長田家の明石便り

皆様、お元気ですか。私たちは、明石市(大久保町大窪)で、神様の守りを頂きながら元気にしております。

ぎっくり腰

2022-06-30 20:30:29 | 栄一便り

先週初めからぎっくり腰になりました。

久しぶりの重症で、湿布薬の他、

ぎっくり腰用のベルトも引っ張り出して巻きましたが、

なかなか良くなりません。

少し良くなったかと思って油断すると、また痛みが再開…

ということを繰り返す日々でした。

調べてみるとよいサイトが見つかりました。

https://koishikawa-bw.jp/guide/backache/how_to_sleep/

痛くない寝方と腰に良い寝方とは違うので、痛くない寝方を

続けていると腰によくないとのこと。

https://koishikawa-bw.jp/guide/backache/stretch

ぎっくり腰の原因の9割は腸腰筋の縮み込みにあるので、

腸腰筋を伸ばすストレッチが有効とのこと。

このサイトにはほかにもいろいろなストレッチが紹介されていますが、

私はその最初に紹介されている腸腰筋ストレッチだけ行いました。

すると、みるみるうちに良くなっていきました。

同病の皆さまのご参考になりましたら幸いです。

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「聖書が告げるよい知らせ」第22回 復活の日の朝

2022-06-30 19:20:37 | 聖書が告げるよい知らせ

「聖書が告げるよい知らせ」

第二十二回 復活の日の朝

マタイ二七・六二‐二八・一〇

 

 聖書が告げるよい知らせの中で、イエス・キリストに関わる中心的な出来事が二つあります。十字架の死と復活です。四つの福音書は、イエス様の十字架の死についてと同様、イエス様の復活前後の様子について、かなり詳しく描いています。使徒パウロもまた、「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと(略)」と書いています(Ⅰコリント一五・三、四)。

 前回に続き、マタイの福音書から、キリストご復活の日の朝の様子について見てみましょう。

 

一、破られた封印

 

そこで彼らは行って番兵たちとともに石に封印をし、墓の番をした。さて、安息日が終わって週の初めの日の明け方、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行った。すると見よ、大きな地震が起こった。主の使いが天から降りて来て石をわきに転がし、その上に座ったからである。(マタイ二七・六六‐二八・二)

 

イエス様が十字架に死なれ、墓に葬られたとき、祭司長やパリサイ人たちは一つの心配をしました。イエス様がかつてご自分の復活について語っておられたのを聞き知っていたのでしょう。弟子たちが遺体を盗み出して、「よみがえった」と言いふらすのではないかと考えました。そこで、彼らはピラトのもとに行き、墓に番を付けるようにと願い出ます。ピラトは、この要求に応え、番兵を手配するとともに、墓を封じる石に封印をさせました。

 しかし、このようなことも、イエス様の復活をとどめることはできません。十字架の死から三日目、日曜日の朝、女性たちが墓を見に来たとき、地震が起こります。それは、天使が天から下って来て、石を脇に転がしたことによるものでした。こうして、固く封じられていたはずの墓は開けられ、イエス様が既に復活されたことが明らかにされます。

 アダムとエバが神様のご命令に背いたとき、「必ず死ぬ」と言われていた通り、死がすべての人間を覆い尽くすようになりました(創世記二・一七、三・一九)。しかし、イエス・キリストは死に勝利をされ、永遠に生きておられる方としてよみがえられました。全人類を縛り付けていた死の封印が解かれた瞬間でした。

 私たちは、イエス・キリストを信じるとき、罪を赦していただき、神との交わりを回復して頂くことができます。やがては私たちも死の時を迎えるでしょう。しかし、世の終わり、イエス様と同じような復活栄光の体が与えられます(Ⅰコリント一五・二〇‐二三)。イエス・キリストの十字架の死と復活により、死の封印は既に砕かれ、解かれていることを覚えましょう。

 

二、空になった墓

 

 驚く女性たちに天使が語ったのは、次のようなことでした。

 

あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。(マタイ二八・五、六)

 

 天使が天から下り、墓を塞いでいた石をころがしたのは、復活したイエス様を外に出すためではありませんでした。他の福音書を見ると分かることですが、復活のイエス様は、固く閉ざした家の中にもスッと入って来ることがおできになりました(ヨハネ二〇・一九)。イエス様は復活されてすぐ、閉ざされた墓の中からも出て行くことができました。ですから、女性たちに天使が告げたのも、「(イエスは)ここにはおられません」ということでした。

