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那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

東大に入った同級生の父親の話

2016年03月14日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(近々決定版が出ます)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。

今月の春名先生を囲む会では私が講師となって「合気道の歴史と簡単な実技」を行います。

嬉しいお知らせがあります。柴原さんと出会ったところ「ムササビヒーリングの家」を経営されアンチエイジングから遠隔ヒーリングまでされていました。今月から「春名先生を囲む会」に参加されます。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。

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私は見性体験記の中でも書いているように、中学に上がる時、創価学園の第一期生の募集があったために受験したところ4倍の難関を通ったので創価中学に入った。入ってすぐに池田大作本物論が出来上がっていることを知り、チャンスを見つけて退学したいと思っていた。中学3年の夏休み、郷里に帰った時、創価中学の友人よりも宗教に関係なく郷里の友人のほうが遥かに純朴だと確信して中退することを決心した。

そのことを申し出ると学級担任と学年主任と学園長(小山内という名前だった)が「池田先生の顔に泥を塗るのか」と言って引き留めたが、私は「私は日蓮大聖人を尊敬しているからこの中学に入っただけで、池田先生は日蓮正宗の法主上人を外護する立場ではありませんか」と言って自説を変えなかった。すると小山内学園長が「女でも出来たんじゃないか」とゲスの勘ぐりのようなことを言った。これは心理学では「投影」と言って、小山内自身に愛人でもいたのだろう。

そこで郷里の中学に中途入学することになったが、井上という秀才が「那田君が帰って来たら学年トップの地位を守ることが出来ない」と言ったと聞く。しかしその心配は杞憂だった。小学校の時の親友たちがみんな不良になっていたために、私も仲間になって遊び始めたからである。

その井上の父親は当時小学校の教員だった。時は過ぎて、私が大学院を修了し妻子を連れて帰京したとき、その父親は児童館の館長として勤めていた。私は郷里に帰って最初の3年間はアルコール性肝炎や脊椎狭窄を治すために静養していた。ちょうど近くに児童館があったので、そこに行っては子供たちにバスケットボールなどを教えていたせいか、井上の父親は我が家に突然やって来た。

そして私が「月刊イメージフォーラム」という今は廃刊になったが当時は最もハイブローな映画批評誌を見せて私の批評を見せたところ、余程プライドを傷付けられたらしく「那田君の批評は一番後ろの方にしか出てないじゃないか」とケチを付けた。そこで、私は井上の父親に「順番と批評の内容は無関係ですよ」と言ったところ、またその父親は「東大生が一番頭がいいのだから芸術家も東大生が一番レベルが高いはずだ」と言い張るので、「受験勉強などというものは、引っ越しの荷物を整理するのと同じで、ジャンル別に物事を覚えていくだけの単純作業です。芸術はそれほど甘いものではありません」と言うと、今度は私の父親にケチをつけ始めた。

「校長なんて昔の師範学校を出ていれば誰でもなれる」というので、私は「私の父親は旧制中学を卒業した後、検定試験を8回連続して合格し、最後まで残ったのは愛媛県で3人だけだった」というと余程悔しかったらしく、自分の等級?を自慢しはじめた。そこで私は「戦前の教員は天皇陛下の家来のようなものだったので宮内庁から任命されていた。私の父親は従六位の正です、と言って鴨井の額縁を指さしたところ、その父親は「ケ、ケ、ケ、ケ、ケ」と鳥の鳴くような笑い声を立てて我が家から消え去った。

後日談がある。私が上京して早稲田大学の非常勤講師になったとき、同級生の井上と一時期メルトモになっていた。井上は理数系は強かったが文系には弱かった。そこでユングのいう補償作用のせいだと思うが、彼のブログは文学や音楽の批評が専門になっていた。そこでメールで井上から聞いた面白い話があるので読者の皆さんにお教えする。

彼は県庁職員になり、若くして直ぐに課長になったが、県庁における議会でのやり取りは全部自分が書いていたというのである。つまり野党の質問も、県知事の答えも全て井上が作っていたのだ。

これは地方自治体だけの話ではなく今の国会答弁も同じ仕組みだとおもう。丁々発止と論戦を行っているように見えるが、全て官僚の書いたシナリオ通り、というのが真相なのだ。

ちなみに井上の父親は、それまで共産党支持者だったが、井上が入ったとたん、自民党支持者に代わってしまった。天罰というものだろうか、井上の父親の妻は認知症になり、またその父親の人柄のせいで地元では誰も口を利かなくなったという。おそらく井上の両親は今は二人ともこの世にいないだろう。


一平ラーメンで絡んできた剣道師範の話

2016年03月13日 | 思い出の記

ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(近々決定版が出ます)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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 また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。

今月の春名先生を囲む会では私が講師となって「合気道の歴史と簡単な実技」を行います。

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私が東京工芸大学を辞職して様々な裁判を抱えながら、母の名前「満留」を店の名前にした高級料理店を作ろうとフラフラになりながら仕事をしていた時の話である。

現在のドンキホーテの近くに今でも「一平ラーメン」という店があり、そこには中高年の男性が中心となった昼飲みグループがあった。彼らは正午12時に集まり、2時になるとパチンコに行ったり立川の場外馬券売り場に出かけていた。全員が私より年上なので私が行くと喜んでおつまみやビールなどをおごってくれたことをよく思い出す。

そこで私が中学時代に剣道5段の師範に勝った話をしていると昼飲みグループではない向こうの席に背広を着た紳士風の男が「嘘をつくな」と言って絡んできた。店の中は一瞬静まって重い雰囲気が漂った。そこで私はその男の席の前に座り、左手で握手をしましょう、と言って思い切り左手で握手をした。

するとその男は突然静かになって次のような逸話を語り始めた。彼は楢原にある道場で教えている剣道師範で、何年か前に愛妻に先立たれたらしい。彼の愛妻が竹刀を入れていた布の袋には愛妻の名前が赤い刺繍で縫い付けてあった。それを見せながら、もう自分には生きている意味が見つからない、だから八王子に教えに来るたびにこの店に寄って昼から酒を飲んでいるのだと打ち明けた。私は気の毒になって彼を励ましたことを覚えている。

その男は私にもまた剣道を再開するように言ったが、私は中学生時代の「36サブロク」の竹刀で自分のスタイルを確立しているので「38サンパチ」では剣道を再開することは出来ない、と言ったところ、その剣道師範は「36サブロク」でもいいから剣道を再開できると言った。現在はそのやり方は無理のようだが当時はそれで良かったのだろう。

酔っぱらって絡んで来るような人間にロクな奴はいないと思っていたが、そういう純愛に生きている人間がいると知った次第である。


「春名先生を囲む会」の原案だった「ロータス文化学院」に関する松本俊夫先生へ書いた手紙

2016年03月04日 | 思い出の記

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 また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。

今月の春名先生を囲む会では私が講師となって五行歌の歌会を行いますので、参加される人は http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/f4c47ab144a03aef2fe22d51d9c8ddc3 を参考にして五行歌を作って私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp まで送って下さい。題詠(テーマ)は「炎」ですが、この言葉を作品の中に入れても入れなくても構いません。いまのところ誰からもメールがありませんが時間はまだタップリあります。また上のurlで、はひふへほ、を折句にして歌った女性はキャバクラに勤めているホステスさんで、初心者の上に26歳の若さですから皆さんも絶対に作れる筈なので頑張ってください。

また一般の人は http://gogyoka.bbs.fc2.com/ この掲示板に投稿をお願いします。

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今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。

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 手紙が大変遅くなりました。

いま手元にあるのは先生から2011年2月4日に頂いたものです。この手紙への返事も含め、色んな経過をきちんとした報告しなければと思いながら、複雑な事情が重なりお話できませんでした。また贈呈本の際のお礼も遅れ、大変申し訳ありませんでした。

この間、私は危篤を含め何度か入退院し、現在要介護1でデイサービスやヘルパーさんの介護を受けながら、もう直ぐ95歳になる要介護3の母の介護をしている、という限界の中で暮しています。妻とは離婚し、狐に騙されたような判決で子供の面会交流が出来ていません(口頭では許可されながら明文化されていない)。子供たちは「片親疎外症候群」そっくりの症状に陥り、母(お婆ちゃん)の記憶さえ無くし、母共々心痛の毎日です。

松本先生の手紙を読み、大きな誤解と情報の混乱があると分かりましたが、誤解を解くためには事実を述べる必要があり、そのためには他人を批判せざるを得ません。そういうことは避けたいので今日まで沈黙してきました。

ところが先日、牧野先生が心臓のバイパス手術のやり直しになりそうだ、という緊急状態になられ、電話で遺言(遣り残した仕事)まで伝えられました。万一の場合を想定して、悩んだ末に手紙を書くものです。以下箇条書きにします。

①先生の名義を借りたいと書いた理由。

手元の手紙を読むと、私が松本先生の名前を借りて銀行からお金でも借りる、と受け取られている様子で驚いています。完全な誤解です。「ロータス文化学院」という団体を組織し、可能ならば自治体や企業から助成金を得、賛同者を募るには、先ず規約、活動の趣旨、役員や代表者の名前等々を揃える必要があり、一番知名度の高い先生の名前を表に出すのが最適と判断した、それだけの理由です。絶対に赤字を出さない方法を考えましたから債務を背負う計画など念頭にありません。まして他人に背負わせるなど詐欺師のやり方です。私がどういう人間かは先生がご存知の筈と思っていました。残念です。疎遠になるとこうなってしまうのでしょう。

②まず総論として:失敗の原因と今後の方針。

私は大学非常勤講師の頃から「創価学会批判運動」を行っており、その方面でも相当に名前を知られています。

一つだけ具体例を言うと、軍属だった母を「従軍慰安婦」と罵り、私の書いた論文も批評も全く読んでないのに「何の価値も無く、学生から相手にされていない」と公言する創価学会工作員を本人訴訟で最高裁まで追い詰めたことがあります。一審から事実審議はゼロ、最高裁では「3行判決」で敗訴しましたが、相手が逆提訴した松山地裁では本人訴訟で勝訴しました。

ちなみに二人の被告のうち一人はビデオ業者で小型映画ファン、一人は写真のプロで、私のHPに巧みに接近して突然変貌しました。当時常連投稿者だった居田伊佐雄さん他多数の陳述書も裁判所に提出しました。

これらの様子を私のHPで「裁判経過同時中継」として公表していた時期があり、被害者や偽被害者(二重スパイ)など様々な人物が接近してきました。現在も似たような状況です。(別紙1に創価学会が私を第一の標的として狙っている、と聞いた親族の証言書を同封します)

こういう状況の中、Mさん、高知の親友・田辺浩三とその娘・小夏ちゃんの三人とも創価学会の被害者で、自己救済を兼ねて参加してきたわけです。つまり、ロータス文化学院というの教育改革構想に、創価学会問題が絡んだのが途中で空中分解した最大の原因です。

ですから結論として、私はこの企画から降り、色の付いていない第三者に実行委員会のリーダーになってもらうつもりです。既にmixiの「松本俊夫コミュニティ」(700名ほど参加者がいます)でその旨を呼びかけましたが、名乗り出ている人物は未だに一人もいません。

③Mさんと小夏ちゃんの行動。

創価被害者にはよくあることですが、Mさんは既に手遅れの状態(関係妄想や空間認識障害など)、高知からやってきた小夏ちゃんも、田辺氏の元妻が創価学会の幹部だったために離婚となり、幼児の時から片親で育ったため精神的に非常に不安定でした。

田辺氏の告発はネット上で「妻を娶らば創価学会の悲惨」http://www.asyura2.com/0401/idletalk8/msg/970.html (田辺氏が書いた「新潮45」の転載記事)で詳しく述べられています。

田辺氏が「ロータス文化学院が出来るまで間、小夏を那田の娘だと思って育て、色んなことを教えてほしい」と言うので、荷物も私が着払いで受け取り、便利屋さんに私の事務所(松本先生と牧野先生が来られた部屋です)を片付けてもらい、さらに知り合いの市議に頼んで彼女の仕事が見つかるまで生活保護の準備も整えていました。

小夏ちゃんは高知からバスに乗って夜遅く我が家に着きました。翌日、私と母に挨拶もせず、田辺氏の知り合いの画家で鎌倉に住んでいる合田佐和子さんのところに行ったまま熱を出して寝込みました。合田さんから電話があり「依頼原稿の締め切りも迫り困っている」とのことで、同じ神奈川に住むMさんに迎えに行き、元気になるまで引き取ってほしいと頼みました。

体調が戻った後、何を思ったのかMさんは小夏ちゃんを自分のマンションに同居させようとしました。田辺氏は小夏ちゃんに私の元まで電車で一人で帰るよう説得しましたが、Mさんの車で帰ってきました。そして小夏ちゃんの部屋に土足で入り、ダンボールを片っ端から開いて国民健康保険証を探し出そうとするので(住民票を移動させるためです)二人とも追い出しました。この事件以後彼女達をスタッフのメンバーから外しました。(恐らく生活保護に出るお金を取ろうとしたのでしょう)

