長田家の明石便り

皆様、お元気ですか。私たちは、明石市(大久保町大窪)で、神様の守りを頂きながら元気にしております。

ザ・ティー

2016-11-26 11:08:13 | 長田家便り

教会のご婦人が息子たちにということで、パズルをくださいました。

ザ・ティーというもので、4つの木片を組み合わせて、ティーの字その他、指定の形にするというもの。

https://www.amazon.co.jp/NOB-PUZZLE-The-T-%E3%83%91%E3%82%BA%E3%83%AB-%E3%82%B6%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC/dp/B00B0QPSP0

簡単そうでなかなかできないのですが、私は以前どこかでした覚えがあって、まずはT字にすることができました。

(多分、青年時代、青年仲間と一緒にやったような気がします。)

あとは、家族4人が知恵を出し合い、指定の21種の形を作ることができました。

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足元の芸術

2016-11-26 11:03:36 | 神戸便り

事務所前の公園には桜の木が植わっています。

足元を見れば、色づいた葉が芸術作品のようでした。

 

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今年も干し柿

2016-11-26 11:02:29 | 長田家便り

今年はやめておこうかと言いながら、結局、沢山の干し柿を

つるしています。おいしくなるでしょうか。

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第10章 パウロ、イエス、そしてキリスト教の起源

2016-11-22 19:39:09 | N.T.Wright "What St. Paul Really Said"

第10章 パウロ、イエス、そしてキリスト教の起源


【要約】(ここで「私」というのは、ライトのことです。)


パウロは、「キリスト教の創始者」であろうか。言いかえれば、彼はナザレのイエスの信仰と召しを、イエス自身が知らなかったようなシステムと運動に変革することにより、我々が今知るようなキリスト教を造り出したのであろうか。

最近出た本でこの点を公衆の面前に押し出したものがある。私はそれをこの結論の章における主要な対話の相手としたい。小説家、伝記作家のA.N.ウィルソンは、最近「Paul:The Mind of the Apostles(パウロ:使徒の心)」という題の本を出した。ウィルソンは、明らかにパウロに魅せられているが、その書いたものは「不可解」と主張する。

パウロにとって「キリスト」は歴史的イエスとほとんど、あるいは全く関係がないと彼は示唆する。パウロにとって、キリストはエルサレムのクリスチャンたちが覚えていた人ではなく、むしろ信者たちの心の中の神的愛の実在であった。彼は、そうでなければ時間の束縛を受けた地域的、政治的メッセージのままであったろうものをどこでもいつでも人々に応じられる心の宗教に変革した(とウィルソンは言う。)

それでは、パウロはどこからこの新しい宗教を得たのか。彼はサウロがタルソの異教宗教の中で育ち、特にミトラ神の儀式や神的ヘラクレスの礼拝を知っていたと考える。それから彼はエルサレムに行き、祭司長の雇用に入り、神殿の僕として動いた。その立場で彼はイエス自身を見聞きし、十字架について知り、恐らくは目撃した。彼はイエスを捕縛することを助けさえしたかもしれない。彼はローマの協力者であった。

パウロは自分が手伝ったことを振り返り、パウロの心と想像力は、異教礼拝から取られたカテゴリーに捉えられた。ミトラ神の帰依者は、犠牲の牛の血を浴び、「血が犠牲から流れると、彼らがそれから力を受ける」のを彼は見た。こうして続く数年の間に、「十字架はパウロの異常なまでの宗教的注意の焦点となった」。

彼はイエスを神話化した。

ウィルソンによれば、パウロが説教者、また宣教者になった途端、彼の視界はこの神話的構成概念と、それを他の人々に知らせる差し迫った必要によって支配された。


1.その肖像画の問題点

パウロについてのウィルソンの描写は極度に色彩豊かで興味をそそるものである。しかし、パウロについてのウィルソンの肖像画は深刻な問いを必要とする決定的ポイントがいくつかある。

○サウロの背景

まず、タルソのサウロがローマの協力者であったということは歴史的に問題外である。

○ユダヤ教とヘレニズム

ウィルソンの再構成全体のもとでは、古い宗教史学派の最も深刻な弱さが見出される。彼は、ユダヤ教が地域的で、ほとんど部族宗教であるのに対して、ヘレニズムの様々な形態は普遍的なシステム、あるいは哲学であると仮定する。

○十字架と復活

イエスの重要性についてのパウロの概念の源泉について、これらの奇妙で不可能な推測は、イエスの死と復活についての実際の意味をウィルソンが理解しなかったことによって生れた真空状態を満たすために現われたものである。3章で見たように、それは、終末論的成就の出来事である。

○イエスと神

もちろん、このことはキリスト論に我々を導く。イエスについてのパウロの描写の中心には、4章で見たように、唯一神論の中にイエスを置くことによる唯一神論の再定義がある。ウィルソンは、ユダヤ教唯一真論から一種の異教主義へのステップとして、イエスと神を横に並べようとする。

○歪んだイメージ

歴史的にウィルソンはパウロの背景、回心、宗教思想の発展について、それ自体説得力のない仮説を提供している。神学的に、彼はパウロの死思想について、その主要点を見逃したような再構成を提供する。釈義的に、彼はいくつかの手紙について興味深い熟考を提供するが、真のテストケース、すなわち、ローマ人への手紙に来ると、ウィルスンはその神秘性を貫き始めない。適用については、どうだろうか。ウィルソンは、神の愛の調べを聞き取っている。一連の誤解の内にあるとは言え、真理のいくつかの要素を認めている。


2.イエスからパウロへ―そして将来

パウロ、イエスとキリスト教の起源との間の関係がどんなものかは、もちろん、パウロをどう考えるかだけでなく、イエスをどう考えるかにかかっている。このトピックについては、他のところで長く書いてきた。(最近では、"Jesus and the Victory of God"(イエスと神の勝利)において。)その光の中では、議論をどこから始めるか、明らかである。

もしわれわれがイエスとパウロを一世紀ユダヤ教の世界の中に置くなら、宗教や倫理の無時間的システムはもちろん、人がどのように救われるかについての無時間的なメッセージを、両者とも語らなかったはずだという事実に直面しなければならない。二人とも自分たちが、イスラエルの神によって設けられた、神の長い御目的の成就のドラマの役者であることを信じていた。

従って、イエスの鍵概念(たとえば、悔い改めと来るべき国)とパウロの鍵概念(たとえば、信仰による義認)を挙げ、それらを対置するやり方はうまくいかない。

イエスはイスラエルに対して、待ち望んでいた御国が来たことを告げた。しかし、その御国は、イエスの同時代人たちが想像していたのとは違ったように見えた。

イエスがエルサレムに入ったことと、神殿での彼の行為において、イエスは文字通りステージの真ん中に上がられた。彼のドラマチックな行為は、ご自分がメシアであって、イスラエルの運命が実現されるべきお方との信念を象徴していた。ご自分のめしを自覚しながら、弟子たちとの最後の晩餐において符号化された新しいエクソダス、偉大な解放という、更に他の偉大な象徴を演じられた。

イスラエルの最も大きな望みは、ヤーウェ、彼女の神が自ら戻って来られること、裁き主及び贖い主としてシオンに来ることであった。イエスのエルサレムへの最後の旅、及び神殿と二階座敷における行動において、彼はそのリターンを劇的に象徴した。イスラエルと世界の望みと恐れはご自分の死によって一回限り一つとされるであろうと信じて、イエスは死に向かわれた。これは、偉大な出来事、イスラエルの歴史の頂点、贖い、新しいエクソダスとなるであろう。

当時の他のユダヤ人殉教者たち同様、イエスはご自分が神の御心に従って死んだなら、死からの復活によって擁護されるだろうと固く信じていた。他の殉教者たちと違って、彼の復活は遅れなく来ると信じていたように見える。「三日目に」よみがえるであろうと。他の物事と同様、イエスはこのことによって、神が常に約束しておられたことをご自分の民のためについに果たすための手段となるという召しを自覚している1世紀のユダヤ人たちの世界観の内にあって、完全な意味を持つことを信じていた。

これらすべてのことから、パウロがただイエスの教えのすべての線をオウム返しにするだけでは、イエスを支持したことにならないことは明らかである。我々が期待すべきなのは、終末論的タイムテーブルの違った地点にある二つの生きた人々、生きていると自覚する人々の間の適切な連続性である。

イエスはご自分の召しがイスラエルの歴史にクライマックスをもたらすことであると信じていた。パウロはイエスがその目的を果たされたと信じた。パウロは、彼自身が全世界に対して、そのようにしてイスラエルの歴史にクライマックスがもたらされたことを告げるよう召されていると信じた。パウロが「福音」を異邦人世界に伝えたとき、彼は自覚的にイエスの達成を補完した。彼は「別個の宗教を創設した」のではない。

イエスとパウロの間には一対一の対応があるというのではもちろんない。相互にラディカルに異なったパースペクティブを十分許す首尾一貫性、適切な相互関係、統合性がある。

パウロはもちろん、春の最も早い時期に生きていると信じていた。従って、「固く立って動かされず、いつも主のわざに励む」(第一コリント15:58)というのが、カルバリとイースターの勝利と、神がすべてのすべてとなられる日との間に生きる者にとってふさわしい態度と行動である。


【コメント】(ここで「私」というのは、長田のことです。)

パウロをどう見るかという問題には、イエスをどう見るかという問題がいつも伴います。ライトは、両者の関わり方について、この最終章で取り上げています。「私はそれをこの結論の章における主要な対話の相手としたい。」(p167)と言って取りあげたのが、A.N.ウィルソンの"Paul:The Mind of the Apostles"という著作です。パウロの思想を歴史のイエスと切り離されたものと考える神学的試みも多いですが、この本もそのようなものの一つのようです。英米国では話題となった本のようですが、日本ではなじみもなく、内容的にも、チャレンジに満ちたこの本の最終章で「主要な対話の相手」と選ばれるには、少し物足りないもののようにも思われますが、致し方ないところでしょうか。むしろ、後半部分のほうが熟読に値するものと思いました。

その冒頭、イエスをどう見るかについては、"Jesus and the Victory of God"で扱っているとのことですので、日本語訳が出るのが待たれるところです。

ライトはまず、イエスとパウロ、両者を、1世紀ユダヤ教の世界に置いて考えるべきことを指摘します。そして、そうするならば、「宗教や倫理の無時間的システムはもちろん、人がどのように救われるかについての無時間的なメッセージを、両者とも語らなかったはずだという事実に直面するはず」と言います(178、179頁)。私はこれまで、このようなライトの文章を読むと、(極端に言えば、)ライトは、「人がどのように救われるかについてのメッセージを(イエスもパウロも)語らなかった」と読んでしまっていたような気がします。そうではなく、「人がどのように救われるかについての無時間的なメッセージを語らなかったはずだ」という指摘です。ライトはパウロの言葉にしても、イエスの言葉にしても、イスラエルと世界に対する神のご計画との関わりの中で理解すべきことを主張しているものと思います。

イエスの十字架の死については、「これは、偉大な出来事、イスラエルの歴史の頂点、贖い、新しいエクソダスとなるであろう。これが御国の来るための方法であった。」と言います(180頁)。また、復活については、「神が常に約束しておられたことをご自分の民のためについに果たすための手段となるという召し」との関わりを指摘します(180頁)。

そして、イエスとパウロとの関係については、「イエスはイスラエルの歴史に頂点をもたらした。パウロはその頂点の光の下で生きた」「イエスの行動とメッセージ、及びパウロのアジェンダと手紙との間には、(もちろん)1対1の対応があるというのではなく、相互にラディカルに異なったパースペクティブを十分許す首尾一貫性、適切な相互関係、統合性がある。」と指摘します(182頁)。

この辺りのところは、私としても肯定的に受け止められるところと思いました。イエスとパウロの関係性については、個人的にももう少し深く掘り下げて考えてみたいテーマの一つですが、大枠、ライトが示している線とそれほど違わない方向性で取り組むことになるのではないかと思います。

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第9章 パウロの福音 当時と今

2016-11-22 19:38:17 | N.T.Wright "What St. Paul Really Said"

第9章 パウロの福音 当時と今


【要約】(ここで「私」というのは、ライトのことです。)

聖パウロが実際に語ったことについて、私がこれまで語ってきたことが、パウロが言わんとするところの今日的適用について、かなりの量の新鮮な思想を励ますものとなるよう願う。しかし、この点で特に光を当てる必要のあるいくつかの領域を示唆したい。私は特にこの書の中で二つの事、「福音」と「義認」について集中してきた。

パウロにとって「福音」は教会を造り出し、「義認」は教会を定義する。パウロにとって福音の宣言は人々を救う力を帯びる。「福音」それ自体は、思想のシステムでもなければ、人々をクリスチャンにする一連の技術でもない。福音はイエスの人格についての人格的宣言である。それこそ福音が教会、すなわちイエスは主であり、神は彼を死からよみがえらせたと信じる人々を造り出す理由である。「義認」はその福音を信じる者は誰でも神の家族の真のメンバーであると宣言する教義である。


1.パウロの思想に関する考察について

まず、私が提供してきたスケッチが、パウロの思想の中心において戸惑わせる二律背反、あるいは矛盾でさえあるようにみえるものの意味を明らかにする仕方を指摘したい。私は1章で、シュバイツァーからサンダースに至る思想のラインについて書いた。彼らは「法廷」用語を退け、シュバイツァーが「神秘的」領域、、サンダースが「参与主義者」領域と呼ぶものを主張する。我々がパウロの思想の契約的性質を把握し、契約がその中心において常に神の偉大な法廷の意味を伝える仕方を把握するなら、この二律背反はありのままに示される。それらはずっとのちの哲学や神学にその起源を負う違いをパウロに反映させることである。パウロにとって、「キリストにあること」は、「メシアを巡って再定義される神の民に属すること」である。それは言い換えれば特別に契約的言い方である。しかし、同様に、「義」の擁護は一貫して契約的である。

同様なことは、私が本書ではこれまで述べてこなかったが殊に現代のアメリカのパウロ研究を支配する他の議論についても真実である。パウロの「契約的」読みに反対して、J.L.マーティンのような何人かの学者は、パウロ思想の「黙示的」性質を強調してきた。契約的範疇はアブラハムからキリスト以降への定常的発展、旧約聖書と新約聖書との間の連続性を意味すると考えられている。しかし、パウロにおいて見出されるのは、むしろ明らかな断絶、すべての以前の期待を立つはりつけの荒々しい衝撃という(いわば)「黙示的」観念であるというわけである。第二コリント5:16(5:17)はこのことについてのスローガンとして機能するかもしれない。「古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなった」。

問題はもちろん、その節自身が基本的に、また明らかに契約的であるということである。

同様に、「黙示的」ということは、「新約聖書と神の民」10章で論じたように、それ自体、契約的である。

パウロの福音の当時と今についての章のはじめに、パウロの神学のパターンと形についてこのような振り返りを含めた理由は、我々がパウロのような思想家を捉えようとするとき、すぐにパウロが実際には後の時代が創り上げた様式やモデルに適合されうると想定してしまう危険が常にあるからである。


