長田家の明石便り

皆様、お元気ですか。私たちは、明石市(大久保町大窪)で、神様の守りを頂きながら元気にしております。

「ばかな平和主義者」と独りよがりな正義の味方(鈴木光)

2016-02-20 18:41:32 | 

題を見て、過激な内容を想像し、「いのちのことば社がどうして?」と思ってしまいましたが、読んでみると、穏当かつ基本的な内容でした。

著者は1980年生まれとのことですので、まだ若い牧師ですが、アメリカ留学の中で、日本とアメリカのキリスト教会での「平和」理解がかなり違うことに気づき、驚いた経験を踏まえて書いておられます。

信仰は保守的で、平和学や「平和」についての神学的取り組みも基本的なところは押さえているようです。クリスチャンでない方、特に若者を読者に想定しながら書いておられますので、とても分かりやすく読めます。(平和に関わるマンガも一部転載。)平和について説明しながら、要所要所、クリスチャンの信仰について基本的なところを解き明かしていますので、「キリスト教平和論入門の体裁をとった信仰入門書」という見方もできそうです。

使用例
(1)クリスチャンでない人から「アメリカはキリスト教国でしょ、どうして戦争やってるの?」と尋ねられたとき「読んでみて」と勧める。
(2)教会の中で、「平和について一回学んでみたい。議論が白熱するのもいやだが、通り一遍のところで終わらせるのもいや。」という時のテキストに。
(3)クリスチャン同士が平和について議論していて、話が平行線になってきたとき、議論を噛み合わせるための手がかりとして。

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第2章 迫害者サウロ、回心者パウロ

2016-02-18 07:55:04 | N.T.Wright "What St. Paul Really Said"

第2章 迫害者サウロ、回心者パウロ


【要約】(ここで「私」というのは、ライトのことです。)


1.タルソのサウロのアジェンダ

タルソの青年サウロが追及していたユダヤ人の種類、ユダヤ人のアジェンダの種類を特徴づけるキーワードは「熱心」である。(ローマ10:2、ピリピ3:6、ガラテヤ1:13-14)これらのアジェンダはどんなものだったのか。そして、サウロに何が起こって彼を迫害者から説教者に変えたのか。

○どのタイプのパリサイ人か

サウロの教会迫害と「熱心」という言葉からは、彼があるタイプの1世紀ユダヤ教に位置づけられる。単なるユダヤ人、単なるパリサイ人でなく、シャンマイト派パリサイ人であり、しかも最も厳格な部類に属するということである。

ヘロデ大王の時代(BC36-4年)、パリサイ主義の中に二つの学派が生まれていた。それらはヘロデ時代の偉大な教師、ヒレルとシャンマイによっている。私たちは彼らをミシュナ(AD200年頃のユダヤ教律法注解集)の何十という議論を通して知っている。そこでは、ヒレルはほとんど常に「寛大」であり、シャンマイは「厳格」である。彼らの弟子たちも同様に様々の問題を「寛大」及び「厳格」に議論している。

ミシュナが書かれた紀元2世紀の終り頃までには、ヒレル派が勝利を獲得した。しかし、紀元前1世紀後半のヒレルやシャンマイの時代と、二世紀はじめの偉大なラビ・アキバの時代との間には、パリサイ派の二つの流派の間に多くの論争がなおあった。サウロは厳しい議論と党派の忠誠の世界で育った。その中で彼はいわば軍事的最右翼とも呼ばれうるシャンマイト派パリサイ人であった。

しかし、ヒレルとシャンマイは、正確には何について寛容であったり厳格であったりしたのか。それは単に宗教的なことではなく、また単に個人的敬虔の問題でもなく、「神学的」かつ「政治的」な問題であった。それは、イスラエル(すなわち民と土地と神殿)の目的とアジェンダについての問題である。

ヒレル派は、広く言えば「そのまま行かせよ」の方針を追求した。ヘロデ、ピラト、更にカヤパたちに世を支配させよ、イスラエルを支配させよ、我々ユダヤ人が平和にトーラーを研究し、実践することが許されている限りは。シャンマイト派はこれでは不十分だと信じていた。トーラー自身、イスラエルが異邦人のくびきから自由にされ、平和に神に仕えるのに自由であるよう命じ、一人の真の神、ヤーウェ以外にだれも支配させないよう求めていると、彼らは考えた。

