ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531
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また「春名先生を囲む会」への提案に共鳴される方は私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp までメールを送ってください。特にアイム南の元職員の峯尾さん、殿塚さん(チャーミングな看護婦さんです)(この二人は囲む会に賛同されていました)畑さんはもしこのブログを読んでいたらメールを下さい。ぜひ八王子五行歌会の掲示板に投稿してください。
また上記3名をご存じのかたもメールをお願いします。いよいよ最初の「春名先生を囲む会」の前日になりました。明日は午後7時から平岡町にある夢庵(西八王子店)で一回目の囲む会が開催されます。当日は名刺を交換して自己紹介などを行いましょう。また領収書を用意しますので諸会費として使ってください。
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今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。微笑禅の会に興味のある人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。
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これから書くことは「春名先生を囲む会」の二回目に私が講師となって五行歌の歌会を開くためのレジュメの代わりです。まだ私の方にはメールで作品が送られていませんから、ぜひこの文章を参考にして下さい。また囲む会に入られてない人も題詠「炎」で作品が出来たら八王子五行歌会の掲示板 http://gogyoka.bbs.fc2.com/ に投稿をお願いします。
五行歌は主宰の草壁先生が発見した新しい詩歌の形式です。世界中に50万人の愛好者がいると言われ、短歌や俳句が滅んでも五行歌だけが生き残ると言われています。また読売新聞の地方版や夕刊フジには五行歌欄が設けられ、必須科目になっている中学校もあるそうです。草壁主宰はよくテレビに出演されるのでご存じ方も多いかと思います。
聖徳太子が遣隋使を派遣してから漢詩が流行しました。特に五言律詩に強い影響を受け、現在の57調が生まれ現在に至っています。例えば李白の漢詩(七言絶句)に
「山中與幽人對酌」
兩人對酌山花開
一杯一杯復一杯
我醉欲眠卿且去
明朝有意抱琴來
というものがあり意味は、山で花を見ながら酒を飲んだ。一杯一杯ぐいぐいと。ちょっと酔ったから、あんたはちょっと席をはずしてくれ。明日の朝気が向いたら琴を持ってきてくれ、といったようなものですが、
「一杯一杯再一杯」の部分を読み下し文にすると「いっぱいいっぱいもういっぱい」となりますが、中国語だと漢字一文字は一音なので「イーペェイーペェツァイイーペぇー」となって7音になります。
57調は単にリズムだけでなく日本人の情緒や思想にも影響を与え続けてきました。しかし聖徳太子以前の古代歌謡は遥かに自由律だったことを証明したのが草壁主宰の書いた「飛鳥の断崖 五行歌の発見です」(草壁主宰と初めてお会いした時にサイン入りのこの本を頂きました)。
聖徳太子以前の古代歌謡(五行歌)として有名なものに日本武尊が詠んだ
大和は国のまほろば たたなずく青垣 山籠れる 大和し麗し
があります。このように古代歌謡は自由律が圧倒的に多く、その原点に回帰しようとするのが五行歌です。
私の好きな草壁主宰の作品は以下の三首です。
息子を 死ぬんなら 枯れ庭の
精神病院に 息子よ 石蕗(つわぶき)の花
入れてきた 殺す気で 人
自分の裏側を 教えたいことも 一人
見捨てるように あったのだ 佇むほどの明るさ
また五行歌の名作として知られているものに
淡 く ひ く |
紅 と 思 う |
拭 わ れ る |
く ち び る で |
今 宵 |
寺 本 一 川 |
脳病 |
て | く わ え |
一 本 |
煙 草 |
渡辺 昇 |
泣いている二人を
翅でそっと
抱き寄せたまま
蝶番になったよ
直喩の例
子犬のように甘える・・・甘えている様子を子犬にたとえています。
ひまわりのような太陽・・・太陽をひまわりにたとえています。
竜のごとく暴れる・・・暴れる様子を竜にたとえています。
隠喩の例
ガラスの心・・・壊れやすい繊細な心をガラスのもろさにたとえています。「ガラスのような心」から「ような」を省いて隠喩氏にしています。
小鹿の瞳をした女の子・・・女の子の美しい瞳を、小鹿の黒い瞳でたとえています。これも小鹿の瞳のような女の子と直喩表現で表すことができます。
体言止めの例
子ども達があこがれる英雄・・・英雄という名詞(体言)で文が終わっているので体言止めです。
さびれた街を吹き抜けていく凍てついた風・・・風という名詞で終わっているので体言止めです。
普通の言い方・・・この村にもようやく平和な日々が訪れたのだった。
倒置法での言い方・・・この村にもようやく訪れたのだった、平和な日々が。
普通の言い方だと、「平和な日々が訪れたのだった」となりますが、語句の順番を入れ替えて「訪れたのだった、平和な日々が」としています。主語と述語がひっくり返っていますね。こうした表現が倒置法です。倒置法は、強調したい語句を文の最後に持ってくる表現技法です。
倒置法の例
世界遺産の名に恥ずかしくない眺めですね、秋晴れの日の富士山は。
いったい何をしたというんだ、この少年が。
擬人法の例
風が優しく僕に話しかける・・・人間ではない風が、僕に話しかけるというように、人間にたとえているので、擬人法です。山が眠っている・・・人間ではない山を、眠っているという表現を使って擬人法にたとえています。
対句法の例
高くそびえ立つ山 低くうずくまる大地・・・「高く」と「低く」、「そびえ立つ」と「うずくまる」、「山」と「大地」という言葉がそれぞれ対(つい)になっていて「高くそびえ立つ山」と「低くうずくまる大地」が対句法になっています。
瞳には希望が満ち、口元には喜びが宿っている・・・「瞳」と「口元」、「希望」と「喜び」、「満ち」と「宿っている」がそれぞれ対になっていて「瞳には希望が満ち」と「口元には喜びが宿っている」が対句法になっています。
繰り返しの例
吹け、吹け、真冬の風よ・・・「吹け、吹け」の部分が繰り返しです。
ドシ、ドシ、歩く ドシ、ドシ、歩く 僕は怒れる巨人だ・・・「ドシ、ドシ、歩く ドシ、ドシ、歩く」が繰り返しです。