男同士の固い友情で引き受けた親友の娘・小夏ちゃんを勝手に連れ去ろうとしたMさんも、それに付いて行った小夏ちゃんも、こういう風に「壊れている状態」でした。母も当時元気でしたので相当Mさんに説教しましたが無駄でした。小夏ちゃんは母と二人のとき「お母さんと会いたい」と言ったそうです。片親で育つとストレスが通常の倍になると研究結果が出ています。お母さんの元に行けば否応無く創価学会に入ることになりますから、常に葛藤を抱えているのでしょう。

小夏ちゃんの家財道具はいま山崎幹夫氏が、私のビルの一部屋が使えなくなるという好意から引き取っています。そして「田辺が小夏ちゃんを虐待していた」旨を小夏ちゃん本人から電話で聞いたと、彼もまた情報に惑わされています。私は大学院を修了した後、郷里愛媛に10年ほどいた時期があり、高知に住む田辺氏とはお互いに家を行き来して、小夏ちゃんと私の娘は同い年でしたので一緒に遊ばせ、その溺愛振りは現場で見ています。また田辺氏の親友(松岡由紀彦:教育者兼市民運動家)から「経済状態が苦しい中、娘にはそれを見せず甘やかして育てた。一言で言えば親バカだった」と確認を取っています。

現在田辺氏は病気と貧困に闘いながら、高知で反原発運動と映画上映運動をしていますが、小夏ちゃんは高知に戻っているのに見舞いも連絡もなく「あれほどバカと思わなかった。生まれなかった子供と思っている」と諦めています。詳細は以下で確認して下さい。

田辺浩三:*******

松岡由紀彦:Tel./.Fax.********

さらにMさんは映像の素人なのに、「小夏ちゃんを主人公に映画を撮って映画祭で受賞する」と称して私のカメラを借りたまま返しませんでした。ゆうパックで送ったという郵便局と日時を聞き、特別に調べて貰いましたが、その日のゆうパックの取り扱いは一つもない、との返事でした。そこで私はカメラ代を弁償させました。

Mさんの異常性(妄想など)については山崎幹夫氏がよく知っています。彼女がブログに書いた文章を茂木健一郎や糸井重里が真似をしている、と言った類いのものです。山崎氏は早くからMさんをメンバーから外すように提案していました。

山崎幹夫氏のメルアド:*********

また運転も無茶苦茶で、ロータス文化学院構想の初顔合わせのとき、松本先生を駅まで送った後に我が家に戻り(同乗した私の教え子は駅に置き去りにされました)、今度は牧野先生をご自宅まで送らせましたが、なんと3時間以上かかったとのことです。私は何度も牧野先生の家に車で行っていますが昼間でも平均40分です。この件は(牧野先生は今電話に出ることは出来ませんので)奥様にお聞き下さい。その時のことはよくご存知です。

牧野先生の電話:********

我が家に来るときにもMさんは平均で2時間、最高3時間半、約束の時刻から遅れました。また豪雨のとき、我が家から徒歩で15分ほどの場所にあるスーパーマーケットに車で買出しに行ったことがあります。私が運転するのを強固に拒むので私が助手席で道案内をしました。大通りを出たあとは路地を真っ直ぐ一本道を進むだけですが、突然左折右折を繰り返し、片道30分以上かかりました。牧野先生を送った時も同じだったそうです。

彼女の異常な言動はまだまだありますが省略します。

④受講希望者の応募と妨害

女性スタッフの二人がこういう状態の中、どんなに公告しても人が受講希望者が定着しませんでした。Mさんも様々な場所にチラシを配っていましたし、私も無料のネット広告やHPでの宣伝の他、バスにポスターを貼ってもらうなど有料公告にも20万以上を使いましたが、受講希望者はたった二人でした。

しかしどんな企画も最初は少数から始まります。一人は地図を頼りに突然我が家に現れました。自衛隊経験のある文化服装学院系列校の院生で日野市に住んでおり、両先生の送迎役、講義の撮影係を彼が引き受けくれることになり、これでスタート出来ると心強く、山崎幹夫氏も加えて八王子で3人で顔合わせもしました。しかし、その後二人とも連絡が付かなくなりました。メールでオリエンテーション受講を申し込んできたもう一人はメールで連絡が取れなくなり手紙を出しましたが返事はありませんでした。

絶対に赤字にならない方法というのは、受講生が一定数集まるまでは講座を開かない方法です。私は八王子市の生涯学習センターの会員となってスクリーンも設置してある視聴覚教室を押さえる準備も整えましましたが、そういう状態ですからどうしようもありません。

私の名前でgoogle検索をかけると、上位に私を中傷する専門サイトが立ち、さらにそれを凍結したまま別のサイトで中傷を続けています。調べてみると2009年から始まって現在も続く粘着ぶりです。私はバカバカしいのと、刑事告訴の時効は不法行為を知ってから6ヶ月ですのでごく一部しか読んでいません。(私は探偵認可を受けていますので知り合いもいることから警察には証拠の一部を持っていき告訴の段取りはつけています。しかし余程の辣腕の弁護士でも雇わない限り検察のほうが動かないでしょう)。

創価学会が使う手口の基本は「中傷の流布」「情報の攪乱」による「恐怖感や不信感の植え付け」です。そして「内部対立と孤立化」を仕掛けます。非常に巧妙な方法で、様々な個人や組織がこれで潰されています。

小夏ちゃんが来る前のことですが、田辺浩三氏がそのサイトで討論した結果、「創価学会員の他に実験映像作家が複数混じっている」と教えてくれました。私も一部読んで私の映像批評を貶している人物が常駐しいることは確認しています。それが誰であるかは分かっていますが、敢えて言いません。

⑤Kの接近とその後の行動

Mさんが連れてきたのがKです。先生から贈呈して頂いた本の出版を手伝った人です。彼は私を主人公に映画を撮りたいというのでOKしました。Mさんとは微妙な関係らしく、「自分の恋人を追い詰め鬱病にして自殺させるヒドイ映画を撮った人だ」と言って、彼女自身が出ていた場面の削除要求をしたか、元恋人だったか、詳細は覚えていませんが、重い関係だったことは確かでしょう。

「B」の作品批評を読むと、原一男路線とセルフドキュメンタリーの一番危険な領域に入ってしまった「当て込み映画」(戦前の小型映画の用語で、受け狙いという意味)だろうと想像できます。『新しい神様』(1999、土屋豊)や『神様の愛い奴』(1998、大宮イチ、藤原章)などを意識した作品でしょう。主人公の政治結社のM会長(K氏の大学の先輩に当たります)にも直接電話で感想を聞きました。一言で言えば「脇が甘かった」との返事で、危うく私も笑いの素材にされるところでした。(この作品に関する批評を別紙2として同封しておきます)

wikipedia(自分で編集可能です)で「B」を見ると、自殺した恋人の遺族から上映禁止訴訟を起こされ勝訴したことが書かれていました。現在はその部分が削除されています。

K氏は私に撮影インタビューする中で、創価の裏組織の行動の非人道ぶりを知って激昂し、私の作っている「微笑禅の会」(非宗教)の会員になると自分から申し込み、正義のために闘う素振りを見せました。が、色んな証拠を提示してインタビューが佳境に入ったとき突然撮影を中止し、連絡が途絶えました。微笑禅の年会費も払わないので電話したところ、軽い口調で「お金が無いんですよ」と答えました。ところが同時期に松本先生や金井勝さんへのインタビューなどに力を入れ(当然私の貢献に関しては触れていません)、実験映像作家に記事を書かせて出版するなど、変節の様子が分かったので微笑禅の会会員の中で唯一「破門処分」にしました。

彼は自作上映に主な実験映画作家や新右翼まで動員してマスコミの注目を集めるなど、アーチストとしての技量は分かりませんが、自己プロデュースの面で突出した才能を持っている様子。時代の申し子と言えるでしょう。

いま佐藤洋君が今私の研究を一冊の本にまとめようと協力してくれています。私へのインタビューの中でK氏との関わりも述べているのために事情を知っており、月に一度の松本先生を囲む会があるらしく、そこでK氏が先生の本を出版したと聞いて顔を曇らせた研究者が他にもいた、と教えてくれました。

河瀬直美、大木裕之なども含め、バブル崩壊以後の実験映画は口八丁手八丁で自己宣伝に長けた人物が幅を利かすようになってしまいました。

⑥〇〇教授と絶縁した理由。

これは牧野先生に詳しく話してありますが、憶測、邪推が広まる可能性がありますのでこの際に明記しておきます。ロータス文化学院構想の大分前の話です。

私が〇〇教授の誘いで非常勤講師として上京したとき「君を大学教授にするために最大限の努力をする」と約束され、私も命じられた論文、評論等を忠実に執筆して来ました。早大、同専門学校などで6年間、東京工芸大学で7年間、延べ13年教え、とくに東京工芸大では「伝説の授業」と言われ50人教室から3年目以降は大教室に移動したことなど、同大学で教えているビジュアル・ブレインズの大津はつねさんがご存知です。

同大学で教えているときに、日大から早大大学院に移って来た私の後輩・〇〇氏が正教員に抜擢されました。彼は大学院に来た時ときから「私は研究者ですので」というのが口癖で「〇〇研究者」とアダナされ、要するに「浮いた存在」でした。当時彼は論文をたった1本しか書いておらず、私から見れば研究批評実績がない後輩が頭越しに東京工芸大に正教員として入り、私の論文を彼が査定するという実に奇妙な状態が4年ほど続きました。しかしこれだけが〇〇教授と絶縁した理由ではありません。

私がHPに書く内容を一々〇〇教授にメールでご注進する不明の人物がおり(それが誰かは分かっていますが敢えて言いません)、その度に八王子から早稲田の研究室まで呼び出され注意されました。「蓮実重彦を批判しないこと」「創価学会を批判しないこと」「こういう表現は良くない」等々、つまり正直に自分の思っていることをHPで発言すると、それが元で足を引っ張られるから用心するように、との指導でした。これは私を教授に推すための配慮ですし、親心とも取れます。ただ私が思ったのは「問題はそういうチクリをする人物のほうにあるのではないか」「自分の正直な気持ちを押し殺してまで猟官運動をするのは正しい生き方だろうか」「国家に悪をなす権威を公然と批判すれば教授になれないとしたら大学のシステムのほうに欠陥があるのではないか」という疑問です。また電話で済む話なのになぜ八王子から早稲田まで呼び出す必要があるのか、等々疑問が募ってきました。

他にも、〇〇教授の推薦でフィルムセンターに入り、その後文科省の官僚になったS氏も問題のある人物でした。私が必死になって戦前の小型映画を今発掘しないと手遅れになる、と訴えた時は無視しながら、後年外国で国際的なキュレイター等の大会があったときにこの必要性がテーマになり、慌ててフィルムセンターにもその部門を作りました。ところが、どういう理由か、そこで働いていた大学院時代の友人から「那田を立ち入り禁止にする」とS氏が語っていると聞きました。

〇〇教授は恩師ですから非難するつもりはありません。こういう人間を優遇してしまう面が〇〇教授には確かにありました。これらの疑問が重なり絶縁を決断したわけです

尚、この決断を喜んでくれたのは私の母と心療内科の主治医です。私は郷里で鬱病と診断され、最終的には禅の修業を通して治癒しましたが、その前の話です。鬱病は完全主義的性格から生まれる気分障害です。主治医には正直に事実を述べる必要があり、私の私生活の悩みのほとんどを報告をしていました。その主治医が「君のストレスの最大の原因はそこにあった。縁を切ってよかった」と言われました。母は私が郷里にいたときに何度か電話を受けており「あの先生はヒステリック過ぎる。松本先生と人柄が全く違う」と常々言っていました。決定的な理由はまだ他にもありますが、述べませんし、絶縁の手紙にも書いていません。

⑦ロータス文化学院の趣旨と方法。

当初の案:第一には松本先生と牧野先生の生涯の集大成とも言える講座を開く。そのために専門学校を含め23の大学がある学園都市八王子を拠点として、二人は公共施設を、他の人間は私の事務所などを使って「形の無いカルチャースクール」としてネットワークを築く。お二人へのギャランティーを捻出するために、他の講師のギャラの一部を補填する。

同時に、大学教員を引退された方、在野の研究者、その他突出した才能を持つ人材を集め、このネットワークを広げていくことで、利益追求と談合体質から抜け出ることが出来ない現在の大学を反面教師とし、これからの新しい教育の形を模索する。

現在の修正案:当初、牧野先生は月30万、奥様が生きている限り、という条件でしたが、大分前にその条件を白紙に戻されて、とにかく体調を回復して実行したいとのことです。このためハードルは低くなったものの、常識的なギャランティーは確保しなければなりません。現在はお二人の体調を考え、場所は八王子でなくお二人のお住まいの近くの公共施設を借りればいいと思います。しかし、公共施設を借りた場合は2時間で一人2千円ぐらいの受講料が上限ですから、オリエンテーションの段階でどれだけ人が集まるか、何人が正式に受講契約を結ぶかが問題になります。ともかく私が創価学会批判を続ける限り妨害に巻き込まれますので、私は実行委員会から手を引き、ロータス文化学院の名前を変えることも自由と考えています。

