長田家の明石便り

皆様、お元気ですか。私たちは、明石市(大久保町大窪)で、神様の守りを頂きながら元気にしております。

5章 その2

2013-11-30 13:35:47 | Dunn "Baptism in the Holy Spirit"

「サマリヤの謎」を解く5つの見解を退けたのち、著者は自らの見解を示します。著者の見解は、この章のはじめのところで既に暗示されています。すなわち、章のはじめに「通常のやり方は、4-13節の基礎の上に建てられ、14-24節の記述を問題にする」とあります(55頁)。確かに5つの見解はいずれも4-13節の記述から、洗礼を受けたサマリヤ人たちがクリスチャンであることを前提に問題を論じています。著者の見解は、この前提を疑おうとするところから始まります。

一見無謀にさえ見える著者の試みは、著者独特の論理力によって強力に進められていきます。14-24節をそのまま受け止める通常の方法が袋小路に終わることを指摘した後、著者は、ペテロやヨハネが到着するまでサマリヤ人たちは本当にクリスチャンだったのかと問いかけます。ピリポの説教は使徒行伝の他の所に記されているものと全く違っていないように見えます。サマリヤ人の反応は全く満足すべきものに見えます。彼らのバプテスマは十分キリスト教的でした。「しかしながら」と著者は指摘します。「彼らの反応と献身は不完全であったことだけでなく、ルカが読者たちにそのことを知るよう意図したことをも信じるべきいくつかの理由がある」と。以下、著者が示すポイントを要約します。

a.サマリヤ人特有の期待から、ピリポの説教は間違った方向で理解され、受け入れられたであろう

サマリヤ人たちにとって、「王制は特別なもの」であり、彼はメシヤすなわちタヘブを待ち望んでいた。このメシヤは、すべてのイスラエルを一つにし、敵を打ち砕き、サマリヤの人々を高めることにより、「神の愛顧の期間、第二の王国」をもたらすであろう存在であった。従って、他の場所では正しく受け止められたであろう「キリスト」や「神の国」という言葉が、彼らのこのような期待に沿って理解され、受け入れられたのではないか。バプテスマもまた、王国に入る儀式、タヘブなるイエスへの忠誠のしるしとして見られたであろう。

b.サマリヤ人特有の迷信的性質から、ピリポの説教は適切な性質や深さで受け止められなかったであろう

サマリヤ人たちはかなり迷信的な人々であったと思われる。魔術師シモンへの態度にそれが見られる。ピリポへの人々の応答は、シモンへの人々の応答と同じ言葉で表現されている(προσεχω、6節「耳を傾けた」、10節「関心を抱き」、11節「関心を抱いた」)。このことから示唆されるのは、ピリポへの反応が、シモンへの反応と同じ理由により、また同じ質と深さのものであるということである。従って、サマリヤ人がバプテスマを受けたのは、自己否定的献身によるよりもむしろ、集団本能によるものであったと思われる。

c.πιστευειν(信じる)もまた、通常の重要性を持ちえない

ここでは、πιστευειν εισ(επι) τον κυριον ではなく、επιστευσαν τω Πιλιππωである。πιστευεινがκυριοσやθεοσ以外の与格と共に用いられるとき、それは言説や命題への知的承認を意味するのであって、神への献身を意味しない(24:14、26:27)。使徒行伝ではまれなこのπιστευεινの用法は、サマリヤ人たちの応答がピリポの語ることへの知的承認であり、彼が勧めた行動への黙認に過ぎず、クリスチャンという名前に値する献身を意味しなかったと考えられる。

d.シモンも「信じて、バプテスマを受けた」と記されていることの意味

サマリヤ人たちが「信じ」「バプテスマを受けた」と記された直後、「シモン自身も信じて、バプテスマを受けた」と記される。しかし、その後の記述を見ると、彼の告白と行動がほとんど何も意味しないことが分かる。彼は、救いに関して、何の部分(μερισ)も分け前(κληποσ)も持っていない(21節)。彼の心は神の前に正しくなかった(21節)。彼は、苦い実(χολην πικριασ)を味わい、罪の束縛を身に着けているという判決をくだされた(23節。参照ヘブル12:15-17)。すなわち、彼は外側でだけクリスチャンであったが、新約聖書の言うクリスチャンではなかった。そして、12、13節を見るとき、他のサマリヤ人たちの信仰とバプテスマとは、シモンの信仰とバプテスマと同様であることが分かるのである。

e.この物語は、聖霊の所有こそクリスチャンであることの証明であることを示している

ピリポは、今日多くの人々がするように、「彼らはバプテスマを受けているから、たとえ私たちも彼らも知らないとしても、彼らは聖霊を受けたに違いない」と結論づけなかった。というのは、聖霊の所有はバプテスマから推論されるものではなく、バプテスマによって表明される信仰が純粋であるか否かが聖霊を持っているか否かによって証明されるからである。

ルカの目的は、真のキリスト教と偽のキリスト教の違いを明らかにすることにある。シモンとサマリヤ人は、共に魔術からピリポに方向転換し、ピリポを信じ、ピリポからバプテスマを受けた。しかし、そこから違いが生まれる。サマリヤ人は聖霊を受けたが、シモンはのろいだけを受けた。サマリヤ人たちは純粋な信仰に至ったが、シモンは外側だけを見、外側だけに関心を持ち続けたのである。

f.ペテロとヨハネが来た後、彼らの信仰は十分なものになり、その後聖霊を受けたことによって彼らは真のクリスチャンとなった

恐らくは、エルサレムからサマリヤに吹いてきた宗教的、民族的悪意の冷たい風によって、サマリヤ人の信仰は十分開花しなかったのだろう。ペテロとヨハネが来て、そのつまづきを取り除いたことによって、彼らは、エルサレムで死に、よみがえられたお方への十全な信仰に至った。

