イスラエルの民にとって、過ぎ越しの祭りは大変大切な祭りです。神様は、この祭りによって、「過ぎ越しの恵み」というものがあることを示しておられます。
1.過ぎ越しの恵みの背景
この恵みの背景には、あらゆる罪の審判者なる偉大な神様のご存在があります。イスラエルの民を絶対的権力で支配し、苦しめていたエジプトの王と民は、次々に起こる十の災いによって屈服せざるを得ませんでした。このことは無慈悲なエジプト王と、彼らが拝んでいた偽りの神々に対する神様の審判でもありました(12節)。どんなに地上で強大な力を誇示するものであっても、創造者なる神様の前には、裁かれるべき存在です。
2.過ぎ越しの恵みの根拠
十の災いは、エジプトの民の上にだけくだり、イスラエルの民にはくだりませんでした。しかし、その根拠は、民の中にではなく、「血」にありました。小羊の血が家の入口の二つの柱とかもいに塗られなければなりませんでした。「わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越す」(13節)。「わたしたちの過越の小羊であるキリストはほふられたのだ」(Ⅰコリント5:7)。ここにこそ過ぎ越しの恵みの根拠があります。
3.過ぎ越しの恵みの確認
イスラエルの民は、年に一度この祭りを祝い、神が過ぎ越してくださった恵みを覚えます(14節)。同じことをイエス様は私たちにも命じておられます。それが聖餐式です。何度も何度も、私たちがこの恵みを思い起こし、この恵み以外に私たちが御前に立ち得る根拠のないことを確認するためです。
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