2.王の告知

○イエス・キリストを主と宣言する

福音はイエスが主―世界の主、宇宙の主、地球の主、オゾン層の主、くじらと滝、木々や亀の主―であることの宣言である。このことを正しく理解するなら、「福音を伝えること」と「社会的行動」あるいは「社会正義」などと呼ばれてきたものとの間に存在してきた危険な二分法を打ち砕くことができる。福音を伝えることはイエスを世界の主と宣言することを意味する。そして、矛盾したことを言うつもりがないなら、その主権性を世界のすべての領域に及ぼそうとしないでその宣言をすることはできない。

後期現代主義の偉大な預言者はもちろん、マルクス、フロイト、ニーチェである。彼らの偉大なテーマ、金、性、権力について、パウロの福音は何を語るだろうか。

まず、もしイエスが全世界の主であるなら、偉大な神マンモンは全世界の主ではない。

同様に、もしイエスが世界の主であるなら、性愛の女神アプロディーティーは全世界の主ではない。

次は権力を考えよう。西洋民主主義は全体主義と無政府主義の恐るべき代替物の間で二世紀の間、安定した場所と思えるものを提供してきた。そうあり続けるかどうかは、教会が次のような主張をすることができるかどうかにかかっている。すなわち、イエスは世界の真の主であって、違った種類の力、より強力な種類の力、弱さの内に完全にされる力があるという主張である。

私はこのことすべてが、イエス・キリストは全世界の主であるとの宣言に多かれ少なかれ直接に含意されていると考える。

福音は本質的に「経験」ではなく忠誠を造り出す。イエスの召しによって保証される唯一の経験は、十字架を担うというものである。


3.義認、当時と今

○義認と共同体

福音は個々のクリスチャンの一グループを造り出すのではなく、共同体を造り出す。もしあなたの神学の中心に伝統的な意味での義認を置くという古い道をとるなら、そのような種類の個人主義を維持するという危険の中に常にあることだろう。「個々の」クリスチャンというものはない。パウロの福音は共同体を造った。彼の義認の教義はそれを支持した。我々の福音も同様でなければならない。

○エキュメニカルな働き

パウロの信仰義認の教理は、教会がバラバラにされている現状では、教会にエキュメニカルな働きを強いる。義認の教理は単にカトリックとプロテスタントが一生懸命なエキュメニカルな努力の結果として賛同できるようになるだろうという教理ではない。義認の教理はそれ自体でエキュメニカルな教理である。

○それを知らずに義とされる

偉大なアングリカンであるリチャード・フッカー(訳注:1554-1600年)が言うように、「人は信仰義認を信じることによって信仰により義とされるのではない。」現代の多くのクリスチャンは、教理の正確さについてあまり明瞭でないかもしれない。しかし、いかに不明瞭であっても、彼らはイエスにしがみついている。パウロの教えによれば、彼らはそれ故信仰によって義とされている。家族の一員として構成されている。

○義認とホーリネス

我々が福音と義認の教理を私が概説したような仕方で把握すれば、我々の理論や行為において、「信仰義認」とクリスチャンのホーリネスへの責務との間の衝突の危険はない。

パウロの義認の教理は完全に彼の福音に依存しており、我々が見て来たように、それはイエスを主と告白することである。パウロの鍵となる節の一つは、「信仰の従順」である。信仰と従順は正反対ではない。両者は正確に一緒に存在する。実際、大変しばしば、「信仰」という言葉自体、「真実」と訳されうる。もちろん、このことは福音や義認を妥協させ、後ろの戸から「行い」をそっと持ち込むことではない。信仰は、この積極的意味においてさえ、神の家族の中に入るためにも、またそこにとどまるためにも、決して人間の側から準備された資格ではない。それは神によって与えられたメンバーシップのバッジであって、それ以上でもそれ以下でもない。恵みによってだけ自分自身を神の家族の信仰メンバーとして見い出す者たちにとって、ホーリネスは適切な人間の状態である。

○義認と諸力

教会のメンバーシップをイエス・キリストへの忠誠以外の何かによって定義しようとするいかなる試みも偶像崇拝的である。義認の真意はエペソ3:10において要約される。「教会を通して神の多種多様な知恵が天井にある諸霊や諸力に知られるようになる」。一つの信仰共同体として生きている教会によって、諸霊や諸力は彼らの時が終わったことを明確に知らされるのである。


4.神の再定義と神の義

私は以前、最近10年間に西洋世界が直面するようになった大きな変化の一つは、「神」という言葉が単一義でないことを人々が悟り始めたということだと語った。

絶対多数の人々が信じている「神」は、ほぼ確実に理神論者の神であって、パウロの世界ではエピクロス派の神、あるいは神々に相当する。パウロの福音宣言は驚く異教徒たちに本当の神がおられ、生き、動き、心にかけ、愛するお方であり、歴史と人間との間で全世界を再創造するために働かれ、また働いておられるお方であるという知らせをもたらした。イエスの福音についての我々の宣言も同様のメッセージを含まなければならない。

近年、フロアから沸き立ち始めている偽の神々とも直面している。ニューエイジ・ムーブメントのいくらかは、明らかにネオ・異教主義である。ユダヤ教唯一神論が二元主義、異教主義、エピクロス派、ストア哲学と対峙したように、ユダヤ教唯一神論のクリスチャンバージョンも、パウロの説教においてそうであったように、あらゆる代替神学に対峙しなければならない。

「神学」という言葉が不適切な理論に対するあざ笑いの言葉であるうるのは、理神論的文化が支配的な状況においてである。パウロの福音のように、イエスと御霊において知られた一人の唯一の神について語る高度な基礎を主張するならば、神学の言語が全生活、文化、愛、芸術、政治、宗教とさえ、いかに密接に、また決定的に関連しているかを示す用意がなければならない。

特に、神についてのパウロの再定義は、神の義の再定義を含んでいた。このテーマは、ローマ書で展開され、8章において一つのクライマックスに達している。そこでパウロは、ある日全宇宙が偉大なエクソダス、滅びの縄目からの解放を得るという望みを概観し、祝福している。神とイスラエルとの間の契約は、全世界を救う神の手段となるよう常に意図されていた。決して、世界の残りが地獄に行く一方で、個人的な小さなグループの人々を得るための手段となるよう想定されていたわけではない。

私は実際、いわゆる神の義のテーマの一部として、正義の問題を考え抜くよう備えられるべきだと主張する。「ディカイオスネー」という言葉は、「義」と同様に、「正義」とも訳すことができる。もし神が全世界を新しくするおつもりだということが本当で、ローマ8章や第一コリント15章でパウロがナンセンスを語らなかったとすれば、現代において正義、あわれみ、平和の行動は、神の決定的企図に対する不可避的に部分的な、また断続的かつ戸惑わせるような待望だとしても、適切なものである。

神の義を終りまで探究すると、それは神の愛―造られた宇宙に対する造り主の愛、それを損ない、ゆがめる力に対するキリストの勝利を通してそれを造り直すという決心を啓示する。もし福音が神の義を啓示し、教会が福音を宣言するように命じられているとしたら、不公平、圧迫、暴力が神の世界にはびこっているのに教会が満足していることはできない。


5.結論

パウロがポスト・モダニズムに対して何と言うだろうかという問いを扱ってはこなかったが、そこでもパウロは我々があちこちで聞くような恐れに満ちたつぶやきとは全く違った強壮なクリスチャンの誠実さで挑戦に直面するのを助けてくれるだろうと思う。

もちろん、パウロの福音は人々に対してパウロのあとに続く危険を引き受けるよう命じるであろう。クリスチャンが福音を宣べ伝えようとするなら、福音を生きることから免れることは期待すべきでない。


【コメント】(ここで「私」というのは、長田のことです。)

パウロの福音及び義認についての思想が、今日の教会と世界の状況に対して何を語りかけるかを取り上げた章です。ライトは、教会の中の保守派層から見ればかなりラディカルに見える一方で、世俗の世界に対しては、極めて保守的な発信を行っている一面があり、このような章を読むと、その両面が伺えます。

私としては、教会論寄りのライトの義認理解は、個人的救済論的の側面をあまりにも簡単に軽視しているように見えますし、「神とイスラエルとの間の契約は、全世界を救う神の手段となるよう常に意図されていた。」(163頁)以下の表現は、普遍救済主義と誤解されかねない表現のようにも思えます。しかしながら、ポスト・モダンと言われるこの時代に、世俗社会にあっても強力な発信力を持つライトの神学表現は、世界のキリスト教会に有益なものをももたらしているように思われます。

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パウロによる用語「キリスト」の含意―「メシア」「キリスト」の意味の歴史的変遷を踏まえて(その3)

2016-11-19 19:38:22 | 神学

第2節 パウロの手紙における用語「キリスト」の含意


第1節で調べたように、「メシア」「キリスト」は、歴史的経緯の中で多くの点でその意味合いを変えながら用いられてきました。それらを踏まえながら、パウロの手紙における用語「キリスト」について、再度考え直してみます。


1.パウロの手紙における用語「キリスト」の固有名詞的用法

まず、第1節の最後で見たように、パウロの手紙において「キリスト」は、極めて限られた例外を除き、冠詞なしで固有名詞的に用いられています。これは、パウロに限らず、他の新約聖書書簡の著者たちにおいても共通のことでした。本来、メシア称号としての「キリスト」用語が固有名詞的に用いられるようになった経緯については、第1節「8.初代教会によるメシア(キリスト)用法―使徒行伝において」で推測的に述べました。おそらくはそこで述べたような経緯の中で、「キリスト」の固有名詞的な用法は、ユダヤ人教会、異邦人教会の別なく行き渡っていたのではないでしょうか。そのような状況の中では、読者の中がほとんど異邦人クリスチャンであるような手紙においても、「キリスト」用語を固有名詞的に用いることに特に問題はなかったと思われます。


2.パウロの手紙における用語「キリスト」についてのライトの主張

ここで、今回の取り組みのきっかけとなったライトの指摘に戻ります。詳しい検討のために、該当部分を訳し直します。

"What St Paul Really Said"より(p51-52)
----------------
「キリスト」は名前ではなく称号である。それは初期キリスト教のどこかで名前(誰かについてを示すが、特別の含意のない)となった。そのユダヤ的意味は異邦人回心者によって忘れられた。同様に、「キリスト」は1世紀において、「神的存在」を意味しなかった。それもまた後の発展であった。(後に見るように、パウロはイエスを神的な方と考えた。しかし、「キリスト」という言葉は、そのような信仰を表現しなかっ」たし、恐らく表現し得なかった。)パウロにとって、「キリスト」は「メシア」を意味する。そして、「メシア」は、もちろん「油注がれた者」を意味する。このことが無視されるところでは、(学問的著作、一般的著作の両方でしばしば起こることだが)、かなり多くのパウロのフレーズが手に負えないほど不明瞭なのを見出したとしても驚くべきではない。

そのフレーズは、他の人々、たとえば祭司等のことを示し得た。しかし、1世紀ユダヤ教における主要な指示物は来るべき王であった。学者たちは当時の文学上の思索に基づいてメシアについてのユダヤ人の期待について書く。この過程においては、時々、「メシア」さえ、実際の1世紀の生活から離れて、「宗教的」何かを響かせることができる。我々は、主にヨセフスの文章から、イエス前後の百年の間に1ダースかそれ以上のメシア運動、あるいはメシア的運動があったことを知ることができる。もしパウロが語っていることについて理解したいなら、この雰囲気を吸い込む必要がある。彼はイエスが真の王であると信じていた。もちろん、期待されていない王ではある。来るべき王がすること、またその存在がどういうものであるかについての期待を含め、すべてを変える王である。しかし、それでもやはり真の王である。復活がそれを証明した。このことを思い起こさせるために、時には「イエスース・クリストス」を「イエス・キリスト」でなく、「メシアなるイエス」でさえなく、「王なるイエス」と訳すことも害はないであろう。
----------------

ここにライトが指摘しているところの多くはその通りであることを確認することができます。「キリスト」は本来称号であったのが途中名前になったという指摘、「メシア」について、「1世紀ユダヤ教においてその主要な指示物は来たるべき王であった」という指摘等です。

ただ、これまで見てきたところに対して違う見方を提示しているところがいくつかあります。

第一に、当時のユダヤ人が期待したメシアの宗教性についてです。ライトは、彼らのメシア観には宗教的な意味合いは実際にはなかったと考えているようです。これについては、全くなかったわけではないと考えます。もちろん、中心的だったのは、地上的な王、民族的な解放者としてのメシア概念が中心だったと思いますが、天的メシア概念が全くなかったとは言えないと思います。「学者たちは当時の文学上の思索に基づいてメシアについてのユダヤ人の期待について書く。」とあるのは、おそらく、既に見てきたようなユダヤ教諸文書、特に、「黙示的人の子」としてのメシア観を提示している諸文書のことを言っているのでしょう。これについては、確かにそのような諸文書が実際の1世紀ユダヤ人たちの生活の中にどれ程の影響を与えたかは、不明であることは事実です。ただ、合わせて、四福音書の記録を見る限りでは、彼らのメシア観が「ダビデの子孫―王」モチーフを中心として形成されつつも、「黙示的人の子」としてのメシア観を一切持たなかったとは言えないだろうと思います。(第1節5.(4)参照)

第二に、「時には『イエスース・クリストス』を『イエス・キリスト』でなく、『メシアなるイエス』でさえなく、『王なるイエス』と訳すことも害はないであろう」という点です。「このことを思い起こさせるために」とも書いています。「このこと」とは、「キリスト」が当時のユダヤ人たちのメシア観に従って言えば「王」を意味したのであり、パウロ自身もイエスを真の王であると信じていたことをさすように思われます。この二つのことはその通りであるのですが、だからといって、パウロの手紙で用いられている「イエスース・クリストス」を時々「王なるイエス」と訳すこともよし、とは言えないように思います。というのは、これまで見てきたように、パウロが手紙で用いている「イエスース・クリストス」は、明らかに固有名詞的に用いているので、「王なるイエス」と訳してしまうと、パウロ自身が手紙の執筆時には思いもしなかった含意を読みこんでしまう危険性があると思うからです。ライトは「『キリスト』は名前ではなく称号である。それは初期キリスト教のどこかで名前(誰かについてを示すが、特別の含意のない)となった。」と書くわけですが、パウロが手紙を執筆した時点では、「初期キリスト教のどこか」の時点を既に過ぎていたと思います。


3.パウロの手紙における用語「キリスト」の含意、すなわち、パウロのメシア観について

そうは言っても、パウロだけでなく、新約聖書の著者たちをはじめ、初代教会で、「キリスト」が固有名詞的に用いられた背景として、「キリスト」の本来の意味が考慮されていたことまで否定する必要はないだろうと思います。彼らの中の特にユダヤ人たちは、「キリスト」が当時のユダヤ人たちにとってどんな意味合いを持って理解されていたか、よく知っていました。また、ユダヤ人への宣教から異邦人への宣教へと、宣教の範囲が拡大するに伴い、この言葉の受け止められ方、また語られ方がどのように変わってきたかも知っていたはずです。そのような経緯を踏まえた上で、パウロを含む初代教会の指導者たちは、尊敬をもって「イエス・キリスト」という言葉を用いたはずです。