不幸にも、ルカは、ペテロとヨハネの働きの記事をあまりに要約してしまった。聖霊がなぜ以前には受けられなかったか、ペテロとヨハネが到着後何を言ったか、何も書かれていない。ただ彼らは洗礼を受けていたが、聖霊を受けていなかったことと、シモンの信仰が偽物だったことが明らかにされている。いくつかのことは示唆されている。ピリポが用いた概念、彼らの応答の状態、聖霊が来たことの劇的状態。ルカの思想全体からのある結論がこの段落に適用されなければならない。聖霊は、新しい時代の証明であり、また新しい時代の人であるクリスチャンの証明であること、また、聖霊は信仰の行為に対する神の応答であることである。

多くの注解者の誤りは、2:38の条件が満たされているように見えるから、彼らはクリスチャンであり、聖霊が与えられたと考えたことである。新約聖書のやり方は、むしろこのように言う。聖霊が与えられていなかったから、それゆえ条件は満たされていなかったと。ルカがサマリヤ人たちが聖霊を受けたことを強調するのもこの理由からである。というのは、人をクリスチャンにするのは、神が聖霊を与えることによるのであり、それ以外のものではない。


以上、著者の主張は明快であり、この後も、同様な線で使徒行伝のいくつかの個所が取り上げられていきます。それらの検討をもとにしながら、第9章で、使徒2:38についての総合的見解がまとめられることになります。首尾一貫した主張により、使徒行伝の難解といわれる個所が、きちんと整理して説明されていく様は、爽快感さえ与えるものです。

ただ、私としては、「サマリヤの謎」に対する著者の説明に対して、主として二つの面から疑問を覚えます。

(1)サマリヤ人たちの初期の信仰が不完全なことを、本当にルカは示そうとしていたのか

著者は言います。「彼らの反応と献身は不完全であったことだけでなく、ルカが読者たちにそのことを知るよう意図したことをも信じるべきいくつかの理由がある」と。しかし、もしそうだとしたら、ルカがそのように意図したにもかかわらず、多くの著名な神学者たちは、ルカの意図を見抜くことに失敗したことになります。彼らは、5-13節を読んで、彼らの信仰は確かなものであると、間違って受け取ってしまったわけです。どうしてルカは、もっと分かりやすく、彼らの信仰が不完全なものであることを表現しなかったのか、というのが第一の疑問です。

著者自身認めるように、「ピリポの説教は使徒行伝の他の所に記されているものと全く違っていないように見える。サマリヤ人の反応は全く満足すべきものに見える」のです(63頁)。逆に言えば、その疑問は、ルカが本当にサマリヤ人たちの信仰が不完全なものであることを示そうとしたのかという疑問にもつながります。

(2)ペテロとヨハネの到着の後に、サマリヤ人たちの信仰が十全なものになったことを、本当にルカは示そうとしたのか

著者は、不完全であったサマリヤ人たちの信仰が、ペテロとヨハネの到着後、十全なものとなったと主張します。しかし、これも著者自身が認めるように、「不幸にも、ルカは、ペテロとヨハネの働きの記事をあまりに要約してしまった」(67頁)、「聖霊がなぜ以前には受けられなかったか何の説明もない。ペテロとヨハネが到着後何を言ったか、何の示唆もない」のです(68頁)。なぜ、ルカはこれほどまでに記事を要約してしまったのでしょうか。サマリヤ人たちの信仰が不十分だったからこそ、聖霊が彼らにくだらなかったことを、ルカが示そうとするなら、その部分にもっと十分な説明があってしかるべきではないでしょうか。ペテロとヨハネが何を語ったかが記され、それによってサマリヤ人たちの信仰的理解が深められ、十全なものとされたことが明確にされていれば、読者も、サマリヤ人たちの信仰理解がこの時十全なものとなったことを、もっと簡単に理解できたはずです。

著者の主張は、その論理力によって大きな説得力を持って示されてはいますが、もう一度立ち止まって、この二点を考え直すと、やはり疑問が解消されないで、残ってしまう気がします。

しかし、「それでは他に『サマリヤの謎』を解く方法があるのか」ということになります。私としては、確たる解決法を見出しているわけではありませんが、もう少し追求してみたい線があるのは事実です。この線については、回を改めて・・・。

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5章 その1

2013-11-24 20:12:32 | Dunn "Baptism in the Holy Spirit"

第5章は、「サマリヤの謎」と題され、使徒8章が取り上げられています。最初に、この個所が、ペンテコステ派の聖霊のバプテスマ論とカトリックの堅信礼の教えとのとりでになっていることが指摘されています。すなわち、「サマリヤの人々は信じ、バプテスマも受けたが、彼らはしばらく後になるまで聖霊を受けなかった」というわけです。ところが、ここに問題が生じます。「新約聖書の他の個所からすれば、これらの事実は互いに相反するものであり、全く調和しない。もし彼らが信じ、主イエスのみ名によって洗礼を受けたのであれば(12、16節)、彼らはクリスチャンのはずではないか。しかし、もし彼らが聖霊を受けていなかったのであれば、その時まで彼らはクリスチャンと呼ばれ得ないはずではないか(最も明瞭にはローマ8:9)。」ここに、「サマリヤの謎」が生まれるわけです。

著者は、通常の成り行きが4‐13節の基礎の上に建てられた上で、14-24節の記述を問題としていると指摘します。すなわち、ルカの神学においては、12、13節はサマリヤ人がその時点でクリスチャンになったことを意味し、それゆえ、14‐17節はそれが意味しているように思われる内容を意味しているはずがない、という理屈です。この線での見解として、著者は5つのパターンを指摘します。