彼らはそのために暴力の利用と共にその熱心を行使する権利と義務を持っていると考えた。こうして「熱心」は聖戦に接近するのである。

我々の証拠によれば、シャンマイト派はヘロデ大王とAD66-70年のユダヤ-ローマ戦争との間の期間、支配的だった。

AD70年の神殿破壊後、ヒレル派とシャンマイ派は互角になった。

この時期の終り、アキバが全時代で最も偉大なラビとしてヒレル派からさえも歓呼して迎えられ、シメオン・ベン・コシバの革命と運命を共にした。アキバは彼をメシヤ、「星の子」であると言い、異邦人に対する聖戦を起こしたのである。

○サウロの信仰と希望

タルソのサウロは一世紀のパリサイ派の信仰と行為のこのような地図のどこに属するだろうか。彼はスピーチの中(使徒22:3)でガマリエルが自分の師の一人であったと言っている。このことから彼が回心前はヒレル派であったと想像する学者もいるが、彼の迫害行為を見ればこれはありえない。サウロは彼から多くを学んだが、彼の立場を共有しなかった。

従って、我々はタルソのサウロの時代のシャンマイト派パリサイ人のアジェンダを描く時、サウロ自身を描いているとある程度の確信を持つことができる。まず、彼は以下のような預言的約束がまだ成就していないことを熱烈に信じていた。神の国の到来=バビロン捕囚(=ローマ支配)が終わること(ダニエル2、7、9章)、イスラエルの回復、十人の人が一人のユダヤ人の衣のすそをつかんで「あなたと一緒に行かせてください」と言うこと(ゼカリヤ8:23)ヤーウェがエルサレムに敵対するすべての国々を打ち負かすためにシオンの山に立つこと(ゼカリヤ14:1-5)、新しい神殿が建てられ、癒しの水の川が流れて死海でさえ新しくすること(エゼキエル47章)、慰め、赦し、平和、繁栄(イザヤ40-55章)。(クムラン写本も参照)

サウロは当時の多くのユダヤ人たち同様、ユダヤ人の聖書を終りを求めるストーリーとして読んだし、自分の仕事は終わりをもたらすことだと確信していた。そのストーリーは、このようなものである。イスラエルは創造主なる神の契約の民、暗い世を照らす光、神がアダムの罪とその結果を元通りに戻すための民となるよう召されていた。しかし、イスラエルは罪深くなり、その結果捕囚となり、自分自身の土地から離れた。地理的には捕囚から戻ったが、真の捕囚状態はまだ終わっていない。約束はまだ果たされていない。神殿はまだ再建されていない。メシヤはまだ来ていない。異邦人はまだ支配下に置かれておらず、彼らがトーラーを学ぶためシオンに旅立ち始めてもいない。イスラエルはなお深く妥協しており、罪深いままである。

この状況の中に聖書はこれらすべてのものが正しくされる時について明瞭にまた力強く語る。ある日、ヤーウェは全地の王となる。悪は決定的に打ち負かされる。イスラエルは一人の真の神の真の民として立証される。このような聖書の読みが、シャンマイト派の熱心を鼓舞したのであるが、神学的には三つの主要なポイントがあった。唯一神論、選び、終末論である。タルソのサウロはこのすべてを信じ、行動した。

シャンマイト派や一般に革命主義者たちは、これらの預言をトーラーへの彼らの熱心によって実現させようと懸命であった。

私はタルソのサウロは次のようなことを信じていたと教えられ、長年そう思ってきた。すなわち、生涯の問題は死んで天国に行くことであり、死後天国に行く方法は中心的道徳規範を厳格に守ることだと。(原ペラギアン的。)

私は今、これが時代錯誤だと信じている。この見解はサウロの時代に創案されたものではない。この点でエド・サンダースは正しいと私は確信している。すなわち、初期のユダヤ教、特にパリサイ主義をペラギウス主義の初期の形態と考えるなら、我々はそれを誤解していたのである。(しかし、サンダース自身、時代錯誤を免れなかった。ミシュナ同様、彼は暗にヒレル派の立場を採用している。)