ただ、新約聖書書簡の著者は(あるいは福音書の著者も)、最終的には「(イエスース・)クリストス」を固有名詞的に用いました。その用語「キリスト」の意味合いの変化、進展は、これまで見てきたような複雑な経緯を経て進められてきたために、その手紙を執筆した時点で、その固有名詞的用語を用いることにより、そこにどんな含意を含ませて考えていたかは、知る由もありません。特に説明なしに固有名詞的に用いている限りでは、余りそこに多くの含意を読み込むことは、読み込み過ぎになる危険性が多いだろうと思います。

しかし、特定の書簡のどの箇所において、ということではなく、一般的な話として、当時の初代教会の中で、「キリスト」という言葉が本来どのような意味合いを持つ言葉として振り返られたかを推測することはできます。それはつまり、当時の初代教会において、冠詞付でメシア称号として用語「キリスト」が用いられた場合、それがどんな意味合いを持つものと考えられたか、すなわち、彼らのメシア観を問うことになります。


4.パウロのメシア観を問う手がかり

パウロのメシア観を問うた場合、書簡を調べても手がかりをつかむのには困難があります。というのも、書簡に現われるほとんどの「キリスト」用法は冠詞なしでの固有名詞的用法だからです。まずは、まれに見られる冠詞付き用法について調べてみます。

「(彼ら=ユダヤ人は)また父祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストもまた彼らから出られたのである。」(ローマ9:5)この箇所は、V.Taylorがパウロの唯一の称号的用法として認める箇所ですが、メシアがユダヤ人の中から出たという事実を表明しています。(注12)

「この岩はキリストにほかならない。」(第一コリント10:4)、「わたしたちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血にあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだにあずかることではないか。」(第一コリント10:16)、「なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前にあらわれ…」(第二コリント5:10)これらの箇所は別の学者たちが称号的意味が可能な箇所としてあげています。(注13)メシアが十字架に血を流し肉を裂いたこと、終末において裁きをなさる方であることを指摘しているものの、文脈上、これらは固有名詞的に使われたとしてもさして意味に変わりはなさそうでもあります。

そこで、もう少し深くパウロのメシア観を知るために、使徒行伝に記録されたパウロのユダヤ人宣教を調べてみます。先に調べたように、パウロのユダヤ人宣教の記録には、何度かメシアについての言及があります。何よりも、ユダヤ人に対する彼の宣教活動はしばしば、「イエスがメシアであることを論証する(説明する、証しする)」と要約されました(使徒9:22、17:3、18:5)。これは、ユダヤ人たちの持っていた来たるべきお方としてのメシアへの期待を前提として、「イエスこそがまさにそのメシアである」ということを、パウロが宣教内容の根底に据えたことを意味します。但し、それらの箇所は、宣教内容を要約的にまとめているので、パウロのメシア観の中身を詳細を知ることはできません。

他方、「キリスト」という言葉は出てきませんが、宣教内容が「ダビデの子孫―王」モチーフとの深い関わりの中でも語られた箇所があります(13:23、32-37)。これはピシデヤのアンテオケという場所で、ユダヤ人の会堂の中でなされたもので、かなり詳細な内容が記録されています。そこでは、他の使徒たち同様、メシアの死と復活の出来事が中心的なこととして語られました(使徒13:27-37)。また、復活によってその天的性質が証しされていることが強調されます(使徒13:36、37)。更に、その最初には「救い主」と呼ばれるお方であることが添えて語られてもいます(使徒13:23)。そして、結論部分ではメシアによって与えられる救い(罪の赦し、義とされること、永遠の命)の約束が語られました(使徒13:38、46-48)。この内容を見る限り、パウロのユダヤ人宣教は、ユダヤ人が持っていたメシアへの待望に応える形で、「イエスこそメシア」という基本線を持っていたこと、しかし、それは、ユダヤ人が持っていたような地上的・政治的・民族的解放者としての王ではなく、十字架に死に、復活し、天的なお方であることが証しされたお方であり、救い(罪の赦し、義とされること、永遠の命)を与える救い主であるとの内容であることが分かります。

使徒行伝は、ルカが異邦人読者を想定して書いたと考えられるため、編集内容においてある程度神学的な色合いが出た可能性も考える必要がありますが、基本的にはユダヤ人のメシア観を越えたお方としてのメシア像を伝えた様子が伺えます。

以上のような使徒行伝からの検討内容を参考にしながら、再度パウロの書簡を見ると、メシア称号としての用語「キリスト」の用例はまれですが、「ダビデの子孫-王」モチーフへの言及は認められることに気づきます。

第一の箇所は、ローマ1:3です。少し前後を含めて引用します。「この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。」(ローマ1:2-4)上記、ピシデヤのアンテオケにおける説教内容と類似した点を認めることは容易です。福音の中心にイエスがおられることを指摘しています。「肉によればダビデの子孫から生れ」は、「ダビデの子孫-王」モチーフとしてのメシアであることを示唆しているともとれます。そうでありながら、次の「聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた」という点も、使徒13:34、36、37の強調点と類似します。救いについての言及はこの箇所にはありませんが、その点については、ローマ1:16を起点として、ローマ書全体で展開されていくと見ることができます。

第二の箇所は、ローマ15:12です。「エッサイの根から芽が出て、異邦人を治めるために立ち上がる者が来る。異邦人は彼に望みを置くであろう。」「ダビデの子孫-王」モチーフを伴っているイザヤ11:10からの引用です。ローマ15:12の文脈は、ユダヤ人、異邦人が互いに受け入れるべきことを勧める箇所で、ユダヤ人と異邦人が共に主を礼拝するようになることを預言した数か所に続く引用です。すなわち、もともと「ダビデの子孫-王」として預言されたメシアは、ユダヤ人だけでなく異邦人を含むすべての者を治めるべきお方として預言されていたことを指摘し、このお方のもとで互いに受け入れ合うべきことを教えています。

第三の箇所は、第二テモテ2:8です。「ダビデの子孫として生れ、死人の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。」ここは、ピシデヤのアンテオケのメッセージや、ローマ1:2-4を極めて圧縮した内容になっています。イエスがダビデの子孫として生れたメシアであるが、死人の中からよみがえった天的なお方であって、「いつも思う」ことのできる今も生けるメシアであることを示唆しています。


5.他の新約聖書執筆者たちのメシア観―パウロのメシア観の更なる手がかりとして

ここで、パウロ以外の新約聖書著者たちのメシア観についても再度まとめてみたいと思います。と言いますのも、先にみたように、「キリスト」の固有名詞的用法の利用は、パウロに限らず、ほとんどすべての新約聖書著者に見られるもので、そこには一定程度の共通理解があったと考えられるからです。ナザレ人イエスを固有名詞的な用語(フレーズ)として「(イエス・)キリスト」と呼ぶことが広く初代教会のリーダーたちの間に行き渡っていたとすれば、そこに含まれる含意についてもある程度の共通理解があったと考えるのが自然です。特に、パウロは12使徒たちとも接点を持っていましたし、マルコやルカは伝道旅行で行動を共にした同労者でもありました。互いに語らい合う中で、「(イエス・)キリスト」という言葉を固有名詞的に用いてしばしば語り合ったことでしょう。そうする中では、そこに含意される「メシア観」についても、ある程度の共通理解があったと想像できます。

そこで、新約聖書著者たちの彼らのメシア観を要約してみたいと思います。第1節では、新約聖書における「キリスト」用法について、諸方面から調べましたが、それらを踏まえつつ、著者毎にまとめ直します。

まず、福音書記者たちは、当時のユダヤ人のメシア観をある程度描き出しました。それは、「ダビデの子孫-王」モチーフに結びついたメシア像であり、主にイスラエルを解放する地上的な王としてのメシア像が中心的なものでした。(一部には、「黙示的人の子」メシア観の影響か、天的メシアの観念も見受けられますが。)しかし、イエスはそのような彼らのメシア像を修正していかれました。苦しみを受け、死に、復活するというメシア像。地上的王を越えた天的存在としてのメシア像。そういう中で、イエスが多用された自称としての「人の子」は、常にではありませんが、時としてダニエル7章の黙示的「人の子」メシア、天的なメシアの意味合いをクローズアップさせたます。けれども同時にそのような天的メシア像を、苦難を受ける「主のしもべ」としてのメシア像に結び付けようとされました。そのような、メシア観を巡るイエスの言動を、四つの福音書の著者たちは、少しずつ色合いを変え、強調点を変えながらも、基本的には一様に描き出しました。そのような様を描き出すことによって、福音書記者たちは、自分たちのメシア観もまた、その線上にあることを示していると考えることができます。

マタイは、ユダヤ人として、ユダヤ人クリスチャンに対して福音書を書きました。そして、ユダヤ人にとって大きな意味を持ったはずのメシア観について、当時の人々の期待と同時に、イエスが上記のようなメシア観の修正を迫られた様子を描きました。彼が福音書を書いた際、核となるべき編集方針は、福音書に唯一見られる「キリスト」の固有名詞的用例の中に比較的明瞭に表われています(1:1)。すなわち、「アブラハムの子であるダビデの子」としてのイエス・キリストを描くことが彼の編集方針の柱でした。旧約聖書の引用を重ねながら、彼こそが約束のメシアであること、「ダビデの子孫-王」モチーフとしてのメシアでありながら、当時のユダヤ人のメシア観を越えたお方であることが彼の福音書の核となっていると言えます。

マルコは、同様にユダヤ人でしたが、おそらくはユダヤ人読者を含めつつも、異邦人クリスチャンを読者に想定しながら福音書を書いたようです。にもかかわらず、彼らはイエスがどのようなメシアとしてご自身を表わしたかについて、マタイと似通った描き方をしました。マルコの場合も、自分の福音書の中で唯一の固有名詞的「キリスト」用法の用例の中で彼の編集方針を表わすと同時に、彼のメシア観を表明していると考えられます。彼にとって、イエスは「神の子」としてのメシアでした。「ダビデの子孫-王」モチーフと結び付けられつつも、地上的王を越えた神的なお方であることを、福音書全体で証ししました。同時に、そのようなメシアは「神の国」の到来をもたらすお方でもあり、それが福音の中心でした。

ルカは、もともと異邦人でしたし、主に異邦人クリスチャンを想定して福音書を書きました。彼はまた、福音書だけでなく使徒行伝を書きました。二巻の書物を見るとき、マタイやマルコと同様にイエスがどのようなメシアとしてご自身を表わしたかを描いていますが、そこには多少の強調点が加わっているように思えます。すなわち、救い主としてのメシア像が比較的明瞭に表わされています。彼は第二巻において、パウロを含む初代教会の宣教の様子を描きました。そこでは、まずユダヤ人たちへの宣教内容として、「イエスがキリストである」ということが基本メッセージに据えられたことを明らかにします。しかし、そこで語られるメシア像は、イエスが示唆したのと同一線上にあるもので、「ダビデの子孫-王」モチーフとしての深い関わりの中で語られもしましたが、同時に、中心メッセージにはこのメシアが十字架に死に復活したのであり、それによって天的な存在であることを明らかにされたことが語られました。そして、このお方を通して、救い(罪の赦し、聖霊の授与、義とされること、永遠の命)が与えられることも語られました。そのようなことを記しながら、そのようにして描き出されたメシア像はルカ自身のメシア像でもあることを示していたと言えます。また、異邦人宣教の記録においては、「イエスがキリストである」という内容が触れられていないこと、異邦人読者を意識してか、他の共観福音書記者以上に、イエスがメシアであることを描く際には、同時に「救い主」としても描いていること等、ルカ自身は異邦人クリスチャンに対しては「メシア」=「救い主」として描くことがふさわしいと考えた形跡も伺えます。

ヨハネは、先の三人とはかなり違った角度から福音書を書きました。しかし、そこでも、イエスが示したメシア観が、当時のユダヤ人のものとはかなり違うことを明らかにした点については同様でした。イエスが用いた「人の子」称号については、共観福音書よりも少しばかり強く、メシア称号の色合いを強めて用いられたように描かれます。しかし、そこでの「人の子」は、絶えず栄光と苦難の両方に結び付けて語られた様子が描かれます。当時のユダヤ人たちが、「キリストは永遠に生きる」と考えていたことに対して、「人の子は上げられ、一粒の麦として死ぬ」ことを明確にされました。彼にとってのメシアは、命を与えるお方でした(ヨハネえる救い主としてのメシア像が、ヨハネ自身のメシア観の中に含まれていたと考えることが自然です。また、福音書の終結部分で、ヨハネは自分の福音書の執筆目的を明らかにします(20:31)。そこには、イエスがメシアであること、そのメシア像は神の子としてのメシア像であること、信じる者に命を与えるメシアであることを証ししようとする彼の目的が示されています。

更に、ヨハネは、三つの手紙と黙示録を書きました。彼の手紙には、書簡としては例外的となる冠詞付きメシア称号としての「キリスト」用法が二箇所あり、そこから彼のメシア観が浮かび上がります(第一ヨハネ2:22、5:1)。第一ヨハネ5:1は、5:5とも結びつき、合わせ考えると、神の子としてのメシア、また命を与え、神の子とする救い主としてのメシア像が比較的明瞭に浮かび上がります。

黙示録からは再び、「ダビデの子孫-王」モチーフと結びついたメシア像が浮かび上がります。もちろん、それは、地上的な王を越えた天的な存在としての王であり、神と共にあって終末的統治を行うお方としてのメシアです。また、「ユダ族のしし」とされるお方は、それ以上に「ほふられた小羊」としても描かれます。全体として、小羊として民を贖い、ダビデの子孫、ユダ族のししとして御国を統治されるというメシア像が浮かび上がります。

ヘブル人への手紙の著者は、書簡の著者の中では比較的メシア称号としてのキリストを用いたようですが、そこで描かれるメシア像は、神の本質を持つメシアであり、同時に天上の大祭司としてのメシアでした。

ペテロは、苦難と結びついたメシア、主また救い主としてのメシアを示しました。

新約聖書著者たちによって描き出されたメシア像は、様々な色合いや強調点を持ちつつも、重要な共通点を持ちます。十字架に死に、復活されたメシアであること。「ダビデの子孫-王」モチーフに結び付けられつつも、地上的王を越えて天的なメシアであること。救い(内容的には、罪の赦し、聖霊の授与、義とされる事、永遠の命、神の子とされること等、様々な色合いを持ちますが)を与えるメシアであること。救い主であることと王であること、救いを与えることと統治すること、苦難を受けることと栄光を受けることとが固く結びついたメシアであること、等です。


6.パウロのメシア観の特色―書簡の中での「ダビデの子孫-王」モチーフの利用

新約聖書著者たちのメシア観を振り返りながら、もう一度「4.」で見たパウロのメシア観と比較してみますと、明らかな共通性を見い出すことができます。「ダビデの子孫-王」モチーフと結び付けられたメシア像を、パウロは手紙の中で繰り返し明らかに示しています(ローマ1:3、ローマ15:12、第二テモテ2:8)。それは、単に地上的な王ではなく、復活によって天的な存在であることを証ししたメシア像でもあります(ローマ1:3、第二テモテ2:8)。また、使徒行伝の記録によれば、パウロはユダヤ人たちに対して、「ダビデの子孫-王」モチーフと結び付けられたメシア像を示しながらも(使徒13:23、32-37)、死んで復活されたメシアであること(使徒13:27-37)復活によってその天的性質が証しされていること(使徒13:36、37)、「救い主」とも呼ばれるお方であって(使徒13:23)、救い(罪の赦し、義とされること、永遠の命)を与えるお方であることが示されます(使徒13:38、46-48)。

