長良の鵜 ズボラ余生

「ズボラ余生とは」:
何事も、前向きに捉え、楽天的に生きていくことです。

エネ政策聴取会と電力会社社員

2012-07-21 08:20:48 | Weblog
今朝のラジオで、大宅映子が辛口コラムという番組で、中部電力の社員も国民だから、聴取会から排除すべきでないといっていた。
これは、私は間違っていると思う。
まず第1に、日本はまだ民主主義やディベートにおいて、それほど成熟していない。
そのため、特定の関係者を会に送り込んで世論を変な方向へ誘導していたということが、今までもしばしば行われていた。
第2に、中部電力の社員は課長であり、一般従業員と異なり、会社の政策を推進する立場にあり、その発言は個人の意見とは限らない。
第3には、聴取会での意見ですべてが決まるなら、電力会社の社員も加えるべきかもしれないが、別の場面で、電力会社の意見は、聴取会以上の圧力で、国の方針を動かそうとしている。
別に、聴取会で意見を言う必要もなかろう。
果たして、大宅映子は、これだけのこと(あるいはもっとあるかもしれない)、を考慮して発言しているのだろうか。

線量計に鉛板 被爆隠し

2012-07-21 08:20:08 | Weblog
東電の下請け会社の役員が、線量計を鉛板で覆い、被ばく線量を少なく見せかける偽装工作を作業員にさせたという。
原子力ムラは、常識の通らないところだと思っていたけれど、これほどだとは思っても見なかった。
被爆量を、50ミリシーベルトまでと国が決めたのに、生活のためには働かなければならないとか言って、作業員の被爆量をごまかして、作業させていたのである。
もちろん、個人の被爆による健康被害など考慮しないで、被爆量の限度を超えて作業員が働けなくなったら、会社が困るということで、そのような行為が行われたに違いない。
当然、福島原発の爆発時には、多少無理して作業しなければ、原発がさらに爆発したり、放射能汚染をばら撒くため、短期的に、無理な作業を強いなければならないということもあるけれど、爆発から1年以上経った今、(実際に鉛板で被覆されていた期間がいつなのかは分からないけれど、)、絶対にこのようなことがあってはならず、弱い立場の人間を守るために、国は十分な監視を続けるべきである。

妻の友達との会話

2012-07-21 08:19:27 | Weblog
妻が帰ってきて、友達と話し込んで遅くなってしまったという。
そして、高○さんが「夫が3年前になくなって、今は天国のような暮らしをしている。好きなことをして、好きなところへ行って・・・」
高○さんとは、娘の同級生のお母さんである。
たしかにこれは、友達との会話を私にただ話しているだけである。
しかしながら、私には、「うちの夫も、早く死なないかしら。そうすれば私も、高○さんのように、楽しい生活が出来るのに」と言っているように聞こえる。これは私の邪推であろうか。
たぶん、私とあまり変わらない歳だろうから、3年前はまだ死ぬには早かっただろう。
そして、高○さんも、若くて、好きなことが出来たのだろう。
けれども、考えてみれば、その夫が生きている間に十分稼いでくれ、また死んでからもたくさん年金が入るから、現在そのような生活が出来るのである。
それを、いかにも、夫が死んでくれたから、現在天国のような生活が出来るとは。
もちろん、夫が死んだ直後は悲しかったのだろうけれど、3年も経つと、そんなことも忘れて、生きている今を楽しんでいるということなのだろうか。