しかし、タルソのサウロは行為義認であろうと他の何かであろうと、非時間的な救いのシステムに関心はなかった。また、彼は単に宗教のシステム、すなわち「入る」や、あるいは「とどまる」(サンダースのカテゴリー)システムを理解したり、働かせたりすることに関心はなかった。彼は神がイスラエルを贖うことを求めた。他の様々な教派のユダヤ人同様、彼は大きな歴史的・文化的・政治的苦難の中から、彼らの神が歴史の中で彼らのために行動することを切願した。

ここで、この希望の一つの特徴に注意を払う必要がある。契約の目的は単に創造主がイスラエルを特別な民として所有しようとして、世界の残りの運命に無関心であったのではない。契約の目的はこの手段を通して創造主がご自身の全世界を扱い、救うということであった。

このことは大切な二つの技術的用語を理解するために我々を備える。第一に、「義認(justification)」はこの文脈で何を意味するであろうか。「義認」は法廷用語であり、ユダヤの文脈ではすべてのものの最大の審判、すなわち、真の神がすべての民族を裁く偉大な日に起こる審判について言及するものである。彼は異邦の民族を裁きご自身の真の民を救われる。「義認」はこうして贖いと救いの来たるべき偉大な行為を表わすものであり、一方では契約の観点から(イスラエルは神の民である)、他方では法廷の観点から(神の最終の裁きはイスラエルが訴訟に勝利する偉大な法廷場面のようであろう)見られる。

二つ目の避けられない主要な技術的用語は「終末論」である。学者たちがこの用語を1世紀ユダヤ教及びキリスト教との関連で用いるとき、イスラエルの歴史、そしてそれにより世界の歴史が偉大なクライマックス的瞬間に向かって進んでいることを示す。その瞬間にはすべてのものが一度に片づけられるのである。

これら二つ(義認と終末論)を一緒にすると、何が起こるだろうか。「義認」、すなわち、契約の成就との関わりで、また最後の偉大な法廷場面との関わりで見られる救いの偉大な瞬間は、終末論的でもあるであろう。言い換えれば、ユダヤ人の終末論的望みは神がご自身の民の正しさを証明してくださると言う義認への望みである。

この出来事、この最後の義認はある環境下で期待されうる。特定の熱心をもってトーラーを守ることにより、特定のユダヤ人たちは自分自身を既に「真のイスラエル人」であるとみなすことができる。私はこのことについて更に7章で語るであろう。

タルソのサウロのアジェンダは何だろうか。三つのポイントで描くことができる。第一に、彼はイスラエルの神とトーラーに熱心。彼の熱心は、神があがめられるのを見ようとする熱心であり、それはどんな手段が必要とされるのであっても、ユダヤ人の中でのトーラーへの不忠実のあらゆる形態を撲滅することを要求し、またどんな手段であっても異邦人のくびきをかなぐり捨てることを要求する。第二に、サウロは彼と他の人々が心からトーラーを守っているので、彼らはヤーウェが最後にご自身の民を救い贖う偉大な来たるべき日に正しさが証明される人々であると認められるであろうことを意図した。第三に、彼は必要なら暴力を用いてでも他のユダヤ人たちに自分のようにトーラーを守らせることによりこの日を早めることを意図した。


2.サウロの回心とその直接的意義

○ダマスコへの道:出来事とその意義

パウロは自分の回心の経験を語るにおいて、実際にイエスを見たと頑強に主張した。ルカの言葉を借りれば、パウロは昇天後であったけれども復活のイエスを見た。

イエスが肉体において死からよみがえったのだとのパウロの知識はダマスコ途上で彼に起こった事の意義を理解するために永遠的重要性を持つ。出来事を霊的にあるいは心理的に理解してはならないし、単に律法ののろいとしての十字架理解が転換され、律法が無効化したことを語っているだけではない。

タルソのサウロにとってのイエスの復活の意義はこれである。一人の真の神が、時の終りにおいてイスラエルのために行われるであろうとサウロが考えていたことを、神は時の只中でナザレのイエスのために行われたということである。サウロはヤーウェが異邦人の手にかかり苦難を経た後に、イスラエルの正しさを証明されるであろうと想像していた。その代わりに、神は異邦人の手にかかり苦難を経た後に、イエスの正しさを証明された。サウロは偉大な逆転、偉大な黙示的出来事がたちまち起こり、すべての間違った事が正され、来たるべき時代が先導されると想像した。その代わりに、偉大な逆転、偉大な復活が一人の人に、すべて彼だけによって起こった。これは何を意味しえるだろうか。