そこには、他の新約聖書記者たちのメシア観との明らかな共通性があります。しかし同時に、パウロとしての特色が現われてもいます。彼は、「ダビデの子孫-王」モチーフと結びついたメシア観を示しました。これは、他の新約聖書記者たちと共通のことであったとは言え、書簡の中でそのことを示唆したことにおいては例外的なことでした。更に、パウロは、「ダビデの子孫-王」メシア観を示す3箇所の内、2箇所において、そのことを「福音」と結びつけました。

「この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。」(ローマ1:2-4)

「ダビデの子孫として生れ、死人の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。」第二テモテ2:8

他の書簡著者たちがどうして「ダビデの子孫-王」モチーフに触れていないのかは分かりませんが、異邦人クリスチャンを読者として想定した書簡の場合、そのようにすることが不要と感じられたのかもしれません。しかし、彼はユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンが混在したとみられるローマ教会に宛て、福音の全貌を明らかにしようとするその書簡の中で、あえて「ダビデの子孫-王」メシア観を示唆したことは注目されるべきことです。ここにパウロのメシア観の特色が表われているようにも思えます。


7.パウロがローマ人への手紙で「ダビデの子孫-王」モチーフを用いた理由

さて、パウロがローマ人への手紙の中で、「ダビデの子孫-王」モチーフを用いた第一の理由は、この手紙を書いた目的に、「ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャン」の問題への解決が含まれていたということです。この手紙の最後の方で、「互いに受け入れる」ということが命じられます(15:7)。その前には何を食べるかの問題で裁きあうことを戒めていますが(14章-15:6)、それは、ユダヤ人クリスチャンが問題にしやすいテーマでした。その後の部分には、ユダヤ人と異邦人が共に神を礼拝するようになるとの旧約聖書の約束が繰り返し引用されます(15:8-12)。おそらくは、ローマ教会においてユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンが「心を一つに」することが緊急の課題となっていたと思われます(15:6)。そして、おそらくは、この問題の解決のために、対症療法で済ませることよりも、彼らの信仰の土台となる福音理解を問題にすることにより、根本的な解決を図ったのがこの手紙であったと見ることができます。

そのための道筋として、まずは、ユダヤ人クリスチャンにとって中心的なこととして捉えられていたであろう「ダビデの子孫-王」モチーフと結びついたメシア観からその論を説き起こします。そうしながら、当時のユダヤ人のメシア観とは異なり、復活によって神的な存在として明らかにされたメシア観を示し、このようなメシアを示すことが福音の中心であると言います(1:2-4)。その上で、この福音が「ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である」ことを示唆します(1:16)。「神の義」、「信仰」「義」「命」といったキーワードとなる言葉を用いながら、このメシアがどのようにしてすべて信じる者に救を与えるお方となるのかを解き明かします。

ライトの主張を検討しながら、ローマ人への手紙を繰り返し読むことにより、新たに目に留まるようになったフレーズがあります。「ユダヤ人-ギリシヤ人」というフレーズです。1:16の他に、2:9、10、3:9、10:12と繰り返されます。これらのフレーズは、この手紙の全体の論旨を貫く形で現われます。重層的な「神の義」概念の内、まず「神の報復的義」が取り上げられます(1:8)。(注14)ここにおいて、「神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いる」(2:6)という「神の報復的義」について、ユダヤ人、異邦人の区別が指摘されます。「悪を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人も、患難と苦難とが与えられ、善を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、光栄とほまれと平安とが与えられる」と言います(2:9、10)。そして、この神の報復的義の前に、すべての者が罪の下にあることを明らかにします。「すると、どうなるのか。わたしたちには何かまさっところがあるのか。絶対にない。ユダヤ人もギリシヤ人も、ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘した。」(3:9)。このような状況下にあって、「神からの義」としての「神の義」が現されます(3:21)。「しかし今や、神の義が…現された」との宣言に続いて、「それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別はない。」と断言します。これは、文脈から考えても、ユダヤ人、ギリシヤ人、その他すべての人々において、「なんらの差別はない」と理解されます。続く4章では、アブラハム、ダビデが登場します。彼らもまた、「信仰が義と認められた」人々であったことが論じられます。こうして、信仰による義とそれがもたらす神にある新しい命が明らかにされていった後、もう一度、イスラエルの問題が取り上げられます。神の約束が変わらないことを確認しながらも、「イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではな(い)」(9:6)ことを指摘した上で、そこには神の主権に基づくあわれみが働いていることを告げた上で、「神は、このあわれみの器として、またわたしたちをも、ユダヤ人の中からだけではなく、異邦人の中からも召されたのである。」と言います(9:24)。続いて、異邦人をもご自身の民とする旧約聖書の約束を引用した後(9:25、26)、「自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる」と、救いの原理を宣言します。その際、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない。」との引用をし(イザヤ28:16)、続いて、「ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである」と付け加えます(10:12)。こうして見るときに、「ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも」全く同じ原理で救おうとする神のご計画が示されていることが分かります。

すなわち、ユダヤ人にとっては重要な意味を持つはずの「ダビデの子孫-王」モチーフと結び付けられたメシアとしてのイエスを示すところから始まりつつも、そのメシアが復活によって神的メシアであることが証しされたことの指摘から始まり、このメシアによる救いがユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に同じ原理に基づいて与えられることを一貫して論じている様を見ることができます。

しかも、手紙の最終部分、ローマ教会において実際問題として直面していた食事の問題を取り上げた後、異邦人も共に同じメシアを信じるようになるとのイザヤ11:10の言葉が引用されますが、この箇所こそは「ダビデの子孫-王」モチーフを含む箇所であって、「エッサイの根から芽が出て、異邦人を治めるために立ち上がる者が来る。異邦人は彼に望みをおくであろう。」(15:12)、「ダビデの子孫-王」としてのメシアは、最初から異邦人をも治めるべきメシアであったことが告げられます。

こうして、ローマ教会の中にあった「ユダヤ人クリスチャン-異邦人クリスチャン」の問題を前提にこの手紙を読むとき、「ダビデの子孫-王」モチーフがその最初と最後に現われているのが偶然のことではなく、手紙全体の論旨にとって必然のものであったことが分かります。


8.パウロのメシア観の原型としての「ダビデの子孫-王」メシア観

おそらく、ローマ人への手紙になぜ2回も「ダビデの子孫-王」モチーフが現われているのか、その理由は上記のことがメインかと思います。しかし、第二テモテ2:8と比較しながら考えるとき、もう一つの理由を考えることは不適当ではないと思えます。それは、ある面、パウロの個人的な理由です。彼は、言いました。「ダビデの子孫として生れ、死人の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。」ここでパウロは、「わたしの福音」と言いました。そこでは、先に見たように、他の新約聖書著者たちのメシア観と異なったメシア観が表われているわけではありません。しかし、「わたしの福音」と言ったとき、パウロにとっての特別な思いが込められていたのではないでしょうか。(ライトによれば)シャンマイト派パリサイ人として生きたタルソのサウロにとって、「ダビデの子孫-王」としてのメシア観は大きな意味を持っていました。もちろん、復活のイエスとの出会いを通して、そのメシア観は大きく変えられました。地上的、政治的な解放者を越えたお方、神の御子として証しされたメシアであることを認めざるを得ませんでした。そして、彼はそこから、ユダヤ人だけでなく、むしろ異邦人に対してもイエスの名を知らせる使徒として召されます(使徒9:15、22:21、26:17、18)。彼は、「ダビデの子孫として生れ、死人の中からよみがえったイエス・キリスト」が、ユダヤ人だけでなく異邦人を含むすべての民を救うメシアであることを告げる使徒として召された者であることを、終生自覚し続けました。地上での生涯を終えようとするとき、愛弟子テモテに伝えたく思ったのも、このメシア観であり、この福音でした。そこにはパウロの個人的な思いが込められると同時に、このお方を思いつつ、パウロと同じ苦難を共有しながら、同じの福音を語る生涯をテモテが引き継いでくれることを願ったのが、この時の言葉だったのではないでしょうか。


(注12)Ladd "A Theology of the New Testament" 前掲書p409

(注13)Ladd 前掲書p409

(注14)筆者ブログ「長田家の神戸便り」より、「"What St Paul Really Said"(その6‐2、コメント部分)」参照http://blog.goo.ne.jp/nagata-lee/e/ef6aaf6ad438b5a45fb5091381a1ff63


【参考文献】
ジョージ・エルドン・ラッド『終末論』(いのちのことば社、2015年)
『新聖書辞典』(いのちのことば社、1985年)
『新聖書注解』(いのちのことば社、1973年)
G.E.Ladd "A Theology of the New Testament"Eerdmans,1974
"The International Standard Bible Encyclopedia"Eerdmans,1986
"The Greek New Testament"United Bible Soceieties,1983

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パウロによる用語「キリスト」の含意―「メシア」「キリスト」の意味の歴史的変遷を踏まえて(その2)

2016-11-19 19:37:16 | 神学

第1節 「メシア-キリスト」の意味の歴史的変遷(続き)

6.イエスが提示するメシア観―四福音書において

当時のユダヤ人たちのこのようなメシア観を背景としながら、以下に、イエス自身がそれらをどう受け止め、どのようなメシア観を提示されたかを見ます。

(1)イエスをメシアとする人々の言葉をイエスは受け入れた

まず、イエスはご自身をメシアとする人々の言葉に対して、これらを否定せず、受け入れられました。

悪霊につかれた盲人をいやされたのを見た群衆が、「この人が、あるいはダビデの子ではあるまいか」と語り合うのに対して、パリサイ人が悪霊のかしらによる働きであるとの示唆を与えたとき、イエスはその可能性を否定されました(マタイ12:25)。その他、人々がイエスをメシアではないかと語り合ったとき、否定はされませんでした(ヨハネ7:26‐28)。また、奇跡を行うお方として人々がイエスに注目し始めたとき、助けを求める人々の呼びかけは、「ダビデの子よ」というものでしたが、そのような言葉をイエスは修正されないまま、その求めにお応えになりました(マタイ9:27、15:22、20:30)。更に、ペテロがイエスをメシアとして告白した時、イエスはそれを受け入れ、その告白の幸いなことを指摘されました(マタイ16:16、17)(注8)。エルサレム入城に際して、群衆がイエスを「主の御名によってきたる王」と呼んだとき、これらの群衆の声を批判的に語るパリサイ人に対してイエスは「この人たちが黙れば、石が叫ぶ」と言われました(ルカ19:39、40)。裁判の場での大祭司の質問「あなたは、おむべき者の子、キリストであるか」との質問に対して、イエスは、「わたしがそれである(エゴー・エイミ)」と答えておられます(マルコ14:62)。

(2)イエスはご自分をメシアとして語られた

また、イエスは人々がご自分をメシアとする言葉を受けいれられただけではなく、自らご自分をメシアとして語られました。但し、それは極めて限られた機会に、非常に注意深く語っておられる様子が伺えます。

まず、イエスは郷里ナザレにおいて、大変間接的な形ではありますが、ご自分をメシアと同一視した発言をされました。会堂でイザヤ書が手渡されたとき、イザヤ61:1、2を開き、朗読されます。この箇所は、「主のしもべ」モチーフと関連付けられることが可能な箇所であることは既に見ました。イエスは、朗読を終えられると、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と語られました(ルカ4:16-21)。これは、イエス自身によるメシア宣言とみなしてよい発言でした。しかし、当時のユダヤ人の中に「主のしもべ」モチーフがメシア預言として注目された形跡がないことから、このメシア宣言は非常に分かりにくい形で、言わば密かに行われたメシア宣言と言ってもよいのかもしれません。

もう一度は、サマリヤの女性に対してご自身こそがメシアであることを告げられました(ヨハネ4:25、26)。これは、一女性に対しての発言であり、しかもユダヤ人相手でなかったことの注目しておく必要があります。

更にもう一度は、目を開かれた盲人に対して語られました。後に詳しく見ますが、ご自身が「人の子」と呼ばれるメシア的存在であることを示唆されました(ヨハネ9:35)。これも間接的な言い方ですし、個人に対する言葉でもありましたから、公の発言とは言えませんが、確かにご自身をメシアとして認める発言でした。

(3)イエスはご自分がメシアであることを暗示する行動を取られた

イエスはその生涯において、何度かメシアであることを暗示する行動を取られました。

まず、イエスの公の働きの最初に、イエスはバプテスマのヨハネから洗礼を受けられました。この時、神の御霊が天からイエスの上にくだりました(マタイ3:16、マルコ1:10、ルカ3:22、ヨハネ1:32-34)。これはイエスご自身の行動というよりは、バプテスマを受けられたイエスに対する天の父のみわざとしての出来事であったかもしれませんが、このところから公の働きを始められたことは、イエスが「油注がれた者」としての自覚の中に働きを始められたことを意味すると言えます。ルカ4:14に「それからイエスは御霊の力に満ちあふれてガリラヤへ帰られると、そのうわさがその地方全体にひろまった」と記され、その直後、上に紹介したナザレの会堂でのイザヤ書朗読がなされました。「主の御霊がわたしに宿っている。…」「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」との言葉は、御霊の注ぎを受けられたこととメシアとしてのご自覚との間に深いつながりがあることを示唆すると言えます。

いわゆる受難週の初めの日、エルサレム入城においても、暗示的行動を取られました。ろばの子に乗っての入場がそれでした(マタイ21:7、マルコ11:7、ルカ19:35、ヨハネ12:14)。この行動は、「ダビデの子孫-王」モチーフが見られるゼカリヤ9:9を背景にしたものであるとの指摘を、福音書記者たちはしています(マタイ21:5、ヨハネ12:15)。これに対して、人々も「ダビデの子孫-王」メシアとしてイエスに向かって声を上げ、イエスもまたそれを受けいれられたことは既に見ました。

このように、イエスの公の働きの最初と最後に、明確なメシア的行動があったことは注目してよいことです。

(4)政治的な解放者としてイエスを王にしようとする動きに対してイエスは警戒された

次に、政治的な解放者としてイエスを王にしようとする動きに対しては、イエスはかなり明確に警戒の態度を示しておられます(ヨハネ6:15)。人々がイエスをメシアと呼ぶときに、否定もされない代わりに、明確な形で肯定もされなかったのはそのためと思われます(マタイ12:25、ヨハネ7:26-28)。また、ペテロがイエスをメシアとして告白した際、その告白を受け入れつつも、そのことを他の物たちに告げることを禁じられたのも、同様の理由と思われます(マルコ8:30)。

