ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531
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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。
今月の春名先生を囲む会では私が講師となって五行歌の歌会を行いますので、参加される人は http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/f4c47ab144a03aef2fe22d51d9c8ddc3 を参考にして五行歌を作って私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp まで送って下さい。題詠(テーマ)は「炎」ですが、この言葉を作品の中に入れても入れなくても構いません。いまのところ誰からもメールがありませんが時間はまだタップリあります。また上のurlで、はひふへほ、を折句にして歌った女性はキャバクラに勤めているホステスさんで、初心者の上に26歳の若さですから皆さんも絶対に作れる筈なので頑張ってください。
また一般の人は http://gogyoka.bbs.fc2.com/ この掲示板に投稿をお願いします。
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今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。
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手紙が大変遅くなりました。
いま手元にあるのは先生から2011年2月4日に頂いたものです。この手紙への返事も含め、色んな経過をきちんとした報告しなければと思いながら、複雑な事情が重なりお話できませんでした。また贈呈本の際のお礼も遅れ、大変申し訳ありませんでした。
この間、私は危篤を含め何度か入退院し、現在要介護1でデイサービスやヘルパーさんの介護を受けながら、もう直ぐ95歳になる要介護3の母の介護をしている、という限界の中で暮しています。妻とは離婚し、狐に騙されたような判決で子供の面会交流が出来ていません(口頭では許可されながら明文化されていない)。子供たちは「片親疎外症候群」そっくりの症状に陥り、母(お婆ちゃん)の記憶さえ無くし、母共々心痛の毎日です。
松本先生の手紙を読み、大きな誤解と情報の混乱があると分かりましたが、誤解を解くためには事実を述べる必要があり、そのためには他人を批判せざるを得ません。そういうことは避けたいので今日まで沈黙してきました。
ところが先日、牧野先生が心臓のバイパス手術のやり直しになりそうだ、という緊急状態になられ、電話で遺言(遣り残した仕事)まで伝えられました。万一の場合を想定して、悩んだ末に手紙を書くものです。以下箇条書きにします。
①先生の名義を借りたいと書いた理由。
手元の手紙を読むと、私が松本先生の名前を借りて銀行からお金でも借りる、と受け取られている様子で驚いています。完全な誤解です。「ロータス文化学院」という団体を組織し、可能ならば自治体や企業から助成金を得、賛同者を募るには、先ず規約、活動の趣旨、役員や代表者の名前等々を揃える必要があり、一番知名度の高い先生の名前を表に出すのが最適と判断した、それだけの理由です。絶対に赤字を出さない方法を考えましたから債務を背負う計画など念頭にありません。まして他人に背負わせるなど詐欺師のやり方です。私がどういう人間かは先生がご存知の筈と思っていました。残念です。疎遠になるとこうなってしまうのでしょう。
②まず総論として:失敗の原因と今後の方針。
私は大学非常勤講師の頃から「創価学会批判運動」を行っており、その方面でも相当に名前を知られています。
一つだけ具体例を言うと、軍属だった母を「従軍慰安婦」と罵り、私の書いた論文も批評も全く読んでないのに「何の価値も無く、学生から相手にされていない」と公言する創価学会工作員を本人訴訟で最高裁まで追い詰めたことがあります。一審から事実審議はゼロ、最高裁では「3行判決」で敗訴しましたが、相手が逆提訴した松山地裁では本人訴訟で勝訴しました。
