長田家の明石便り

皆様、お元気ですか。私たちは、明石市(大久保町大窪)で、神様の守りを頂きながら元気にしております。

九州旅行

2022-08-22 10:34:04 | 長田家便り

夏季休暇を利用し、父の実家のある九州に行ってきました。

九州往復はフェリーで。

 

   

長崎では、キリシタン迫害や原爆など、痛ましい歴史に想いを馳せました。

船内や宿ではどしゃぶりの雨が降りましたが、外を歩いている間は守られました。

今回、父も久しぶりに実家(雲仙市)を訪ね、短い時間でしたが、親族との幸いな交流のひと時。

   

実家からは島原城や雲仙岳がすぐ近く。こちらでも、キリシタン殉教の歴史を学ぶことができました。

 

実家すぐ近くより有明フェリーに乗り、熊本へ。

熊本城は地震から6年。昨年復旧した天守閣に登りました。

 

主日礼拝は、福岡教会にて。貞美にとっては、来日最初の場所。

水営路教会にとっても初めての国外宣教旅行に参加して、お世話になった教会。

横田武幸先生、千代子先生もお元気そうで何よりでした。

最後には、福岡タワーより福岡の街並みも一望できました。

 

父にとっても、私たち夫婦にとっても、息子たちにとっても、

それぞれ得るところの多い旅だったと思います。

終始守ってくださった神様に感謝。

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弟の奥さんご召天

2022-08-11 20:16:10 | 長田家便り

弟(晃)の奥さんが召されました。
長らく、透析をしておられましたが、7日(日)夜、腎不全で召されました。

火葬を先に済ませ、本日、お別れの式(告別式)。
弟は東京にある単立の教会(21世紀キリスト教会)で牧師をしており、
貞美と一緒に出席してきました。

関東と関西とに分かれ住んでいるため、互いに会う機会が滅多にないため、
牧師夫人としてどんな働きをしているか知りませんでしたが、
教会の三人の方々が思い出を語ってくださるのをお聞きしながら、
大きな働きをしていたのを知ることができました。

また、主任牧師の増山浩史師より、天国のリアルな希望が語られました。

式後、晃と次男さん(長男はコロナ濃厚接触者となっており、残念ながら欠席)、
妹家族とも久し振りにゆっくり話すことができ、感謝でした。

   

教会は安藤忠雄の建築。東京の真ん中に力強く宣教の働きを進めている様子で、
これも感謝でした。

  

弟家族のために、続いての主の慰めと導き、助けをお祈りしつつ、
帰ってきました。

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瞳帰省

2022-08-06 13:10:01 | 瞳便り

瞳が帰省。

しばらく家がにぎやかになりそうです。

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「聖書が告げるよい知らせ」第26回 福音―救いをもたらす神の力

2022-08-03 17:25:29 | 聖書が告げるよい知らせ

「聖書が告げるよい知らせ」

第二十六回 福音―救いをもたらす神の力

ローマ一・一三‐一七

 

ですから私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。(ローマ一・一六)

 

紀元一世紀、福音宣教のためにパウロほど大きく用いられた人はいないでしょう。彼は、「神の福音のために選び出され、使徒として召された」人物でした(ローマ一・一)。地中海世界を何度も周りながら、多くの人々に福音を伝えました。しかし、彼の心の中にはなお一つの願いがありました。それは、いつの日かローマに行って福音を伝えたいという願いでした。世界の都ローマにおいて、福音にしっかりと根差した教会が形作られることは、その後の宣教の進展のために欠かせないと考えたことでしょう。

 当面、他の予定があったため(ローマ一五・二五)、ローマに行くことはできないことでした。そこでまずはローマのクリスチャンたちに宛てて手紙を書きました。それが『ローマ人への手紙』です。この手紙の中で、彼は福音がどういうものであるのか、その内容を組織立てて書き表しています。

 この手紙の序文部分を通して、福音の中核的な内容を確認してみましょう。

 

一、福音―御子に関する使信

 

この福音は、神がご自分の預言者たちを通して、聖書にあらかじめ約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活により、力ある神の子として公に示された方、私たちの主イエス・キリストです。(ローマ一・二‐四)

 

 福音の中心は御子イエス・キリストです。福音はこのお方についての使信です。約束されたメシア、ダビデの子孫として生まれたお方、死者の中から復活され、神の御子として示されたこのお方が、福音の中心におられます。このお方を抜きにしたり、このお方を横に置いたりすれば、福音の中心から外れることになります。