(5)当時のユダヤ人の「ダビデの子孫―王」メシア観に対してイエスは修正を迫られた

更に、「ダビデの子孫―王」としてのメシア観に対して、イエスが明確に修正を迫っておられる場面があります。いわゆる受難週の出来事として、人々との対話の中で、イエスは「あなたがたはキリストをどう思うか。だれの子なのか」と尋ねます。彼らが「ダビデの子です」と答えると、次のように言われます。「それではどうして、ダビデが御霊に感じてキリストを主と呼んでいるのか。すなわち『主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、わたしの右に座していなさい』。このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるなら、キリストはどうしてダビデの子であろうか」(マタイ22:43-45)。これまで見てきたところからすれば、イエスが「ダビデの子」としての「メシア」観を全面的に否定されたわけではないと思います。しかし、ここでは、メシアを単に「民族的解放者としてのダビデの子、地上的王」としてだけとらえる見方を退け、「神の右に座するお方」「主と呼ばれるべきお方」としてとらえ直すよう迫っておられます。関連して、ヨハネによる福音書では、ピラトとイエスとの対話が「王としてのイエス」についてを主題としてなされたことが記録されます。その中で、イエスは「わたしの国はこの世のものではない。」ということを言われ、単なる民族的解放者としての王ではないことを明らかにしておられます(ヨハネ18:36)。

(6)イエスはメシアが死に、復活することを教えた

また、イエスは弟子たちに対してメシアが苦しみを受け、死に、復活すべきことを繰り返し教えておられます。この点で最も大切な出来事はやはり、ペテロの信仰告白でしょう。「あなたこそ、生ける神の子キリストです」(マタイ16:16)との信仰告白が、どのような内実を含むものであったかは、議論の余地のあるところですが、単に政治的・地上的王としてのメシア理解を越え、天的メシアとしての認識を含み持つものだったと考えられます。ところが、このようなペテロの信仰告白を受けた直後から、受難の予告が始まります。「この時から、イエス・キリストは自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた」(マタイ16:21)。これに対するペテロの反応を見れば、イエスから「幸いだ」と言われた信仰告白をなしえたペテロさえも、そのメシア観の中にそのようなことは予期されていなかったことが伺えます(マタイ16:22)。イエスは、ご自身が受難と復活に進もうとすることへのペテロの反発の言葉を厳しく退けたばかりでなく、その後も弟子たちに対して同様の予告が繰り返されます(マタイ17:22、23、20:18、19。マルコ、ルカも同様。)弟子たちはその真意を受け止めかねた様子が以下のように記されています。「しかし、彼らはなんのことかわからなかった。それが彼らに隠されていて、悟ることができなかったのである。また彼らはそのことについて尋ねるのを恐れていた。」(ルカ9:45)。

そういう中で、ゼベダイの子らの母のイエスに対する求めに続くやり取りも注目されます(マタイ20:20-28、マルコ10:35-45)。ここでは、弟子たちの間に「ダビデの子孫―王」及び「黙示的人の子」としてのメシア観があったことが示唆されていますが、苦しみを受け死ぬ「主のしもべ」としてのメシア観は見当たりません。それに対して、イエスは「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」と言われ、権力をふるう生き方から仕える生き方への転換を示されます。このことは、イエスが贖いの死という道を通ってメシアとしての使命を果たそうとしておられることを示唆するように思えます。

弟子たちのメシア観が「ダビデの子孫―王」としてのメシア観にとどまっているという状況は、イエスの復活直後にもそれほど変わらず、エマオ途上にて、二人の弟子たちがイエスとは知らずにイエスご自身について語ったとき、「わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました」と、イエスに対して「ダビデ子孫―王」メシアとしての期待をかけていたことを告げています。その一方で、彼らは十字架につけられ死んだことを嘆くと共に、婦人たちが伝えたイエス復活を告げる天使の言葉を受け入れ兼ねている様子が描かれています。これに対して、イエスは、「キリストは苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったか」と言われ、聖書全体にわたって解き明かしておられます(ルカ24:13-27)。その後、エルサレムで11弟子たちの前に姿を現わされた際にも、聖書について、「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。」と語られます。続いて、「そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる」とも言われます(ルカ24:46、47)。ここでは、罪のゆるしの福音の前提としてのメシアの受苦と復活であることを明らかにしておられるように思えます。

(7)イエスは「人の子」称号を多用された

イエスのメシア理解との関連でもう一つ大切な点としては、イエスがご自身について「人の子」という称号を多用されたことです。この「人の子」称号については、主として4種類の理解があるようです。(a)受肉した神の子の謙りについて言及したフレーズとしての理解(教会教父たち、その他)、(b)旧約聖書における「人」を意味する「人の子」用法を背景としたメシア称号としての理解(G・ダルマン他。民数記23:19、詩篇144:3参照)、(c)単に一人称の代わりとして用いられたとの理解(R.Leivestad)、そして、(d)ダニエル書の「人の子」フレーズ以降の「黙示的人の子」としてのメシア観を背景としているとの理解(モーヴィンケル、ラッド、他)。(注9)

この点についての詳細な研究に立ち入る余裕は今回ありませんが、当面の暫定的見解としてまとめてみます。共観福音書とヨハネによる福音書で分けて検討します。

a.共観福音書

まず、マタイ5:11とルカ6:22、マタイ16:21とマルコ8:31との比較により、福音書著者たちは、イエスが「人の子」と言われた場面で、「私」「自分」と言い換えてもよいと感じていたと理解できます。また、弟子たちに対するイエスのご質問「人々は人の子をだれと言っているか」は、文脈から明らかに「人々は人の子をだれと言っているか」と理解されます。もしそこに、「人の子」呼称に何らかのメシア思想を関わらせていたと考えると、文脈が破たんしてしまいます。おそらくは、(a)(b)(d)を背景としつつ、自称としてイエスが選んだ称号が「人の子」であったのではないでしょうか(すなわち、c)。「人の子」概念は特にダニエル7章以降の「黙示的人の子」としてのメシア理解を背景として大変深遠であるので、イエスがその自称を用いたことにより、暗に何を示そうとしておられたか、ある程度留意する必要があると思います。ただ、その点についてとくに明確な説明をしておられない以上、イエスが頻繁にこの自称を用いる度毎に、「黙示的人の子」メシアとしてのご自身を示そうとされたと理解することは行き過ぎであるように思われます。むしろ、そのことは多くの場合、暗に意図されていたに過ぎず、聞く人々に直接伝えようとされていたわけではなかったように思われます。ただ、いくつかの箇所では、「人の子」称号が特に「黙示的人の子」メシア観との関わりを暗に示唆していたことがクローズアップされてくる場面がある、ということではないでしょうか。(すなわち、特に(c)をベースにしつつ、(a)(b)も含み理解しながらも(d)を重点的に考慮する理解です。)

「黙示的人の子」メシア観がクローズアップされてくる一つ目の箇所は、やはりペテロの信仰告白後の受難予告の箇所です。先にも指摘したように、マルコ8:31において、受難予告は「人の子は必ず多くの苦しみを受け・・・」と始まります。この箇所がマタイ16:21では、「イエス・キリストは、自分が必ず・・・」と言い変えられていますから、ここでの「人の子」は一義的には「私」の代わりとして用いられたことになります。しかし、ペテロがイエスについて単に地上的・政治的メシアを越えたお方、すなわち、「生ける神の子キリストです」と告白した直後からの受難予告であることは、既に見てきたように、弟子たちのメシア観に新しい要素を加えようとしておられるように思えます。そして、更に後に、「人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来る」「人の子が御国の力をもって来る」と言われたことは、まさに「黙示的メシア」としての「人の子」であることを示唆されているように思われます。すなわち、この一連の言葉をとおして、弟子たちのメシア観念を大きく広げると共に、ここでは、ダニエル書以降の「黙示的人の子」としてのメシア観を受苦的メシア「主のしもべ」としてのメシア観と結合させようとしておられると受け取ることが可能です。

もう一つの箇所は、裁判の場での大祭司とのやりとりです。「あなたは神の子(マルコでは、「ほむべき者の子」キリストなのかどうか、生ける神に誓ってわれわれに答えよ。」(マタイ26:63)これに対して、イエスは「あなたの言うとおりである。」と答えられた後、続いて言われます。「しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう。」(マタイ26:64)。ここまでイエスは公けにご自分をメシアとして明言することには極めて控え目であったにもかかわらず、ここでイエスはメシアとしての自己認識を明確にされました。しかも、そこには、「神の子(ほむべき者の子)」と、天的な存在としての表現が付加されていたにも関わらず、その点を含めての肯定でした。そして、続いての証言により、ご自身がダニエル7章で言及された天的人の子としてのメシアであることさえ明らかにされました。この時の状況を考えると、そのように言われることがどんな結果をもたらすか、よく御承知の上でのことだったはずです。それによってイエスは、天的黙示的人の子としてのメシアであるご自身が、そのことをこの時のタイミングで明らかにされることにより、「主のしもべ」としての受難に向かおうとされたと理解することができます。

b.ヨハネによる福音書

なお、「人の子」についてのこれまでの検討は、共観福音書の範囲内で行いました。ヨハネによる福音書においては、重なる部分を持ちつつも、少し違った様相も見い出せます。ヨハネによる福音書で「人の子」フレーズが用いられている箇所は、比較的わずかで、1:51、3:13-14、5:27、6:27、53、62、8:28、9:35、12:23、34、13:31-32です。基本的に、イエスは自称として「私」の代わりに「人の子」を用いたということは、共観福音書の証言の他、ヨハネ6:53と6:54の比較などからも明らかです。

しかし、ヨハネ福音書の用例の中には、必ずしも「自称」とは言えないものを見出すことができます。一つ目は、5:27です。「子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。」前後関係を見ると、ここでは、「子」が自称として用いられていることがわかります。そうであれば、「人の子」は自称ではなく、ご自身が「人の子と呼ばれるメシア」であって、その故に、御父が子にさばきを行う権威をお与えになったことを示唆しているものと理解できます。2つ目は、9:35です(但し異読あり)。目を開かれた盲人が再びイエスと出会った場面で、イエスが問われます。「あなたは人の子を信じるか」。すると、彼は、「主よ、それはどなたですか。そのかたを信じたいのですが。」と答えます。ここで盲人は、イエスが用いられた「人の子」をメシア的存在として受け止めたように見えます。これに対してイエスは、「あなたは、もうその人に会っている。今あなたと話しているのが、その人である」と言って、ご自身が「人の子」と呼ばれるメシア的存在であることを示唆しています。

従って、共観福音書の「人の子」理解の検討で挙げた四つの理解で言えば、ヨハネによる福音書は、(c)の用法をベースとしつつも、(d)の用法がより色濃く現われてきていると考えられます。

そのように理解した上で、ヨハネによる福音書での「人の子」用例を調べてみると、栄光と苦難の両方に結びついているという特徴を見出すことができます(1:51、3:13-14、5:27、6:53、62、8:28、12:23、13:31-32)。特に特徴的なのが、「人の子が上げられる」という表現と「栄光」との結び付きです。一義的には、「上げられる」は死を意味していると見られますが、それ自体が栄光を受けることと結び付けられています(ヨハネ3:14、12:23、32、33、13:31、32)。

これらのことを踏まえつつ、特に興味深い用例がヨハネ12:23-34です。既に調べたように、この箇所は、当時のユダヤ人の間に、「人の子」メシアの概念があったことを示唆する箇所ですが、同時に、イエスは彼らの「人の子」メシア概念を広げようとしておられるように見えます。まずイエスは、「人の子が栄光を受ける時が来た。よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちてしななければ・・・」とご自分の贖罪的死を予告されます(ヨハネ12:23、24)。続いて、「今こそこの世の君は追い出されるであろう。そして、わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう」と言われます(ヨハネ12:32)。これに対して群衆はイエスに次のように尋ねます。「わたしたたちは律法によって、キリストはいつまでも生きておいでになるのだ、と聞いていました。それだのに、どうして人の子は上げられねばならないと、言われるのですか。その人の子とは、だれのことですか。」(ヨハネ12:34)。ここで人々が「どうして人の子は上げられなければならないと、言われるのですか」と尋ねていることについては、いくつかの理解が可能です。イエスが度々「人の子」を自称として用いておられたことを受けて、人々がイエスの「わたし」を「人の子」と言い換えたとする理解。実際にはこの時、イエスは「人の子」を使用したのに、著者ヨハネがそれを「わたし」と言い換えたとする理解。イエスが以前に「人の子は挙げられなければならない」と何度か語っていたのを聞いていたことをさしているとする理解(ヨハネ3:14、8:28)、更に、ここで群衆は「人の子」をイエスの自称として用いているのではなく、「人の子メシア」について問うているとする理解。続く質問「その人の子とは、だれのことですか。」についても、いくつかの理解が可能です。「人の子」をイエスの自称として理解した上で、「だれのことですか」を、イエスのメシアとしてのご性質を問うものとする理解、「人の子」をイエスの自称でなく、「人の子」メシアとして理解した上で、それがイエスであるのか、また別の人物であるのかを問うているとする理解。いずれが妥当な理解であるのか決しかねますが、おそらく群衆は「人の子」を基本的にイエスが自称として用いていることを理解した上で、その「黙示的人の子」メシアとしてのニュアンスを問題にしたのではないでしょうか。それゆえに、「人の子が栄光を受ける時がきた。・・・一粒の麦が地に落ちて死ななければ・・・」、「わたしがこの地から上げられなければならない」と言われたイエスの言葉を理解することができず、混乱した状況に陥ったと見られます。彼らのメシア観、また人の子理解の中には、「死ぬ」ということが含まれていなかったことが分かります。しかし、まさにここでイエスは彼らのそのようなメシア観、「人の子」理解を変えようとしておられると見ることができます。


7.初代教会におけるメシア(キリスト)用法―四福音書著者において

これまでに、四福音書の記述から、イエス当時のユダヤ人のメシア観及びイエスご自身が提示されたメシア観を見てきました。それ以外に、見逃されやすい部分ですが、福音書記事の中には福音書記者自身による「キリスト」用法も見出されます。

たとえば、ヨハネは福音書を書いた目的について次のように記します。「しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである」(ヨハネ20:31)。ヨハネの福音書における「キリスト」用法は数が限られてはいますが、その意味合いについては以下の点を考慮する必要があります。まず、当時のユダヤ人の間にあったメシア理解の揺らぎの中で(7:26、27、31、12:34)、イエスは政治的王とは異なる存在として(6:15、18:36)、天的でありながら十字架に上げられ死ぬべき存在として(3:13、14、12:23、24、32)、ご自身を示し、またメシアを示そうとしておられること、更に、サマリヤの人々がキリストと救い主とを相互に交換可能な言葉として用いているのをそのまま記録していること等です(ヨハネ4:29、42)。これらを踏まえつつ、最初に挙げたヨハネ20:31の「キリスト」の意味合いを考えると、まずは神的なお方、「神の子」と呼ばれるメシアを明確にしています。更に「そう信じて、イエスの名によって命を得るためである」と続いているところから、命を与えるお方としてのメシアを示唆しています。