 「前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。」と告げると同時に、天使は彼らに、言いました。「さあ、納められていた場所を見なさい。」そこには、空になった墓があるだけでした。

 エルサレムには、イエス・キリストが葬られた場所としていくつかの箇所が指摘されています。そのうちの一つで「園の墓」と呼ばれる場所は、よく手入れがされ、「こんなところでイエス様がよみがえられたのかな」と思わせる雰囲気が漂っています。その園には、キリストの墓とされる場所があり、入口のところに「彼はここにはおられない。よみがえられた」と記されています。もし仮に、そこに記されている言葉が「ここにキリストの遺体が納められている」ということであったらどうでしょうか。使徒パウロも言うように、「私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しい」ということになるでしょう(Ⅰコリント一五・一四)。「空になった墓」こそは、聖書が告げるよい知らせの土台を提供するものです。

 

三、お会いできる

 

 続いて天使が女性たちに告げたのは、次のようなことでした。

 

そして、急いで行って弟子たちに伝えなさい。『イエスは死人の中からよみがえられました。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれます。そこでお会いできます』と。(マタイ二八・七)

 

 その後、急いで墓を立ち去り、走り出した女性たちは、復活の主イエス様ご自身に出会います。この時、イエス様が彼らに語られたのも、「恐れることはありません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えます。」ということでした(マタイ二八・一〇)。

 実際、弟子たちはこの後、ガリラヤにおいてイエス様と相まみえます。(次回見るように、エルサレムでも何度かお会いしていますが、マタイの福音書では省略されています。)もちろん、この後、イエス様は天に昇っていかれます。しかし、弟子たちに宣教の命令を与えるとともに、一つの約束を残されます。

 

見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。(マタイ二八・二〇)

 

 復活し、天に昇られた主イエス様は、信じ従う者たちと共にいてくださるとの約束です。

 思えば、御子イエス様のご降誕について、マタイは、それがイザヤの語った預言(イザヤ七・一四)の成就だと言いました。「このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。『見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』」そして、マタイは「インマヌエル」について、「訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である」と付け加えました(マタイ一・二三)。

 罪深い私たちが、その罪を赦して頂いて神と共に生きることができることは大きな幸いです。そして、復活の主、御子イエス・キリストが、信じ従う私たちと共にいてくださることは、「神が私たちとともにおられる」という約束の成就と受け止めることができるでしょう。このお方は永遠に生きておられるので、いつも、どんな所からでも見上げ、「お会いできる」方です。

 

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子ども大会

2022-06-25 19:34:25 | 教会便り

本日、ふた月に一度の子ども大会を開催。

開始時間の2時を過ぎてから、一組4人の小学生たち到着。

校門前でチラシをもらったひとりが他の3人を誘って来てくれました。

しばらくして、うち一人の子どものお母さんが、雨が降り出したので

心配になって、下のお子さんも連れて車で見に来られました。

最後に近所の子たちとそのお母さんたち。

讃美歌を歌い、聖書のお話を聞いてもらったあと、

紙ヒコーキを作って飛行距離を競いました。

ほとんどの子がヒコーキを折ったことがないのにはびっくり。

皆さん、念のため用意しておいた折り方の解説を見ながら折っていました。

テーマは「空高く飛べ」、

お話ししたみことばは、イザヤ書40章31節。

「主を待ち望む者は新しい力を得、

鷲のように、翼を広げて上ることができる。」

集われた皆さんが、み言葉の約束を覚えて、

力強い生涯へと導かれますように。

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「聖書が告げるい知らせ」 第21回 十字架の上で起こったこと

2022-06-24 08:39:16 | 聖書が告げるよい知らせ

「聖書が告げるよい知らせ」

第二十一回 十字架の上で起こったこと

マタイ二七・三二‐五四

 

 十字架刑は、当時、ローマ帝国で執行された死刑の手段の中でも、もっとも残酷なものでした。両手両足が十字架に釘づけられた上で、十字架が地面に打ち立てられると、全身の体重が釘付けられた箇所にかかってきます。激痛の中で少しずつ死に至らせられるのが十字架刑でした。しかし、福音書の記者たちは、イエス様の十字架上での様子について、いたずらにセンセーショナルな書き方をしてはいません。むしろ、事実を淡々と描くことに専念しているように見えます。