なお、この趣旨は現在でも、むしろ現在更に正鵠を射た構想だと思っています。折角先生が礎を作られた京都造形大学の副総長が、暴力団との癒着を報じられた秋元康(AKB48などのプロデューサー)です。その上、この醜聞にも係わらず東京五輪組織委員会の理事を務め、現在それに反対する署名運動が広がっています。特に芸術系大学はこの不況の中で顕著ですが、何ら倫理的規範もないまま営利主義に走っています。表現をする人間は作品と共に志を磨く、という精神的なものを強調するために、松下村塾は8畳から始まったことをこの企画の基本に据えました。

この構想はKなら実現するかも知れません。が、私は先生の名誉のためにお奨めしません。心ある映像作家は彼の野心を見抜いています。また他に、中田聡(NTTの下請け業者、裏の顔は情報屋)という人物がおり、上記の中傷サイトで私に対する根拠のない中傷を繰返しつつ、ロータス文化学院を批判するサイトを立ち上げながら、私に「スポンサーが見つかった」と協力を申し込むなど、金と女のためならどっちにでも付く、一言でいうとサイコパスですのでご注意下さい。(私を介してMさんとも繋がりが出来て一緒に映画を見に行くような間柄になっていました。現在どうなっているかは知りません)

長くなりましたが、実情は更に凄まじく入り乱れています。長編ノンフィクションの上中下が書けるほどです。

⑧最後に

私は実験映画に関する研究や批評は8割がたは書き尽くしました。佐藤洋君の協力で今年中に纏め上げ出版する予定になっています。彼は非常に純粋な人物です。同時にナーバスな性格なのでどうか力づけてあげてください。

以下は以前mixiに、居田伊佐雄さんが書いてくれた私の紹介文です。(mixi会員登録すれば「春風大吉」(プロフィールを含む)で検索出来ます)

「日本の個人映画のシーンにこの人が登場したときには、論証的であると同時に感受性に裏打ちされた豊かな文章で実験映画を批評することができるのを知って驚きました。これは画期的で、思いがけないことでした。よほどの才能がなければできません。映像作家数人分の価値が優秀な批評家にはあると思ったものでした。 芸術家の心を持った無頼派の批評家であり、好き嫌いが激しいのですが、それゆえ好きになったものに対する執着の仕方は普通ではありません」 

その後、私と平行して創価学会批判を含めた民族派運動に熱中し、突然消えて私とも没交渉状態になっています(この文章も突然削除してしまいました)。

以下は仲間が出資金を出し合ってイベント酒場を経営している実験映像作家兼パフォーマーの佐々木健氏の紹介文です。

「自主製作映画を通じての友人。 映画評論家としての才能、また文筆家としての才能は、多くの映像作家が認めるところだが、 キャバクラ通いがたまにきず、それと安酒(キャバクラノ悪酒)によって身体を壊しつつあり、友人達の心配するところ。自称民族主義者だが、身体は底辺左翼的と感じている。 あまり褒めていないかな・・・ とにかく、一緒にいると楽しい友です」

私の交友した範囲では佐々木健氏が一番冷静でスタンスが変わりません。残念なことに現在体調を壊し、またイベント酒場も実験映像作家が利用しなくなったとのことです。

私が実験映像に力を入れた理由は、自分の感性が向いていたことと同時に、誰かが研究・批評を残さなければ「映画年鑑」にも載らず歴史から消えていく淡雪のような存在だったため、一種の義侠心から私財を投じ足を使って資料を集め文章を書き続けました。バブル崩壊以後の実験映像はこの当時と様変わりして別物になってしまい、作品も批評も大きくレベルダウンしたと感じます。実験映像の研究も批評も、ロータス文化学院の構想と実現への努力も、やるだけのことはやった、という感慨のみです。

創価の犯罪行為もネット上では知れ渡り、専門に批判するサイトも生まれて来ました。矢野元公明党委員長の書いた『黒い手帖』や山口組系後藤組元組長の書いた『憚りながら』も出版され共に相当ヒットしました。

私が当時ウヨクと連帯したのは、東村山市議暗殺疑惑事件へ抗議がきっかけで、創価学会を批判出来る市民活動家は度胸の据わった民族派にしかいなかったからです。自称新左翼のKが途中で逃げたように、これは命がけの行為です。その民族派もいま内部分裂しています。私はたまに彼らの批判に足りない部分を補足する程度にしています。あとは母の長寿と子供たちとの再会を祈りながら、余生の仕事を何にすべきか寿命から逆算しながら考えています。

以上です。事実のみを書きました。中傷の流布、情報攪乱に惑わされることなく先生の知性で事実を吟味して下さい。ロータス文化学院の構想は時代を先駆けるものですし、創価学会批判は日本を憂う人間の責務だと思っています。私はその両方を手がけたため狙い撃ちにされました。

今後は私を反面教師として、なおかつ私が目指そうとした志を引き継いでくれる人物が現れ「形のないネットワークとしてのカルチャースクール」を実現してくれるのを祈るばかりです。

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今でも瀬戸弘幸氏が東村山市議暗殺疑惑事件に関心を抱くようになったのは中田聡がきっかけだと書いているブログがあるが、全くの嘘である。高知の田辺が私に行動する保守と連携してこの事件が時効になる前に解決して欲しいと電話をくれたので、私が瀬戸さんに電話して二人で東村山まで出かけ娘の浅木直子と矢野穂積に引きあわせたことが行動する保守がこの事件を追求し始めたきっかけである。なお、田辺はつい最近私に電話をかけて来て、父親も61歳で死んでいるから子供の頃の小夏の写真が欲しい、と弱気なことを言ったので、私はもっとしっかりしろ、結局創価学会を批判して稼いでいるのは乙骨やリチャード・コシミズのような批判のプロだけじゃないか、と励ましたばかりである。

 


小多仁伯と木村草太が創価学会の二重スパイであるという話

2016年02月20日 | 思い出の記

ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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 また「春名先生を囲む会」への提案に共鳴される方は私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp までメールを送ってください。特にアイム南の元職員の峯尾さん、殿塚さん(チャーミングな看護婦さんです)(この二人は囲む会に賛同されていました)畑さんはもしこのブログを読んでいたらメールを下さい。ぜひ八王子五行歌会の掲示板に投稿してください。

また上記3名をご存じのかたもメールをお願いします。

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微笑禅の会の見性体験記は外部からの侵入により全て削除されています。明日富士通に復元ポイントを聞く予定ですが、これだけでなく文章が頭から消えて行ったり、真ん中から下の方へ降りるという現象が起こっています。誰がやっているかおおよその検討は付いていますが、今のところは黙っていることにします。

なお、昨日の春名先生の持参されたリーフレットに「会で知り得た知識やアイデアは外に漏らさないようにしましょう」と描いてあるので、昨日の春名先生を囲む会で春名先生が言われたことはここでは発表しないことにします。

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行動する保守が会合を開く文京区民センターで様々な人と知り合ったが、小多仁伯ともその文京区民センターで出会った。彼の書いた「池田大作の品格」は最初は感動して当時愛媛にいた母親に送ったところ、「創価学会職員として散々稼いだ挙句に今頃になって池田大作の悪口を書き、それで儲けているとは許せない」との返事だった。

私は「職業紹介責任者講習会受講証明書」を取ってその責任者になるためには160万円程度の残金がメインバンクに残っている必要があった。小多仁伯は部下を使って「那田さんの経済状態が大変だから融資してあげるように」と命令したが、200万の融資のために紹介料をなんと50万も要求した。しかも残金証明書が届く一週間の間に何度紹介料をよこせというファックが届いたか分からない。当然そのファックスの文言は証拠としてのちに内容証明を書いてもらう材料になった。しかも小多仁伯にメールを送りその旨を報告したところ「私は命令する立場にないし、そういうことには一切かかわりたくない」と逃げたわけである。

私本人が内容証明を出しても良かったが、今は無き「金太郎 村」で知り合った西川弁護士(ひまわり法律事務所所属)に内容証明を出してもらい、これ以上那田さんに紹介料を請求するときは刑事告訴する、と書いてもらった。しかも紹介料を取るには資格が必要なのに、その部下は資格を持っていなかった。最初はその内容証明は住所不明で戻ってきたが、小多仁伯も関わっていたNGO法人に出してやっとその部下に内容証明が届いた次第である。

更に私の見性体験記を「創価学会を斬る」で有名な日新報道に紹介して出版させる約束を取ってもらい、実際高田の馬場で日新報道の社長と会って5万部は売りましょうと約束したが、上記の理由で小多仁伯を通さず私と直接出版の話をしないかと、内容証明をファックスで送ったところ、なしのつぶてだった。

つまり、小多仁伯は創価学会の二重スパイだったわけである。

また、報道ステーションのレギュラーになっている木村草太は、以前このブログにも書いたことがあるが、私の母が保護措置と称して高齢者福祉課(起案者は谷斑)に監禁された事件の審査会の会員であり、審査会の途中で私にガンを飛ばしてきた男である。私はそこで「喧嘩でも法律でもどっちでもいいからかかって来い」と怒鳴り上げたが、母親は「よく言ってくれた。お前が言わないなら私が言うつもりだった」と言った。ちなみに、この審査会の最終答申は「訂正請求を一切認めない」というもので、これは総務省見解と真っ向から対立している。常識でも分かることだが、全ての聞き取り調査にサインが無いわけだし、母親が私から「精神的経済的虐待を受けていない」と証言しているのでこれほど明白な証拠はない。また聞き取り調査の中に、母親が一度私の家に戻って、こんな家には住みたくないと言ってさらに保護措置にして欲しいと頼んだ旨のことが書いてあるが、これは真っ赤な嘘である。

ところで、木村草太は創価学会が選挙で集団行動するのは民主主義のルールに反すると言っているが、何と潮出版から共著を出しているのである。『未完の憲法』(奥平康弘共著、潮出版社、2014年)

これを見れば木村草太が創価学会の二重スパイであることは明白である。

小多仁伯と木村草太はこのように言われて悔しいなら私を名誉棄損で訴えるようこのブログから呼びかけるものである。


実験映像作家・Kの話

2016年02月19日 | 思い出の記

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また上記3名をご存じのかたもメールをお願いします。いよいよ最初の「春名先生を囲む会」の当日になりました。今日は午後7時から平岡町にある夢庵(西八王子店)で一回目の囲む会が開催されます。当日は名刺を交換して自己紹介などを行いましょう。また領収書を用意しますので諸会費として使ってください。

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今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。微笑禅の会に興味のある人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。

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今は「月刊イメージフォーラム」が廃刊になっているため私の批評の場はこのHPに入っている「レアフィルム批評アーカイブ」のみだが、私は大学院二年生の時から「月刊イメージフォーラム」を中心にキネ旬などで実験映像の批評を書き続きて来た。

私が実験映像批評に貢献してきたことを以下箇条書きにする。

①アカデミズムのテクニカルタームを使って実験映像を批評したこと。

②ピーター・アダムズ・シトニーや飯村隆彦らがバラバラに主張していた構造映画の定義を明確にしたこと。

③日記映画とも身辺映画とも言われてきたジャンルを「セルフドキュメンタリー」という用語にして統一したこと。以下のurlを参照のこと。http://www.yidff.jp/docbox/26/box26-2.html

④ジャンル分けできない作品群に造語を作ってジャンル分けしたこと。ex.ポスト構造映画、関西光線主義、ネオ・ダイレクトシネマ、等々である。

ところで現在はKが日本の実験映像作家のオルガナイザー兼代表的な作家になっているようだが、私には彼に対して嫌な思い出がある。

まずKの作品について触れることにする。「B」(2009年)は(右翼)会長を主人公にして、最終的に彼を茶化すとともに、Kの恋人が自殺するまでを撮影したドキュメンタリーである。私は上のurl「セルフドキュメンタリーの起源と現在」の中で、セルフドキュメンタリーは「不幸自慢の映画」でもあると指摘したが、この映画はむしろ「人を不幸にする映画」になり果ててしまった。また、この作品は社会派のセルフドキュメンタリーといってもよく、前例として「新しい神様」(1999年、土屋豊)や、「神様の愛い奴」(2001年=決定版、大宮イチ)などがあり、共に相いれない思想を持つ主人公を茶化すという内容で、戦前の小型映画で言えば「当て込み映画」とも言われ、要するに面白ければいい、受ければいい、というモラルの欠如した作品である。

一時期Kは私に接近し、私を主人公に映画を撮りたいと言ってきた。ちょうど「B」を撮り終えた時期に当たる。その頃私は、創価学会と法廷闘争をしながら一方で「ロータス文化学院」の構想を実現するために働きまくっていた。Kは私の苦境を知り、一種の正義感に駆られたような演技をして自ら微笑禅の会の会員になるといい、私を撮影していたが、相手が創価学会だと知ったとたんに撮影を止め、また実験映像作家を対象にした出版物を刊行しているにも係わらず微笑禅の会の会費を払うことを拒んだために、当時は唯一の除名処分にした人物である。