また、もう一つ注目されるのは、「キリスト」という言葉がメシア称号としてでなく、冠詞なしで、明らかに固有名詞的に用いられているケースです。そのような例が三つの福音書に一箇所ずつあります。「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図」(マタイ1:1)、「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」(マルコ1:1)、「律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。」(ヨハネ1:17)。いずれも明らかに、福音書記者による編集的文章に当たる部分です。これ以外の箇所ではほとんど冠詞つきで「キリスト」が用いられており、メシア称号として用いられていることを踏まえると(例外としては、マルコ9:41、ルカ2:11、ヨハネ17:3等で、これらは一部固有名詞的に用いられた可能性もあり。)、福音書記者たちが、イエスや他のユダヤ人たちが用いたメシア称号としてのキリスト(冠詞なし)と、固有名詞的な用法としての「キリスト」(冠詞あり)をかなり厳密に使い分けていたと理解することができます。

更に、この点についての考察を深めていくと、それぞれの福音書の中で唯一の固有名詞的用法が、編集的文章として、しかもそれぞれの福音書のほとんど冒頭部分に現われているということは、各福音書における「イエス・キリスト」論を要約している可能性が高いということが言えます。実際、内容的に考えてもそう判断するのが妥当ではないでしょうか。

マタイの場合、「アブラハムの子であるダビデの子」としてのイエス・キリストを描くことが、マタイにとっての編集方針の柱となったことはほぼ確実でしょう。旧約聖書の引用が多いこと、また「ダビデの子孫-王」モチーフとしてのメシア観(その修正も含めて)が彼の福音書の核となっていると言えそうです。

同様に、マルコの場合、「イエス・キリストは神の子」ということが重要点であったことになります(3:11、5:7、14:61、15:39)。この称号は、メシアと無関係というわけではなく、詩篇2:2-9等を見れば、本来旧約聖書の中で関連付けられていることが分かります。すなわち、「イエス・キリストは神の子」ということは、イエスが「ダビデの子孫-王」モチーフに結び付けられるメシアであったとしても、単に地上的・政治的王ではなく、天的なお方、「神の子」であるというメッセージが示されているように思います。更に、「神の子イエス・キリストの福音」と続きます。このメシアは、福音をもたらすお方であり、福音の中心でもあります。この福音の内容については、直後のマルコ1:14、15で明らかにされます。「時は満ちた、神の国は近づいた」というのが福音の中心です。「ダビデの子孫-王」であり「神の子」であるお方が地に現われたので、「時は満ちた、神の国は近づいた」という福音が地にもたらされます。「神の国」は、神の統治を中心概念とします。やがてこのお方の死と復活によって、「神の国」はすべての人々に差し出されようとします。この福音は、応答として「悔い改め」と「信仰」を要求します。この冒頭部分に、彼の福音書全体のメッセージが要約されています。

ヨハネの場合、固有名詞的用法は、福音書の序文的部分の中の最後に現われます。従って、1:1-18全体が、ヨハネ福音書の要約と言うことができます。そこには、永遠なる神の子としての神的メシア、命を与える光としてのメシア、神でありながら肉体となったメシアが示されます。そして、このお方を受けいれた者は、神の子となり、神によって生まれることを示します。また、このお方の内に、栄光があり、めぐみとまこととが満ちていると示します。

最後に、ルカの神学的強調ということにも目を留めておきたいと思います。福音書から当時のユダヤ人のメシア観について調べた際、それが「ダビデの子孫―王」モチーフを中心としつつも、同時に「救い主」とも呼ばれ得た様子を確認しました。その内の一箇所は、上記ヨハネ4章ですが、それ以外の箇所はいずれもルカによる福音書でした(ルカ1:69、74、77、2:11、2:25、26、30、3:15)。私としては、これらの記録が実際の発言内容を反映した表現と考えたく思いますが、「ダビデの子孫―王」モチーフと「救い主」「救い」とを関わらせているものが他の福音書には見られないところから、ルカの神学的強調点が現われているという見方も出てきそうです。例えば、ルカによる福音書に現われる4箇所の「救主」は、いずれも本来、「メシア」とするべきところなのかもしれません(ルカ1:47、2:11、2:26、3:15)。その場合、ルカ2:11、イエス誕生時の天使の知らせの部分、「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである」(ルカ2:11)とあり、後半の「キリスト」と重複するようですが、この箇所の「キリスト」は冠詞なしです。従って、「この方こそ主なるキリストである」の部分を、ルカによる編集的挿入と考えることも可能です。(注10)この場合、ルカは福音書の読者として異邦人クリスチャンを装丁していたため、「メシア」を「救い主」と表現することが妥当だと判断したことになります。もしそうではなく、これらの表現が実際の発言内容を反映したものだとすると、ルカ以外の福音書に同様の箇所が見当たらないのは、資料の取捨選択の結果と考えることができます。そうした場合も、異邦人読者を想定してルカが福音書を書いた故に、異邦人には本来意味のない用語としての「キリスト」を「救い主」として提示するべく、それらの記録をあえて福音書に含めたと考えることができます。いずれにしても、ルカ自身のメシア理解が垣間見えていることになります。


8.初代教会によるメシア(キリスト)用法―使徒行伝において

次に、使徒行伝を通して、初代教会がメシア(キリスト)という言葉をどのように用いたかを見ます。

まず、使徒1章では、復活の主に対しての弟子たちの言葉が記されます。「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」(1:6)。この言葉には、弟子たちのメシア観がなお、ユダヤ人一般のメシア観に沿うものであることが表われています。この言葉に対するイエスのお答えは、それを否定するものではありませんでした。「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない」。但し、それに続くお言葉が聖霊による世界宣教開始の約束であったことは、イエスがメシアであることと宣教との深いつながりを示唆するものと言えそうです。

使徒行伝前半、弟子たちの宣教はまずユダヤ人仲間に対するものでした。そのメッセージの中心は、「イエスは主、またキリスト」というものでした(使徒2:36、3:20、5:42)。そこには、このキリスト(メシア)が苦しみを受け、死なれ、よみがえられたというメッセージが伴いました(使徒2:23-36、3:14-15、18、4:10、5:31)。そのメッセージは「ダビデの子孫―王」モチーフとの深い関わりの中で語られましたが(2:30)、その復活昇天によってダビデ自身との本質的差異が証しされていることを告げるものでもありました(使徒2:29-35)。また、このお方の死と復活によって罪の赦し、聖霊の授与、救いへの道が開かれたという告知も伴っていました(使徒2:28-40、3:19、26、4:12、5:30)。

そのような中、イエスに対する呼称として、「イエス・キリスト」という呼称が現われます(使徒2:38、3:6、4:10、8:12、10:36、15:26、16:18、28:30)。ルカによる福音書でも、メシア称号としての「キリスト」にはほとんど冠詞がついていましたが、これらの用例での「キリスト」には冠詞がつきません。また、注目すべきことは、上記のほとんどのケースが「イエス・キリストの名」というフレーズとして用いられていることです。おそらく、その起点となったのは、最初の用例である使徒2:38で、ペテロが聖霊に満たされ語った「イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい」という言葉ではなかったかと推測されます。それ以降、バプテスマにおいてだけでなく、祈りにおいてや、悪霊を追い出す際にも「イエス・キリストの名」というフレーズが定着していったものと思われます。そして、おそらくはこれを契機として、「キリスト」が冠詞なしで固有名詞的に用いられることが広がっていったのでしょう。アンテオケ教会で弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになったのも、固有名詞的「キリスト」用法の定着を背景にしたものと考えられます。(注11)

さて、そういう中で、パリサイ人、タルソのサウロの回心の出来事が起こります。その直後から開始されたパウロの宣教活動については、当初ユダヤ人を対象としたものでした。「サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた」と紹介されています(使徒9:22)。その後のユダヤ人たちに対する宣教の中心にも、「イエスがメシアである」という同じメッセージが据えられていました(使徒17:3、18:5)。そのメッセージには「ダビデの子孫―王」モチーフとの関わりの中でも語られることもありましたが(13:23、32-37)、他の使徒たち同様、メシアの死と復活の出来事が中心的なこととして語られました(使徒13:27-37)。また、復活によってその天的性質が証しされていることが強調されます(使徒13:36、37)。更に、その最初には「救い主」と呼ばれるお方であることが添えて語られてもいます(使徒13:23)。そして、結論部分ではメシアによって与えられる救い(罪の赦し、義とされること、永遠の命)の約束が語られました(使徒13:38、46-48)。

他方、パウロのユダヤ人宣教に対して、ユダヤ人が拒否の姿勢を明らかにすると、その度にパウロは異邦人宣教に向かいます。パウロの異邦人聴衆に対する説教において「メシア」「キリスト」という表現を見い出せないということは、当然の面もありますが、注目しておく必要があります(14:15-17、17:22-31)。異邦人宣教において、「キリスト」用語が用いられた可能性を示す箇所としては、ユダヤ人だけでなく異邦人に対してもなされた様子のローマでの宣教について、「神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」と言われている箇所が挙げられるのみです(使徒28:31)。これ自体では、ローマでの宣教において、「キリスト」という言葉がどのように用いられたか断定することはできませんが、ローマ人への手紙において「キリスト」が多用されていることを踏まえれば、パウロのローマでの宣教における「キリスト」使用はユダヤ人、異邦人含めて行われたであろうと推測できます。しかし、パウロの手紙での用法同様、ここでの「キリスト」は冠詞なしであり、既に述べたように、「イエス・キリスト」というフレーズでの固有名詞的用法の線上にあります。従って、異邦人宣教においては、「キリスト」はメシア称号としてでなく、固有名詞的に用いられたであろうことが推測されます。

最後に、これまで調べたところを踏まえつつ、初代教会における「キリスト」の固有名詞的用法について考えてみます。初代教会の中でメシア的称号としての「キリスト」(多くの場合冠詞付)用法から、固有名詞的な「キリスト」用法への移行がどのように起こったかについては、使徒行伝以外にはほとんど資料がありません。後で見ますように、パウロその他の新約聖書著者も、改めてその点に触れて説明してはいません。使徒行伝においても、改めてその点を説明している箇所があるわけではなく、両方の用法の事例が説明なしに記録されているだけです。ただ、「キリスト(油注がれた者)」という言葉は、異邦人世界においてほとんど意味不明の言葉として受け止められるであろうことを考え合わせると、それはある面、自然なことであったかと思われます。当時のユダヤ人たちの間に「イエス」と名のつく者は他にも沢山いたであろうことを思えば、何らかの称号を加えて、他と区別する必要もありました。実際、使徒行伝の中では、「主イエス」というフレーズや(使徒1:21、11:20、16:31、19:13)、「ナザレ人イエス」というフレーズも(使徒2:22、6:14、10:36、22:8、26:9)相当数みかけますが、何らかの含意を持ちつつも、そこには他のイエスと区別するという同様の事情もあったと思われます。そして、既に見たように、ペンテコステの日のペテロの説教に始り、「イエス・キリストの名」というフレーズが用いられたことを契機として、「キリスト」用語の固有名詞的用法が広がっていったものと思われます。一旦、固有名詞的用法が定着した後には、本来、「キリスト」の含意を知る由もない異邦人たちに対しても、「キリスト」「イエス・キリスト」といった用語・フレーズを用いて宣教や教育がなされていくこともまた、自然な成り行きであったのではないでしょうか。


9.初代教会における「キリスト」用法―書簡において

パウロの手紙だけでなく、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、ユダの手紙、それにヘブル人への手紙も、「キリスト」という言葉を極めて多くの箇所で記しています。

これらの書簡を福音書と比較してすぐ明らかになることがあります。福音書では、ほとんどの場合、冠詞付で用いられるのに対して、書簡では、ほとんどの場合、冠詞なしで用いられています。先ほど調べたように、福音書においては、冠詞なしで固有名詞的に用いられる「キリスト」用法と、冠詞付でメシア称号として用いられる「キリスト」用法とがかなり厳密に区別されています。この点を踏まえると、書簡での「キリスト」用法は、ほとんどの場合、メシア称号としてでなく、固有名詞的に用いられていると考えることができます。パウロの手紙の中に、冠詞付の用法もないわけではありませんが、極めて例外的です(ローマ9:5、第一コリント10:4、16、第二コリント5:10)。パウロにおける用語「キリスト」の詳細な用法と、そこに含まれる含意については、改めて第2節で取り扱います。ここでは、他の著者たちの「キリスト」用法を調べていきます。


ヘブル人への手紙では、「キリスト」が冠詞付のものも数箇所あります(3:14、5:5、6:1、9:28)。これらの用法は、冠詞なしの「キリスト」用法と混在しており、特別な区別なく使われているように見えます。読者がユダヤ人クリスチャンであることから、イエスこそがメシアであることをある程度意識しながら、あえて両方の用法を混在させながら書いた可能性もあります。そうだとすると、この手紙で示されるキリスト論全体が著者のメシア観を表していることになります。神の本質を持つお方(1:3)、天上の大祭司なるお方(4:14-10:22)としてのメシア観がそこには表わされます。

ヤコブは、用語「キリスト」の用法に関しては、「イエス・キリスト」というフレーズを固有名詞的に2回用いるのみです。

ペテロは、冠詞付「キリスト」を第一ペテロ3:15、4:13、5:1で用いています。後ろの2箇所は苦しみと結び付けられており、ペテロとしては、イエスが苦難を受けたメシアであることを意識していたのかもしれません。二つの手紙にはいずれも、「イエス・キリスト」というフレーズが比較的多いのですが、特に第二ペテロでは、「救主イエス・キリスト」(1:1、11)、「主イエス・キリスト」(1:8、14、16)、「主また救主(なる)イエス・キリスト」(2:20、3:18)との表現が見られ、イエス・キリストが救い主であり主であるとのメッセージが明確です。

ヨハネの手紙では、明らかなメシア称号用法(冠詞付)があります(第一2:22、5:1)。新約聖書中の書簡において、メシア称号としての「キリスト」用法の明確な用例が極めて限られている中では、このヨハネ第一の手紙の二つの用例は重要です。これら二つの用例は「イエスのキリストであること」を問題にしている点で類似しています。また、第一ヨハネ5:1は、「イエスがキリストであると信じる」ことの結果を問題にしている点で、ヨハネ20:31とも類似しています。ヨハネ20:31はヨハネ福音書の書かれた目的を記すものですので、この三つの用例は、福音書及び手紙の中で極めて重要な内容と結びついていることが分かります。また、ヨハネによる福音書でも冠詞付メシア称号としての用法と冠詞なしの固有名詞的用法とが区別されていたところから、冠詞付メシア称号としての用法と冠詞なし固有名詞的用法とが、ヨハネ福音書及びヨハネの手紙で統一的に区別されていると考えることができます。そうであれば、この三つの用例においてヨハネのメシア観が明確に表わされていると考えることができます。すなわち、「イエスがキリストである」と信じるか否かによって、「命を得る」か否か、「神から生れた者」であるか「偽り物」であるかが決まるということです。ヨハネの手紙の中にこのような形でメシア称号としての「キリスト」用法が用いられたことを考えると、この読者の中にユダヤ人が相当数含まれており、「イエスがキリストである」ということが深い意味をもって受け止められ得たと推測することも可能です。また、第一ヨハネ5:1「イエスのキリストであることを信じる者」と第一ヨハネ5:5「イエスを神の子と信じる者」を比較すると、ヨハネは、メシア称号としての「キリスト」を「神の子」と相互交換可能と考えた可能性があります。ペテロの「主イエス・キリスト」「救主イエス・キリスト」フレーズに対して、ヨハネでは、「神の子(御子)イエス・キリスト」(3:23)との表現が特徴的ですし、「キリスト」「主イエス」等と共に、単にイエスを「御子」と表現している箇所が多いのも特徴的です。また、「父が御子を世の救主としておつかわしになった」(5:21)という表現は、ヨハネがメシアを「世の救主」と呼ぶことも可能と考えた可能性を示唆します。

