イエスの教えと奇跡のみわざとはユダヤの人々の注目を受け、人々の間では「メシアではないのか」との問いかけが口にされるようになりました(ヨハネ7:41)。ところが、よく知られるように、その生涯の終わりは、当時のローマ帝国内で極刑として知られた十字架刑に処せられることになります。一体どうしてそのような悲劇が起こったのでしょうか。
4つの福音書が示唆するところでは、ユダヤ人の宗教的指導者たちのねたみが背後にあったことが伺えます。律法の解釈適用において権威ある者とみなされていたパリサイ人や律法学者たちは、イエスの教えを聞いた人々が彼を「権威ある者」とみなし始めたとき、心穏やかでなかったでしょう(マタイ7:29)。時には、パリサイ人たちの言葉に反して安息日に人を癒したり(マタイ12:14)、時には彼らを「偽善者」と呼ぶイエスに対して(マタイ15:7、23:13等)、彼らは次第にイエスに対する憎しみを募らせ、イエスを死に至らせる方法を探り始めます。
最終的に、イエスへの十字架刑を決定するに至ったのは、ユダヤ人内部での議会における裁判と、ローマ総督ピラトのもとでの裁判によってで、この二つの裁判が夜から夜明けにかけて行われました。
ユダヤ人の議会での裁判での訴えは、当初、多数の証言者によってなされましたが、それらは互いに合わないものでした(マルコ14:56、59)。最終的にイエスを死に至らせるべきであると決定づけたのは、「あなたは神の子キリストか」という問いに対して、イエスが肯定的に答えたことによってでした(マタイ26:63-66)。
夜が明けたのち、ユダヤ人たちが総督ピラトに十字架刑を要求しました。これは、当時ユダヤはローマの統治下にあり、人を死刑にする権限を持たないからでした(ヨハネ18:31)。このときも、求刑の根拠はかなり不明瞭であり、あえて言えば「自分こそ王なるキリストだ」と主張していて、それはローマ皇帝カイザルの王権に対する挑戦であるという示唆でした(ルカ23:2)。ピラトはイエスの主張がカイザルへの挑戦とは異質のものと気づいたようですが(ヨハネ18:36)、ユダヤ人たちは「十字架につけよ」という要求を声高に繰り返しました。ピラトが不本意ながらイエスの十字架刑を認めたのは、その要求があまりに強く、暴動になりそうであるのを見て、事を治めるためであったようです(マタイ27:24-26)。
これらの経緯を見るならば、イエスの死は冤罪によるものであり、人々のねたみや付和雷同、そしてピラトの自己保身といったものの結果だったと言えます。このような見方は、確かに四つの福音書から支持されるものであり、全く正しいものですが、同時に一面的とも言えます。もしイエスの死をこのような面だけから見るならば、私たちは以下のように感じることでしょう。「かわいそう」、「痛ましい事だ」、「人間の残酷さを感じる」等々。しかし、決してこのことが自分に関係があるとは思わないのではないでしょうか。しかし、イエスの死のもう一つの側面に目を向けていくと、その感じ方が変わり始めます。それは、罪の中に生きている私たちに対する神のご計画の一環としてこれを見る見方です。
まず、上のような経緯が徐々に進行していく一方で、イエスご自身がそのことをどう考えておられたかを見てみましょう。
最初に注目すべきことは、イエスにとって、十字架での死は早くから予期されていたことでした。先にも見たように、ペテロがイエスに対してキリストであるとの告白をしたとき、イエスは弟子たちに死を予告し始められます。「この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示し始められた。」(マタイ16:21)そして、その後も同様のことをイエスは繰り返し口にされます(マタイ18:22、23、20:17-19)。
更に、その死は、他に強いられたものであるだけでなく、神のご計画の一部としてイエス自ら引き受けるものでもあると語られます。「父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである。」(ヨハネ10:18)
裁判の直前になると、イエスはその死がどのような意味を持つのか、弟子たちに明らかにされます。「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」(ヨハネ12:24)とは、暗示的な言葉ですが、十字架の死が何らかの意味で豊かな実りをもたらすものであることを示唆しています。
より明確な言葉としては、いわゆる最後の晩餐の席上の「新しい契約」に関わるものがあります。その晩餐は、イスラエルがエジプトを脱出した際の出来事をもとに祝われた「過ぎ越しの祭」の食事会として行われました。しかし、そこでは、パンを取って弟子たちに与えながら、「取って食べよ、これはわたしのからだである」と言われます。また、ぶどう酒の入った杯を取り、彼らに与えながら、「みな、この杯から飲め。これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である」と言われます(マタイ26:26-27)。別の福音書では、「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である」とも記録されます(ルカ22:20)。これは明らかにエレミヤ31:31-34で語られた「新しい契約」がご自身の十字架の死によって打ち立てられることになることを語られたものと言えます。
イスラエルの民がシナイ契約を守ることができず、滅びようとする中で、メシア到来の預言がなされ、新しい契約についても預言されました。イエスの十字架の死は、これらの預言が成就するためのものであったと言えます。
後に、使徒パウロは、イエス・キリストの十字架の死を、罪人が義とされ、永遠の命に至るための「あがないの供え物」として示しました(ローマ3:25)。使徒ヨハネは、「わたしたちの罪のため」の「あがないの供え物」であり、「ここに愛がある」、すなわち、御子イエスの十字架の死において神の愛がこの上なく明瞭に示されたと指摘しました(第一ヨハネ4:9-10)。へブル人への手紙の著者は、永遠の大祭司キリストがエレミヤ31:31-34で言われた「新しい契約」の仲保者となられたのであり、それは「キリストが…それ(ご自身の血)によって永遠のあがないを全うされた」ことに基づいていると指摘しました(へブル9:12)。
残酷な十字架上でのイエスの死…それは、二千年前の悲劇的な出来事であるだけではありません。イスラエルの民同様、罪の中に生き、その罪のために滅びようとする私たちのために、神がご計画されたものでした。当時の人々の残酷な罪が無実のお方を死に追いやっただけではありません。私たちの神を愛さず、隣人を愛さない的の外れた生き方が、神の御心を傷つけました。そして、痛みつつもなお私たちを救おうとする神の御心が、罪なき神の御子を十字架の死に至らせました。イエス・キリストはそのような神の御心を引き受け、十字架の死に向かって歩まれました。イエス・キリストの十字架上での死は、私たちと無関係にあるのではない…聖書を読むとき、私たちはこの事実に直面させられます。