聖書は、罪について多くのことを語っています。罪とは何でしょうか。
新約聖書で「罪」と訳される代表的な言葉(ハマルティア)は、もともと「的外れ」を意味する言葉です。人間本来の生き方から外れて生きることが罪です。既に書きましたように、人間本来の生き方が「神様の愛のもと、神を愛し、人を愛する生き方」であるとすれば、そのような生き方を外れて生きることが罪です。神様に背を向け、無視し、周りの人々を大切にせず、自己中心に生きること、そのような生き方が罪です。
創世記3章には、人類最初の罪がどのようにして起こったかが記されています。最初の人、アダムとエバは、エデンの園で神様の愛のもと、神を愛し、お互いに愛し合って生きていました。まさに楽園の生活でした。しかし、神様が食べることを禁じられていた「善悪を知る木」の実を食べたとき、的外れなあり方が彼らを支配しました。神様との親密な愛の関係は失われ、お互いの間にも責任の押し付けが始まりました。そこには、「罪」という言葉は出てきませんが、まさに罪の始まりでした。聖書を読むと、その後、人類の歴史は、人間が神に背き、お互いを傷つけ合う有様の連続であることが分かります。
罪と関連して大切なのは、律法というものです。次回にご紹介するように、神様は人類救済のご計画の中で、イスラエルの民をお選びになり、指導者モーセを通して彼らに律法を与えられました。これは、彼らに対して義と不義が何であるか、罪が何であるかを示すものでした。中でも十戒は有名です。
(1)あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
(2)あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。
(3)あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
(4)安息日を覚えて、これを聖とせよ。
(5)あなたの父と母とを敬え。
(6)あなたは殺してはならない。
(7)あなたは姦淫してはならない。
(8)あなたは盗んではならない。
(9)あなたは隣人について、偽証してはならない。
(10)あなたは隣人の家をむさぼってはならない。 (出エジプト20:3-18、抜粋)
よく見ると、第1戒~第4戒は、神様との関係について、第5戒~第10戒は、人との関係について教えるものであることが分かります。すなわち、神様の愛のもとで、神を愛し、人を愛するという、人間本来の生き方について、もう少し具体的に教えたものが十戒であると見ることができます。
神様を愛して生きるとは、唯一の創造主なる神様だけを神とすることであり、神様は目に見えない霊なるお方であるので、刻んだ像を造って拝むことをせず、「神様」について敬虔な心で語り、週に一度は神様を仕事も休んで神様を礼拝する・・・第1戒~第4戒は、そんな生き方を示しています。
人を愛して生きるとは、人生最初の人間関係である父母との関係を大切にすること、人の命を尊重すること、また、夫婦関係も大事にしながら、性的な関わりも夫婦関係の中でだけにとどめること、人の所有物も尊重すること、偽りによって人に損害をもたらさないで、真実に生きること、人をねたんだり、人のものをむさぼったりすることもしないこと・・・第5戒~第10戒は、そんな生き方を示しています。
旧約聖書にはイスラエルの民の歴史が詳しく描かれていますが、彼らは律法を守ることができたでしょうか。彼らの歴史は、律法を守ることに失敗した歴史であり、そのために滅びを刈り取ることになった歴史であったと言えるでしょう。
選民イスラエルが律法を守ることに失敗した…これは人類がいかに罪深く、罪に支配された存在であるかを示していると言えるでしょう。このような人間に希望はあるのか。神様はこのような人間を救うことができないのか。このことについては、次回以降も触れていきたいと思います。
いずれにしても、人類が直面する大きな問題が「罪」を巡るものであることを聖書は明瞭にしています。そして、その本質は、的外れな生き方にある、ということです。
誰しも、この問題から離れていることのできる人はいません。あなたは、いかがでしょうか。