要するに実験映像には松本俊夫という理論的支柱はあったが、倫理的な支柱が無かったためにこのような男が幅を利かすようになったのだろう。

K、帯谷、金井勝、居田伊佐雄、大木宏之、河瀬直美らも、倫理観という面では非常に問題のある作家たちである。

金井勝と居田伊佐雄は私の批評が無ければ世に出ることが出来なかったはずである。金井はその難解な作風のために誰も批評するものがいなかったし、居田はただテクニシャンとだけ思われ、彼が構造映画からシュルレアリスムに変化していく行程を解読しかつ緻密に分析したのは私だけだった。

にも拘わらず金井は「那田先生は授業中にキャバクラの話しかしない」などという中傷を真に受けたり、芸者遊びをしていることをまるで犯罪でもあるかのように罵ったり、「お前さんは右翼だから私のためにならないので当分距離を取る」と言ったが、私が右翼なら今の日本人の大半は全て極右であろう。

居田は「私は那田さんの批評しか読まない」と言って「月刊イメージフォーラム」を立ち読みしたり、mixiに私を絶賛する紹介分を書いていたが、ある日突然その紹介分を削除してしまった。

居田の「影踏み」を私が「居田伊佐雄の聖体示現―影踏み論」として「月刊イメージフォーラム」に掲載した時、藤井晴美氏が「やっと実験映画の世界にも本格的な批評家が出てきた」と言ってくれたことをよく覚えている。

最後に居田が消してしまったmixiの文章をここに再現する(利益が発生していないので著作権侵害にはなりません)。

 

「日本の個人映画のシーンにこの人が登場したときには、論証的であると同時に感受性に裏打ちされた豊かな文章で実験映画を批評することができるのを知って驚きました。これは画期的で、思いがけないことでした。よほどの才能がなければできません。映像作家数人分の価値が優秀な批評家にはあると思ったものでした。 

 

芸術家の心を持った無頼派の批評家であり、好き嫌いが激しいのですが、それゆえ好きになったものに対する執着の仕方は普通ではありません」 

 

なお、明日はさらに強烈な暴露のブログを書く予定である。これで今日のブログを終える。

 


私に剣道を教えてくれた西川先生の話

2016年02月17日 | 思い出の記

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今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。微笑禅の会に興味のある人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。

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 私は10歳(小学4年)から剣道を始め、14歳(中学2年)の時には5段以上の腕前になっていた。その年齢で、5年間で5段以上というのは非常に珍しいことだと思う。より正確に言えば、当時は規則上中学での最高段位は1級までだったので、私が公式にもらった段位は1級である。しかし、3段の相手に二度対戦して、二度とも二本先取で勝ち、5段の師範にも勝ったという事実がある以上、確かに5段以上の力が付いていた。

剣道をやっている若者にぜひ読んで欲しい。もちろん5段以上の人は既に私の体得したコツは分かっているはずだから読む必要な無い。もっとも、剣道少年物語として読まれるなら、結構面白いことが書いてあるはずである。

私は子供の頃、体格もよく成績もよかったが、一人っ子で過保護に育ったために気が弱かった。だから、根性の悪い苛めっ子に悪戯を受け、よく泣いて帰った。母は女丈夫で、男は勉強より度胸だ、という考え方だったので、恐らく母の勧めで近くの警察道場に通うことになった。それが4年生のときである。

 

その道場の師範は元壮士だった。壮士と言えば聞こえがいいが、要するにヤクザ者で、私が生まれた頃に母が経営していた料亭にやってきて、「誰の許可を受けてこの商売をしているんだ」と凄んだヤクザがこの男である。母は、「なんでお前の許可がいる」と強気に押して追い返したらしい。母は軍属で満州に渡り、人が目の前で殺される様を何度も見ているのですっかり度胸が据わり、道で母に声をかけられると心臓がドキッとすると言われるぐらいに、気迫の強い女性だった。

 そういうわけで、もともとヤクザ者だったのだが、どういう転機があったのか、改心して警察道場の師範になっていた。だから、荒っぽい古流剣道を学んだ。

例えば闇稽古である。道場の窓は全部戸板になっていて、それを閉めてしまうと真っ暗になるのである。そこで、何十人もの小学生がルール無しで打ち合う。人の気配を感じたら滅茶苦茶に打ち込む。面も胴も小手も無い。足を打っても構わない。

 

それから、通常の試合の仕方も変わっていた。片方が竹刀を落とすとルール上は「待て」をかけて竹刀を拾って構えなおし、再スタートすべきなのだが、この師範は「両者組み合え」というのだ。これは野戦になったときの実戦を想定したもので、組み合い、相手を倒し、面を脱がしたほうが勝つのである。つまり、脇差で敵の首を切った、という意味だ。

 

 そういう荒い稽古を受けて、少しずつ私の心も強くなった。

 

もっとも、そういう師範だったから心遣いも荒く、私が最初の一週間目ぐらいに、試合中に足裏の皮がペロリと剥けて、丁度草履を履いて歩くように、垂れ下がった皮を足の裏にブラブラさせて、ビッコを引き、顔をしかめているのに、怪我だと気づかず、「那田、痛そうな顔をするな」と怒るような人物だった。それで足の裏を見せて、やっと試合を止めて包帯を巻いてくれた。その上「怪我なら怪我と何故言わない」と怒るような人物だった。

そんな具合だから、私はこの師範を慕えなかった。しかし着実に心と体力は強くなってていった。小学6年の時には、全小学生の中でトップ3の腕前になっており、学校で体力測定をしたら、背筋と握力は学年一位だった。もうその頃には、私に対する苛めは消えていた。

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中学1年の段階で私が体得していたのは次のようなことである。箇条書きにしよう。

 

1、重心はヘソの辺りに、高めに置く(下に置くと体捌きが重くなる)

2、切っ先は相手の左喉に向け、両腕はゆったりと空気を抱くように構える。

3、力を入れるのは打つときだけ。普段は力を抜いておく。

4、最も大切な指は左手の中指、薬指、小指である。この三本でしっかりと握り、人差し指と親指は軽く添える。右手は竹刀の角度をコントロールするだけで、打つ瞬間以外は力を入れてはいけない。

5、面も横面も、小手も胴も、全ての技は左手が体の中心線を通らねばならない。つまり、左のこぶしは、鼻からヘソを結ぶ線の上を上下するのみ。

6、後ろに引いた左足のカカトを浮かすのは当然だが、右足のカカトも浮かす感じで構える。重心をヘソに置く意味と同じだが、風が吹いたら流れる柳の葉のように、自在に動ける状態を作っておくこと。

7、きちんとした構えで、間合いを取っていれば簡単に打ち込まれるものではない。相手が打ち込めず自分が打ち込めることの出来る間合いを取ること。具体的に言えば「一足飛び」は徹底的に稽古すること。

8、相手の呼吸を見ること。相手が息を吸っているときにスキが生まれる。呼気でなく吸気の瞬間に打ち込むこと。

9、稽古の前に「剣道はスポーツではない。殺し合いである。一本とられたということは、その時点で私が死んだことに等しい」と心に言い聞かすこと。

 

 実は、この9番の、所謂「殺気」を獲得してから私は強くなったし、稽古も真剣にできた。前に言った「体と技が基本で、気は後でいい」と言ったことと矛盾するようだが、私の場合、この殺気がある日突然分かった。この殺気が出ないと本当に強くはなれない。殺気と怒気は違う。怒気は頭に血が上る状態を指すが、殺気は腹の奥に「冷たい気迫」を抱くのだ。「この試合は殺すか死ぬかである」と、無意識が最大限の能力を発揮できるように静かに心がけるのである。

 こう言い直そう。逆に殺気がいくらあっても体と技が無くては勝てない。体と技が出来た上に殺気を知れば無敵となるのである。

 

 

 

 


わたしに合気道を教えてくれた大澤師範の話

2016年02月15日 | 思い出の記

 

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今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。微笑禅の会に興味のある人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html

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私が合気道養神館の道場の門を叩いたのは50歳を過ぎてからである。それには理由があり、私は小学校4年生から中学2年生まで剣道に打ち込み、5段の師範と真剣勝負をして勝つなど、徹底的に練習をしたために、左手ばかり使い、またバッグも重いものも左手で持つ癖がついてしまい体にヒズミが出来たからである。その後も途中で浮気しながら大学生まで剣道を続けた。東洋医学を知っている人なら常識だが、合気道以外のスポーツは徹底してやると人間を「カタワ」にしてしまうのである。もう一つの理由は、ダイエットをしようと思いスポーツジムに通って毎日1キロ泳いでいたが、上手くなると水に体が浮くようになり、毎日1キロ泳いでも少しも体重が減らなかったからである。

大澤師範と出会ったのは以前八王子駅にあったSOGOの10階にある読売カルチャーホールの「合気道入門」という講座だった。私がラッキーだったのは、練習生はたった3人しかいないのに、師範は大澤師範と中島師範の二人がいたからだ。そのうえ、私以外の二人は勤め人だったためにしばしば師範は二人、練習生は私一人というときがあった。

それまでは50人ほどの練習生がいたらしいが、大澤師範が教えるようになり、たった3人にまで減ってしまったので養神館の本部から「一体どういう教え方をしているのか」としばしば怒られていたらしい。

練習の前に全員(たった5人だが)でまず30畳ほどの畳を敷くことから始まり、そのあとに畳の上に絨毯を敷く。それから独特のストレッチをしてから練習が始まる。私より前に入門していた湯川?さんは、素人の私が見てもスジが悪かったが、この大澤師範に手首を痛めつけられても練習に通っているうちにドンドン上手くなっていった。

以前なんども言っている通り「あなたのように上達の早い人は初めて見ました」「あなたの基本動作はとても白帯レベルのものではありません」と言ってくれたのは中島師範である。中傷ブログには「那田はお世辞も分からないのか」「合気道を習ったと言ってもせいぜい一週間だろう」と書いてあるらしいが、そう書いた人は読売カルチャーホールに電話をかけて中島師範に直接聞いてみるといい。但し威力業務妨害にならないようにしないと手が後ろに回ることを覚悟しておくよう忠告する。また私は昇級試験の時、中島師範から「何も言うことはありません。そのまま稽古を続けて下さい」と言われるだけだったが、私以外の練習生の昇級試験の時は15分から20分ほど具体的にここをこういう風に、等々注意をしたものだ。

中島師範は人格者で非常におとなしい人だった。大澤師範は相模原市役所の監査役で二人とも普通のサラリーマンのように見えた。もしチンピラがこの二人に喧嘩を打ったら面白いことになるだろうと当時から思っていた。

大澤師範はしばしば「痛い、と言ったら100円」というのでみんなな「痛くない!」と叫んだ。というのは、そう言わないと怪我をしてしまうからである。私は大澤師範と組手をするときに、本当は投げ飛ばした後で手を放すべきところをわざと手を離さ無かったことがある。するとさすが師範だけあって「痛い」とは言わず「いいですねぇ、でも手を離さないと危険だから、この場合は手を放すようにしましょう」と答えたことをよく覚えている。流石師範は、決して「痛い」とは言わず、技が決まると「いいですねぇ、その容量で」と答えた。

またこういうことがあった。私と同じように50歳を過ぎた新人が入ってきたときに大澤師範は四方投げを掛けて、その新人はその場で脳震盪を起こし途中で稽古を辞めて病院でMRIを撮ったところ「一週間の安静が必要」と言われたらしい。そこで私は大澤師範に「それは傷害罪になりますよ」と言ったら、「いや私は四方投げの格好をしただけで途中で止めたのに、相手が勝手に後頭部から転倒したのだから私が悪いわけでは無い」と答えたので、私は「大澤先生、同じネコ科でもネコとトラは違うのだから、途中で止めても素人は転倒するに決まっているじゃないですか」と言ったこともある。

あるとき女性の見学者が来た。基本動作など華麗なふるまいをすればいいものを、大澤師範は何故か全員に四方投げの練習をやらせた。これは脳天から後ろに落ちるため全員が「痛くない」と叫ぶ。私はその見学者の顔を見て、目が泳いでいるので、次には絶対にやってこないだろうと思った。練習が終わってそのことを大澤師範にいうと「いや、絶対に来ると言っていたから絶対に来るはずだ」と答えたが、翌週行ってみると案の定その見学者が来ていなかった。

暫く経ってまた二人目の見学者がやってきた。この度は若い男性だった。大澤師範は多少は学習能力があるらしく、その見学者に合気道の技を掛けさせて、「合気道には痛い技など一つもないから安心して来週来てください」と言った。私は練習が終わったあと「大澤先生、合気道は痛い技ばかりじゃないですか、あんなことをいうと詐欺罪になりますよ」と冗談を言ったが、私もその見学者は来週来るだろうと思った。

ところがその見学者は翌週また来なかった。なぜなら大澤師範の目が飛んでいるからである。普段はサラリーマンのような顔をしているのに、稽古着に着替えて畳の上に立つと別人のように目が飛んでしまうのだ。だからその見学者は「この師範は怖い」と思って来なかったのだろう。