ちなみに二人の被告のうち一人はビデオ業者で小型映画ファン、一人は写真のプロで、私のHPに巧みに接近して突然変貌しました。当時常連投稿者だった居田伊佐雄さん他多数の陳述書も裁判所に提出しました。
これらの様子を私のHPで「裁判経過同時中継」として公表していた時期があり、被害者や偽被害者(二重スパイ)など様々な人物が接近してきました。現在も似たような状況です。(別紙1に創価学会が私を第一の標的として狙っている、と聞いた親族の証言書を同封します)
こういう状況の中、Mさん、高知の親友・田辺浩三とその娘・小夏ちゃんの三人とも創価学会の被害者で、自己救済を兼ねて参加してきたわけです。つまり、ロータス文化学院というの教育改革構想に、創価学会問題が絡んだのが途中で空中分解した最大の原因です。
ですから結論として、私はこの企画から降り、色の付いていない第三者に実行委員会のリーダーになってもらうつもりです。既にmixiの「松本俊夫コミュニティ」(700名ほど参加者がいます)でその旨を呼びかけましたが、名乗り出ている人物は未だに一人もいません。
③Mさんと小夏ちゃんの行動。
創価被害者にはよくあることですが、Mさんは既に手遅れの状態(関係妄想や空間認識障害など)、高知からやってきた小夏ちゃんも、田辺氏の元妻が創価学会の幹部だったために離婚となり、幼児の時から片親で育ったため精神的に非常に不安定でした。
田辺氏の告発はネット上で「妻を娶らば創価学会の悲惨」http://www.asyura2.com/0401/idletalk8/msg/970.html (田辺氏が書いた「新潮45」の転載記事)で詳しく述べられています。
田辺氏が「ロータス文化学院が出来るまで間、小夏を那田の娘だと思って育て、色んなことを教えてほしい」と言うので、荷物も私が着払いで受け取り、便利屋さんに私の事務所(松本先生と牧野先生が来られた部屋です)を片付けてもらい、さらに知り合いの市議に頼んで彼女の仕事が見つかるまで生活保護の準備も整えていました。
小夏ちゃんは高知からバスに乗って夜遅く我が家に着きました。翌日、私と母に挨拶もせず、田辺氏の知り合いの画家で鎌倉に住んでいる合田佐和子さんのところに行ったまま熱を出して寝込みました。合田さんから電話があり「依頼原稿の締め切りも迫り困っている」とのことで、同じ神奈川に住むMさんに迎えに行き、元気になるまで引き取ってほしいと頼みました。
体調が戻った後、何を思ったのかMさんは小夏ちゃんを自分のマンションに同居させようとしました。田辺氏は小夏ちゃんに私の元まで電車で一人で帰るよう説得しましたが、Mさんの車で帰ってきました。そして小夏ちゃんの部屋に土足で入り、ダンボールを片っ端から開いて国民健康保険証を探し出そうとするので(住民票を移動させるためです)二人とも追い出しました。この事件以後彼女達をスタッフのメンバーから外しました。(恐らく生活保護に出るお金を取ろうとしたのでしょう)
男同士の固い友情で引き受けた親友の娘・小夏ちゃんを勝手に連れ去ろうとしたMさんも、それに付いて行った小夏ちゃんも、こういう風に「壊れている状態」でした。母も当時元気でしたので相当Mさんに説教しましたが無駄でした。小夏ちゃんは母と二人のとき「お母さんと会いたい」と言ったそうです。片親で育つとストレスが通常の倍になると研究結果が出ています。お母さんの元に行けば否応無く創価学会に入ることになりますから、常に葛藤を抱えているのでしょう。
小夏ちゃんの家財道具はいま山崎幹夫氏が、私のビルの一部屋が使えなくなるという好意から引き取っています。そして「田辺が小夏ちゃんを虐待していた」旨を小夏ちゃん本人から電話で聞いたと、彼もまた情報に惑わされています。私は大学院を修了した後、郷里愛媛に10年ほどいた時期があり、高知に住む田辺氏とはお互いに家を行き来して、小夏ちゃんと私の娘は同い年でしたので一緒に遊ばせ、その溺愛振りは現場で見ています。また田辺氏の親友(松岡由紀彦:教育者兼市民運動家)から「経済状態が苦しい中、娘にはそれを見せず甘やかして育てた。一言で言えば親バカだった」と確認を取っています。
現在田辺氏は病気と貧困に闘いながら、高知で反原発運動と映画上映運動をしていますが、小夏ちゃんは高知に戻っているのに見舞いも連絡もなく「あれほどバカと思わなかった。生まれなかった子供と思っている」と諦めています。詳細は以下で確認して下さい。
田辺浩三:*******
