方、聖霊のユニークな人となった時(ルカ3:22、4:18)。第三に、彼の高挙において約束の聖霊を受け、弟子たちに聖霊を注がれた時。第一から第二への移行はイエスがヨハネのバプテスマに従ったことによって可能となり、第二から第三への移行はイエスが十字架と言うバプテスマに従ったことによって可能となった。
このような救済の歴史のおける三段階の枠組みは、新しい時代、新しい契約が古い時代、契約を引き継ぐという二つの時代についてのより古いユダヤ人の考え方を発展させたものであることを理解するのが重要だと、著者は言います。バプテスマのヨハネは、聖霊と火のバプテスマによってすぐに新しい時代をもたらす来るべきお方を期待した。この予告が成就しなかった時、彼は確信を失い、自分が語った来るべき方とはイエスなのかと問い始めた(ルカ7:18-19)。なぜそうなったのか。
その答えは、ルカがヨルダンでの出来事を二重に理解したところに求められる。第一に、イエスに聖霊がくだったことは、イエス自身が新しい時代と契約に入ったことであった。第二に、それはメシヤまた僕として聖霊の油注ぎを受けることであって(ルカ3:22、4:18、使徒4:27)、僕あるいは民の代表としてのメシヤ的務めに入ることでもあった。ルカにとって、この働きは十字架において最高潮に達する。そこでイエスは民のために聖霊と火のメシヤ的バプテスマをお受けになった。
ここでのカギとなる節は、ルカ12:49、50である。そこには火とバプテスマの両方の概念が見られる。ここで、来るべき方の働きについてのヨハネの予告がイエスによって受けいれられているのを確認できる。同時に、イエスは彼自身になされるべきバプテスマを望み見ている。これらの二つの節は、一つのアイディアの並行した部分として受け取られるべきである。
「わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。だから、その火が燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。
しかし、わたしには受けるべきバプテスマがあります。それが成し遂げられるまでは、どんなに苦しむことでしょう。」(原文は、ギリシヤ語)
それゆえ著者は、これらの節の思想を次のように理解しなければならないと言います。イエスは地に火を投げ込むために来た。そしてそれが「彼自身の上に」灯されていたらとどんなに願うことか。どんなにイエスは彼自身の上に果たされるべきバプテスマを願うことか。「それを執行するために彼は来たのである。」(「 」部分は原文でイタリック。)このバプテスマはルカ22:42の(怒りの)杯と関係がある。このように、ルカにとっては、イエスの僕また代表者としての働きは、民に代わりメシヤ的火のバプテスマを受けることによって完成すると言える。
それゆえ著者は次のように示唆します。ルカによれば、ヨハネによって予告されたイエスの役割-新しい時代をもたらし、聖霊と火のバプテスマによってそれを始める方としての役割-は二つの理由によって遅らされた。第一に、イエスは彼自身が聖霊のバプテスマを受けることにより彼自身が新時代に入らなければならない。そして、新しいイスラエル、神の子として試みられ、証明されなければならない。第二に、彼自身このように始められ試されたことによって、彼は自分の僕またメシヤとしての役割を受け取ることができる。この役割は、十字架上での身代わりの苦しみによって絶頂に達する。そこにおいて、彼は民の代表としてメシヤ的聖霊のバプテスマを自分自身に引き受ける。この役割を達成してはじめて、彼はバプテスマのヨハネによって予告された役割を果たし始めることができる。彼の死、復活、昇天の後はじめて、彼は聖霊によってバプテスマを施し始める。
このことの理由は、恐らく次のようなものだと著者は言います。イエスは罪がないので彼自身のためにはメシヤ的バプテスマを受けることができたが、彼の民は罪に満ちているので(ルカ5:8、18:13)、メシヤ的バプテスマは彼らにとって滅亡的プニューマ(霊)と火のバプテスマ、すなわち怒りの杯となったことだろう(ルカ12:49、50、22:42)。これは彼らを滅ぼすものとなるであろうから、イエスは僕として彼らに代わってこれを受けられた。火は彼に灯された。彼は他の人々のメシヤ的バプテスマを受けられた。彼は他の人々の分である怒りの杯を飲みほした。これは、イエスが他の人々にバプテスマを授けるとき、それがもはや聖霊と火のバプテスマでなく、ただ聖霊のバプテスマとなることを意味する。使徒1:5「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受ける」・・・ヨハネが語ったように、聖霊と火とバプテスマではなく。おそらくこう言うことができる。ある意味で、イエスは彼自身の上に灯った火を使い果たし、怒りの杯を飲みほした。その結果、新しい時代に入る方法は、ただ聖霊のバプテスマである。聖霊と火のバプテスマでなく、イエスの御霊のバプテスマである。彼は、メシヤ的王国が確立する前に必要な患難、またすべての者が王国を見ようとするならその前に経験しなければならないメシヤ的患難を耐えられた。