(1)サマリヤ人は、既に聖霊を受けていたのであって、14-17節はカリスマ的現れを記しているに過ぎない(ビーズレイ・マレー、ブルース、カルビン、ストーンハウス、レンスキー等)。
(2)彼らは二度目の聖霊を受けた。(ほとんどのペンテコステ派、多くのカトリック)
(3)聖霊の賜物は、按手にのみ属する。
(4)ルカは、実際には一つのものを分けた。
(5)神がご自身の主権によってクリスチャンに聖霊を与えることを控えられた。(ランプ、ブルース等)

著者は、続く議論によって、これらの見解を一つひとつ退けていきます。議論の詳細を省きながら、要点だけ記します。

(1)について

この仮説は、ルカの明らかな記述により受け入れられない。すなわち、ペテロとヨハネが現れるまでは、「聖霊がまだだれにも下っておられなかった」(16節)。そして、ペテロとヨハネが彼らに手を置いたときはじめて聖霊が与えられ(18節)、彼らは聖霊を受けた(15、17、19節)。カリスマ的現れは、もちろん、含意されているが、含意されているだけであって、それらは御霊と共に来るのであるし、それらは御霊が来たことの直接的結果であり、しるしである。πνευμα α΄γιονを「聖霊のカリスマタ(賜物)」としてのみ受け取ることによって、この議論を弱めることはできない。(以下、著者はτο πνευμα το α΄γιονと、πνευμα α΄γιονとを区別する考え方について取り上げ、反論しています。)

(2)について

この考え方は、二段階の聖霊経験を考えるもので、たとえば、H.シュライアーは、grundlegend Pneuma(基礎となる聖霊)とCharimengeist(カリスマ的霊)を区別することによって謎を解こうとします。時々、επιπιπτειν επι(~にくだる)やλαμβανειν(~を受ける)といった言葉は、聖霊が特別二度目に来ることについての表現であると議論されてきたと言います。あるいは、ペンテコステ派では新生させる聖霊と力を与える聖霊との間に区別を与えようとします。しかし、このような考え方も、(1)と同様の理由で退けられます。すなわち、「この提案は、ルカの疑う余地のない記述の前には成立しえない。すなわち、御霊はまだ彼らにくだっていなかった=誰一人聖霊の賜物を受けていなかった。」

「最初に聖霊が来たことによって人はクリスチャンになりさえするが、ルカにとっては少ししか重要性を持たないので、ルカはそのことについて触れなかったのだ。本当に重要な、そして本質的でありさえする聖霊の到来は、聖霊の賜物の現れをもたらすものだ」という見解に対して、著者は、「ほとんどありえない」と否定します。以下の議論は、オルド・サルティスに関わる著者の見解が示されている個所ですので、そのままご紹介します。

「ルカにとっては聖霊の賜物を一回受け、聖霊の賜物が一回くだることがクリスチャン経験とクリスチャン生涯の始まりである。人が悔い改め、自分自身をイエス・キリストに明け渡すとき聖霊が神の賜物として受け取られる(使徒2:38)。人が主イエス・キリストに信仰を置くとき、聖霊は与えられ(使徒11:17)、彼の上にくだり、彼に赦しと救いを与える(使徒10:43、44、11:14、15)。二人の先輩の使徒たちがエルサレムから大急ぎで来て、どこか非常に悪い状況を改善しようとしたのは、通常入信において来るはずの聖霊が誰にもまだくだっておらず、彼らが経験していた唯一のことは水のバプテスマだけだったからである(NEB16節'that and nothing more')。」

この部分には、既に「サマリヤの謎」に対する著者の回答が垣間見えています。

(3)の前半について


「聖霊は使徒の按手によってのみ授与される」という見解に対して、著者は、ルカによる他の記録の前には成立しないことを指摘します。
・ルカが使徒によってのみ聖霊が与えられるという事を示すためにそれだけの労を払っておりながら、その直後、同じ不適格なピリポによる宦官の回心と洗礼を関連付けるというのは不合理である。
・使徒11:19-24では、使徒8章と同じ状況がありながら、聖霊の確証的到来については完全に沈黙している。

「使徒の」を消して、「聖霊は按手によってのみ授与される」という考え方も成立しないと、著者は言います。
・2:18で聖霊を受けるために必要とされる唯一の儀式的行為は、洗礼だけである。
・通常実際になされた唯一の儀式は洗礼である(2:41、8:38、10:48、16:15、33、18:8)
・ルカの宦官に対する取り扱いは、この場合も、以前同様矛盾したものである。
・コルネリオのケース(パウロも?)はほとんど不可能である。
・更に、どうしてピリポはサマリヤの人々に自分自身で按手しなかったのか。

(3)の後半では、著者は更にペンテコステ派による考え方の一つを取り上げていますが、これは(1)~(5)とはまた別個の考え方と言えそうですので、分けて取り上げます。

(3)の後半について

(3)の前半は、聖霊を受けるために按手が必要とする考え方が取り上げられていましたが、後半ではまた別の見解が取り上げられています。すなわち、ペンテコステ派に見られる見解として、按手のような儀式的行為は無視し、ただ、サマリヤ人たちは救いを受けることと聖霊を受けることとの区別を示すものだと論ずるものです。実は、私が属する教団の中にも、このように理解したり、主張したりする方々がおられます。但し、「聖霊を受ける」ということを全的聖化に結び付けた上で、回心の時の聖霊の働きとは区別して考え、これを第二の転機としてとらえます。

著者は、このような考え方に対して、救いを受けるための条件(たとえばマルコ16:15、使徒16:31)と「聖霊を受ける」ための条件(使徒2:38)とを比べなければならないと主張します。聖霊は、救いと同じ条件で与えられると約束されている(悔い改めと信仰とは同じコインの両側であるので)。ルカは個人が聖霊を受けるために必要な他の条件を知らない。