松岡由紀彦:Tel./.Fax.********
さらにMさんは映像の素人なのに、「小夏ちゃんを主人公に映画を撮って映画祭で受賞する」と称して私のカメラを借りたまま返しませんでした。ゆうパックで送ったという郵便局と日時を聞き、特別に調べて貰いましたが、その日のゆうパックの取り扱いは一つもない、との返事でした。そこで私はカメラ代を弁償させました。
Mさんの異常性(妄想など)については山崎幹夫氏がよく知っています。彼女がブログに書いた文章を茂木健一郎や糸井重里が真似をしている、と言った類いのものです。山崎氏は早くからMさんをメンバーから外すように提案していました。
山崎幹夫氏のメルアド:*********
また運転も無茶苦茶で、ロータス文化学院構想の初顔合わせのとき、松本先生を駅まで送った後に我が家に戻り(同乗した私の教え子は駅に置き去りにされました)、今度は牧野先生をご自宅まで送らせましたが、なんと3時間以上かかったとのことです。私は何度も牧野先生の家に車で行っていますが昼間でも平均40分です。この件は(牧野先生は今電話に出ることは出来ませんので)奥様にお聞き下さい。その時のことはよくご存知です。
牧野先生の電話:********
我が家に来るときにもMさんは平均で2時間、最高3時間半、約束の時刻から遅れました。また豪雨のとき、我が家から徒歩で15分ほどの場所にあるスーパーマーケットに車で買出しに行ったことがあります。私が運転するのを強固に拒むので私が助手席で道案内をしました。大通りを出たあとは路地を真っ直ぐ一本道を進むだけですが、突然左折右折を繰り返し、片道30分以上かかりました。牧野先生を送った時も同じだったそうです。
彼女の異常な言動はまだまだありますが省略します。
④受講希望者の応募と妨害
女性スタッフの二人がこういう状態の中、どんなに公告しても人が受講希望者が定着しませんでした。Mさんも様々な場所にチラシを配っていましたし、私も無料のネット広告やHPでの宣伝の他、バスにポスターを貼ってもらうなど有料公告にも20万以上を使いましたが、受講希望者はたった二人でした。
しかしどんな企画も最初は少数から始まります。一人は地図を頼りに突然我が家に現れました。自衛隊経験のある文化服装学院系列校の院生で日野市に住んでおり、両先生の送迎役、講義の撮影係を彼が引き受けくれることになり、これでスタート出来ると心強く、山崎幹夫氏も加えて八王子で3人で顔合わせもしました。しかし、その後二人とも連絡が付かなくなりました。メールでオリエンテーション受講を申し込んできたもう一人はメールで連絡が取れなくなり手紙を出しましたが返事はありませんでした。
絶対に赤字にならない方法というのは、受講生が一定数集まるまでは講座を開かない方法です。私は八王子市の生涯学習センターの会員となってスクリーンも設置してある視聴覚教室を押さえる準備も整えましましたが、そういう状態ですからどうしようもありません。
私の名前でgoogle検索をかけると、上位に私を中傷する専門サイトが立ち、さらにそれを凍結したまま別のサイトで中傷を続けています。調べてみると2009年から始まって現在も続く粘着ぶりです。私はバカバカしいのと、刑事告訴の時効は不法行為を知ってから6ヶ月ですのでごく一部しか読んでいません。(私は探偵認可を受けていますので知り合いもいることから警察には証拠の一部を持っていき告訴の段取りはつけています。しかし余程の辣腕の弁護士でも雇わない限り検察のほうが動かないでしょう)。
創価学会が使う手口の基本は「中傷の流布」「情報の攪乱」による「恐怖感や不信感の植え付け」です。そして「内部対立と孤立化」を仕掛けます。非常に巧妙な方法で、様々な個人や組織がこれで潰されています。
小夏ちゃんが来る前のことですが、田辺浩三氏がそのサイトで討論した結果、「創価学会員の他に実験映像作家が複数混じっている」と教えてくれました。私も一部読んで私の映像批評を貶している人物が常駐しいることは確認しています。それが誰であるかは分かっていますが、敢えて言いません。
⑤Kの接近とその後の行動
Mさんが連れてきたのがKです。先生から贈呈して頂いた本の出版を手伝った人です。彼は私を主人公に映画を撮りたいというのでOKしました。Mさんとは微妙な関係らしく、「自分の恋人を追い詰め鬱病にして自殺させるヒドイ映画を撮った人だ」と言って、彼女自身が出ていた場面の削除要求をしたか、元恋人だったか、詳細は覚えていませんが、重い関係だったことは確かでしょう。