それは、まったく単純にこのことを意味した。すなわち、ナザレのイエスの弟子たちは彼をメシヤ、イスラエルの運命を担う方と見なしたが、サウロにはイエスがむしろ反メシヤであり、異邦人を打ち負かすことができない者、ただ、トーラーに対してはルーズで、神殿に対しては批判的な人々のグループを生みだすことに成功しただけであると見えた。しかし、復活はイエスの弟子たちが正しかったことを証明した(ローマ1:4)。復活はイエスが真のメシヤ、イスラエルの運命の真の担い手であることをはっきりとさせた。

しかし、イエスが本当にメシヤであり、その死と復活が本当に罪を決定的に打ち負かし、ヤーウェの民の正しさを証明したのであれば、これは来たるべき時代が既に始まったのであり、既に開始されたのである。

ダマスコ途上でサウロの見たものは、こうして彼に全く新しい視点を与えた。しかし、それはその根を以前の契約の神学に堅く、また深く根ざしていたのである。イスラエルの運命はメシヤなるイエスによって要約され、達成された。来たるべき時代は始まった。サウロ自身その使者として召された。


【コメント】(ここで「私」というのは、長田のことです。)

この章では、パリサイ派ユダヤ人としての「タルソのサウロ」の思想に焦点が当てられます。パウロの神学思想を考える上で、ごく自然な始まり方にも見えますが、本書全体に渡って展開されるライトの見解の導入となる重要な章でもあります。よくよく見ると、いくつかの要素が複雑に絡み合っているように思われますので、私なりに整理してみます。

1.1世紀ユダヤ教理解の問題

この章は、「タルソのサウロ」がどのような神学思想に立っていたか、1世紀ユダヤ教の文脈の中で理解しようとする章です。パリサイ人の中にヒレル派とシャンマイ派とがあること、それらがどのような考え方の違いを持っているか、また、サウロがその中でシャンマイト派であった等、学の浅い者としては初耳のことが多くありました。読んでいる間に岩上敬人著『パウロ―ギリシア・ローマ世界を生きた使徒』も出され、この点については、学者の中で共通理解になりつつあることを感じました。

ここで、議論の最初に「タルソのサウロ」を持ってきたのは、著者の巧みなところと言えるかもしれません。シャンマイト派については知らなくとも、使徒行伝がサウロについて記すところからは、確かに暴力をも辞さずに熱心に信じる所を突き進んでいる若者の姿を見い出すことができます。そういうところから、1世紀ユダヤ教、特にシャンマイト派ががどのような思想を持っていたのかを描き出していきます。唯一神論、選び、終末論というような3つのポイントから要約されるような、一般的ユダヤ教思想を背景に、特に律法への熱心をもって、暴力をも辞さずに歴史的・政治的クライマックスをもたらそうとするシャンマイト派の思想が描き出されます。

これらの理解は、おそらく今後、新約学の研究で基本的な部分になるのかと思われます。1世紀ユダヤ教への理解のためには、その分野の書物をもう少し幅広く読んで行く必要もありそうです。

2.タルソのサウロと回心者サウロとの間の不連続性と連続性

ライトの理解に特徴的なのは、「タルソのサウロ」の神学思想と、「回心者パウロ」の神学思想との相互関係についての理解だと思います。福音派教会の中では、おそらく両者の不連続性が強調されてきたように思います。サウロが政治的思想、暴力をも辞さない態度でユダヤ教思想に忠実に歩もうとしていたとしても、回心後のパウロはキリストによるところの内面的・人格的・霊的な回心を強調する伝道者として生まれ変わったのだと考えます。しかしライトは、復活のイエスに出会ったことを通して、サウロが全く新しい視点を獲得したのだとしても、そこには大切な連続性があったのだと強調します。特に、歴史的・終末論的視点、神のご計画におけるイスラエルの役割の中心性を踏まえる点などの点は、連続性を意識しています。そういった文脈の中で、主イエスを位置づけようとします。「一人の真の神が、時の終りにおいてイスラエルのために行われるであろうとサウロが考えていたことを、神は時の只中でナザレのイエスのために行われた」という理解です。「ダマスコ途上でサウロの見たものは、こうして彼に全く新しい視点を与えた。しかし、それはその根を以前の契約の神学に堅く、また深く根ざしていたのである。」(37頁)というあたりが理解のポイントになるかと思いました。