(4)について

ここでの議論は、私には少し分かりにくいものですが、取り上げられている考え方は、以下のようなもののようです。「ルカは、ピリポとシモンについての単純な物語を拡大して、自ら困難を作り出した。実際には、サマリヤ人はピリポの働きによって聖霊を受け、ペテロやヨハネは本来全く重要な役割を演じなかったのに、権威や働きの源泉として、エルサレムと結びついて一つにされた教会を描くために、真正な(?)ピリポ伝承を採用した。」ディベリウス、ケーゼマン、コンツェルマンといった人々の名が挙げられていますので、保守的な聖書観とは違った見方からの議論のようです。著者は、ピリポの名前が13節以後に見られなくなったからといって、彼がいなくなったわけではないということを主張しながら、これらの議論に反論しています。

(5)について

これは、ランプの考え方で、近年イギリスで最も影響力のある考え方だそうです。多かれ少なかれ、この線に従う多くの人々がいます。著者は彼の考えをこう紹介します。「彼は、サマリヤがユニークな状況にあり、宣教企画において主要なターニングポイントの一つであったことを強調する。ユダヤ人と長い間不和であったサマリヤという地域が更なる拡大の拠点として確立されるまでは、エルサレムとの連続性が維持されなければならず、さもなければ、聖霊共同体としての単一性をそこなうであろう。」すなわち、この特別な理由により、神はご自身の主権によってクリスチャンに聖霊を与えることを控えられたという考え方です。

著者は、この考え方に対して、「これまで提案されてきた説明の中で最も満足できるものであるが、なお疑わしく思われる部分が残ることを告白しなければならない」と言います。
・エチオピア人の回心は重要性のない進展ではあっても、エルサレムとの連続性に関して何もなされていない。
・サマリヤ人の場合使徒の「確証」を待った聖霊は、なぜコルネリオの時にはそうなさらなかったのか。
・アンテオケは、サマリヤ同様、拡大のための重要な拠点であるが、ルカはアンテオケとの関わりで聖霊については何も語っていない(バルナバの描写を除いて)。
・アポロは戦略的に重要な人物でありながら、聖霊による使徒的単一性の接合はなされていない。
・何にもまして、この考え方は、洗礼を受けながら聖霊を持たないクリスチャン、教会に加えられていないクリスチャンがかなりいることを示す。このことは、信仰と「主イエスの名による」バプテスマが結果として聖霊の賜物をもたらさず(使徒2:38に反して)、教会に加えないということ(2:41、また2:44の「信じる者たち」というクリスチャン共同体の表現に反して)を意味する。要するに、我々は上記カトリックやペンテコステ派が直面したのと同じディレンマに戻る。聖霊を受けず、教会に加えられなかった者を、クリスチャンと呼ぶことができるだろうかと。

このようにして、(1)~(5)の考え方を退けた後、章の後半では、著者自身の「サマリヤの謎」に対する回答が示されます。次回、扱います。

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大掃除とクリスマス飾りつけ

2013-11-24 20:08:24 | 教会便り
神戸中央教会では、礼拝後、大掃除とクリスマスの飾りつけ。
きれいになって、クリスマスを迎える準備もできて、
来週からはアドベントです。

神様の恵みが一人ひとりに豊かでありますように。
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森林植物公園

2013-11-24 20:05:03 | 長田家便り
祝日、六甲山の森林植物公園に行ってきました。

神戸は、何年も住んでいますが、ここに行ったのは初めて。
以外に子どもも遊べる広場もあり、前半は鬼ごっこ。
後半は、見頃の紅葉を楽しみながら散策。

帰りは、大変な渋滞で、有馬街道に出るまでに1時間半かかりました。
でも、久しぶりに本格的な紅葉が楽しめて、感謝。
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恵の自転車練習

2013-11-17 21:10:06 | 恵便り
2年生の今に至るまで、自転車に乗れなかった恵。
今日は事務所の駐車場で自転車の練習、
10mくらいはよろよろしながら乗れるようになりました!
写真は暗くてよくわからないかもしれませんが、
よろよろしながら自転車をこぐ恵。
左から伸びている手は、貞美のもので、「乗れた乗れた」と喜んでいます。
貞美は恵が赤ちゃんの時、よちよち歩きを始めた時のことを思い出したそうです。
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4章 その3

2013-11-16 18:24:36 | Dunn "Baptism in the Holy Spirit"

ペンテコステの日の出来事についてのこれまでの議論に基づき、著者は主にペンテコステ派の主張に対して明確に反対する結論を導きだします。

救済の歴史についてのルカの理解においては、ペンテコステ以前の120人は古い時代に属する。彼らが古い時代や古い契約の祝福の多くをいかに経験したとしても、彼らは新しい時代の外にいる。というのは、ペンテコステまでは、イエスのほか誰にとっても新しい時代また新しい契約は働き始めていなかったからだ。ペンテコステの時にはじめて、御子の死、復活、高挙を通して可能になった父なる神との関係に彼らは入ることができるようになった。聖霊についての古い契約の経験が何であったとしても、パウロが父なる神との「アバ」関係と呼ぶ関係に彼らが入ったのは、ペンテコステにおいてであった。そこでは、御子の霊を受けることによるクリスチャンの経験において、イエスの神に対する子としての関係が繰り返されることになる。そして、クリスチャンとよばれうる唯一のものはこの関係であるので、120人がクリスチャンになったのはペンテコステにおいてであった。