本当に面白いのは稽古が終わった後30分ほどある研究会である。その時に大澤師範は稽古には無い様々な応用技を教えてくれるからである。私は家に帰ると長男の千宝(当時中学1年生)に千円を渡して練習の稽古代にしたり、酔って絡まれたときの技を研究していた。そこでその研究会のときに、襟首を掴まれたときに、四ケ条で相手の手首を痛めつける技を大澤師範に披露したところ、別の方法を教えてくれた。相手が両手で襟首をつかんだ時は、こちらは両手で相手の腕を拝むようにして絞め一気に体重を乗せるのである。そうすると相手は膝から落ちるから後は蹴りを入れればいい。それを教えてくれたあと大澤師範は「那田さん、本当に喧嘩になってこの技を使ったら私が教えたとは言わないで下さいね」と言った。

そういうわけで合気道入門の講座は人数は少ないが非常に充実した講座だった。昨年、たまたま大澤師範の顔を見たくなって読売カルチャーホールに行ったところ、理由は不明だが今は辞めてしまい中島師範だけが教えるようになり、人数も20~30人に増えていると聞いた。そこで家に帰ってネット検索をしてみると、チンピラのような師範が読売カルチャーホールに来て、大澤師範より自分が強いのになぜこいつが師範なんだ、とケチを付けたらしい。そこで私は養神館の本部にメールを出して大澤師範が今どこで教えているか尋ねたが何の返答もなかった。

確かに営業的に見れば大澤師範のやり方ではマイナスだろうが、コアなファンが付く上に上達は圧倒的に早いと思う。現在は時間的にも経済的にも合気道入門に再度入門することは不可能だが、余裕が出来た時は必ず師範の資格を取るまで合気道を続けたい。出来ればまたあの個性的な大澤師範に教えてもらいたい。これで今回の思い出の記を終えることにする。


10歳年上の人妻と10年間付き合った話

2016年02月14日 | 思い出の記

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今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。微笑禅の会に興味のある人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html

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私が早大一年生の時だったと思う。松山空港から羽田まで飛行機で行くのに名古屋上空に台風が来ていたために松山空港で待っていたところ後ろに双子の女子中学生を連れた美人の人妻が立っていた。そこで私は名古屋まで電車で行って、そこから飛行機に乗る方法があるというと、手続きをして欲しいと頼まれたのでその通りに手続きをして羽田空港に着いたところ、いかにもヤクザ風の男が車で待っていた。

そこで同乗して途中で降ろしてもらうときに電話番号を聞かれたのでそれを伝えると人妻はメモした様子だった。しばらくして電話がかかり、その人妻の知り合いが経営している六本木のディスコに連れて行ってもらった。当時は若かったので二人でチークダンスをしている時に思わず人目も気にせずキスをした。

その後、人妻は何度も私の部屋に来て〇〇〇〇をして、必ず朝になると帰るのだが必ず高価な宝石を忘れて行った。読者に教えることにするが、この方法はまた会いに来る口実を作るための女性の智慧である。その人妻は自分は不感症だと言って治療を受けていたが、実際は全く違い、〇〇〇絞めと言われる名器の持ち主だった。

職業は高級ブティックのオーナーで夫はパチンコ屋を経営しており、趣味はF3の運転でモデルと付き合っていた。この話を当時の同級生(現在は東京経済新聞の産業部長の井上)にすると悔しがって「そんなの嘘に決まっているだろ」と言ったが正真正銘の事実である。井上は早大一文の文芸専攻を出ながら産業部長とは、早稲田の恥だと思う。つまりアッチのほうの関係者だったことは明白である。だから不倫がバレた場合は晴美埠頭にドラム缶に入れて沈められるのを覚悟して会っていた。だから、石原裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」を歌うときに、よく「感情移入が凄いですね」と言われるが、歌詞の通り日比谷公園でデートをしていると夜霧が降りてきて夫やその子分にバレずに済むからである。まさに夜霧が降りてきて「忍びあう恋を包む夜霧よ、知っているのか二人の恋を」のままであったからである。

その人妻はホテルニューオオタニの芸能人などが使う高級パブに連れて行ってくれたり高価なプレゼントをくれたりしたが、女心とは不思議なもので、「ラーメンでもいいから最初にあなたがおごってくれたら嬉しいわ。その後で私が高級なところへ連れて行ってあげるから」などと会うたびに毎回言ったものだ。

その人妻は本宅と別にマンションを借りており税務調査を逃れるためにボストンバッグに常に1億円を入れて隠していた。同時に双子の中学生の女の子もそこで同居し、私は家庭教師として毎週そのマンションに通っていたが、女の度胸とは物凄いもので、隣の部屋に子供がいるというのに、またその人妻は生理中で会ったにもかかわらず、アレがしたいと迫ってきた。私は膀胱炎になるのが怖いので断ったところサランラップを巻いてでもして欲しいと言ったが言うまでもなく断った鮮烈な記憶がある。さらにそのマンションで夜空を見ながら青〇〇をしたのも今となっては懐かしい。

そのブティックとパチンコ屋は隣り合っていて、確か春日か白山に今でもある筈だろう。私より10歳年上だったので現在は70歳になる。また会ってみたいが、会わずが花、だろう。以上が人妻と付き合った思い出だが、例の創価学会工作員・織田高敏(共犯)が「大学教員なのに朝鮮人と付き合ったり人妻と付き合ったりするのは大学教員の資格はない」等々私に対する名誉棄損を準備書面に14か所も書き、主犯の八木一仁(主犯)が母を従軍慰安婦と言った事件に対する最高裁の判決は今後、歴史上最悪の判決として暴かれるだろう。悔しいなら織田と八木は私を名誉棄損で訴えるようこのブログで呼びかける。今度は私ではなく、現在委任している非常に有能な弁護士が受けて立ちます。

 


早稲田小町と言われた超美少女と付き合った思い出

2016年02月11日 | 思い出の記

ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

 また「春名先生を囲む会」への提案に共鳴される方は私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp までメールを送ってください。先日、立川の便利屋さん伊藤さまが我が家に来られ、名刺をもらいましたが「日本生涯現役推進協議会」の事務局に勤められている方なので何回も講義をしてもらおうと思います。ところで、伊藤さまが第二金曜日は何かの勉強会があるから第三金曜日に出来ないかと言われ、鍼灸院の瀬戸先生はOKでした。春名先生とはやっと連絡がとれて、毎月第三金曜日なら午後7時半からなら来られるそうです。なるべく急いで来られるそうですが、皆さんは7時に集まって軽く一杯やりながら春名先生が来られるのを待つことにしましょう。なお、五行歌はまだメールが届いていませんが、題詠は「炎」。これを五行歌の中に入れても入れなくても構いません。五行歌は五行以外にルールはなく、ただ「詩的な」内容であることが必須条件です。

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私が浪人時代の話である。五行歌に

 

早稲田鶴巻町三畳下宿 夢二と志ん朝と 卓球場の美少女と みなグラスに混ぜて 雨の音を聞いている

という歌を詠んだことがあるが、ここに出てくる卓球場の美少女は、浪人下宿の全員がナンパしようと狙っていた。しかし誰もナンパすることが出来なかった。それには理由がある。私は「血と骨」という映画を見て少しも驚かなかった。というのは在日の世界では当たり前のことだからである。早稲田小町の家には在日朝鮮人の父親と本妻とお妾さんが同居していた。共に日本人である。また早稲田小町の兄は高校生の時にノミ屋で大きな借金を背負いヤクザに追われていた。そういう家だったので誰もナンパできなかったのである。

浪人仲間たちは、今は無き「宮本愛子下宿」という賄つきの下宿に暮らしており、近くの巽ビルの確か3階にある卓球場に通っていた。そこに時々小さな座敷犬を抱いた美少女が現れるのでそれを見に仲間たちは卓球場に通ったのである。私は早稲田大学第一文学部に憧れていたが、神戸にある西の学習院と呼ばれる甲南大学に行くことになった。そこでは音楽と体育の授業しか取らず、昼間から酒を飲んでボードレールや中原中也の詩を読んで暮らしていた。詳細は見性体験記に書いてあるが、ある男が私を馬鹿にしたのを契機に「1日5時間だけ3か月は受験勉強に打ち込む」と決意して、翌年競争率45倍の早稲田大学第一文学部に合格した。

秋の文化祭の時である。私は早稲田小町をナンパするために、浅草寺のほおづき市に出かけ、ほおづきの植木と回り灯籠を買ってきた。そして表玄関から堂々と入り、〇〇ちゃんいますか?、と言ってその植木と回り灯篭を渡し、「今度の文化祭に一緒に行かない?」と言ってお互いの電話番号を交換した(当時は携帯が無かったので電話を掛けると必ず彼女の親が出たものだ)。

そして文化祭の時に告白をして二人は付き合うことになった。ベッドインしたきっかけは、前のブログに書いた実験映画を上映するので有名な〇〇―〇〇〇〇〇に二人で行き、寺山修二の「青少年のための映画入門」を見た後だった。その映画はタイトルと大違いでかなり大胆なヌードシーンや男のアレが丸写しになるのである。彼女は顔が真っ赤になり、私は慌てて「まさかこんな映画だとは思わなかったんだよ。ごめんね。誘うときはキッパリと直球で誘うから」と言って、そのまま新大久保にあるラブホに入ったわけである。

彼女は最初は非常にウブで私が浮気をしていても黙って付いて来るような女性だったが、ある時から別人のように変わってしまった。それは彼女が有名な音大に入ったからである。音大は指導教授に女性のほうから媚を売らないと有名なコンテストに出ることが出来ない上に、スポンサーが必要になる。要するに音大の女子大生は「売春婦」と呼んでもいいほど乱れ切った生活をしていた。事実、彼女の親友は会社の経営者に誘われて別荘に泊りがけで遊びに行った(これが何を意味しているかは読者の皆さまには想像がつくと思う)。もう一つ読者にいいことを教えよう。これは今後のブログのネタになるかもしれないが、アメリカに留学する女性は大抵は危険ドラッグに嵌り、黒人と性交をするために日本人の相手は出来ない体になってしまう。事実ある女性から聞いた話だが、生理の時にタンポンを入れても出血が漏れてしまうのでタンポンを入れた上に生理用のナプキンをするという。

また彼女はバイトの度に上司と寝るような女になってしまった。橋幸夫ショーのバックコーラスを務めた時も志賀〇という妻子持ちのヤクザ俳優に誘われて一週間の間、彼と一緒に旅行に出かけてしまった。彼女自身「二人目の男と経験すると何人とヤッても同じことだわ」などと別人のような言葉を吐くようになった。

私は当時純情な面があったので、心痛の余り彼女の兄に相談に行くと「うちは金持ちの時代があったらから女はその頃が忘れられないのでどうしても金持ちと付き合いたがるんだよ。ところでユー、俺の妹を本当に大事にしてくれる」と矢沢栄吉そっくりの口調で私に問いかけた。その部屋には大きな矢沢永吉のポスターとバスタオルが貼ってあった。この兄は朝鮮高校の番長のような存在で、日本人高校と大喧嘩になった時は何台ものパトカーが来たことを嬉しそうに話してくれた。

彼女との付き合いは彼女が結婚してからも続いた。彼女の夫が留守の時に私を電話で呼んで同じベッドで寝たものだ。その部屋に行くと大藪春彦の文庫本が多数本棚に置いてあったため、純文学の好きな私はガックリきてその気になることが出来ず眠ろうとしたら「何故抱いてくれないのよ」と彼女は怒ったが私はそのまま寝てしまった。

その後彼女はイギリスで暮らすと言って連絡が途絶えたままだったが、あるとき突然彼女からメールがあった。私の名前をパソコンでネット検索して見つけたとのことで、本当は彼女の夫の父親の介護のために長年北海道で暮らしていたらしい。北海道で苦労したらしく彼女は聖女のように清らかな性格に戻っていた。そして何度も会いたいとメールをくれたが、私は「会わぬが花」と思い、会うことは無かった。そして卓球場で出会った頃の話をすると「本当は私もあなたに逢いたかったから卓球場に現れたのよ」と言ってくれた。その時の喜びはとても言葉では表現できない。

やがて今度は私のほうがネット検索を掛けて彼女の職場を見つけメールを出したところ、彼女は公務員になるギリギリの45歳に保育士の免許を取り、途中で退職して会社を設立して〇〇〇〇の〇の児童指導員になっていた。何度かメールのやりとりが続いていたが、途中から全く連絡が途絶えてしまった。おそらく夫にバレてしまったのか、あるいは私は創価学会批判の有名人らしいので何らかの圧力があったものと思われる。

事実、突然私の妻子が失踪して人生で最もお金に困っていた時、彼女から1万円を借り、それを昔作っていた過激なHPで公表し「別れた女に悪口を言われるようでは本当の男ではない」と書いたところ、彼女の夫がそれを読んでしまったと彼女自身から聞いたことがある。彼女の夫は舞台演出家なので(無名だが)、その方面は創価学会が権力を持っているため、彼女の夫も創価学会に係わっているとしても少しも不思議ではないだろう。