3.「義認」理解の問題

1世紀のユダヤ教思想を理解するために、ライトは、二つの技術的用語が不可避であると指摘します。「義認」と「終末論」です。この内、「義認」を説明するに当たって、ライトは「最後の審判」「契約」「法廷」といった言葉を用います。注意すべきは、ライトがこれらの言葉をイスラエルの希望との関わりで、その文脈の中で理解し、説明している点です。たとえば、次のような具合です。「『義認』はこうして贖いと救いの来たるべき偉大な行為を表わすものであり、一方では契約の観点から(イスラエルは神の民である)、他方では法廷の観点から(神の最終の裁きはイスラエルが訴訟に勝利する偉大な法廷場面のようであろう)見られる。」(33頁)ライトがこの章で「義認」について触れているのは、「タルソのサウロ」を説明する中においてですので、イスラエルの希望を文脈として「義認」を考えることは、ある面当然のことではあるのですが、上に見たように、回心者パウロは、その文脈を受け継いでいると理解しますので、パウロの「義認」理解もここでの説明を受け継ぐ形になります。(第7章でなお詳細に取り上げられることになります。)

従って、ライトにおけるパウロの「義認」理解を検討しようとするならば、少なくとも二つの論点があることになります。
(1)1世紀のユダヤ教において、「義認」は本当にライトが説明しているようなものだったのか。
(2)タルソのサウロと回心者パウロとの間で、「義認」という言葉の意味にどこまで連続性を認めることができるか、あるいは、どの点において、どの程度まで不連続性を認めるべきなのか。

4.1世紀ユダヤ教はペラギウス主義的宗教でなかったのか

本章の検討としては、少し先走った話になるので、わざと飛ばしたのですが、ライトの1世紀ユダヤ教やシャンマイト派についての説明(それ自体は受け入れるべき妥当な説明なのだろうと思いますが)の中に、議論の対象となりうるポイントが加えられています。「パリサイ主義をペラギウス主義の初期の形態と考えるなら、我々はそれを誤解していたのである」(32頁)。

この点が議論の対象となるのは、後々義認論との関わりを持ってくるからです(第7章)。「私は今、これが時代錯誤だと信じている。」「この点でエド・サンダースは正しいと私は確信している。」とも言われます(32頁)。この点こそ、近年、新約学の分野で話題になっている「パウロ研究の新しい視点」(New Perspective on Paul、NPPとも略称される)と言われるもの要になる部分のようですので、慎重な吟味を必要とします。

この点に関しても、後々の議論との関わりも含めると、検討されるべきいくつもの論点がありそうです。
(1)1世紀ユダヤ教に関わる文献から、この点はどれ程立証されるものなのか。
(2)1世紀ユダヤ教に関わる文献からはパリサイ主義をペラギウス主義の初期の形態と考えることが困難であるとしても、パウロの手紙や新約聖書の他の部分から、1世紀ユダヤ教の中にそのような要素があったと立証することはできないのか。
(3)(1)(2)の結論を踏まえ、パウロが「義認」について手紙に書いた時に批判しようとしたのは、「ペラギウス主義の初期の形態」としての宗教ではなかったと確実に言い得るか。
(4)(3)が成立するとして、パウロの義認論についての理解に、それはどれ程影響を与えるか。
(5)(4)の結論は、新約聖書の救済論その他の神学にどのような変更をもたらすのか。

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五十肩

2016-02-07 19:58:24 | 栄一便り

丁度50歳で五十肩になりました。

左腕が写真の角度までしか上がりません。

昨年半ばからの症状ですので、急性期を過ぎて既に慢性期。

病院の指導の下、地道に体操をすると回復が早まるとのことです。

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公園の散髪

2016-02-07 19:56:44 | 事務所便り

事務所前の公園の木々が久しぶりの散髪。

クレーン車三台入っての本格的な散髪です。

寒風の中、寒そうです。

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