ここまで記されたところを見れば、キリストの十字架刑は、一見、多くの人々の愚かさ、罪深さの中でもたらされたものであり、不当な裁判によって無実の罪を背負わされた結果であるように見えます。しかし、十字架につけられたイエス様と、その周辺の様子を注意深く読んでいくと、イエス様の十字架の死の真の意味がはっきりと浮かび上がってきます。マタイの福音書の記述を通して、十字架の上で何が起こったのかを確認してみましょう。

 

一、ユダヤ人の王がユダヤ人に拒絶された

 

彼らは、「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれた罪状書きをイエスの頭の上に掲げた。(マタイ二七・三七)

 

十字架の上の方には、罪状書きが掲げられました。イエス様の罪状書きは、「ユダヤ人の王」というものでした。これは、ユダヤ人たちがローマ総督ピラトに訴えた内容を反映したもので、「ユダヤ人の王を自称していた」ということでしょう(ヨハネ一九・一二)。しかし、彼らの訴えがねたみに基づくものであることを見抜いていたピラトは、あえて「ユダヤ人の王」と書かせました。

十字架につけられたイエス様を見あげながら、祭司長、律法学者、長老たちは、「彼はイスラエルの王だ」と、皮肉を込めて言いました(マタイ二七・四二)。しかし、実際のところは、ユダヤ人の王として来られたイエス様を彼らは王として受け入れませんでした。

これまで、神に背き、祝福を失った全世界の人々をご自分に回復させるため、神様がアブラハムの子孫、イスラエルを通して救済のご計画を進めて来られたことを見てきました。ところが、当のユダヤ人たちが王であり、メシアとして来られたイエス様を拒絶したのですから、それは大変悲しいことでした。このことの結果として、イスラエルから全世界へという神様のご計画は、異邦人からイスラエルへという方向に向かって大きく転換していきます(マタイ八・一一、一二、二一・三三‐四六、二八・一九、ローマ一一・二五~二七)。

 

二、神の子がご自分を救わなかった

 

 十字架につけられたイエス様の周りで、人々は嘲りの言葉を語り続けます。通りかかった人々は言いました。「もしおまえが神の子なら自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」(マタイ二七・四〇)祭司長たちが律法学者、長老たちと一緒になって語ったのは次のような言葉でした。

 

「他人は救ったが、自分は救えない。彼はイスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおう。そうすれば信じよう。彼は神に拠り頼んでいる。神のお気に入りなら、今、救い出してもらえ。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。」(マタイ二七・四二、四三)

 

 イエス様は神の子でなかったのでしょうか。いいえ、神の御子でした。イエス様は自分自身を救うことができなかったのでしょうか。いいえ、できました。人々がイエス様を捕らえに来たとき、剣を抜いてそれを阻止しようとした弟子たちを押さえてイエス様は言われました。「わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今すぐわたしの配下に置いていただくことが、できないと思うのですか。しかし、それでは、こうならなければならないと書いてある聖書が、どのようにして成就するのでしょう。」(マタイ二六・五三、五四)

 神の御子イエス様は、ご自分をこの窮地から救おうと思われたら簡単にできました。しかし、神のご計画が果たされるために、あえてそうなさいませんでした。

 

三、見捨てられるはずのない方が神に見捨てられた

 

 午前九時に十字架につけられたイエス様ですが、昼の十二時になると、地上の全面が暗くなりました(マタイ二七・四五)。そして、三時ごろになったとき、イエス様は叫ばれました。

 

三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マタイ二七・四六)

 

 世界中の人々が神様から見捨てられたとしても、このお方だけは見捨てられるはずがない…それが神の御子イエス様ではなかったでしょうか。しかし、ここでイエス様は神様に向かって、「どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。

 私たちが自分の生涯を振り返れば、しばしば神様の御旨に背いてきたことを思い起こすことができます。ですから、神様から見捨てられたとしても「どうして」と言えないものを持っています。しかし、このお方はそのようなものを一切持たない方。そのお方が、神から見捨てられた…それは誰もが「どうして」と問わなければならないことです。

その理由は、このお方の中にあったのではなく、私たちの中にあったと言えます。「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。」(Ⅱコリント五・二一)

 

四、神殿の幕が裂けた

 

 十字架の上で、神に見捨てられるはずのない神の御子が神に見捨てられ、死なれました。その結果、何が起こったでしょうか。

 

しかし、イエスは再び大声で叫んで霊を渡された。すると見よ、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。(マタイ二七・五〇、五一)

 