このような解釈を要約して、著者は次のようにまとめます。救いの歴史についてのルカの枠組みにおいては、このすべてのことは次のようなことを意味する。新しい時代また契約が弟子たちにとって始められるのはペンテコステにおいてである。第二の時代には、イエスだけが我々の救いの先駆者としてその時代に入られた。彼だけが聖霊のバプテスマを受けられた。第三の時代になってはじめて、弟子たちは新しい時代に入った。イエスが高挙されたときはじめて、彼らは聖霊を受けて新しい契約に入った。イエスが僕また神の小羊としての働きを完了したときはじめて、彼らは聖霊のバプタイザーとしての彼の働きを経験した。その時までは、イエスだけが新しい時代の命を経験したが、今や弟子たちもその命を経験した。なぜなら彼らはイエスの命を共有したから。イエスだけが聖霊にあずかっていたが、今や聖霊はイエスの御霊としてすべての弟子たちに来るのだと。
このような議論によって、ルカが持っている救済の歴史についての枠組みを示唆した後、著者は、ルカにとってペンテコステの日がどのような重要性を持つものとして示されているか、いくつかのポイントを挙げて説明していきます。この議論は、かなり長いものですので(44-54頁)、次回に回したいと思います。
章の後半に入る前に、章の前半の内容を振り返ってみますと、ここではルカにおける救済の歴史が三段階の枠組みを持っているという主張がなされています。バプテスマのヨハネによる「聖霊と火のバプテスマ」の予告(ルカ3:16)、イエス様による火とバプテスマについての言及(ルカ12:49、50)、そして復活後のイエス様ご自身による「聖霊のバプテスマ」の予告(使徒1:5)、これらを統一的に説明する一つの仮説として、大変魅力的なものです。
「三段階の枠組み」と言えば、何か細かくディスペンセーション(時代区分)を区切るディスペンセーション主義を連想して、にわかには受け入れがたく思われる面もあります。しかし、イエス様と聖霊と民との関係に特定して考えてみれば、確かにそういう枠組みを想定して整理すると理解しやすいと思います。ただ、大枠としては理解できるものの、細部の解釈や整理の仕方においては、他の考え方も可能なような気がします。
(1)ルカ12:49、50の解釈
まず、ルカ12:49、50は、かなり解釈に幅がある個所ではないかと思います。たとえば、私がよく聞いてきた解釈は、火=「聖霊のバプテスマ」と理解し、ペンテコステの出来事が起こるためには、イエス様が十字架における苦しみのバプテスマを引き受けなければならないというものでした。これは、いわゆるきよめ派ばかりでなく、榊原康夫なども同様に理解します(『新聖書注解 新約1』「ルカの福音書」)。この理解では、「火」=聖霊の降臨(ペンテコステ)、「バプテスマ」=十字架であって、「火」と「バプテスマ」は同じではありません。しかし、著者は、火=バプテスマ=「民の身代わりに裁きを引き受けること」と理解しているようです。前者の解釈を多く聞いてきた私の感覚からすれば、「あれ?」と思うような解釈ですが、たとえば、レオン・モリス(Tyndale New Testament Commentaries:Luke)も、この個所を同様に理解しているようです。福音的な神学者から支持されうる一つの解釈と言えると思います。しかし、レオン・モリスによれば、この個所の「火」は、この他にも、区別、きよめ、信仰などと理解されることもあるようです。いずれにしても、この個所がかなり解釈に幅を許す個所であるのは確かなことで、議論を進めていく上で、その点は心にとめておく必要があるかと思います。
(2)使徒1:5の理解
関連して、使徒1:5の解釈も、別の理解が可能かと思います。著者の理解によれば、ルカ12:49、50を上記のように理解した上で、既にイエス様が十字架の苦しみにおいて、いわば「火を使い果たした」ことのよって、イエス様が与えるバプテスマは、「聖霊と火のバプテスマ」でなく、「聖霊のバプテスマ」となったと説明されます。しかし、バプテスマのヨハネの予告の言葉からの流れをもう一度確認して見ると、多少疑問に思う部分もあります。