彼女は元々頭がいいので今は連絡を絶っているが、私は霊感が鋭いので晩年はまたあの初恋時代のような関係になるだろう。


韓国からの留学生に逆ナンされた話&中傷ブログについて

2016年02月10日 | 思い出の記

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 また「春名先生を囲む会」への提案に共鳴される方は私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp までメールを送ってください。先日、立川の伊藤さまが我が家に来られ、名刺をもらいましたが物凄い肩書なので伊藤さまにも何回も講義をしてもらおうと思います。ところで、伊藤さまが第二金曜日は何かの勉強会があるから第三金曜日に出来ないかと言われ、鍼灸院の瀬戸先生はOKでした。春名先生とはやっと連絡がとれて、毎月第三金曜日なら午後7時半からなら来られるそうです。なるべく急いで来られるそうですが、皆さんは7時に集まって軽く一杯やりながら春名先生が来られるのを待つことにしましょう。なお、五行歌はまだメールが届いていませんが、題詠は「炎」。これを五行歌の中に入れても入れなくても構いません。五行歌は五行以外にルールはなく、ただ「詩的な」内容であることが必須条件です。

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私が大学2年生の時の話である。今もそうだが帰国子女というのは一種の裏口入学で、中学の時にアメリカに留学させて帰国して大学受験をするときは簡単な日本語と英語だけで合格できる仕組みになっている。そのため私の早大の後輩には源氏物語と平家物語の区別も知らないような〇〇が何人もいた。

その一人、エリという太った女が韓国人のシリーというあだ名の女性を紹介してくれた。彼女はルキノ・ヴィスコンティの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」のヒロイン、クララ・カラマイそっくりのエキゾティックな容貌だったので私は一目惚れしてしまった。喫茶店で話した後、彼女は四谷に住んでいたので、私は高田馬場のプラットホームまで送ることにした。発射のベルが鳴った瞬間、シリーは「うちへ来る?」と言ったので私は慌てて電車の中に飛び込んだ。その後のことは読者の判断にお任せする。結局私はシリーの部屋で2か月の間同棲した。

彼女は「一流の人としか付き合わない」と口癖のように言っていた。そもそも大学時代は切磋琢磨して一流の人間になるために努力する時代である。従って、一流の人と付き合いたい、というのは要するに金持ちしか相手にしない、と言っているのに等しい。彼女は自分の母方が李王朝のお妃の末裔だと言ったり、父親は北から逃げてきた将軍だと言ったが、例え事実であってもそういう自慢話はしないのが礼儀である。また外に出かける時は万札がギッシリ入った財布を渡そうとしたが、私は断った。

韓国人といえば糸目でエラが張っているのが普通だが、多民族国家なので大陸系には驚くほどの美人がいる。シリーはまさに後者の女性だった。さすがに韓国で教育されていただけあって、シリーは最初は日本人を憎んでいた。彼女は料理が得意だったので自炊していたが、あるとき梅干を買って来て一緒に食べながら「あなたと出会わなかったら梅干なんか食べなかったわ」と言って泣き始めたことを覚えている。

ところがある時からシリーの態度が一変した。エリの悪だくみのせいである。私は当時3~4人の女性と同時に付き合っていたので、それをエリはシリーにチクったのだろう。またこれは想像だが、エリが以前ラブレターを私にくれたお返しに、甲南大学に在籍していた頃に買ったフランス語の詩集をプレゼントしたことがある。だから私がエリと関係を持った、という嘘をついたのかもしれない。

結局シリーは大手音楽プロダクションの社長と結婚した。私は当時妻子がいたが、時々ネットでシリーの本名を検索した。するとシリーは死んでいたのである。シリーは日本語と韓国語が出来るので裁判所の法廷通訳官になっていた。死因は子宮頸がんが肺に転移したものだった。葬儀は芸能人が結婚式に使うので有名な聖イグナチオ教会で行われた。

その記事は朝日新聞にも掲載された。私はコピーを取り寄せ彼女が嘘をついていたことを初めて知った。シリーは飛び級で韓国のキリスト系大学を卒業し、現役で早稲田に受かって、私より3歳下だと言っていたが、実際は東海大学の日本語学科に3年間在籍して、それから早稲田に入ったため、私と同い年だったのである。私は在特会が大嫌いだが、この体験から韓国人は信用できなくなった。

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google検索では出てこないが、マイクロソフトエッジというwindows10専用のブラウザで私の名前を検索すると、未だに中傷ブログが1頁目に出てくる。http://blog.goo.ne.jp/muchoscat これは私がこのブログ上で「公訴時効を考えながら暖かくなった頃に判断する」と書いたので、このブラウザに逃げたものと思われる。

私が創価学会の工作員を本人訴訟で最高裁まで追い詰めた被告の一人(松山に住んでいる織田高敏)は、上に書いたような、私が韓国人と付き合っているとか、人妻と付き合っているとか(これは今後のブログのネタに取っておきます)、それは大学教員としてふさわしくない、などとまるで大学教員が神様でもあるかのような勘違いと中傷を準備書面に書いたし、静岡の島田市に住んでいる八木一仁は静岡からはるばる愛媛の片田舎までやって来て軍属として満州に渡り看護婦助手をし、また軍属証明を持っている母に向かって血相を変え「あなたは本当は従軍慰安婦だったんでしょう」と無茶苦茶な名誉棄損発言をした。このことは何度かこのブログに書いている。このブログを読んで、織田(共犯)と八木(主犯)が悔しいと思うなら、どうか私を名誉棄損で提訴するように呼び掛ける。

ところでこの中傷ブログの常連は例の金と女のためなら何でもやる情報屋の中田聡と、常連ではないが微笑禅の会の代表を一時任せ現在は除名した鈴木正道、そして実験映像作家である。私は時効があるのでほとんどの中傷ブログの内容は読んでないが、あることに気が付いた。一部の世界では有名な某実験映像作家がこれらのブログを煽っている上に、織田と八木と接触を図っていたのだ。某実験映像作家の名前はここでは言わないことにする。ヤレヤレ君に情報を与えたのも、あるいはヤレヤレ君そのものが某実験映像作家なのかもしれない。今後はそれにはそれなりの態度でこの男に対応することにする。


N会のO会長と八王子の売春婦を追い出そうとした話

2016年02月03日 | 思い出の記

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 また「春名先生を囲む会」への提案に共鳴される方は私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp までメールを送ってください。本日、立川の伊藤さまが我が家に来られました。名刺をもらいましたが物凄い肩書なので伊藤さまにも何回も講義をしてもらおうと思います。ところで、伊藤さまが第二金曜日は何かの勉強会があるから第三金曜日に出来ないかと言われ、鍼灸院の瀬戸先生はOKでした。春名先生とはやっと連絡がとれて、毎月第三金曜日なら午後7時半からなら来られるそうです。なるべく急いで来られるそうですが、皆さんは7時に集まって軽く一杯やりながら春名先生が来られるのを待つことにしましょう。

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前々から予告していましたが、各種メルマガを優先的に紹介していたため今日になりました。

当時私はお金に余裕があったので(今はいつも金欠ですが)、N会のO会長と相談して八王子に売春婦をのさばらせている張本人を聞いたところ、一見はチャイナマフィアですが、そこからショバ代を取っている八王子一家(稲川会)だということが分かりました。そこで私はN会のO会長と相談して、O会長の遊び仲間の後藤組の組長(「憚りながら」を書いた人ではありません)と連携をとり、私とO会長と後藤組の組長と八王子一家の会長の4人で、中町にある待合に集まることにしました。

その当時で30~40万は掛かりましたが「車代」(全員を集めるのに掛かるお礼金です)と「花代」(芸者さんを呼んでいる間に発生する料金です)と「待合」(芸者さんと酒を飲む所です)を借り切りっての飲食代は全て私が請け負うことにしました。そして私は一弦琴が演奏できるので、それを八王子一家の会長にご披露した後で、口で「八王子市民の迷惑だから、八王子から売春婦を無くしてもらえませんか」とは言わず、その旨を手紙に書いて、そっと八王子一家の会長に渡すつもりでした。

ところがN会のO会長が言うには、いまの八王子一家の会長は話して分かる人物ではないので今回は無駄金になるから・・・ということでこの計画は砂上の楼閣になりましが、それが実現していたら今は放射線ユーロードを歩いていても「お兄さん、本番いかがですか。一万円ポッキリですよ」というあのしつこい勧誘は消えていたでしょう。本当に残念でなりません。


八王子警察の星警部補の思い出

2016年01月29日 | 思い出の記

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 また「春名先生を囲む会」への提案に共鳴される方は私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp までメールを送ってください。特にアイム南の元職員の峯尾さん、殿塚(チャーミングな看護婦さんです)(この二人は囲む会に賛同されていました)畑さんはもしこのブログを読んでいたらメールを下さい。ぜひ八王子五行歌会の掲示板に投稿してください。

また上記3名をご存じのかたもメールをお願いします。

初めてこのブログを読む人にとっては「春名先生を囲む会」の意味が分からないでしょうから説明します。春名先生は私がアイム北野というデイサービスで出会ったアンチエイジングのプロフェッショナルで様々なサプリメントをメーカーに発注したり、様々な発明をされている医大の教員です。そこで、「春名先生を囲む会」を作り、春名先生だけでなく一芸に秀でた人に講師になってもらい、その後で懇親会を開こうと思いつきました。これは私が発案して様々な妨害が入り空中分解してしまった「ロータス文化学院」の再現、という意味合いもあります。ですから、春名先生の講義だけでなく、私も(坐禅、シュルレアリスム、合気道、五行歌など)、鍼灸院の院長先生(FTという神秘的な施術法やランチェスターの法則、極真空手の変遷)等々、様々な能力を持っている人を集め、講師は飲食料は無料として、お酒を飲める人は4千円、飲めない人は3千円とし、八王子市平岡町にある夢庵(西八王子店)という和風のファミレスに集まることを企画したわけです。このブログを読まれ囲む会に賛同された立川の便利屋さんも素晴らしいHPを作っているので、この人にも講義をしてもらおうと思っています。現在の賛同者は約8~9人ですので夢庵に問い合わせたところ平日の夜なら奥の座敷に4人掛けのテーブルがあるので、一回目の囲む会はお互いの時間を調整してそこに集まることにします。もし16人集まった場合は座敷を全て借り切れるとのことでした。特に決まった飲食料金は必要ありません。このブログを読んでいる皆様の中で一芸に秀でた人はもちろん、日常のためになる有意義な話を食事やお酒を飲みながら聞きたいと思う人は上記の私のメルアドまでご連絡下さい。私のケアマネも参加する可能性があります。 

先日、春名先生と話し合って決まったことがあるので報告します。毎月第二金曜日の午後7時から囲む会を催すことになりました。講義は8時から1時間です。一回目は春名先生が長生きの秘訣について講義されています。質問タイムもあるので皆さんもドンドン質問してください。二回目は私が五行歌の歌会を行います。題詠は炎ですが、これを作品の中に入れても入れなくても自由です。五行歌は五行以外にルールが無く、添削をしません。三席までに入った人は月刊五行歌誌に基本的に作品レポートと共に掲載されます。投稿と掲載料は無料です。作品が出来た人は私のメルアドまで送ってください。また当日は採点をするためにペンを持ってくるようにお願いします。五行歌の時だけでなく、講義をする人はレジュメや資料を持ってくるので、メモ用にペンは必要ですね。ぜひ16人集めて夢庵の一室を借り切りたいものです。春名先生はプロジェクターを持っているのでスライドショーを見せながら講義したい、とおっしゃっています。

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私が探偵になったきっかけの一つは、東京工芸大学の非常勤講師を辞任し、君を絶対に教授にすると言った早大大学院の指導教授に絶縁状を叩きつけ、自分の全能力を事業に注ぎ込むと決心して、職業紹介責任者講習会を受講し、同じ月に諸手続きを終えて探偵認可されたことによる。もう一つは、確実に盗聴されていることが分かり、自分で盗聴発見器を購入して調査したところ、非常に激しい反応があったため、八王子警察の星警部補に連絡したところ、微弱電球でも反応するからプロの探偵に頼むように、と言われたからである。驚いたことに警察には盗聴発見のプロが存在せず、全て探偵に依頼する。また民事裁判で勝訴した際も、被告の財産(不動産屋や預金など)を調べるのは裁判所の権限ではなく、弁護士がお抱えの探偵を雇っている。これを聞いた私は、以前行きつけだった居酒屋で、元検事で今は校正役場の上級職にある人物に、それはおかしいのではないか、と聞いたところ、それは裁判所に聞いて欲しいと言われたことがある。

普通は探偵の認可が下りるのは10日から2週間かかるのだが、私の場合はたった4日後に下りたために、「探偵業届出証明書」を貰いに八王子警察の生活安全課に行って星警部補にお礼の挨拶をしたところ、星警部補は慌てて「課長が何故あんな奴を知っているのかと聞くから、お互いが知り合いだということは言わないでくれ」と頼まれたことがある。おそらく私が「行動する保守」のグループと八王子北口で街宣したことや(残念ながらその動画はyoutubeから消されてしまった)、現在は除名処分にしているが微笑禅の会の代表を一時期任せていた鈴木正道と一緒に八王子駅北口で二人で凱旋したことをその課長は知っていたからだろう。鈴木正道と街宣したときに面白い逸話がある。ちょうど国政選挙の最終日だったために、二人で街宣している目の前で共産党の宣伝カーが停まり、八王子警察が護衛していた。そこで私たちが街宣していると、護衛していた警官のリーダーらしき中年の警官が駆けつけて「わたしたちも共産党の護衛などしたくないが、選挙妨害に当たるといけないから今日は街宣は止めてほしい。明日からなら自由に街宣してもいいですから」と言ったので諦めたが、共産党は破防法適用団体だから警察の意識とはそういうものかと知った次第である。