 イエス様が十字架の上で息をひきとられたとき、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けました。この出来事は、十字架上で何が成し遂げられたかを示しています。

 神殿には奥の方に至聖所と言われる場所があり、その前には垂れ幕が下がっていました。至聖所には、大祭司が年に一度、特別な犠牲の供え物をささげた上でしか入ることができませんでした(レビ一六章、ヘブル九・七)。その垂れ幕は、罪人がそのままでは神の前に出ることができないことを暗黙のうちに物語っていました。しかし、その垂れ幕が裂けたことは、罪人が神の前に出る道が開かれたことを意味しています(ヘブル九・一九、二〇)。

 神の御子が十字架の上で成し遂げてくださったことのゆえに、このお方をほめたたえましょう。

 

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興南(フンナム)撤収作戦

2022-06-20 10:33:04 | 貞美便り

貞美の郷里は巨済(ゴジェ)島という、韓国で二番目に大きな島です。

この島の小さな港町、長承浦(チャンソンポ)で生まれ育ちました。

この小さな町が、韓国の歴史上、ちょっとした役割を果たしたことがあると知りました。

時は1950年、朝鮮戦争勃発の年の年末。

北朝鮮を占領していた米軍と韓国軍は中国軍の介入により、撤退を急いでいました。

軍隊の撤収も難しい中で、民間人の非難は極めて困難と思われる中、

貨物船メロディス・ビクトリー号により、興南から巨済まで撤収が成功。

その人数、14005名。足の踏み場もないような状態だったようです。

現在、巨済捕虜収容所遺跡公園には興南撤収作戦記念碑が建っているそうです。

なお、14005名のうち、14000人は概数のようです。

+5名は、医師もいない中、船内で生まれた子供たち。

彼らは米軍からキムチ1、キムチ2、・・・キムチ5と呼ばれ、

現在、キムチ1とキムチ5の生存が確認。

うち、キムチ5は、長承浦の動物病院の院長として現在も健在とのこと。

家内もその動物病院は知っており、キムチ5の顔も見たことがあると。

実は、ムン・ジェイン前大統領の両親もその船に乗っていたそうで、

ムン元大統領は、巨済島の生まれであるとも。

今朝は夫婦の間でひとしきりこの話題で盛り上がりました。

コロナ禍の直前、実家に行って以来、ご無沙汰している巨済島に

思いを馳せる一時となりました。

参考リンク

【クリスマスの奇跡】韓国人を救った米軍の興南撤退作戦 | ゆかしき世界 (yukashikisekai.com)

2bb828a03ba5e153b487f0524ba02f99.pdf (harmonic-borderless.com)

興南撤収「ビクトリー号」、巨済で追悼式 : 東亜日報 (donga.com)

韓国語が読める方は以下のサイトも参照(73-85頁)

국회 사진전 <김일성이 일으킨 6·25전쟁> (fliphtml5.com)

コメント (1)
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「聖書が告げるよい知らせ」 第20回 キリストを十字架につけた人々

2022-06-16 20:10:39 | 聖書が告げるよい知らせ

第二十回 キリストを十字架につけた人々

マタイ二七・一‐二、一一‐二六

 

 イエス・キリストは人々に真理のことばを語り、病の人々を癒し、奇跡の数々をなさいました。しかし、そのお方がユダヤ人指導者から訴えられ、ローマ総督ピラトのもとでの裁判の結果、十字架刑に処せられることとなります。どうしてそのような痛ましい出来事が起こったのでしょうか。キリストを十字架につけた人々は、どのような人々だったのでしょう。

 

一、指導者たち

 

さて夜が明けると、祭司長たちと民の長老たちは全員で、イエスを死刑にするために協議した。そしてイエスを縛って連れ出し、総督ピラトに引き渡した。(マタイ二七・一、二)

 

 イエス様を訴えた人々は、「祭司長たちと民の長老たち」でした。彼らは当時のユダヤ人指導者たちでした。死刑に処するよう訴えるその内容は、あいまいなもので、総督ピラトを戸惑わせるものでした。訴えの内容を証明することはできませんでしたが、イエス様が死刑に処せられるよう、彼らは懸命に群衆たちを説得します。彼らの説得工作は成功し、群衆の声が強まることにより、ピラトは十字架刑を認めたのでした。