バプテスマのヨハネの予告の言葉において、著者は「聖霊と火のバプテスマ」を神様の裁きを背景とした神様のきよめのみわざとして理解することを提唱していました。そこでは、「聖霊と火のバプテスマ」を「聖霊のバプテスマ」と「火のバプテスマ(裁き)」とを分けて考えるオリゲネスの解釈が否定され、「聖霊」も「火」も、裁きを背景としたきよめのみわざとして理解されていたのではないかと思います。ところが、使徒1:5に対する上記のような著者の理解は、「聖霊」をきよめる働き、「火」を裁く働きとするオリゲネスの解釈に戻っているようにも見えます。「聖霊」も「火」も、神様の裁きを背景としたきよめのみわざを表すとすれば、ルカ19:49、50は、むしろ、「火」=「聖霊」として考える方が自然なようにも思えます。但し、単に「火」=「聖霊の降臨」というより、あくまでも、神様の裁きを背景とした神様のきよめのみわざとして考え、イエス様はそのようなみわざをなお将来のものとして語られた。そのようなみわざが始まるためには、「火」の中に含まれる特に裁きの部分をご自分の身に引き受ける贖いのみわざが果たされなければならないと語られた・・・そんな風に受け取ることもできるのではないでしょうか。この流れで言えば、使徒1:5において、「聖霊のバプテスマ」と語られたことは、「火を使い尽くした」ということではなく、もともと、聖霊=火であって、「聖霊のバプテスマ」と、「聖霊と火のバプテスマ」は同意として受け取れるということにもなります。
内容的には結局同じことのようにも見えますが、使徒1:5をどう理解するかがその後の使徒行伝全体での「聖霊のバプテスマ」理解を左右するとすれば、随分大きな違いを生み出す可能性もありそうです。
続いて、ヨルダン川での出来事についての礼典主義者の主張が検討されます(32-37頁)。彼らは、イエスがバプテスマ(洗礼)において、あるいは、バプテスマを通して聖霊を与えられたと言い、この水と聖霊によるバプテスマがクリスチャン・バプテスマの原型であると言います。しかし、著者は、この解釈を断固として拒絶しなければならないと主張します。
まず、著者はこの章のタイトルを「ヨルダン川におけるイエスの経験」としたのであって、「イエスの洗礼」としなかった点を強調します。これは、福音書記者の主要な関心がヨハネによるイエスの洗礼になかったからだと言います。この点を指摘したうえで、イエスの洗礼と聖霊の注ぎの出来事が明確に区別されるものであることを四つの福音書において確認していきます。
(a)ヨハネ
ヨハネにとってバプテスマのヨハネとイエスとの出会いで重要なのはイエスに聖霊がくだったことであった。ヨハネは、イエスの洗礼について何も語っていない!従って、「イエスが洗礼においてあるいは洗礼を通して聖霊を受けたと、著者が私たちに理解してほしいと願っていた」とか、「ヨルダンでのイエスの経験を水と聖霊におけるクリスチャン・バプテスマの原型にしたいと願っていた」という事は、ありえないことである。
(b)ルカ
ルカにとって、イエスの顕著な経験が水の儀式でなく、聖霊がくだったことであったのは全く明らかである(使徒10:38)。ルカ3:21、22で、洗礼は、アオリストの分詞で済まされている(βαπτισθεντοσ)。もちろん、アオリストの分詞は同時の行為を示すこともあるが、ここでは現在分詞であるπροσευχομενου(祈っておられると)の行為より時間的に先行することは明らか。ルカが私たちに理解するよう願っていたのは、聖霊がくだったことと同時だったのがイエスの祈りであって、洗礼ではないということである。
(c)マタイとマルコ
マタイでは聖霊が下った事は洗礼とより深く関連付けられているし、マルコではなお深く関連付けられている。
και εβαπτισθη...και ευθυσ αναβαινων...ειδεν...το πνεθμα...καταβαινον.(マルコ1:9、10)
聖霊がくだったことを洗礼に結び付ける二つの言葉はευθυσ(すぐそのとき)とαναβαινων(上がられると)である。しかしこれらにあまりに重心を置くべきではない。ευθυσは、マルコではよく使われる表現で、ゆるやかに、”then”とか”so then”といった弱い意味で用いられる。αναβαινωνは、水の表面から出て現れることを意味するのでなく、儀式が終わった後、川から岸に上がることを意味する。これは、マタイのανεβη απο του υ΄δατοσ(単に「彼は水から去った」と訳されうる)により示唆されるし、使徒8:39により最も明瞭に示される。そこでは、ピリピの宦官は水から外に出たが(ανεβησαν εκ του υ΄δατοσ)、明らかにピリピは自分自身を水に浸してはいなかったであろうから。従って、マタイもマルコもルカとそれほど違ってはいない。洗礼と聖霊の注ぎは、多かれ少なかれ、並列した出来事である。