(ここで著者は、ルカの福音書の中で、以上の議論の反証として挙げられうる個所について説明します。)ルカ10:20(「あなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい」)は、古い契約の祝福として理解されなければならない。人の名が命の書、天の書に記されるという事は、古いディスペンセーションにおいても可能であった(出エジプト32:32、33、ダニエル12:1、第一エノク104:1、108:3)。ルカ11:13(「天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」)は、使徒行伝1:14、2:1のの一回限りの出来事について語っているか、あるいは、使徒行伝4:29-31におけるように、新しい聖霊の満たしをクリスチャンがたびたび求めることについて語っているか、いずれかである。

ペンテコステ以前の120人の(クリスチャン以前の)経験は、今や新しいクリスチャンの経験のパターンを「決して」提供しえない。新約聖書がクリスチャン的と呼ぶ信仰と経験の領域に至る扉を開けるのはペンテコステである。ペンテコステの時代に生きる者にとって、その扉をもとに戻ることはできない。

ある意味で、ペンテコステは繰り返され得ない。というのは、新しい時代はここにあり、再び登場させられることはないからである。しかし、別の意味ではペンテコステ、あるいはむしろペンテコステの経験は、クリスチャンになるすべての者の経験において繰り返されうるし、繰り返されなければならない。ペンテコステの日がかつて新しい時代に入る扉であったように、新しい時代にはいることは、その扉、すなわち120人と同じ聖霊、同じ聖霊のバプテスマを受けることによってのみなされうる。これはもちろん、ペテロが説教の結論として何よりも提供した偉大なものが、聖霊の賜物であったことの理由である(使徒2:38)。120人がキリストの死と復活の恩恵をペンテコステにおいて注がれた聖霊を受けることによって受けたように、すべての者がいまや同じ聖霊を受けることによってクリスチャンになる。

ペンテコステ派は、ペンテコステが力を与える経験であると強調するのは全く正しい(ルカ24:49、使徒1:8)。しかし、ペンテコステを力を与える経験とのみすることにおいて彼らは間違っている。反対に、聖霊のバプテスマは、第一義的には入信的であり、第二義的にのみ力を与えるものである。「聖霊のバプテスマ」という用語は、直接的に力の約束と結びついているのではなく、いつもメシヤ的時代またキリストの体に入ることと結びついている。

ペンテコステ派の強調の積極的価値は、彼らが初時的聖霊のバプテスマの劇的な性質に光を与えたことである。
すなわち、聖霊は新しくするだけでなく、奉仕と証しのために備えもするのである。しかし、ペンテコステ派が教会の病に対する答えとして、聖霊の新鮮な力付けを主張することがどれほど正しいとしても、それを「聖霊のバプテスマ」と呼ぶことは全く間違っている。人が一度以上新しい時代に入り、クリスチャンライフに入ることはないが、人は何度も聖霊によって力づけられ、満たされるかもしれないのである(使徒2:4、4:8、319:17、13:9、エペソ5:18)。

・・・

ここまでの著者の議論は、ペンテコステの日の出来事について取り上げるべきあらゆる側面を取り上げており、緻密で明快です。そのため、どこかに反論の余地があるようには思えないほどです。ただ、少しゆっくり考えてみると、議論全体を覆すことにはならないでしょうが、いくつかなお検討の余地を感じさせる部分があるのも確かです。以下に、私がなお考えてみたいと思う点を挙げてみます。

(1)「新しい時代」の議論は、オルド・サルティスにおける細部を規定していないのではないか

これは、ヨルダンでのイエス様の経験についての議論でも同様なことを書いたと思いますが(その9)、「新しい時代」についての議論は、確かにペンテコステ派の主張の土台を崩しはします。ただ、それは、ペンテコステ派の議論を否定することには力がありますが、新しい主張を導き出すためには別の議論が必要なのではないかと思います。

ペンテコステの日の出来事が救済の歴史において新しい時代をもたらしたことに同意したとします。そうすると、確かにその日以前の弟子たちの経験は、ペンテコステの日以後に生きる現代のクリスチャンには必ずしも当てはまらないことになります。しかし、それは、「必ずしも」ということであって、「必ず違う」ということを言うためには、別の議論が必要になるということです。

本書全体の議論の焦点は、聖霊(のバプテスマ)を受けることが「回心-入信式」の中に位置づけられるのか、外に位置付けられるのかという点です。著者の主張は、「回心-入信式」の中に(そのクライマックスとして)位置づけられるというものです。これは、ペンテコステが救済の歴史において新しい時代をもたらしたと主張するだけでは不十分であり、その新しい時代においては、聖霊(のバプテスマ)を受けることが「回心-入信式」の中に位置づけられるようになったことを証明する必要があります。

前回見たように、著者は、(a)~(e)の5つのポイントで、ペンテコステの日の出来事の性質、位置づけについての主張を展開しました。このうち、(a)~(d)の主張によれば、ペンテコステの日は、イエス様の死、復活、昇天の恩恵が弟子たちに適用される時代、信仰者が聖霊を経験する新しい時代、律法が心に書きつけられる新しい契約の時代、十全な意味での教会が存在し始める教会の時代をもたらしたことになります。しかし、そのいずれも、信仰者が「回心-入信式」のクライマックスで聖霊(のバプテスマ)を受ける経験をすると明確に主張する根拠としては、多少弱さを持っています。そうであっても不思議ではない新しい時代がもたらされたという印象は受けますが、「そうだ」と明確に規定する性質の議論ではないように思われます。

(a)~(d)において、最もオルド・サルティスに関係の深い言及は、(c)の中でなされているように思います。すなわち、ペンテコステにおいて与えられる聖霊と「約束」との関わりについて触れている部分です。その中で、使徒2:38、39が引証されていますが、おそらく、この個所が新しい聖霊の時代におけるオルド・サルティスを考える上で、最も重要な個所ではないでしょうか。2:38では、悔い改めとイエス・キリストの名によるバプテスマ、罪の赦し、そして、賜物としての聖霊という、4つの要素が挙げられています。そして、その最後に位置付けられているのは、確かに賜物としての聖霊です。更に、2:39では、この「約束」が、新しい時代に生きるすべての信仰者に当てはまると語られています。ですから、この部分の釈義がかなり重要です。