ピラトはユダヤ人の動向をある程度把握していたのでしょう。「ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことを知っていた」と言います(マタイ二七・一八)。彼らはユダヤ人指導者として、人々の尊敬と従順をある程度勝ち得ていたことでしょう。しかし、人々の関心がイエス様に向かい、イエス様の言動が人々を惹きつけ出したとき、彼らは何とかしてイエス様の荒を探し出し、非難しようと動き始めました。自覚していなかったかもしれませんが、彼らの行動を突き動かしていたのは確かにねたみの心でした。

 

二、総督ピラト

 

 一方、ローマの総督ピラトは、当時、ローマの属州とされていたユダヤに皇帝によって派遣されていた人物で、ユダヤ州において行政権を持っていました。祭司長たちや長老たちは、前夜、大祭司の家で彼ら独自の裁判を行い、神への冒瀆罪により死に値すると結論づけていました(マタイ二六・六五、六六)。しかし、ユダヤがローマの属州となっていたため、自分たちの手で人を死刑に処する権限を持たず、ピラトに訴え出たのでした。宗教的なことで訴えるわけにいかず、扇動罪(ルカ二三・五)、皇帝への反逆罪(ヨハネ一九・一二)で訴えたようですが、明確な証拠を挙げることはできませんでした。

ピラトは彼らの動機がねたみに過ぎないことを知っていましたので、何とかイエス様を無罪放免しようと画策しますが、祭司長たちの説得を受けていた群衆たちは納得しません。「ピラトは、語ることが何の役にも立たず、かえって暴動になりそうなのを見て」(マタイ二七・二四)、イエス様を十字架刑に処するよう言い渡します。

 

そこでピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。(マタイ二七・二六)

 

 この裁判における最終責任者はピラトでした。彼は、イエス様が死刑に値することをしていないと分かっていました(ルカ二三・一五)。しかし、彼は群衆たちの声を聞き入れなければかえって暴動になりそうなのを見て、十字架刑を言い渡します。自分の裁判をきっかけに群衆の暴動が起こったとなれば、ユダヤ州の行政権限を与えられていた彼に監督責任が問われることになるでしょう。彼は、自分の身を守るため、罪なきお方を十字架刑に処するよう言い渡したのでした。

 

三、群衆たち

 

 これまで見てきたところから分かるように、イエス様が十字架刑に処せられることになった経緯の中で、群衆たちの果たした役割は大きなものがあります。総督はユダヤ人の祭りごとに、群衆たちの望む囚人を一人釈放することにしていました。そこで、ピラトは名の知れた囚人バラバと、キリストと呼ばれるイエス様と、いずれの釈放を望むか群衆に問いました。ピラトとしては、当然彼らがバラバよりもイエス様の釈放を望むだろうと考えていたことでしょう。しかし、「祭司長たちと長老たちは、バラバの釈放を要求してイエスは殺すよう、群衆を説得」しました(マタイ二七・二〇)。群衆たちは彼らの説得に応じます。

 

ピラトは彼らに言った。「では、キリストと呼ばれているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはみな言った。「十字架につけろ。」ピラトは言った。「あの人がどんな悪いことをしたのか。」しかし、彼らはますます激しく叫び続けた。「十字架につけろ。」(マタイ二七・二二、二三)

 

 群衆たちの声のトーンは次第に高くなります。その叫びがあまりに大きくなったとき、ピラトは暴動の危険性を感じて、十字架刑を言い渡します。群衆たちの声が十字架刑を勝ち取ったと言ってもよいでしょう。

 ユダヤ人指導者たちの説得もありました。しかし、その時の彼らは、事を公平正大に判断する力を失っていたようです。次第に強まるイエス様への死刑要求の空気に飲み込まれたと言ってもよいでしょう。正義よりも、周りと一緒になって事を進めていくことに快感を覚えたのかもしれません。彼らの付和雷同性が罪なき神の御子を十字架につけたと言ってもよいでしょう。

 

四、沈黙するイエス

 

 不穏な空気が漂う中、人々が次々に訴えるのに対して、イエス様は不思議に沈黙を守っておられました。

 

それでもイエスは、どのような訴えに対しても一言もお答えにならなかった。それには総督も非常に驚いた。(マタイ二七・一四)

 

 この時、裁判の成り行きが十字架刑に向けて流れを作り始めていたのは確かです。しかし、イエス様がこのような状況下でも、十字架刑を阻止しようとすれば簡単なことだったでしょう。「しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書が、どのようにして成就するのでしょう。」(マタイ二六・五四)人々に捕縛されたときのお言葉を思い起こすことができます。