更に3つのポイントが指摘されるべきである。第一に、マルコが最も鋭くヨハネの水のバプテスマと新しい契約の聖霊のバプテスマを対照させた人物であること。第二に、マルコでは聖霊についてあまり言及されていないにも関わらず、ヨルダンでの出来事の前後三つの段落(4-8節、9‐11節、12‐13節)が聖霊というテーマで結びあわされていること。第三に、すべての共観福音書で、終末論的特徴が現れているのは、洗礼後であること。(洗礼が新しい時代をもたらしたのでなく、洗礼後に起こったことが新しい時代をもたらした。)
このような考察に基づき、洗礼と聖霊を結び付ける神学作業は根本的な間違いに基づいていると著者は主張します。そして、イエスの洗礼と聖霊がくだったこととは、密接に関連していながら、区別される二つの出来事であることを指摘します。メシヤの務めを始めたのは、水のバプテスマではなく、ただ聖霊のバプテスマであると言います。
この二つの出来事の正確な関係を述べるなら、イエスの洗礼は悔い改め(民及びその罪と自分自身を同化した預言者たちのように)と、神のみ心への従順と、召された働きへの献身の表われとして理解されるべきであり、このような悔い改めと従順、献身の結果として、聖霊が与えられ、新しい時代が始まったということになると言います。すなわち、二つの出来事に関係があるとすれば、洗礼を受けたお方の態度と聖霊の間の関係であって、儀式と聖霊との間の関係ではないと言います。
従って、ヨルダンの出来事がクリスチャンの回心-入信式の型となるとすれば、それは、儀式行為や経験が聖霊の行為や経験と同一のものであるということではないと言います。そうではなく、水のバプテスマと聖霊のバプテスマが区別される出来事であり、その関係はただ前者によって表された悔い改め、従順、献身の中にあるのであって、すべての強調と注意はほとんど全面的に後者に向けられるべきだということであると、著者は言います。
(この章の終りでは、ヨルダンの出来事を考察すると洗礼と区別される堅信礼についての見解が生まれるという議論についてもコメントされていますが、ここでは二つの儀式的行為を扱っているのではなく、洗礼という唯一の儀式行為を扱っているのだと指摘し、これを退けています。)
こうして、ヨルダンでの出来事についての検討の結果、この個所から聖霊のバプテスマを第二の恵みと考えるペンテコステ派の見解だけでなく、聖霊のバプテスマを洗礼と結び付けて考える礼典主義者の見解も退けられることになります。
ただ、洗礼と聖霊の注ぎが区別されるべきだという著者の主張、またそこに至る考察を振り返ってみると、二つの点が気になります。
第一は、洗礼を「悔い改め、従順、献身の表現」と位置付けている点です。これは、主に、福音に対する人間の側での応答に焦点を置いた見方になるわけですが、洗礼は同時に、人間を救う神のみわざの表現でもあると思います。一般的に、洗礼は救いにおける神のみわざと人間の側の応答との両面を表現していると理解されているように思うのですが、著者はここで人間の側の応答にのみ目を向けているように思われます。もちろん、他の個所では「人をきよめる神のみわざの象徴としての洗礼」という考え方も見受けられますので(その7参照)、著者が常に洗礼をこのような見方で見ているわけではないと思いますが、少し気になる点ではあります。
第二に、洗礼と聖霊の注ぎとの区別を明確化しようとする結果として、洗礼の前提となるものと聖霊の注ぎとの区別が導かれる可能性があるという点です。著者は、聖霊の注ぎと洗礼を結びつけているのは、洗礼が表現している悔い改め(もちろん、民の罪との同一化の結果としてですが)、従順、献身であると言います。しかし、著者は、イエス様の場合も洗礼と同時に聖霊がくだったのではなく、多少なりとも時間的な間隔があったことを証明しようとしています。そして、洗礼と聖霊の注ぎの区別がクリスチャン経験においても当てはめられると主張しています。ところがここで、洗礼は悔い改め、従順、献身の表現であると著者は言っています。表現されるもの(悔い改め、従順、献身)は表現しているもの(洗礼)より前にあるはずですから、クリスチャン経験に当てはめた場合、悔い改め、従順、献身があってなお、聖霊が注がれない時間がいくらかはあるということにならないでしょうか。
さて、第3章では、ペンテコステ派及び礼典主義者の見解を念頭に置きながら、ヨルダン川での出来事についての詳細な検討がなされたわけですが、その全体を振り返ってみると、いくつかの課題が浮かび上がります。
・バプテスマのヨハネの言葉とここでの出来事との関係
・イエス様がヨハネから洗礼を受けられたことの意味
・イエス様がヨハネから洗礼を受けたことと聖霊を受けられたこととの関係
・救済の歴史のおけるこれらの出来事の位置づけ
・イエス様のここでの経験とクリスチャンの経験との関係
このような課題に対して、著者は自らの主張を明確に、また説得力を持って示していますが、それが唯一の結論と言えるのか、いつか機会があれば、腰を落ち着けてもう少し検討してみたい気もします。