ところが、著者の議論の流れとしては、ペンテコステが新しい契約をもたらしたことに向かって進んでいるため(それ自体は、重要な議論ではありますが)、オルド・サルティスの細部についての議論には向かっていません。この点について著者は見逃しているわけではなく、第9章で、使徒行伝全体における「回心-入信式」の問題を取り上げる際、最も基本的な個所として、この個所が取り上げられることになります。ですから、使徒2:38については、9章でくわしく検討することにしたいと思いますが、ここでは、次のことを指摘しておきたいと思います。すなわち、これまでの著者の検討においては、オルド・サルティスの細部について明確にし切れていない面があるのではないかということです。

(2)使徒11:17の不思議

もう一つ、ここでの著者の議論においてオルド・サルティスにおける細部に関して最も迫っているポイントは、(e)の議論です。ただ、この議論は、少し妙な感じのする議論でもあります。使徒11:17において、ペテロはペンテコステの日の出来事を振り返りながら、「私たちが主イエス・キリストを信じたとき」に聖霊の賜物が与えられたと言います。これに基づいて、著者は、弟子たちの信仰がペンテコステの日にはじめてクリスチャンの明け渡しのレベルにまで達したと言います。

議論の流れからは一見自然に思える結論のようですが、「信仰」と「聖霊の付与」の関係を考えると、どうも整理がつきにくい感じもします。ここまでの議論で、著者は、ペンテコステによって新しい時代が始まったということを主張してきました。ペンテコステ後、新しい時代が始まったのであって、それ以前は古い時代に属することを強調してきました。ところが、ここで、「信仰」は「聖霊の付与」の先にあったと考えられますが(使徒11:17は自然にそのように解釈できると思います)、そうすると厳密にはその「信仰」は古い時代に属するという事にはならないのでしょうか。著者の議論の流れからより自然な主張は、「弟子たちは既に信仰を持っていたが、ペンテコステ以前であったので、彼らが聖霊を受けることはなかった」というものではないかと思います。ペンテコステの日に聖霊がくだったことは、その直前、弟子たちの信仰を新しい次元のものと変えたとかいうようにも考えにくいのではないでしょうか。

もちろん、使徒11:17における「私たちが主イエス・キリストを信じたとき」の言葉の不思議さは、残ります。この言葉について、他にその不思議さを指摘するものを見た覚えもないですし、どう理解したらよいのかも分かりませんが、一応この不思議さを心に留めつつ、判断を保留しておくほかなさそうです。(私の読み違いや読み落としがあるかもしれません。どなたかわかる方、教えてください。)

(3)本当にルカはペンテコステを第一義的には入信的なものとして表現しているのか

著者は、本章の結論で、「聖霊のバプテスマは、第一義的には入信的であり、第二義的にのみ力を与えるものである」と主張しています。しかし、これが本当に「ルカ-使徒」から自然に導かれる結論と言えるのかという点です。

著者自身認めるように、ルカ24:49、使徒1:8は、ペンテコステが力を与える経験であると強調する
よう導きます。これについて著者は、この点をペンテコステの二義的な性質であると言います。しかし、ルカの福音書の最後から、使徒行伝の最初にかけて、弟子たちに聖霊の注ぎを待ち望むように命じるイエス様の命令は、ルカ24:49、使徒1:4、5、8しかありません。これらのご命令において、間もなく受ける「聖霊のバプテスマ」について、「力を着せられる」「力を受ける」と表現されていることは、軽く扱うことはできないだろうと思います。少なくとも、これだけの流れを踏まえると、ルカとしては、「聖霊のバプテスマ」=「力を受けること」として表現しているように見えます。

著者は、(a)~(e)の議論に基づき、あるいは本章までの議論全体に基づいて、ペンテコステが新しい時代をもたらしたのであって、それは、「回心-入信式」のクライマックスとして聖霊のバプテスマを受ける新しい時代が到来したという主張を導き出しています。その流れを受け入れるならば、確かに「聖霊のバプテスマ」が果たす役割は、第一義的には入信的なものということが言えるだろうと思います。しかし、(1)で指摘しましたように、著者のここまでの議論は、ペンテコステ派の議論の土台を崩すのには力がありますが、即オルド・サルティスの細部について規定する性質のものとは言い難い面があります。そうすると、ペンテコステ以後、「回心-入信式」のクライマックスとして聖霊のバプテスマを受ける新しい時代がもたらされたということが、未だ立証されていないことになります。そうなれば、「ルカ-使徒」が「聖霊のバプテスマ」を「力を着せられる」「力を受ける」と表現されている事実が残ることになります。

ですから、議論としては、「力を着せられる」「力を受ける」という言葉自体をもう少し十分検討するしかないのではないかという気がします。この力は、文脈からすれば、「証人としての力」「宣教のための力」であることも明らかです(ルカ24:47、48、使徒1:8)。問題は、「証人としての力」「宣教のための力」を受けるということが何を意味するかということです。

この言葉の中に、「真の意味でのクリスチャンとなる」という意味合いを見出すことができるかどうかということになります。ペンテコステ派や一部のきよめ派のように、そこに信仰の二段階を見出した上で、「それ以前にもクリスチャンであるが、聖霊のバプテスマによって力あるクリスチャンとなる」という意味を見出すのが妥当なのか、そうではなく、「証人としての力、宣教のための力をもったクリスチャンこそが真のクリスチャンであって、それ以前のクリスチャンは真の意味でのクリスチャンとは言えない」ということが妥当なのか、ということになります。あるいは、見逃されてきた他の道があるのかということにもなります。

