長田家の明石便り

皆様、お元気ですか。私たちは、明石市(大久保町大窪)で、神様の守りを頂きながら元気にしております。

「聖霊の大河」(エゼキエル47:1-12、2015年5月24日、知多教会にて)

2015-05-24 17:16:43 | メッセージ

ペンテコステ(聖霊降臨日)を迎えました。2千年前、イエス様の弟子達に聖霊が下った事を記念する日ですが、単なる記念日ではなく、聖霊の恵みを覚え、新しく恵みに与かる日でもあります。ペンテコステの出来事は新約聖書に記されていますが、そこから始まる聖霊の働きを預言したのが今日の聖書箇所であると言えます。エゼキエルは神殿から川が流れ出しているという幻を見ました。このところから、聖霊の働きがどういうものであるのかを見ましょう。

1.聖霊の働きの源

「見よ、水が宮の敷居の下から、東の方へ流れていた」(1節)。川は宮の敷居の下から流れ出していました。宮(神殿)は、神様を礼拝する所であり、神様がおられる所です。聖霊の働きは神様のおられる所から始まります。2千年前、御子イエス様は死から復活し、天に昇られ、神の右に座せられました。その場所から聖霊をお下しになったのがペンテコステの出来事です。聖霊は神の御座から流れ下ったと言えます。

更には、新約聖書において、イエス様を信じる私達自身が神の宮であると言われます(第一コリント3:16)。罪深い私達をイエス様はきよめてくださり、聖霊の住まわれる神の宮としてくださいます。その所から聖霊の働きが始まると言うこともできます。

ペンテコステを迎え、私達はその事を深く心に留めたいものです。私達の生活において、私達の内側からあふれる物は何でしょうか。つぶやきとか人の悪口とかいうものではなく、神への賛美、イエス様を証しする言葉であれば幸いです。

2.聖霊の働きの進展

神殿から流れ下る川の幻を見たエゼキエルは、水の流れに沿って進みました。1千キュビト(約450m)進む度に水の深さを測ってみると、1千キュビトで水はくるぶしの高さであったのが、更に1千キュビト進むと、ひざ、更に1千キュビト進んで腰の深さになり、更に1千キュビト進むと、渡り得ない程の川、泳げる程、越え得ない程の川になりました。

聖霊の働きというものは、最初小さく見えても、決して軽んじてはなりません。2千年前、小さな群れであった弟子達に聖霊くだり、教会の働き、宣教の働きが始まりましたが、その後その働きは世界中に広がり、なお進展し続けています。日本において、聖霊の働きはまだとどめられているかのように見えます。どこに聖霊の働きがあるのだろうかと思われることもあります。しかし、よくよく見ると、確かに聖霊は働いておられるのを見い出すことができます。それは、まるで小さな点のように見えるかもしれません。しかし、そのような聖霊の働きを軽んじてはなりません。そのような所から、やがて大きな聖霊の働きが始まっていくことがあります。

3.聖霊の働きの影響力

神殿から流れ下る川の先では、どんなことが起こっていたでしょうか。両岸には多くの木がありました。よどんだ海に、その川の水が流れ込むと、海の水はきよくなり、多くの魚が生きるようになりました。私達が住むこの世界は、罪と汚れに満ちています。しかし、聖霊が働き出すと、そこにきよさが生まれ、命が生まれます。

4.聖霊の働きに対する私達の決断

エゼキエルが見た幻は、栄光に満ちた素晴らしいものでしたが、最後に不思議なことが記されています。「ただし、その沢と沼とは清められないで、塩地のままで残る(11節)。よどんだ海に川の水が流れ込むと、水はきよまり、多くの魚が生きるようになりましたが、沢と沼がきよめられないまま残ったというのです。

2千年前のペンテコステの日以来、聖霊の働きは大きく進展してきました。世をきよめ、人々を救い、生かしてきました。しかし、すべてがきよめられたわけではなく、きよめられないままの部分が大きく残っています。聖霊の働きは素晴らしいですが、聖霊の働きを受け入れるか否かは、私達の決断によります。この朝、「神様、罪深い私の心を血潮によってきよめ、聖霊の働きの影響力中で生きる者としてください。」と祈ろうではありませんか。

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