 

探偵認可が下りてまもなく、探偵は初恋の人など人探しが出来ることを知り、法律に詳しかった私は東京都公安委員会に電話を掛け「人探しはプライバシーの侵害、付きまとい行為、個人情報の入手など少なくとも3つの犯罪に加担することになるのではありませんか」と聞いたところ、驚いたことに、「ああ、八王子の那田さんですか」と言われた。何故私のことを知っていたのか今でもわからない。その人は「だから認可制にしたんですよ。探偵はグレーゾーンで動くので、とにかく幅広く人脈を作りなさい。市役所の戸籍課の人と仲良くなり、時には食事やお酒をおごるときに、酔った勢いでそっと個人情報を伝えるのは個人情報の漏えいに当たるか当たらないか微妙なところだからね」と言われた。

ここで面白いことを教えよう。警官は必ずカマをかけるという事実である。私が東京工芸大学の最終授業を終え、いつもと違う道を通って帰宅しようとしたときの話である。私は路地を出て片側二車線の大通りを出て(二車線は大混雑していたが私はドアミラーの外側3センチの隙間があれば車を入れる技能があったために)、反対側に出ようとして、車の隙間を潜り抜けて右を見て左を見て、車がいないことを確認した上で左折しようとアクセルに足を掛けた瞬間、クロネコヤマトの送迎バスが恐ろしい速さで飛び込んできて私の車のバンパーを日本刀で切ったように吹き飛ばした。それを見ていたママチャリに乗った主婦が「あのバスが悪い、信号が赤なのに物凄いスピードであなたの車にぶつかってきました」と言った。私はそれを証言するように頼んだが「憎まれるのは怖いから」と言って逃げてしまった。(以前このブログで、そういう場合は、証言してくれると3万円をお礼に渡すからと言えばいい、セチガナイ世の中になったものだ、と書いたことがある)。そのうえクロネコヤマトの老人の運転手は「お前が出てきそうなことが分かったから俺はハンドルを右に切ったんだ。下手な運転をしやがって」と絡んできたので、私は「喧嘩ならあとで十分に相手をする。先ず警察を呼ぶからそこで待っていろ」と言って110番通報をしたら、自転車に乗った警官がやってきた。そこでは私はその警官に「私は星警部補の知り合いですが、警部補は今でもお元気ですか?」と言ったところ、その警官は「私は転勤してきたばかりなのでその方は存じ上げません」と言って、クロネコヤマトの送迎バスの運転手のところに行ってしばらく話していた。やがて運転手がやって来て、先ほどとは別人のように神妙な面持ちで「先ほどは失礼しました。これからは保険会社の弁護士を通して交渉することにします」と言って去っていった。その後、自転車に乗ってやってきた警官は敬礼の格好をして「星警部補殿はよく存じ上げております」と言った。つまり、そこで事実を語ると公平な仕事が出来ないからわざと嘘をついたのだろうが、とにかく、警官はいい意味でも悪い意味でもカマをかける、という事実は知っておくべきだろう。

私は郷里愛媛で運転免許を取ったために契約していた保険会社はJAだった。JAはもともと自動車保険の専門ではないため、クロネコヤマトが入っている東京海上火災と比べると非常に弱い。あの程度の事故なら一流のアジャスターに調べさせれば、私が止まっていてクロネコヤマトの送迎バスが何キロのスピードでどのような角度から私の車(最初期のプリウスで今でも所持していたらプレミア価格が付いている筈である)にぶつかって来たか分かる筈なのに、ろくなアジャスターしかいないらしく、様々な交渉をしたが結局私は自分で本人訴訟をすることになった。そこで調べて見ると、タコメーターは輪ゴム一本で偽装することが出来ること、宅配便の運転手が慣習的に急ブレーキをかけることが出来ないこと(急ブレーキをかけると積んでいた荷物が荷崩れして、ビンなどが割れてしまう)、そして事故を起こした道路に行って道幅を巻き尺で図ったところ、送迎バスの横幅とほぼ同じ広さであるために、そこで右ハンドルを切るのは待った誤った運転操作で(ガードレールにぶつかってしまう)、急ブレーキをかける以外にないこと、またその運転手は赤信号のまま私の車に突っ込んできたことが分かった。そこで本人訴訟の準備は十分に済ませたが、直後に妻子が突然の失踪をしたため、私は心痛の余り入退院を繰り返し、本人訴訟が出来なかった。またその8か月後に今度が私の母親が八王子高齢者福祉課(起案者は谷斑)により、保護措置と称して母を一カ月にわたり監禁し、元市議により解放された直後に2週間の危篤に陥り、退院してしばらくは肝性脳症に陥り、一時期知的作業が出来なくなったことはこのブログに書いた通りである。

次いで星警部補と出会ったのは、私が故郷の土地建物を売り払おうと(裁判で和解したので業者名は言えないが)、当時ネット上で最も大きな宣伝をしていた、○○不動産と契約し、私の不動産を売ってもらうように宣伝してもらっていたが、宅建法に詳しい人なら常識だと思うが、不動産が売れた時の仲介料のみは取れるが、宣伝費を取るのは違法である。私はうかつにも宣伝料の3万円を支払ってしまった。これは八王子市の法律相談に行って聞いたところでは完全な詐欺罪で、しかも3万円というのは訴えるには少額でプロの仕業だろうと言われた。確かに弁護士を雇うと着手金は最低でも10万円はかかるので、訴えようと思いながら諦める人のほうが多いに違いない。そこで私は星警部補に電話をかけて我が家に来てもらった。すると星警部補は「集団訴訟でもしない限り、本部(警視庁のこと)がゴーサインを出さない」というので、私は短気な性格だから頭に来て(私のリビングには維新の志士や東郷平八郎、戦艦三笠、秋島真之、明治天皇の肖像画、などを鴨井の額に掛けている)、坂本龍馬の写真を指で指し「あなたは正義感が強いから警官になったのではありませんか。坂本龍馬は今でも生きていますよ」というと、星警部補は誠実かつ温厚な人柄だったので「あなたの気持ちはよ~く分かりますが、私たちは本部がゴーサインを出さないと何もできない立場なのです。どうかそれを理解してください」というので私は本人訴訟に踏み切った。

結果的に私が損をしたのは3万円だが、白髪の立派な裁判官に出会ったために和解金として20万円を手にすることが出来た(私は本人訴訟をして2勝1敗である。1敗は創価学会の工作員を最高裁まで追い詰めたもので、これは後世必ず史上最悪の判決として有名になるだろう)

最後に星警部補と連絡をしたのは、今も続いているが八王子北口の放射線ユーロードを夜歩いていると中国人が駆け寄り「お兄さん、マッサージいかがですか?本番一万円ですよ」と声をかけてくる。私は最初は「この野郎、日本で売春するな!」とイチイチ怒鳴っていたが、最後の方には疲れてきて、八王子北口の交番へ出かけ「あの売春婦の客引きはどうにかなりませんか?うるさくて仕方ありません」と言ったところ、小柄な警官が「八王子にはチョンとチャンコロとロスケの売春婦がいるのですが、彼女たちは私たちの顔を全部知っていて、私たちが取り締まりに出かけると一斉に客引きを止めてしまいます。本官も休日に客引きに声を掛けられた時は怒鳴りますが権限がないのでどうにもなりません」と言って内情を打ち明けてくれた。

そこで私は星警部補に電話を掛けて「八王子北口には小柄だがなかなか正義感の強い警官がいますね」と言ったところ「多分それは○○君だと思います」と答えた。そこで、私がおとりになって客引きについて行き、そのマッサージ店に入りますから、そこが金銭で女を買わせる、と分かった段階でトイレから星警部補殿の電話を掛けるので、そこで一斉にあの連中を逮捕してください」と言ったところ、「那田さんの心遣いは誠にありがたいが、それは私たちの仕事ですから、一般の人に迷惑をかけるわけにはいきません」と答えた。実際、私はそのマッサージ店に偵察に行ったことがある。受付にはいかにもヤクザ顔の男がいて、売春婦たちはベニア板で仕切られたたこ部屋のようなところにいる。皆、亡霊のような顔つきをしているので、普通の人間ならそのようなところで女を抱く気にはなれないだろう。私は「タイプの女がいないから、今日は見るだけで失礼します」と言って出て行った。

この八王子から売春婦を追い出す作戦に関しては、もっと面白い後日談がある。それは明日の「思い出の記」に書くことにする。おそらく星警部補はもう退職されたことと思う。本当にいい人だった。今度一度飲みたいものである。

 


ボッタクリスナックの用心棒を一瞬にして改悛させた話

2016年01月23日 | 思い出の記

ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

 また「春名先生を囲む会」への提案に共鳴される方は私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp までメールを送ってください。特にアイム南の元職員の峯尾さん、殿塚さん(この二人は囲む会に賛同されていました)畑さんはもしこのブログを読んでいたらメールを下さい。また上記3名をご存じのかたもメールをお願いします。

初めてこのブログを読む人にとっては「春名先生を囲む会」の意味が分からないでしょうから説明します。春名先生は私がアイム北野というデイサービスで出会ったアンチエイジングのプロフェッショナルで様々なサプリメントをメーカーに発注したり、様々な発明をされている医大の教員です。そこで、「春名先生を囲む会」を作り、春名先生だけでなく一芸に秀でた人に講師になってもらい、その後で懇親会を開こうと思いつきました。これは私が発案して様々な妨害が入り空中分解してしまった「ロータス文化学院」の再現、という意味合いもあります。ですから、春名先生の講義だけでなく、私も(坐禅、シュルレアリスム、合気道、五行歌など)、鍼灸院の院長先生(FTという神秘的な施術法やランチェスターの法則、極真空手の変遷)等々、様々な能力を持っている人を集め、講師は飲食料は無料として、お酒を飲める人は4千円、飲めない人は3千円とし、八王子市平岡町にある夢庵という和風のファミレスに集まることを企画したわけです。このブログを読まれ囲む会に賛同された立川の便利屋さんも素晴らしいHPを作っているので、この人にも講義をしてもらおうと思っています。現在の賛同者は約8人ですので夢庵に問い合わせたところ平日の夜なら奥の座敷に4人掛けのテーブルがあるので、一回目の囲む会はお互いの時間を調整してそこに集まることにします。もし16人集まった場合は座敷を全て借り切れるとのことでした。特に決まった飲食料金は必要ありません。このブログを読んでいる皆様の中で一芸に秀でた人はもちろん、日常のためになる有意義な話を食事やお酒を飲みながら聞きたいと思う人は上記の私のメルアドまでご連絡下さい。 

昨日、春名先生と話し合って決まったことがあるので報告します。毎月第二金曜日の午後7時から囲む会を催すことになりました。一回目は春名先生が長生きの秘訣について講義されています。質問タイムもあるので皆さんもドンドン質問してください。二回目は私が五行歌の歌会を行います。題詠は炎ですが、これを作品の中に入れても入れなくても自由です。五行歌は五行以外にルールが無く、添削をしません。三席までに入った人は月刊五行歌誌に基本的に作品レポートと共に掲載されます。出品料は無料です。作品が出来た人は私のメルアドまで送ってください。また当日は採点をするためにペンを持ってくるようにお願いします。ぜひ16人集めて夢庵の一室を借り切りたいものです。春名先生はプロジェクターを持っているのでスライドショーを見せながら講義したい、とおっしゃっています。

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これは私が早稲田大学の非常勤講師の頃の話である。その時は既に見性体験を終えていたので「いつ死んでもいい」「自分以外に怖いものは無い」と度胸が据わっていた。ちょうど三崎町から中町に行く途中の花屋の先で新装開店のチラシを配っているので受け取って読んでみると、歌い放題、飲み放題、摘みも食べ放題で4千円と書いてあった。

そこで私はエレベーターの4階にあるスナックに入ってみた。飲み放題といってもジンロや鏡月など韓国製の甲系の焼酎が中心だったし、食べ放題といっても駄菓子屋で売っている子供の御菓子ばかりだった。私は紫蘇焼酎として有名な鍛高譚(たんたかたん)を一本ボトルで注文し、それを飲み干して、ママお会計、と言って請求書を見るとなんと1万2千5百円になっていた。そこで私がママに明細を求めたところ、隣の部屋から用心棒とその子分らしき男が現れた。

用心棒は「お前はこの店にケチをつけるのか!」と凄んだ声で私に言ったが、私は「金なら払う。ところでお前のバックは八王子一家か後藤組か!」と気合を入れて問いかけたところ、用心棒は「私のバックはありません。フリーです」と答えたので、私は「フリー上等。堂々とした生き方をしていればヤクザも右翼も後ろから付いて来る。ところで、このような恥ずかしい生き方をしていていいと思うのか。これはお前のための助言だが、このスナックは必ず潰れる。男ならこのような仕事をするな」と言ったところ、その用心棒は子分とママを店の中に追い返し、「私は田村と言います。先生のお名前を聞かせて下さい」と言ったので、「名前を名乗るほどのものではないが、三崎町では知られているから、どこかで会うと思うよ」と答えたら、エレベーターに一緒に乗って外まで送ってくれ、私の手を両手で握りしめて「先輩の助言に感謝いたします」と答えた。