とりあえず、この部分については、このような課題が残されていることを覚えつつ、先に進んで行く他ないだろうと思います。

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スポーツ大会

2013-11-09 17:06:46 | 教会便り
神戸中央教会の青年会で、スポーツ大会が企画され、
「どなたでも」ということでしたので、家族で参加しました。
こじんまりした集いでしたが、子供たちも入らせてもらって、
楽しく過ごすことができました。

おつきあいくださった皆さんに感謝。
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4章 その2

2013-11-06 17:45:33 | Dunn "Baptism in the Holy Spirit"

第4章の前半で、「ルカ-使徒行伝」が持っている三段階の枠組みについての示唆がなされました。この枠組みに基づき、第4章の後半では、ペンテコステの日の出来事の重要性や意味についてのルカの見解について、議論が深められます。5つのポイントが示されます。

(a)ルカにとって、ペンテコステの日の出来事はそれ以前のすべてのことのクライマックスである。

イエスの働きのはじめから注意を向けるよう促されたのは、彼が与えるバプテスマであった(ルカ3:15-17)。昇天においてさえ、イエスはそのバプテスマを望んだ(使徒1:5)。同じポイントはペテロの説教でも明らかになる(使徒2:29-33)。イエスの働きのクライマックスであり、究極の目的は、十字架でも復活でもなく、昇天とペンテコステであった。より正確に言えば、高挙はイエスの働きの彼自身のためのクライマックスであり、ペンテコステはイエスの働きの弟子たちのためのクライマックスであった。イエスの死、復活、昇天においてイエスによって勝ち取られた恩恵と祝福が弟子たちに適用されたのは、ただ聖霊の賜物によるペンテコステにおいてであった。

(b)ペンテコステは以前にはなかった新しい時代、すなわち聖霊の時代の開始である。

ルカは、このことをいくつかの方法で明らかにしている。

第一に、ルカが二つの巻を書いたという単純な事実がある。福音書において、復活と昇天といった一連の出来事がイエスの物語を終わらせた。使徒行伝は昇天の新しい記事で始まるが、ここで昇天は復活以前の出来事とつながっているのではなく、ペンテコステ以後の出来事につながっている。言いかえれば、昇天はイエスの物語を終わらせ、聖霊の時代を始めたのである(使徒2:23)。

第二に、聖霊の時代を始めたのは、昇天ではなくペンテコステである。使徒行伝の最初の昇天の記事はペンテコステの記事の導入に過ぎない。昇天の記事においてさえ、来るべき聖霊の待望は支配的テーマである(使徒1:5、8)。ルカ伝が使徒行伝の準備であるように、使徒1章は2章の準備である。

第三に、昇天が古い時代を終わらせ、ペンテコステが新しい時代を始めたということを印象付けるために、ルカは、昇天とペンテコステの間の10日間のブレイクの重要性を強調している。この間に、聖霊の働きはない。古い時代には聖霊は働いており(使徒1:2、16)、聖霊は新しい時代を始めた(使徒1:5、8)。しかし、その間の時代に聖霊が働いていたということは明確でない。マッテヤの選びにおいて聖霊への依存について何も語られていないのは注目すべきことだ。ペンテコステ以前、働きへの選びはナザレのイエスへの関係に依存し、ペンテコステ以後は聖霊を持っているかどうかに依存した(使徒6:3)。ペンテコステ以前、選びはくじにより、ペンテコステ以後、選びは聖霊によった。

第四に、歴史の三番目の段階は、イエスが聖霊を与えられ、聖霊を受けたときはじめて始まった。すなわち、その時、イエスは御霊の主となり、聖霊のバプタイザーとしての働きによって人々を新しい時代に導き入れ始めた(使徒1:5、2:33)。その時まで、彼は単に聖霊の人であった。使徒1:2はこのことを明らかにしている。彼はなお教えの霊感のために聖霊に依存していた。

第五に、ヨエルの預言が成就したのはただペンテコステにおいてであった。ユダヤ人の終末論の古い二つの時代についての見方においては、聖霊の付与が新しい時代の決定的なしるしの一つであった。確かに、最初のクリスチャンたちにとって、聖霊の付与は古い時代から新しい時代を区別するための決定的な違いであった(マルコ1:8、ヨハネ7:39、使徒2:17、33、19:2、ローマ8:9、Ⅱコリント3:3、6-8、ヘブル6:4、5)。「終りの日々」は、弟子たちにとってペンテコステまでは始まらず(使徒2:17)、その時はじめて明確にクリスチャンの時代、クリスチャンの聖霊経験に入ったのである。

(c)ルカにとって、ペンテコステは弟子たちにとっての新しい契約の始まりでもある。

ルカは、ペンテコステにおいて与えられる聖霊について4回「約束(ヘー・エパンゲリア)」として言及している(ルカ24:49、使徒1:4、2:33、38、39)。この言葉は、パウロによってもルカによっても、民に対する神の契約的約束を表すものとして使われている(使徒2:39、7:17、13:23、32、26:6、ローマ4:13、16、20、9:8、ガラテヤ3:14等)。パウロが「アブラハムの祝福」を聖霊の付与と同一視した(ガラテヤ3:14)ことをルカも共有しているように思われる。というのは、使徒2:39の言葉(「この約束は、あなたがたと、その子どもたち・・・に」)は明らかにアブラハム契約の言葉を思い起こさせるものであり(創世記17:7-10)、2:38はその契約的約束を聖霊の付与と同一視しているからである。聖霊の付与は、今や、人々がアブラハムの祝福に入る方法である。