ユダの手紙では、用語「キリスト」は、固有名詞的に、「イエス・キリスト」というフレーズの形でのみ用いられます。その内、「わたしたちの主(である)イエス・キリスト」というフレーズが3回もちいられており、特徴的です(4、17、21)。


10.初代教会における「キリスト」用法―ヨハネの黙示録において

ヨハネの黙示録では、冠詞なしの「キリスト」用法に交じって、3箇所、冠詞付の「キリスト」があります。(黙示録11:15、20:4、6)いずれも、神と「キリスト」、あるいは「キリスト」と「第一の復活にあずかる者」による終末的な統治の実現についての箇所です。ヨハネ黙示録にはその他にも、メシア観にも関わると思われる色々な特徴があります。たとえば、「ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので…」(5:5)、「わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」(22:16)という箇所があります。従って、黙示録では、「ダビデの子孫―王」モチーフと結びついたメシア像の提示、またそのメシアによる終末的統治実現の約束が示されていると言えます。但し、もう一つ、見逃すことのできない点として、「イエス」をさす言葉(フレーズ)として、「(主)イエス」「キリスト」以上に多く用いられているのが、黙示的表現としての「小羊」であることです。「小羊の血」(12:11)「ほふられた(とみえる)小羊」(5:6、12、)という表現があり、「あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するでしょう」(5:9、10)と記されます。黙示録全体を通して、イエスがほふられた小羊として人々の罪をあがないをなし、それにより彼らを御国の民とし、ユダ族のしし、ダビデの子なるメシアとして、神と共に、あるいは神の民と共に、統治をなすというメッセージが貫かれているように思われます。


(注8)ペテロの信仰告白について、ラッドはマルコとマタイの記述の違いに注目し、マタイの「神の子」イエスとしての神学的強調点が付加されていると理解した上で、信仰告白をしたペテロに対してイエスが与えられた幸いの宣言(マタイ16:17)は、メシアとしての告白よりも神の子としての告白に対して与えられたものと理解しますが、私にはいささか読み込み過ぎであるように思えます。(Ladd "A Theology of the New Testament"p142)

(注9)Ladd "A Theology of the New Testament"p146-158
「メシアニズムの歴史的展開を問う 第一部 発題講演『メシアニズム-その過去と現在』」も参照
https://www.keiwa-c.ac.jp/wp-content/uploads/2012/12/kiyo12-2-1.pdf#search=%27%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E5%B1%95%E9%96%8B%E3%82%92%E5%95%8F%E3%81%86+%E7%AC%AC%E4%B8%80%E9%83%A8+%E7%99%BA%E9%A1%8C%E8%AC%9B%E6%BC%94%E3%80%8C%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0%EF%BC%8D%E3%81%9D%E3%81%AE%E9%81%8E%E5%8E%BB%E3%81%A8%E7%8F%BE%E5%9C%A8%27

(注10)ラッドは、ルカ2:11を、マタイ1:1、マルコ1:1、ヨハネ1:17と合わせて、福音書記者による編集的文章と考え、ここでの「キリスト」を固有名詞的用法の一つに数える(Ladd 前掲書p140)。この箇所は冠詞なしの「キリスト」用法として、ルカによる福音書でも例外的であるので、可能性のある解釈と言える。但し、その場合、他の「キリスト」をどうして「救主」としなかったのかという問題が提起される。

(注11)Ladd 前掲書p409

 

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パウロによる用語「キリスト」の含意―「メシア」「キリスト」の意味の歴史的変遷を踏まえて(その1)

2016-11-19 19:35:19 | 神学

【経緯】

"What St Paul Really Said"「第3章 王の使者」についての投稿内容について、読者の方から貴重なコメントを頂きました。数回のやり取りは、特に「パウロの言う福音」についての理解に焦点を絞ったものとさせて頂き、私自身、理解が深まった点が多々あり、感謝でした。ただ、そのやり取りの中では、「福音理解」の問題と密接に関わるものでありながら、議論が多岐に渡るのを懸念して、あえて触れなかった点がありました。それが、「キリスト」の意味の問題でした。「福音理解」について、大きな枠組みについてのやりとりがひと段落した段階で、このテーマに進もうとしたのですが、改めて取り組んでみると、それ自体相当大きなテーマであることが分かりました。それで、コメントのやりとりとしてでなく、ブログ投稿の補遺として、まとめ直そうとしました。ところが、取り組みを進めていくうちに、投稿の補遺としてよりも、独立した新たな投稿とした方がよいように感じられてきました。

取り組んでいる内に分かったことは、このテーマについては、新約学者を中心に、かなりの研究が積み重ねられてきており、それらを概観的にでも一通り調べる力さえ私にはないことでした。ただ、多くの学者の取り組みを踏まえた上で、福音主義的な立場から一定の見解を明確にしたラッドの著作に行き当たり(注1)、これを手がかりに自分なりの見解をまとめることができました。自分としては納得のいく見解に至ることができて感謝しています。取り組みながら、聖書の奥深さ、またその奥深い所を探ろうとする神学者たちの取り組みの奥深さを感じることができたことも感謝でした。

以下、大きく二つに分けます。

第1節 「メシア-キリスト」の意味の歴史的変遷
第2節 パウロの手紙における用語「キリスト」の含意


第1節 「メシア-キリスト」の意味の変遷

パウロが用いた「キリスト」の意味合いを検討する以前に、基本的なこととして「メシア-キリスト」についての意味合いについての歴史的変遷を踏まえておくことが必要となります。色々調べたところに基づき、私なりに考えてみましたが、検討に当たっては、用法の区別と共に、検討の土台となっている資料を区別していくことが適当であるように思われました。以下、用法別及び検討資料別に、10のポイントに従って見ていきます。


1.原意に基づく文字通りの使用-旧約聖書において

「メシア」という言葉の原意は、「油注がれた者」との意であることはよく知られたところです。旧約聖書において、文字通り油注がれた人々の存在が記録されています。イスラエルの民においては、祭司(レビ4:3、6:22)や王(サムエル上24:10、サムエル下19:21、23:1)に対して、神による聖別の象徴として油が注がれました。特に、その行為はしばしば神の霊の注ぎとの関連が指摘されており、神の霊による実質的な聖別の働きの象徴として理解されたものと思われます(サムエル上10:1、10、16:13、サムエル下23:1、2)。この場合の「メシア」は、そのまま「油注がれた者」と訳されてよい用例となります。


2.原意に基づく象徴的使用-旧約聖書において

次に、旧約聖書では、上記用例を踏まえ、実際に油を注がれない場合であっても、神によって特別な働きのために聖別した者に対して、「油注がれた者」との表現が用いられます。たとえば、ペルシャ王クロス(イザヤ45:1)、族長たち(詩篇105:15)、あるいはイスラエルの民全体に対して(ハバクク3:13)そのような表現がなされています。


3.来るべきお方としての「メシア」表現の萌芽-旧約聖書において

最後に、旧約聖書の中には、上記二つの用例の中にほぼ含まれつつも、後のユダヤ教(第二神殿期ユダヤ教)において明確になっていくような「将来来るべきお方」としての「メシア」、「イスラエルの民の希望」としての「メシア」表現の萌芽となった事例を見出すことができます。

但し、旧約聖書内の「メシア」表現の中で、直接的に明確な形で「将来来るべきお方」として示されているような事例はあまりないことを覚えておく必要があります。ただ、それらのメシア表現の中には、旧約聖書の重要な他の様々なモチーフと密接に関連づけられているものが多く、それらのモチーフを通して、「将来来るべきお方」としてのメシア思想形成に結びついたと考えられます。具体的には、「ダビデの子孫-王」、「主のしもべ」、「黙示的人の子」といったモチーフががしばしば指摘されます。便宜上、それらのモチーフとの関わりで「メシア」表現を分けつつ、それぞれのモチーフを通して「来るべきお方」としての「メシア」思想形成に結びつく萌芽があることを確認してみます。

(1)「ダビデの子孫―王」モチーフ

「ダビデの子孫-王」との関わりが見出される「メシア(油注がれた者)」表現としては、サムエル上2:10、詩篇2:2、18:50、20:6、45:7、84:9等多数あります。もちろん、ダビデは実際に王位を受ける際に油を注がれましたが(サムエル下2:4、5:3。サムエル上16:1、6、13も参照)、同時に主の霊の明確な注ぎを受けた人物でもあります(サムエル上16:13、サムエル下23:1、2)。その後の王も即位の際には油注がれたようですが(列王上1:39)、詩篇の用例を見ると、特に主の霊の注ぎを受けたダビデ王を中心として、ダビデの子孫としての王に対して、「油注がれた者」としての表現が定着していく様子が伺われます。

他方、イザヤ書の中には、「ダビデの位に座す」お方が将来生れること、「エッサイの株」から正義と公平をもって統治されるお方の現われることの預言があります(イザヤ9:6、7、11:1、10)。しかも、イザヤ11:1に記されたエッサイの子孫として現われるお方は、「その上に主の霊がとどまる」とも言われます。これは、比較的明確な形で「油注がれた者」としての「メシア」表現に結びつくものと言えます。

イザヤ以降も、「ダビデの子孫―王」による統治の預言は続きます(エレミヤ23:5、6、33:15、16、エゼキエル34:23、24。ミカ5・2、ゼカリヤ9:9、10も参照。)

このように、「ダビデの子孫-王」モチーフと結びついての「メシア(油注がれた者)」表現は、旧約聖書において幅広く現われており、このことが後のユダヤ人のメシア観を形成する核となっていったことは、極めて自然な成り行きだったと言えます。なお、「ダビデの子孫―王」モチーフは、後のユダヤ教メシア観においては、地上的メシアとして理解され、天的メシアとしての「人の子」モチーフと対称的なものとして理解されたと考える向きもありますが、イザヤ9:7には、誕生する子が「大能の神、とこしえの父」と呼ばれること、その治世が「とこしえ」のものとされていることにも留意する必要があります。

(2)「主のしもべ」モチーフ

これもイザヤ書の中に見られる「主のしもべ」というモチーフです。イザヤ書における「主のしもべ」は、一義的にはイスラエルの民(イザヤ43:10、44:1、45:4、65:13‐15。おそらくはイザヤ42:19も。)、預言者自身(イザヤ49:1‐4)をさすと考えられるものがありますが、一見、何を指すのか不明瞭なものもあります(イザヤ42:1‐7、52:13‐53:12)。これらの用例が、同じ「主のしもべ」という表現のもとに、イザヤ書の中で渾然一体となって用いられているところに、このモチーフ理解の難しさがあると同時に、深遠さを感じ取ることができます。共通的な意味合いを受け取るとすれば、様々な苦難を引き受けつつ、主の使命を地上に果たしゆく存在としての「主のしもべ」像が浮かび上がります。

このモチーフもまた、一方では、「主の霊の注ぎを受けた者」との結び付きを示し(イザヤ42:1、44:3(一義的には「子ら」への約束))、他方では贖罪的モチーフを通して将来的な約束として受け止められ得ます(イザヤ52:13‐53:12)。特に、42:1‐7は、「主の霊の注ぎを受けた者」としての「主のしもべ」が、苦難を通して「ついに道を確立する」(42:4)、「もろもろの国びとの光」としての使命を果たし(42:6)、それらは「新しい事」に結びつくという内容である故、「来るべきお方」としてのメシア像に結びつきやすい要素を持っていると言えます。また、そういった文脈の中では、イザヤ61:1-3もまた、「主のしもべ」としての明確な表現はないものの、預言者イザヤ自身を越えた「油注がれた来るべきお方」としてのメシア預言として受け取ることが可能な箇所と言えます。

また、「主のしもべ」モチーフに関連しては、数節以上から成る「しもべの歌」が四つあると指摘されることがしばしばあります。42:1-4、 49:1-6、 50:4-9、52:13-53:12の四箇所です。(下のWikipediaページにおいては、この指摘がルター派神学者ベルンハルト・ドューム以来のものとされています。)この内、50:4-9は、「主のしもべ」というフレーズを含みませんが、表明されている受苦描写が他の「主のしもべ」フレーズと共通しているところから、「しもべの歌」の一つに数えられたものと思われます。(注2)

(3)「黙示的人の子」モチーフ

三つ目に、「黙示的人の子」のモチーフです。該当箇所としては、ダニエル7:13があります。「人のこのような者が、天の雲に乗ってきて、日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた」とありますので、明らかに天的な存在として表現されます。同時に、続く14節では、「彼に主権と光栄と国とを賜い」とあり、「ダビデの子―王」モチーフにもつながるような将来的統治の予告がなされます。しかし、「諸民、所族、諸国語の者を彼に仕えさせた」ともありますので、イスラエル一民族を越えた統治であり、「永遠の主権」とあるように、永遠的な統治であると言われます。

上記「黙示的人の子」モチーフは、旧約聖書全体の中では孤立的であるとは言え、ダニエル書全体の預言の中に位置づけるなら、ダニエル9:26の「黙示的メシア」に容易に結びつくものとも言えます。ここでの「メシア」表現は、明確であり、「油注がれた者」としての意味付けも明確であり(9:24)、将来来るべきお方としての約束であることも明瞭です。


4.第二神殿期ユダヤ教におけるメシア思想―ユダヤ教諸文書において

「『メシア』という言葉は、中間時代の文書には大きな頻度においては登場しない」とも言われます(Ladd "A Theology of the New Testament"p137)。この機会に、いわゆる旧約外典と呼ばれる諸文書にざっと目を通してみましたが、それらの中で「メシア」あるいは、「将来来るべきお方」にいくらかでも言及しているのは、『エズラ記(ラテン語)』(第四エズラ記)くらいなものでした。しかし、他の諸文書も含めると、この時代のユダヤ教文書の中には、いくつかのメシア表現がみられるのも確かです。これまでの研究では、上記(3)で検討した三つのモチーフに照らして、この時代のメシア表現を位置づけるものが多いようですので、ここでも便宜上、これらの三つのモチーフとの関連で紹介します。

(1)「ダビデの子孫―王」モチーフ

まず、「ダビデの子孫―王」モチーフとの関わりが明確なメシア表現としては、「ソロモンの詩篇」に見い出すことができます。

「主よ、ごらんください、あなたが予知なさっている時期に、神よ、あなたの僕イスラエルに君臨するダビデの子を王にたててください。そうして彼に力の帯を締めてやってください。不義な首長たちを打ち破るため、エルサレムを踏みにじり破壊するもろもろの民からそれをきよめるため、正義の(ために)智謀をめぐらし罪びとらを相続の地から撃退するため、陶工の(ろくろの上に)器のように罪びとの傲慢をこそぎとるため、鉄の棒で彼らの本質を粉砕するため、律法を犯すもろもろの民を彼の口の言葉で滅ぼすため、彼の脅かしでもろもろの民が彼の前からにげ出すため、心の思いにしたがって罪びとらを咎めるためです。……その治世の間彼らの中に不義はない。万人が聖者であり、彼らの王は主により『油を注がれたもの』だからだ。」(ソロモンの詩篇17:21-25、32)(注3)