 このことに関わる多種多様な人々がいました。しかし、彼らがその事態の責任を担うことになったのは、人間だれしもが持つ弱さ、罪深さの故でした。私たちが同様の立場にあったとしたら、「私はそのようにはしなかった」と誰が断言できるでしょうか。その意味では、キリストを十字架の死に追いやったのは、いわば「普通の人々」でした。それは全世界の人々の罪を贖う、贖罪死としてふさわしいことであったのかもしれません。

十字架前夜、キリストは最後の晩餐の席上、弟子たちにぶどう酒を分かち与えながら言われました。「これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。」(マタイ二六・二八)私たちの罪一切が贖われ、赦されるために、キリストは十字架に血を流し、死んでくださいました。このことを心深く覚えましょう。

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海の収獲

2022-06-13 21:19:08 | 貞美便り

今日も海辺で収獲を求める貞美。

夕食のおかずになりました。(かに、うに)

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「聖書が告げるよい知らせ」 第19回 ゲツセマネの祈り

2022-06-11 10:15:01 | 聖書が告げるよい知らせ

「聖書が告げるよい知らせ」

第十九回 ゲツセマネの祈り

マタイ二六・三六‐五六

 

 十字架前夜、イエス・キリストは、弟子たちといわゆる「最後の晩餐」と呼ばれる食事会をなさいました。それは、ユダヤ人の過ぎ越しの祭りの最中の出来事であり、過ぎ越しの食事として行われました(マタイ二六・一七)。この食事の中でイエス様は、翌日の十字架の死が人々の罪の赦しのために起こることであり、それによって神様が新しい契約を結ぼうとしておられるということをお示しになりました(マタイ二六・二八、ルカ二二・二〇)。さらに、弟子たちがご自分を見捨てて逃げ去ることをも予告されますが、弟子たちはそれを真に受けることができませんでした(マタイ二六・三一‐三五)。

 この食事会の後、イエス様は弟子たちと一緒にゲツセマネと呼ばれる園にでかけられます。イエス様はそこで十字架に向かうまでの最後の祈りをささげられます。この祈りにおいて、十字架の死がどのようなものであるか、イエス様がどのような思いで十字架に向かわれたのかを伺い知ることができます。

 

一、苦い杯

 

 イエス様がゲツセマネに向かわれたときは、弟子たちと一緒でした。しかし、園の入り口で「わたしがあそこに行って祈っている間、ここに座っていなさい。」と言われ、弟子たちをその場所に残されました。ペテロとゼベダイの子二人だけは一緒に連れていかれましたが、そこでイエス様は「悲しみもだえ始められ」(ルカ二六・三八)、次のように言われました。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい。」(マタイ二六・三八)

 イエス様にとって、十字架の死が待ち受けていることは先刻ご承知だったはずです。しかし、そこには私たちには測り知ることのできない何かがあったように思われます。イエス様のもとに襲ってくる悲しみは、イエス様をもだえ苦しませるものであり、「悲しみのあまり死ぬほど」と言われるものでした。

 三人の弟子たちをそこに残し、イエス様はさらにそこから少し進んで行かれ、ひれ伏して祈られました。

 

わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。(マタイ二六・三九)

 

 「この杯」とは、十字架での苦しみと死を指していると思われます。弟子たちにも、ご自分がこの杯を飲むことになることは予告済でした。イエス様の歩みは常にこの杯に向かって進められてきたはずです。しかし、ここに至って「できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」とはどういうことなのでしょうか。このようなイエス様の祈りを理解するために、ここには私たちの測りがたい何かがあると考えなければなりません。

 まず、「杯」という言葉は、旧約聖書で神の憤りによる審判をさす表現として用いられてきたことを思い出しましょう(イザヤ五一・一七、二二、エレミヤ二五・一五、一七)。本来、この杯は罪を犯した者たちが飲むべきものです。しかし、十字架はその杯を代わって飲み干そうとするものです。

世界中の人々の罪に対する神の憤り、裁きというものがどれほど恐ろしいものか、私たちには測り知ることができません。しかし、イエス様にはその恐ろしさが分かっておられたでしょう。その暗黒の深さ、苦悩の激しさを、私たちは想像することもできません。しかし、イエス様はそれを知り得るお方でした。ですから、「できることなら」と率直に祈られました。それは御子イエス様でさえも、悲しみもだえるほどの苦い杯でした。

 

二、しかし、あなたが望まれるままに

 

 「できることなら」と、率直な思いを父なる神様に告げられたイエス様ですが、続いてこう祈られました。

 

しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。(マタイ二六・三九)

 

 待ち受ける杯の苦さ、恐ろしさを思えば、「わたしから過ぎ去らせてください」とは率直な願いでした。しかし、ご自分の思い、願いよりも、父なる神様の思い、願いが優先されるようにと祈られました。

 この祈りは、一度ならず、二度、三度と重ねられました。「わが父よ。わたしが飲まなければこの杯が過ぎ去らないのであれば、あなたのみこころがなりますように」と祈られました(マタイ二六・四二、四四)。

 このようなイエス様の祈りの間、弟子たちはどうだったでしょうか。イエス様が弟子たちのところに戻って来ると、彼らは眠っていました。「あなたがたはこのように、一時間でも、わたしとともに目を覚ましてはいられなかったのですか。誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」(マタイ二六・四〇、四一)このことは、二度目、三度目の祈りにおいても同様でした。「まぶたが重くなっていたのである」とありますが(マタイ二六・四三)、おそらくは霊的な世界において激しい戦いがあって、目を覚まして祈っていることが困難だったのでしょう。イエス様は、見えない世界での激しい戦いの中で、お一人で祈り続けられました。そして、「みこころがなりますように」という祈りで、その戦いに決着を付けられました。この祈りの結果として、イエス様は十字架に向かって最終的に歩み出されます。

 

三、さあ、行こう

 

 三度目の祈りの後、弟子たちのところに来て、イエス様は彼らに告げられました。

 

「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されます。立ちなさい。さあ、行こう。見なさい。わたしを裏切る者が近くに来ています。」(マタイ二六・四五、四六)

 

 祈りの中で最終的な決着は付いていました。「人の子は罪人たちの手に渡されます。」とは、単なる予告以上に、その事態を引き受けるという主イエス様の決意表明でもありました。「立ちなさい。さあ、行こう」とは、自らその事態に向かって進み行こうとされる姿勢を示したお言葉でした。

「わたしを裏切る者が近くに来ています」とは、弟子の中で師を裏切ったユダが近づいてくることを指しています。ユダは、イエス様をとらえようとする人々の先頭に立ち、イエス様に口づけをすることによって、それがイエス様であることを人々に示す手はずになっていました。

 ユダの口づけ後は、あっという間の出来事でした。人々はイエス様に手をかけ、捕えます。それを防ごうと剣を抜いて切りかかった者もいましたが、イエス様はお止めになり、言われます。「わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今すぐわたしの配下に置いていただくことが、できないと思うのですか。しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書が、どのようにして成就するでしょうか。」(マタイ二六・五四)この道を進まない選択肢もありました。しかし、イエス様の中ではこの道を進むことで決着済みであり、そうしてこそ聖書の言葉が成就するのだと言われました。

 これらの言葉を聞いて、弟子たちはイエス様を見捨てて逃げ去ります。イエス様は最終的にはおひとりでこの道を進むほかありませんでした。

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「聖書が告げるよい知らせ」 第18回 エルサレムへの入城

2022-06-02 20:39:56 | 聖書が告げるよい知らせ

「聖書が告げるよい知らせ」

第十八回 エルサレムへの入城

マタイ二一・一‐一一

 

 イエス・キリストの受難の一週間は、エルサレムへの入城で始まりました。この時の入城のご様子は、イエス様がどのようなメシアであられるのか、象徴的な形ではありますが、よく表しています。

 

一、ホサナ、ダビデの子に

 

 イエス様と弟子たち一行がエルサレムに入城したとき、群衆は歓声をもって迎えました。

 

すると非常に多くの群衆が、自分たちの上着を道に敷いた。また、木の枝を切って道に敷く者たちもいた。群衆は、イエスの前を行く者たちも後に続く者たちも、こう言って叫んだ。「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」(マタイ二一・八、九)

 

イエス様を迎える彼らの行動と言葉を見れば、彼らがイエス様をダビデの子、王なるメシアとして理解していたことが分かります。敷物を敷いて王様を迎えるように、お通りになる道に上着をしいたり、木の枝を切って敷いたりしました。「ホサナ」とはもともと「お救いください」との意味ですが、転じて神への賛美の定型句となった言葉。歓呼の意味合いもあるようで、「万歳」、「栄光あれ」といったニュアンスでしょうか。「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。」…ここには、イエス様が主の御名によって来られた方、ダビデの子孫として現れる王なるメシアであるという彼らの理解が表されています。