メシヤ的時代と新しい契約についての父の約束において、エゼキエル36:27とエレミヤ31:33の並行関係は特に注目すべきものである。両方が律法を守ることができる約束であり、心に書かれた律法(エレミヤにおいて可能性をもたらす要素)は聖霊の付与(エゼキエルにおいて可能性をもたらす要素)と全く同一である。新しい契約についてのどんな神学においても、聖霊は新しい契約をもたらし、その優れた祝福をもたらす存在として見られなければならない。すなわち、律法を人々の心に書くお方、いわば心に書かれた律法であるお方として。律法が古い契約に不可欠であるように、聖霊は新しい契約に不可欠である。これはパウロの理解ではあるが(第二コリント3:3、6-8)、パウロはペンテコステの論理的帰結を導きだしたに過ぎない。

ルカもまた聖霊を新しい契約の本質、また具現として見たであろう。このことは、ルカが聖霊の注ぎをペンテコステ(五旬節)の祭において起こったものとして描いていることからも確かめられる。というのは、ペンテコステはシナイ山での律法授与を記念する祭としてみなされるようになってきているからである。(以下議論省略)

(d)ペンテコステは教会の時代を始める。

ルカにとって、ペンテコステは弟子たちを新しい契約の神の民として構成するものであり、教会の時代の始まりである。ルカの見方では、教会は基本的に宣教的体であり、より正確には、教会はイエス・キリストの証し人から成る。1:8が使徒行伝の目次であることは繰り返すまでもないが、このテーマ(証し人)の完遂は聖霊によるのであり(聖霊行伝)、働きが始まるのはペンテコステからである。

クリスチャンの教会は、告白的教会であり、その基本的(あるいは基本的なものの一つの)告白は「イエスは主」というものである(使徒10:36、ローマ10:9、第一コリント12:3)。しかし、この告白は、昇天によって初めて可能になる。この時、イエスは「主ともキリストとも」された(使徒2:36)。そして、イエスの昇天と、イエスが主とされたこととを、弟子たちに最終的に十分確信させたのは、聖霊の注ぎであった事は疑いない(使徒2:33)。すべての出来事において教会のこのような基本的信仰が実現され、公表されたのは、ペンテコステからであり、使徒2:21(「主の名を呼ぶ者は、みな救われる」)という招きがイエスの名によってなされ、悔い改めと、イエス・キリストの名によるバプテスマとを条件として、聖霊の約束がなされたのは(使徒2:38)、ペンテコステの結果であった。

教会のその他の本質的性質が存在するようになったのもペンテコステ後のことである。使徒の教え(2:42)、「コイノニア」(2:42)、クリスチャンの水のバプテスマ(2:41)、聖餐を含んだであろう愛餐(2:42)はペンテコステ以前にはなかったが、ペンテコステが来るやいなや突然はじめのコニュニティーのしるしとなった。

要するに、教会は、正しく理解されるなら、ペンテコステまでは存在しなかった。そして、教会を語ることなしにクリスチャンを語ることができないように、クリスチャンは定義によって教会のメンバーであるので、ペンテコステ以前に教会がなかったということは、ペンテコステ以前に(正しい意味での)クリスチャンもいなかったということである。

(e)クリスチャンとなる信仰が始まったのはペンテコステからである。

更にもうひとつの証拠が引き出されなければならない。使徒10-11章におけるペテロの証言である。そこでペテロは、コルネリウスの救いと赦しの経験がペンテコステにおける120人の経験に正確に一致すると語っているだけでなく、ペンテコステ前の120人の状態が聖霊を受ける前のコルネリウスの状態に正確に一致すると語っている。7章で見るように、四回も(10:47、11:15、17、15:8)二つの聖霊経験が全く同一だとされている。特に、11:15、17に注目すべきである。

11:15 聖霊が、あの「最初のとき」私たちに・・・と同じように、彼らにもお下りになったのです。
11:17 私たちが主イエス・キリストを「信じたとき、」神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになった・・・(「  」部分、原文イタリック体)

「最初のとき」とは、使徒団にとって、ペンテコステにおける教会の始まりのことである。聖霊を受けることは、コルネリウス同様、彼らの「クリスチャン」経験の最初であり、聖霊のバプテスマは、コルネリウス同様、新しい契約と教会をもたらすものであった。

そればかりでなく、彼らが主イエス・キリストを「信じた」(πιστευσασιν επι)とき、ペンテコステが120人の経験となった。ここで、πιστευσαι(アオリスト) επιは、ルカにおいては常に信仰の行為、人がクリスチャンになるための決定的明け渡し(コミットメント)を表す(使徒2:44、9:42、16:31)。11:17も全く違いはない。120人に聖霊の賜物をもたらした信仰の行為は、ペンテコステまでは起こらなかった。師が地上にある間、どれほど彼らが師を高く重んじ、師の性質と人格をどれほど深く洞察したとしても(ルカ5:5、9:20)、彼らを去った後どれほど師を高く崇めたとしても(使徒1:21)、ペテロにとって、彼を信じる信仰、主またキリストとして彼に明け渡すことが始まったのは、ペンテコステ以前ではなかった。彼らが聖霊を受けたのは、信仰の明け渡しのその瞬間であったし、彼らの信仰がクリスチャンの明け渡しのレベルにまで達したのはペンテコステにおいてであったし、新約聖書の意味で彼らがクリスチャンになったのもその時であった。

以上、ペンテコステについての著者の5つの主張は、できるだけ要約してと思いましたが、著者の議論にはほとんど無駄がなく、著者の議論を検討するためには省略できない部分がほとんどで、ほとんど逐語訳になってしまいました。長くなりましたので、本章最後の著者の結論と、本章全体についての私の所感は、次回に回したいと思います。

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