「B」の作品批評を読むと、原一男路線とセルフドキュメンタリーの一番危険な領域に入ってしまった「当て込み映画」(戦前の小型映画の用語で、受け狙いという意味)だろうと想像できます。『新しい神様』(1999、土屋豊)や『神様の愛い奴』(1998、大宮イチ、藤原章)などを意識した作品でしょう。主人公の政治結社のM会長(K氏の大学の先輩に当たります)にも直接電話で感想を聞きました。一言で言えば「脇が甘かった」との返事で、危うく私も笑いの素材にされるところでした。(この作品に関する批評を別紙2として同封しておきます)
wikipedia(自分で編集可能です)で「B」を見ると、自殺した恋人の遺族から上映禁止訴訟を起こされ勝訴したことが書かれていました。現在はその部分が削除されています。
K氏は私に撮影インタビューする中で、創価の裏組織の行動の非人道ぶりを知って激昂し、私の作っている「微笑禅の会」(非宗教)の会員になると自分から申し込み、正義のために闘う素振りを見せました。が、色んな証拠を提示してインタビューが佳境に入ったとき突然撮影を中止し、連絡が途絶えました。微笑禅の年会費も払わないので電話したところ、軽い口調で「お金が無いんですよ」と答えました。ところが同時期に松本先生や金井勝さんへのインタビューなどに力を入れ(当然私の貢献に関しては触れていません)、実験映像作家に記事を書かせて出版するなど、変節の様子が分かったので微笑禅の会会員の中で唯一「破門処分」にしました。
彼は自作上映に主な実験映画作家や新右翼まで動員してマスコミの注目を集めるなど、アーチストとしての技量は分かりませんが、自己プロデュースの面で突出した才能を持っている様子。時代の申し子と言えるでしょう。
いま佐藤洋君が今私の研究を一冊の本にまとめようと協力してくれています。私へのインタビューの中でK氏との関わりも述べているのために事情を知っており、月に一度の松本先生を囲む会があるらしく、そこでK氏が先生の本を出版したと聞いて顔を曇らせた研究者が他にもいた、と教えてくれました。
河瀬直美、大木裕之なども含め、バブル崩壊以後の実験映画は口八丁手八丁で自己宣伝に長けた人物が幅を利かすようになってしまいました。
⑥〇〇教授と絶縁した理由。
これは牧野先生に詳しく話してありますが、憶測、邪推が広まる可能性がありますのでこの際に明記しておきます。ロータス文化学院構想の大分前の話です。
私が〇〇教授の誘いで非常勤講師として上京したとき「君を大学教授にするために最大限の努力をする」と約束され、私も命じられた論文、評論等を忠実に執筆して来ました。早大、同専門学校などで6年間、東京工芸大学で7年間、延べ13年教え、とくに東京工芸大では「伝説の授業」と言われ50人教室から3年目以降は大教室に移動したことなど、同大学で教えているビジュアル・ブレインズの大津はつねさんがご存知です。
同大学で教えているときに、日大から早大大学院に移って来た私の後輩・〇〇氏が正教員に抜擢されました。彼は大学院に来た時ときから「私は研究者ですので」というのが口癖で「〇〇研究者」とアダナされ、要するに「浮いた存在」でした。当時彼は論文をたった1本しか書いておらず、私から見れば研究批評実績がない後輩が頭越しに東京工芸大に正教員として入り、私の論文を彼が査定するという実に奇妙な状態が4年ほど続きました。しかしこれだけが〇〇教授と絶縁した理由ではありません。
私がHPに書く内容を一々〇〇教授にメールでご注進する不明の人物がおり(それが誰かは分かっていますが敢えて言いません)、その度に八王子から早稲田の研究室まで呼び出され注意されました。「蓮実重彦を批判しないこと」「創価学会を批判しないこと」「こういう表現は良くない」等々、つまり正直に自分の思っていることをHPで発言すると、それが元で足を引っ張られるから用心するように、との指導でした。これは私を教授に推すための配慮ですし、親心とも取れます。ただ私が思ったのは「問題はそういうチクリをする人物のほうにあるのではないか」「自分の正直な気持ちを押し殺してまで猟官運動をするのは正しい生き方だろうか」「国家に悪をなす権威を公然と批判すれば教授になれないとしたら大学のシステムのほうに欠陥があるのではないか」という疑問です。また電話で済む話なのになぜ八王子から早稲田まで呼び出す必要があるのか、等々疑問が募ってきました。