 

二、福音―神の力

 

福音は、…神の力です。(ローマ一・一六)

 

 福音は神の力です。神がこの世界に変革をもたらすために、人間の思想や政治的力を用いようとはされませんでした。神様は福音を通して人を変え、世界を変えようとされました。

私たち人間も、私たちが住むこの世界も、本来のあり方から遠く離れた状態にあることを自覚しつつも、容易には変えられないものを持っています。人を変えよう、世界を変えようと志した人がいれば、そのことはすぐ身に染みて感じることです。しかし、福音には人を変え、世界を変える力があります。

「力」と訳される言葉(ドュナミス)は、ダイナマイトの語源となった言葉です。容易には変わろうとしない人間の性質を内側から変革する大きな力を持つのが福音です。

 

三、福音―救いをもたらす神の力

 

福音は、…救いをもたらす神の力です。(ローマ一・一六)

 

 福音は神の力ですが、その力はまず人に救いを与えるところに現わされます。なぜなら、人間は神によって救われなければならない窮状に陥っているからであると、パウロは指摘します。「というのは、不義によって真理を阻んでいる人々のあらゆる不敬虔と不義に対して、神の怒りが天から啓示されているからです」と言います(ローマ一・一八)。「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず」とあるように(ローマ三・二三)、神の栄光ある御姿を仰ぎ見て生きるはずの人間が、罪ゆえにその栄光にあずかることができない状態にあることをパウロは指摘します。しかし、そのような状態にある私たちを神はあわれみ、神は福音を通して神の力を現わされ、私たちを救いに至らせます。

救いとは何でしょうか。パウロはこの手紙全体でそのことを明らかにしています。それは、神の前に罪ある者たちを義とします(ローマ三・二二、二三)。義とされた者は、神との和解を与えられ、神の御怒りから救われます(ローマ五・九、一〇)。また、罪の奴隷状態から解放され、きよい実を結び、永遠のいのちに至ります(ローマ六章)。御霊により神の子としての新しい生き方に導かれ、世の終わり、万物の更新とともに私たちも栄光あるからだに変えられます(ローマ八・一‐二五)。罪と滅びの中に歩んでいた者のために、神は何と大きな恵みを備えてくださったことでしょう。

 

四、福音―信じるすべての人に

 

福音は、…信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。(ローマ一・一六)

 

 福音に啓示された神の救いは、「信じるすべての人」に与えられます。「しかし今や、律法とは関わりなく、律法と預言者たちの書によって証しされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。」(ローマ三・二一、二二)「神の義」とは、信じる者が神から与えられる義、神からの義のことでしょう。

私たちは神の前に罪を犯したゆえ、神様から義と認められ得ない者でしたが、ただ「キリスト・イエスによる贖い」のゆえに、「神の恵みにより」、「価なしに義と認められる」幸いがあります(ローマ三・二四)。この無代価の恵みを受け取るためには、イエス・キリストへの信仰だけが求められます。救われるために必要なすべてのみわざは、既にキリストが成し遂げてくださったと、完成された主のみわざに信頼して、神の恵みを受け取ることです。

 

五、福音―ユダヤ人をはじめギリシア人にも

 

福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。(ローマ一・一六)

 

 ローマ教会には、ユダヤ人クリスチャンもいれば、ギリシア人など異邦人クリスチャンもいました。彼らの間には、特に律法の取り扱いを巡って理解の相違が生まれる危険性が常にありました。しかし、パウロは、神の救いにおいて両者に区別のないことを示しました。律法を持つユダヤ人たちは、律法によって神の御心を示されていましたが、知ってはいても行うことができませんでした。律法を持たない異邦人たちも、心に書き付けられた律法、すなわち良心によって裁かれるならば、罪なしとはされ得ませんでした。「ユダヤ人もギリシア人も、すべての人が罪の下にある」…これが罪の問題に関するパウロの結論でした(ローマ三・九)。ですから、律法を持つ、持たないにかかわらず、彼らが神の前に義とされ、救われるのは、「イエス・キリストを信じることによって」であって、「そこに差別はありません」(ローマ三・二二)。

 世界中のすべての人々に提供されているこのよい知らせ、福音を、あなたも信仰によって受け取りませんか。

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