このような群衆たちの理解は決して間違っているわけではありません。むしろそれ自体は大正解でした。これまで見てきたように、旧約聖書は神が遣わされるメシアが、ダビデの子孫、王なるメシアとして現れるであろうことを、繰り返し語っています(イザヤ九・六、七、エレミヤ二三・五)。しかし、多くのユダヤ人は、そこに軍事的な力によるユダヤ民族の解放を重ね合わせて考えていました。そこに多少なりともイエス様のお姿とのずれがありました。

 

二、子ろばに乗って

 

 人々が期待していたのは力強い軍事的な王でした。しかし、イエス様はそのようにイメージされたメシアとは少し違っていました。その違いが表われていたのが、入城の際に用いられた小さな動物でした。

 

ろばと子ろばを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。そこでイエスはその上に座られた。(マタイ二一・七)

 

 入城に用いられたのは、子ろばでした。親ろばも一緒に連れてこられたのは、親から離れると子ろばが寂しがるからかもしれません。子ろばに乗って入城される様子は、軍事的な力を誇る王の姿とは随分かけ離れたお姿でした。

 このことは、預言者ゼカリヤが語った言葉の成就であると指摘されています。

 

このことが起こったのは、預言者を通して語られたことが成就するためであった。「娘シオンに言え。『見よ、あなたの王があなたのところに来る。柔和な方で、ろばに乗って。荷ろばの子である、子ろばに乗って。』」(マタイ二一・四、五)

 

 ゼカリヤは確かに王の到来を予告しています。しかし、それは軍事的な力を誇る王の姿ではなく、「柔和な方で、ろばに乗って。荷ろばの子である、子ろばに乗って」であると言います。これは、ゼカリヤ書九章九節の言葉ですが、続く節には次のように記されています。

 

わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶えさせる。戦いの弓も絶たれる。彼は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大河から地の果てに至る。(ゼカリヤ九・一〇)

 

 従って、イエス様が子ろばに乗ってエルサレムに入城されたことには、大きな意味があったことが分かります。イエス様は軍事的な力で敵をねじ伏せる王ではなく、平和の王として来られたのだということです。

 

三、しもべの道を通って

 

 イエス様が子ろばに乗ってエルサレムへ入城されたことの意味を、より明確に知るためには、その直前、弟子たちを教えられた内容を見るとよいでしょう。

 その時、弟子たちの中には穏やかならぬ問題が生じていました。ゼベダイの子ヤコブとヨハネの母親がイエス様に一つの願いをしました。「私のこの二人の息子があなたの御国で、一人はあなたの右に、一人は左に座れるように、おことばを下さい。」ここにも、やがてイエス様が王国を打ち立て、王座にお着きになるという期待があるように思われます。その時が来たら、ヤコブとヨハネがその左右の座につくことができるように。いわば、右大臣、左大臣の座に就かせてくださいという願いでした。

 「ほかの十人はこれを聞いて、この二人の兄弟に腹を立てた」と言います(マタイ二〇・二四)。以前にも弟子たちの中には、「天の御国では、いったいだれが一番偉いのですか」ということが話題になったことがありましたが(マタイ一八・一)、王なるイエス様のすぐそばで、一番偉いものとなれたらという願いは、弟子たち共通のものであったようです。

 しかし、イエス様は示されたのは全く別の生き方でした。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。」(マタイ二〇・二五~二七)偉くなろう、先頭に立とうという生き方ではなく、仕える者、しもべとしての生き方を示されました。そして、次のように言われました。

 

人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。(マタイ二〇・二八)

 

 イエス様ご自身が仕える生き方、しもべとしての生き方を選んでおられること、そのような生き方の究極として、多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えようとしておられることを語られます。

 イエス様は世界の王となられる前に、苦難のしもべとして死のうとしておられました。ろばの子に乗ってのエルサレム入城は、まさにしもべの道、苦難の道を通って王となろうとしておられることの証しでした。「仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来た」と言われるイエス・キリストは、私たち一人ひとりのためにその道を進んでくださいました。

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短すぎ?

2022-06-01 21:22:06 | 貞美便り

貞美が久しぶりにパーマに行って、帰ってきました。

短すぎ?

横で高校生がカットしているのを見ながら、

「このようにしてください」と言ったそうです。

「本当にいいんですか?」と言われながら、

「いいんです」と言って切ってもらったところ、

「まさかこんなに?」と。

でも、すっきり、格好よくなりました。

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