一週間ほどたってその店の前を通ったところ、私の予想通りそのボッタクリスナックは潰れていた。今も私は同じように度胸が据わっているので同じようなシチュエーションになったら同じようなことをするだろう。5~6年前の話だがまたあの田村君に会ってみたいものだと思う。

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全く関係の無い話ですが、明日の八王子市長選挙は投票率がかつてないほど下がるでしょう。

 

 


我が家にやってきた八王子警察の係長を論破した話

2016年01月20日 | 思い出の記

ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

 また「春名先生を囲む会」への提案に共鳴される方は私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp までメールを送ってください。特にアイム南の元職員の峯尾さん、殿塚さん(この二人は囲む会に賛同されていました)畑さんはもしこのブログを読んでいたらメールを下さい。また上記3名をご存じのかたもメールをお願いします。

初めてこのブログを読む人にとっては「春名先生を囲む会」の意味が分からないでしょうから説明します。春名先生は私がアイム北野というデイサービスで出会ったアンチエイジングのプロフェッショナルで様々なサプリメントをメーカーに発注したり、様々な発明をされている医大の教員です。そこで、「春名先生を囲む会」を作り、春名先生だけでなく一芸に秀でた人に講師になってもらい、その後で懇親会を開こうと思いつきました。これは私が発案して様々な妨害が入り空中分解してしまった「ロータス文化学院」の再現、という意味合いもあります。ですから、春名先生の講義だけでなく、私も(坐禅、シュルレアリスム、合気道、五行歌など)、鍼灸院の院長先生(FTという神秘的な施術法やランチェスターの法則、極真空手の変遷)等々、様々な能力を持っている人を集め、講師は飲食料は無料として、お酒を飲める人は4千円、飲めない人は3千円とし、八王子市平岡町にある夢庵という和風のファミレスに集まることを企画したわけです。このブログを読まれ囲む会に賛同された立川の便利屋さんも素晴らしいHPを作っているので、この人にも講義をしてもらおうと思っています。現在の賛同者は約8人ですので夢庵に問い合わせたところ平日の夜なら奥の座敷に4人掛けのテーブルがあるので、一回目の囲む会はお互いの時間を調整してそこに集まることにします。もし16人集まった場合は座敷を全て借り切れるとのことでした。特に決まった飲食料金は必要ありません。このブログを読んでいる皆様の中で一芸に秀でた人はもちろん、日常のためになる有意義な話を食事やお酒を飲みながら聞きたいと思う人は上記の私のメルアドまでご連絡下さい。 

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これは私が元の妻と離婚調停をしていた時の話である。以前ブログのどこかに書いた記憶があるが、私は妻子が創価学会に拉致されたと思い(実際にそうだった可能性がないでもない)、また母が高齢者福祉課(起案者は谷斑)に保護措置と称して1か月の間監禁され、そのストレスの余り危篤になって2週間意識不明になり、今は無き多摩相互病院に外出すると嘘をついて激務をしていた頃で、医学的知識のある人なら驚くだろうがγーGTPが3000を超え、その後遺症として肝性脳症になったまま、本人訴訟の形で離婚調停を進めていた。

妻の弁護人になったのは八王子では個人の法律事務所としては最も大きいF法律事務所のM弁護士だった。元の妻はこの第一那田ビルを買うのに一円も出していないにも関わらず財産分与を要求してきた。私は妻の弁護人に第一那田ビルを半分に分けるのか、と尋ねたところ、マンション価値の半分を出せばいい、と答えた。その話を元の妻の母親に話したところ「うちの娘がそんな要求をする筈がありません」と答えた。

立川にある家庭裁判所で結審があった時(私は介護タクシーを使い車椅子で臨んだ)、この財産分与にしても養育費も慰謝料も、妻の要求は全て却下された。それは当たり前のことで、妻の国民年金も長女の私立高校への学費も、予備校費も全て私が払っていたからである。妻が払っていたのは雑費と食費のみだった。

現在は面会交流権という名称に変わり内容を明記するようになっているが、当時は面接交渉権と呼ばれ、内容を明記する必要は無かった。

私が妻の弁護人を睨み付けるとMは下を向いた。妻の要求がことごとく却下されたからである。さらに裁判官は「この問題にはお子さんたちは関係が無いのだから、自由に交流をさせなさい」と命令するとMは「裁判官殿、そのようにいたします」と答えた。私は一安心して調停室を出た後で「調停条項」(普通の裁判で言えば判決文)をゆっくり読んだところ、いつ面会できるのか全く書いてなかった。

驚いた私は車椅子を押してくれている書記官に、どうすれば面会交流の日程を明記できるか尋ねたところ、ほとんど無駄でしょうが、改めて民事訴訟をするしか方法はない、と答えたことを記憶している。つまり面会交流は口頭では許されても明文化されていなかったのである。まるで狐に包まれたかのような判決だった。

案の定、子供からの連絡は途絶えたままだった。(そのことを当時作っていた掲示板に、例のヤレヤレ君が書きこんだ、という逸話がある。当然、盗聴されていたのだろうし、今も盗聴されていると思う。詳細は略す)

そこで母親を保護措置から救い出してくれた元八王子市議に事情を伝えたところ、元市議は「先方は真面目な人のようだから直接電話をして交渉してみてはどうか?」というので、確か夜になっていると思うが私はM弁護士に電話をして「裁判官に約束した通り、子供たちに電話をさせなさい」と言ったところ、そのM弁護士は「そんなことは聞いていません」と答えた。私はM弁護士を雇っているF氏に内容証明まで出したが全く返事は無かった。

そこで私は頭にきて、以前作っていた過激なHPに置いた掲示板にM弁護士の顔写真を乗せ、「皆さん、この写真を見て下さい。創価臭いですね。また弁護士は公人ですから、嘘をついた以上、抗議の電話を掛けて下さい」と書いた後、___________ というふうに傍線を引いた上で、「ああ、今日は誰かを殺したい気分だなぁ」と書いた。

すると直ぐに八王子警察の係長が2人の部下を連れて我が家に乗り込んできた。なぜ私の書いた掲示板の内容を八王子警察が知っているかというと(八王子警察の半分が創価学会員だという内部告白があるが、それは別として)、「創価学会ミニ知識」より次の文章を引用したので、よくご覧ください。

●組織の中には「教宣部」の裏部隊として、末端の学会員にはあまり知られない「広宣部」があり、近年全国で2万人程まで急増している。(ヴィクトリーグループ・嫌がらせ部隊を含む ) 他にも「伸一会」「第一警備」などの秘密組織があり、主な役割は盗聴・盗撮・尾行・情報収集、そして攻撃を請け負う。
(総県幹部・圏幹部・広宣部・男子部による、組織的な中傷ビラ配布事件も知られている)

その他にも「パトリオットミサイルチーム」(郵便物の回収作業班)
「特攻野郎Sチーム」(男子部の特殊潜行活動班)
「FOCUSチーム」(批判者の悪行を暴くネタ取材班)
「十羅刹女チーム」(婦人部の電話抗議チーム)、他多数のグループが存在するという。

というわけだ。私はこの「十羅刹女チーム」に何度人間関係を悪化されたか分からない。特に私は中央義士会の事務局長と非常に懇意にしていたが、このチームのために今は中央義士会の会員(一時期は顧問だった)から脱会している。また「FOCUSチーム」は私に対する中傷ブログを書いている当人たちだろう。

八王子警察の係長が「お前は殺人予告をしたのか?」と聞いて来たので、私は「係長、人を殺したい気分だなぁ、というのはあくまでも空想、主観ですよ。もしこれが殺人予告になるのなら、夢の中で人を殺したら殺人罪になるでしょ?」と答え、さらに「大学の英語の授業で読んだことがありますが、アフリカのある部族では夢の中で借りた借金は本当に返さないといけないらしいですね。あなたが夢の中で私に借金をしたら、あなたは今ここでその借金を私に払いますか?」と質問すると、部下の二人は笑い出してしまった。その係長は帰りがけに「これからは気を付けるように」と言ったが、一体何に気を付けるのか全く分からなかったし今も分からない。

もっとも、肝性脳症は滅多にない怖い病気なので裁判に遅刻をしたり、頼まれた映画の批評が書けなかったこともある。現在は小食健康法のためにほとんど毎日のように飲んでいてもγーGTPは140を切っている。

肝性脳症に罹りながら本人訴訟をしたり、このようにユーモラスな対応が出来たのは、今思えば実に不思議な気分がする。

このブログを書くためにF法律事務所のHPを開いたところ、M弁護士は立教大学出身と記してあった。おそらく「創価大学出身」と思われるのが嫌だからだろう。

この離婚問題にしても保護措置の問題にしても、まだ結論は出ていない。明日は神のみぞ知る、である。

 

 


合法的な方法で不動産取得税を適正価格に戻した話

2016年01月18日 | 思い出の記

ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

 

また「春名先生を囲む会」への提案に共鳴される方は私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp までメールを送ってください。特にアイム南の元職員の峯尾さん、殿塚さん(この二人は囲む会に賛同されていました)畑さんはもしこのブログを読んでいたらメールを下さい。また上記3名をご存じのかたもメールをお願いします。現在囲む会のメンバーは9人にまで増えています。15人にまで増えると夢庵の座敷を借り切れますから、ぜひあと6人増やしましょう。夢庵によると決まった料金は無いそうです。

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私がこの第一ビルを買って間もないころの話である。16年も前の話になるが何かの役に立つだろう、と思いここに書き残すことにする。

住民登録する際には一部屋だけしか登録できない。私と家族は2階の二部屋を使っていたが形の上では一部屋だけを使っていることになる。

そこで第一那田ビルに不動産取得税が概ね130万ほど掛かってきた。本当は6分の2が住居だが6分の1が住居で、残る6分の5を利益物件と計算されたからである。私は何度も税務署に電話を掛けて事情を説明したが、我が家にきて様子を見る気配が全くなく、何度も請求書が届くばかりなので私はとうとう頭にきて、赤マジックで「抗議文」と書いて、とにかく家に来て実態を見るように強い口調で手紙を送った。

当時私は護国団(破防法適用団体)の石井一昌さんや、大日本愛国党(破防法適用団体)の最高幹部会議長の芦名先生と、名前は言えないが単独右翼では日本最高と言われるN会のO会長と親しかった。護国団の新年会には全国から主だった右翼の指導者とその奥さんが集まったが、私を中心に芦名先生とO会長だけが上座に座らされ、私は新年のあいさつの後、乾杯の音頭を取った。もちろん皇居に向かって遥拝し国歌斉唱するのが礼儀である。

そういう立場だったので私は石井一昌さんから全ての著作を贈呈されていた。

そこで私の抗議文を読んで駆け付けた課長とその秘書らしき女が私のリビングに来て私の話を聞いている間、私はわざと石井さんの『信念のために人を殺れるか: 正伝・暗殺集団』を二人が見えるようにテーブルの上に置いた。そして長押に掛けてあったアルモノを取り出して「これは脅迫ではないですよ。時々こうして粉を打って油を引かないと錆びますからね」と言いながら「私は真面目に仕事をしない公務員が大嫌いなんですよ」と呟き、「人に貸している部屋かどうか隣に行って見て来い!」と怒鳴りつけた。

二人は慌てて隣の部屋に行き戻ってきて「確かに人に貸している部屋には思えません」というので、私は「何度も同じことを書かせやがって、分かったならさっさと帰れ」と言った。

二人が帰ると直ぐに部長と名乗る女性から電話が掛かり、これからお詫びに行きたい、というので、私は「邪魔だから来るな」と答えた。

その後、不動産所得税の請求書が届いたときは130万が35万円に下がったことを記憶している。

この話をO会長が主催した新年会で三社神輿保存会の若い連中に話したところ大受けした。

もしこのブログを読んでいる皆さんの中で不当な不動産取得税を請求され、アルモノを所有している場合は、ぜひこの方法を試してください。

なお、私に対する中傷ブログ(更新はとっくに切れています)の最後の記事は、私は被害妄想で、町内会も警察も私を危険人物とみなしている上に、アルモノを所持しているらしい。本当かどうか那田さんははっきり書くべきだ。などというバカバカしい風評被害を立てています。これについてはこのブログですでに説明しましたが、アルモノは登録証と共に所持している場合は何ら問題はありません。住所が変わったら教育委員会にその旨を通知することをくれぐれも忘れないで下さい。

また私は町内会の役員を3年間勤めています。仕事が忙しくなったので途中でやめたものの、町内会が危険人物を役員にすると思いますか?また、八王子警察の署員の中でも星警部補と、探偵担当の生活安全課の課長・松井さんとは昵懇の仲でした。今は二人とも転勤されていますが、危険人物と地元の警察署員が仲良くなるでしょうか?

中傷ブログなどを立てる連中は本当に頭が悪いですね(特に中田聡と実験映像作家たちは)。