ラッド上掲書によれば、紀元前63年、ローマ帝国がポンペイウスを司令官とする軍隊を差し向け、エルサレムを後略、多くのユダヤ人を殺害し、戦争の捕虜として他の多くのものをローマに送ったとき、無名の作者が書き綴ったものだそうです。時期的にも、状況的にも、1世紀ユダヤ人のメシア観を推し量るには最重要の記録と言えるでしょう。

この他、クムラン共同体は、「油注がれた(アロンの)祭司と油注がれた(イスラエルの)王」を待ち望んでおり、ダビデの子孫による統治についての記述も残しています。但し、クムラン派は祭司の血統であるため、王的メシアよりも祭司的メシアの方に優先権を与えていたようです。(注4)

(2)「ダビデの子孫―王」モチーフと「黙示的人の子」モチーフの中間的表現

「ダビデの子孫」や「人の子」といった表現は見られないものの、「メシア」表現が終末的統治者、救済者、審判者として用いられているものとして、紀元1、2世紀に記された以下の二文書を挙げることができます。ここでのメシア像は、天的なようでもあり、地上的なようでもある点では、「ダビデの子孫-王」モチーフと「人の子」モチーフの中間に位置づけることができるかもしれません。

まず、旧約外典にも含まれる「エズラ記(ラテン語)」(第四エズラ記)には、以下のような記述があります。

「すなわち、わが子イエスが、彼に従う人々と共に現れ、生き残った人々に四百年の間、喜びを与える。その後、わが子キリストも息ある人も皆死ぬ。」(7:28、29、新共同訳)

「この獅子とは、いと高き方が王たちとその不敬虔のために、終わりまで取って置かれたメシアである。彼は、王たちの不正を論証し、王たちの前に、その侮辱に満ちた行いを指摘する。メシアはまず、彼らを生きたまま裁きの座に立たせ、彼らの非を論証してから滅ぼす。彼は、残ったわたしの民を憐みをもって解放する。彼らはわたしの領土で救われた者であり、メシアは終末、すなわち、裁きの日が来るまで、彼らに喜びを味わわせるであろう。」(12:32-34、新共同訳)

ユダヤ教文書とされているにも関わらず、「わが子イエス」との表現はびっくりさせますが、紀元1、2世紀の書ということであること、最終的にはラテン語訳聖書に含められていったということを留意する必要があります。翻訳過程のどこかで別の表現がこのように変わった可能性もあるかと思います。「来たるべき方」、終末的統治者、救済者、審判者としてのメシア観が描かれています。

また、旧約偽典の一つ「バルクの黙示録」にも、メシアによる一時的王国統治、諸国への審判が描かれているようです。(注5)

(3)「黙示的人の子」モチーフ

「黙示的人の子」モチーフと関連付けられたメシア表現は、エノク書に見い出されます。(46、48章)(注6)

エノク書は、ユダの手紙に引用されていることでも有名で、紀元前1、2世紀のものとされることもありますが、その前後、長い期間を経て形成されたとも言われます。偽典の中に位置づけられています。「人の子」が「日々の頭」と共に現われ、罪びとたちを裁くという内容から、ダニエル書の「人の子」モチーフの影響が明確に認められます。更に、48章の終りでは、「メシア」として表現されてもいるところが注目されます。

ダニエルの「人の子」との関わりが強いと見られる表現は、エズラ記(ラテン語)(第四エズラ記)13章にも出てきます。「人が天の雲とともに飛んでいた。」(13:2)とあり、「この人こそいと高き方が長い間取って置かれた人」(13:26)であり、また、主によって「わたしの子」とも呼ばれます。(13:32)。

(4)「主のしもべ」モチーフ

最後に、「主のしもべ」モチーフがメシアと関連付けられている例としては、紀元前1世紀のヨナタン・ベン・ウジエルのタルグムによる「イザ53 章のメシア的解釈」の証言があるようです。但し、そのいくつかの部分は、ヨセフ・ベン・ヒッヤ(紀元3-4 世紀)に帰されたタルムードの中に存在することから、「この証言の年代を特定するのは困難である。」と言われます。(注7)

このように見れば、「ダビデの子孫-王」、「黙示的人の子」、「主のしもべ」三つのモチーフのいずれもが、第二神殿期のユダヤ教文書の中に表われているように見えますが、厳密に見ていくと、執筆年代の問題や、その後の追加・変更などの編集があった可能性もありますし、また、最終的にはユダヤ教においても外典や偽典とされた諸文書がどう受け止められたかという問題もあります。1世紀ユダヤ教のメシア観にどのモチーフがどのように影響したかを推し量ることはかなり困難であると言えます。


5.1世紀のユダヤ人たちのメシア観-四福音書において

さて、新約聖書にある四つの福音書は、イエスこそメシアであるとの証言に満ちていますが、同時に、イエスの登場に対するユダヤ人の反応を見ると、当時のユダヤ人たちのメシア観をある程度推測することができます。

(1)「来たるべきお方」としての「メシア」

まず、彼らの間には、「来たるべきお方」としての「メシア」に対する大きな期待があったことが伺えます。東方の博士たちの来訪を受けたヘロデ王が律法学者たちに問うた「キリストはどこに生れるのか」という問いは、地上に誕生すべきメシア信仰を背景としており、当時の律法学者たちはミカ5:2をメシアについての預言と見ていたことを示します(マタイ2:4-6)。「わたしはキリストではない」とのバプテスマのヨハネの言葉は、当時のユダヤ人たちの間にメシア待望の風潮があったことを前提とするように思われます(ヨハネ1:20)。また、バプテスマのヨハネが用いた「きたるべきかた」との表現は、神が備えられた「来たるべきお方」としてのメシアをさしていると思われます(マタイ11:3)。アンデレがイエスに出会った後、兄弟シモン(ペテロ)に対して、「わたしたちはメシヤにに今出会った」と証ししたことは、イエスについて何の知識もないペテロの中に、「メシア」に対するある程度明確な概念があったことを伺わせます(ヨハネ1:41)。サマリヤの一女性の証言は、メシア待望の姿勢はユダヤ人たちだけでなく、サマリヤ人の間にも見られたことを伺わせます(ヨハネ4:25)。また、イエスが様々なみわざによって注目されるようになったとき、人々はイエスをキリストではないかと考えるようになりました(ヨハネ7:26、31)。

(2)「ダビデの子孫―王」としての「メシア」―イスラエルの解放者として

次に、ユダヤ人の間にあった「メシア」観は、「ダビデの子孫」として生まれ、イスラエル民族をローマの手から解放する王としてのメシア像が色濃かったことが伺えます。東方の博士たちの「ユダヤ人の王としてお生れになったかた」について尋ねられたとき、ヘロデ王がそれを「キリスト」のことと解したのはそのためだろうと推測できます(マタイ2:2、4)。イエスが奇跡のみわざによって人々の注目を集め出したとき、人々は、「この人が、あるいはダビデの子ではあるまいか」と言いました(マタイ12:23)。イエスとキリストと告白した弟子達であっても、そのようなメシア観が色濃く支配し続けた様子が、彼らの言動の端々から伺えます(マタイ20:21、ルカ23:21、使徒1:6)。イエスがろばに乗ってエルサレムに入城された時、人々が叫んだ言葉からは、人々がイエスを「ダビデの子孫」として現われる「民族的解放者としての王」、また、神に約束された「主の御名によってきたる者」としての「メシア」と考えていたことが伺えます。(マタイ21:9、マルコ11:9、10、ルカ19:38、ヨハネ12:13)。イエスがパリサイ人に対して、「あなたがたはキリストをどう思うか。だれの子なのか。」と尋ねたときも、彼らの答えは、「ダビデの子です」というものでした(マタイ22:41、42)。群衆がイエスについてピラトに訴えたのは、「わたしたちは、この人が・・・自分こそ王なるキリストだと、となえているところを目撃しました」というものでした(ルカ23:2。マタイ27:17、22も参照)。十字架のもとで、祭司長たちはイエスを嘲弄して、「イスラエルの王キリスト」と呼びかけました(マルコ15:32)。なお、このような「ダビデの子孫―王」としてのメシアは、同時に奇跡を行う力を備えていると考えられた様子も伺えます(ヨハネ6:14、15、マタイ20:31-33)。

(3)「ダビデの子孫―王」としてのメシア―天的存在として

なお、このような「ダビデの子孫―王」としてのメシア観は、地上的・政治的解放者としての王の概念を中心としつつ、同時に、天的存在でもあると考えられたことが伺えます。ゼベダイの子たちの母のイエスに対する要求は、そのような天的王としてのメシア観を前提としているようにも思われます(マタイ20:21)。更に、裁判の場での大祭司の質問「あなたは、ほむべき者の子(マタイでは『神の子』)、キリストであるか」は、イエスを死刑に処せられるようにするための質問であることを考慮する必要があるとは言え、少なくともユダヤ人の間に「神の子」とも呼ばれうる天的な存在としてのメシア観念が存在したことを示唆するように思えます。

(4)「黙示的人の子」としてのメシア

次に、当時のユダヤ人たちの中に「人の子」メシアとしての概念が存在したことを示唆すると思える箇所があります。イエスが「人の子が栄光を受ける時が来た。・・・わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう」と言われたとき(ヨハネ12:23、32)、群衆はイエスに次のように尋ねます。「わたしたたちは律法によって、キリストはいつまでも生きておいでになるのだ、と聞いていました。それだのに、どうして人の子は上げられねばならないと、言われるのですか。その人の子とは、だれのことですか。」(ヨハネ12:34)。少なくとも、ここでのキリスト(メシア)は、永遠的な存在とされています。「律法」が旧約聖書全体を意味したと考えれば、「律法によって、キリストはいつまでも生きておいでになるのだ、と聞いていました」とは、イザヤ9:6、7あるいはダニエル7:13、14等が考慮されたものと思われますが、「同時に「人の子」についての言及との深い関わりの中で「キリスト」についての議論を持ちだしているところから、おそらくは、ダニエル7:13、14の「黙示的人の子」メシア観が考慮されているものと思われます。この他、ヨハネによる福音書には同様に理解できる箇所がいくつかありますが(5:27、9:35)、イエス自身がメシアとしての「人の子」表現を用いている例でもありますので、次の(6)で詳しく見ます。

(5)「ダビデの子孫―王」モチーフと「救い主」

当時のユダヤ人のメシア観が、「ダビデの子孫―王」モチーフを中心としつつも、「救い主」とも呼ばれ得た様子も伺えます。(但し、その意味合いは、イスラエルを政治的に解放する意味での「救い主」が中心であったことでしょう。)

その多くはルカによる福音書の中に見られます。ザカリヤは、メシアによる政治的解放を、敵からイスラエルの民を「救い」出すこととして表現しました(ルカ1:69、74)。更には、そのようなメシアの登場は、「罪のゆるしによる救い」との関わりのあることも示唆しました(ルカ1:77)。天使が羊飼いたちにイエスの誕生について知らせた言葉は、「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである」というものでしたから、ここでは少なくとも羊飼いたちが「キリスト」と「救い主」とは相容れないものとして受け止めていたことが前提とされているように思われます(ルカ2:11)。シメオンは、「イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた」人であり、「主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた」とも言われますが(ルカ2:25、26)、幼な子イエスに出会ったとき、シメオンは神をほめたたえ、「わたしの目が今あなたの救を見た」と言いました。更に、バプテスマのヨハネに対して、人々はキリストではないかと考えたことが伺えますが(ヨハネ1:20)、ルカによる福音書ではこの点について、「民衆は救主を待ち望んでいたので、みな心の中でヨハネのことを、もしかしたらこの人がそれではなかろうかと考えていた」と表現しています(ルカ3:15)。

ルカによる福音書以外では、ヨハネ4章があります。イエスと対話したサマリヤの女性が町に出て行き、人々にイエスについて語ります。「もしかしたら、この人がキリストかもしれません」。女性の言葉に町の人々が出てきてイエスと話します。その結果、彼らは女性にこう語ります。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである。」(4:42)。これら一連の流れから分かることは、当時、サマリヤ人たちの間にもメシアへの待望があったと共に、その言葉の意味合いの中には、「世の救い主」としての意味合いが含まれていたということです。

(6)「主のしもべ」メシア観の不在

当時のユダヤ人たちの間に、「主のしもべ」メシア観が存在したことを示唆する証拠は、四福音書の中には見当たらないようです。

(7)結論

これらを総合的に見るとき、四福音書の証言から当時のユダヤ人のメシア観について言えることは、旧約聖書に見られるメシア関連の三つのモチーフの内、「ダビデの子孫―王」のモチーフを中心に形成されており、部分的に「黙示的人の子」のモチーフが垣間見られるが、「主のしもべ」モチーフとの関わりは見出されない、ということになります。


(注1)G.E.Ladd "A Theology of the New Testament"Eerdmans,1974

(注2)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%A4%E6%9B%B8

(注3)ラッド『終末論』11-12頁で引用されているもの。後藤光一郎訳による。

(注4)Ladd "A Theology of the New Testament"p138

(注5)Ladd 前掲書p138

(注6)以下のリンク先で、エノク書の内容が紹介され、「人の子」表現がどう表れるか確認することができる。但し、主張内容においては私と意見の違うところも多い。
http://koinonia-jesus.sakura.ne.jp/apoca/4enochoutoline.htm
http://koinonia-jesus.sakura.ne.jp/apoca/34enochicsonofmanh.htm

(注7)河村兼二郎「ユダヤ教におけるイザヤ書53章の解釈史」(関西学院大学『神学研究 第58号』より)
http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/7810/1/58-02.pdf#search='%E4%B8%BB%E3%81%AE%E3%81%97%E3%82%82%E3%81%B9+%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%A2+%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E6%95%99'

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スーパームーン

2016-11-15 21:03:27 | 長田家便り

夜の散歩。今日は子どもたちも連れ出しに成功。

一日遅れのスーパームーンを観ました。

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夙川へ

2016-11-12 20:47:55 | 長田家便り

久し振りにスケジュールの入っていない土曜日、

子どもたちを誘ったものの、彼らは友だちと遊ぶ方を選び、夫婦だけでのおでかけ。

夙川公園の紅葉を見ながら散歩しました。

桜はまあまあ赤づいていましたが、もみじはこれからというところ。

また、突然でしたが、近くに住む妹家族に連絡したところ、在宅だったのでお立ち寄り。

久し振りにあう甥たちは随分の成長ぶり。

次男さんと将棋をやって大ミスにより完全負け。

ご主人とも久しぶりにお会いできました。

短時間のおでかけでしたが、心地よい疲れ具合で帰ってくることができました。

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