他にも、〇〇教授の推薦でフィルムセンターに入り、その後文科省の官僚になったS氏も問題のある人物でした。私が必死になって戦前の小型映画を今発掘しないと手遅れになる、と訴えた時は無視しながら、後年外国で国際的なキュレイター等の大会があったときにこの必要性がテーマになり、慌ててフィルムセンターにもその部門を作りました。ところが、どういう理由か、そこで働いていた大学院時代の友人から「那田を立ち入り禁止にする」とS氏が語っていると聞きました。
〇〇教授は恩師ですから非難するつもりはありません。こういう人間を優遇してしまう面が〇〇教授には確かにありました。これらの疑問が重なり絶縁を決断したわけです
尚、この決断を喜んでくれたのは私の母と心療内科の主治医です。私は郷里で鬱病と診断され、最終的には禅の修業を通して治癒しましたが、その前の話です。鬱病は完全主義的性格から生まれる気分障害です。主治医には正直に事実を述べる必要があり、私の私生活の悩みのほとんどを報告をしていました。その主治医が「君のストレスの最大の原因はそこにあった。縁を切ってよかった」と言われました。母は私が郷里にいたときに何度か電話を受けており「あの先生はヒステリック過ぎる。松本先生と人柄が全く違う」と常々言っていました。決定的な理由はまだ他にもありますが、述べませんし、絶縁の手紙にも書いていません。
⑦ロータス文化学院の趣旨と方法。
当初の案:第一には松本先生と牧野先生の生涯の集大成とも言える講座を開く。そのために専門学校を含め23の大学がある学園都市八王子を拠点として、二人は公共施設を、他の人間は私の事務所などを使って「形の無いカルチャースクール」としてネットワークを築く。お二人へのギャランティーを捻出するために、他の講師のギャラの一部を補填する。
同時に、大学教員を引退された方、在野の研究者、その他突出した才能を持つ人材を集め、このネットワークを広げていくことで、利益追求と談合体質から抜け出ることが出来ない現在の大学を反面教師とし、これからの新しい教育の形を模索する。
現在の修正案:当初、牧野先生は月30万、奥様が生きている限り、という条件でしたが、大分前にその条件を白紙に戻されて、とにかく体調を回復して実行したいとのことです。このためハードルは低くなったものの、常識的なギャランティーは確保しなければなりません。現在はお二人の体調を考え、場所は八王子でなくお二人のお住まいの近くの公共施設を借りればいいと思います。しかし、公共施設を借りた場合は2時間で一人2千円ぐらいの受講料が上限ですから、オリエンテーションの段階でどれだけ人が集まるか、何人が正式に受講契約を結ぶかが問題になります。ともかく私が創価学会批判を続ける限り妨害に巻き込まれますので、私は実行委員会から手を引き、ロータス文化学院の名前を変えることも自由と考えています。
なお、この趣旨は現在でも、むしろ現在更に正鵠を射た構想だと思っています。折角先生が礎を作られた京都造形大学の副総長が、暴力団との癒着を報じられた秋元康(AKB48などのプロデューサー)です。その上、この醜聞にも係わらず東京五輪組織委員会の理事を務め、現在それに反対する署名運動が広がっています。特に芸術系大学はこの不況の中で顕著ですが、何ら倫理的規範もないまま営利主義に走っています。表現をする人間は作品と共に志を磨く、という精神的なものを強調するために、松下村塾は8畳から始まったことをこの企画の基本に据えました。
この構想はKなら実現するかも知れません。が、私は先生の名誉のためにお奨めしません。心ある映像作家は彼の野心を見抜いています。また他に、中田聡(NTTの下請け業者、裏の顔は情報屋)という人物がおり、上記の中傷サイトで私に対する根拠のない中傷を繰返しつつ、ロータス文化学院を批判するサイトを立ち上げながら、私に「スポンサーが見つかった」と協力を申し込むなど、金と女のためならどっちにでも付く、一言でいうとサイコパスですのでご注意下さい。(私を介してMさんとも繋がりが出来て一緒に映画を見に行くような間柄になっていました。現在どうなっているかは知りません)
長くなりましたが、実情は更に凄まじく入り乱れています。長編ノンフィクションの上中下が書けるほどです。
⑧最後に
私は実験映画に関する研究や批評は8割がたは書き尽くしました。佐藤洋君の協力で今年中に纏め上げ出版する予定になっています。彼は非常に純粋な人物です。同時にナーバスな性格なのでどうか力づけてあげてください。
以下は以前mixiに、居田伊佐雄さんが書いてくれた私の紹介文です。(mixi会員登録すれば「春風大吉」(プロフィールを含む)で検索出来ます)
「日本の個人映画のシーンにこの人が登場したときには、論証的であると同時に感受性に裏打ちされた豊かな文章で実験映画を批評することができるのを知って驚きました。これは画期的で、思いがけないことでした。よほどの才能がなければできません。映像作家数人分の価値が優秀な批評家にはあると思ったものでした。 芸術家の心を持った無頼派の批評家であり、好き嫌いが激しいのですが、それゆえ好きになったものに対する執着の仕方は普通ではありません」
その後、私と平行して創価学会批判を含めた民族派運動に熱中し、突然消えて私とも没交渉状態になっています(この文章も突然削除してしまいました)。
以下は仲間が出資金を出し合ってイベント酒場を経営している実験映像作家兼パフォーマーの佐々木健氏の紹介文です。
「自主製作映画を通じての友人。 映画評論家としての才能、また文筆家としての才能は、多くの映像作家が認めるところだが、 キャバクラ通いがたまにきず、それと安酒(キャバクラノ悪酒)によって身体を壊しつつあり、友人達の心配するところ。自称民族主義者だが、身体は底辺左翼的と感じている。 あまり褒めていないかな・・・ とにかく、一緒にいると楽しい友です」
私の交友した範囲では佐々木健氏が一番冷静でスタンスが変わりません。残念なことに現在体調を壊し、またイベント酒場も実験映像作家が利用しなくなったとのことです。
私が実験映像に力を入れた理由は、自分の感性が向いていたことと同時に、誰かが研究・批評を残さなければ「映画年鑑」にも載らず歴史から消えていく淡雪のような存在だったため、一種の義侠心から私財を投じ足を使って資料を集め文章を書き続けました。バブル崩壊以後の実験映像はこの当時と様変わりして別物になってしまい、作品も批評も大きくレベルダウンしたと感じます。実験映像の研究も批評も、ロータス文化学院の構想と実現への努力も、やるだけのことはやった、という感慨のみです。
創価の犯罪行為もネット上では知れ渡り、専門に批判するサイトも生まれて来ました。矢野元公明党委員長の書いた『黒い手帖』や山口組系後藤組元組長の書いた『憚りながら』も出版され共に相当ヒットしました。
私が当時ウヨクと連帯したのは、東村山市議暗殺疑惑事件へ抗議がきっかけで、創価学会を批判出来る市民活動家は度胸の据わった民族派にしかいなかったからです。自称新左翼のKが途中で逃げたように、これは命がけの行為です。その民族派もいま内部分裂しています。私はたまに彼らの批判に足りない部分を補足する程度にしています。あとは母の長寿と子供たちとの再会を祈りながら、余生の仕事を何にすべきか寿命から逆算しながら考えています。
以上です。事実のみを書きました。中傷の流布、情報攪乱に惑わされることなく先生の知性で事実を吟味して下さい。ロータス文化学院の構想は時代を先駆けるものですし、創価学会批判は日本を憂う人間の責務だと思っています。私はその両方を手がけたため狙い撃ちにされました。
今後は私を反面教師として、なおかつ私が目指そうとした志を引き継いでくれる人物が現れ「形のないネットワークとしてのカルチャースクール」を実現してくれるのを祈るばかりです。
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今でも瀬戸弘幸氏が東村山市議暗殺疑惑事件に関心を抱くようになったのは中田聡がきっかけだと書いているブログがあるが、全くの嘘である。高知の田辺が私に行動する保守と連携してこの事件が時効になる前に解決して欲しいと電話をくれたので、私が瀬戸さんに電話して二人で東村山まで出かけ娘の浅木直子と矢野穂積に引きあわせたことが行動する保守がこの事件を追求し始めたきっかけである。なお、田辺はつい最近私に電話をかけて来て、父親も61歳で死んでいるから子供の頃の小夏の写真が欲しい、と弱気なことを言ったので、私はもっとしっかりしろ、結局創価学会を批判して稼いでいるのは乙骨やリチャード・コシミズのような批判のプロだけじゃないか、と励ましたばかりである。