那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

五行歌とは

2016年02月18日 | 芸術・表現

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 また「春名先生を囲む会」への提案に共鳴される方は私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp までメールを送ってください。特にアイム南の元職員の峯尾さん、殿塚さん(チャーミングな看護婦さんです)(この二人は囲む会に賛同されていました)畑さんはもしこのブログを読んでいたらメールを下さい。ぜひ八王子五行歌会の掲示板に投稿してください。

また上記3名をご存じのかたもメールをお願いします。いよいよ最初の「春名先生を囲む会」の前日になりました。明日は午後7時から平岡町にある夢庵(西八王子店)で一回目の囲む会が開催されます。当日は名刺を交換して自己紹介などを行いましょう。また領収書を用意しますので諸会費として使ってください。

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今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。微笑禅の会に興味のある人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。

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これから書くことは「春名先生を囲む会」の二回目に私が講師となって五行歌の歌会を開くためのレジュメの代わりです。まだ私の方にはメールで作品が送られていませんから、ぜひこの文章を参考にして下さい。また囲む会に入られてない人も題詠「炎」で作品が出来たら八王子五行歌会の掲示板 http://gogyoka.bbs.fc2.com/ に投稿をお願いします。

五行歌は主宰の草壁先生が発見した新しい詩歌の形式です。世界中に50万人の愛好者がいると言われ、短歌や俳句が滅んでも五行歌だけが生き残ると言われています。また読売新聞の地方版や夕刊フジには五行歌欄が設けられ、必須科目になっている中学校もあるそうです。草壁主宰はよくテレビに出演されるのでご存じ方も多いかと思います。

聖徳太子が遣隋使を派遣してから漢詩が流行しました。特に五言律詩に強い影響を受け、現在の57調が生まれ現在に至っています。例えば李白の漢詩(七言絶句)に

「山中與幽人對酌」

兩人對酌山花開
一杯一杯復一杯
我醉欲眠卿且去
明朝有意抱琴來

というものがあり意味は、山で花を見ながら酒を飲んだ。一杯一杯ぐいぐいと。ちょっと酔ったから、あんたはちょっと席をはずしてくれ。明日の朝気が向いたら琴を持ってきてくれ、といったようなものですが、

「一杯一杯再一杯」の部分を読み下し文にすると「いっぱいいっぱいもういっぱい」となりますが、中国語だと漢字一文字は一音なので「イーペェイーペェツァイイーペぇー」となって7音になります。

57調は単にリズムだけでなく日本人の情緒や思想にも影響を与え続けてきました。しかし聖徳太子以前の古代歌謡は遥かに自由律だったことを証明したのが草壁主宰の書いた「飛鳥の断崖 五行歌の発見です」(草壁主宰と初めてお会いした時にサイン入りのこの本を頂きました)。

聖徳太子以前の古代歌謡(五行歌)として有名なものに日本武尊が詠んだ

大和は国のまほろば たたなずく青垣 山籠れる 大和し麗し

があります。このように古代歌謡は自由律が圧倒的に多く、その原点に回帰しようとするのが五行歌です。

私の好きな草壁主宰の作品は以下の三首です。

息子を                死ぬんなら            枯れ庭の
精神病院に              息子よ              石蕗(つわぶき)の花
入れてきた              殺す気で             人
自分の裏側を               教えたいことも          一人
見捨てるように            あったのだ            佇むほどの明るさ
   

また五行歌の名作として知られているものに

 



















 

 

 

 

脳病






渡辺

 昇
 
などがあり、ご覧のように一行一文字のものがあります。
 
五行歌は五行以外にルールはありませんが、一行が余りにも長いものは見たことはありません。というのは行分けは「呼吸のリズムで」とされているからです。また五行歌は基本的に添削をしません。それはその人にとってその歌は人生の中で必然的に生まれたものであるというヒューマニズムの精神があるからです。
 
また、五行歌は散文ではなく詩歌ですから作品の中に何らかの「詩的なもの」が必要とされます。
問題は「詩的なもの」とそうでないものとの区別です。
 
これは私の持論でもあり、詩学をかじったことのある人なら知っている筈ですが、散文は「死んだ比喩」詩歌は「生きた比喩」と言われます。
 例えば「傘の花が開いた」というのは元々は生きた比喩でした。傘と花との関係は連想のモンタージュですから。しかし余りにも多用されたために死んだ比喩になったわけです。「嬉しい悲鳴」も本来「悲鳴」は恐怖の時に使う表現ですから元々は生きた比喩だったわけです。極端な話、「机の脚」という言葉も最初は机に「足」が生えているような衝撃感を与えていたはずですが、今はその迫力が消えて死んだ比喩になっています。
 
手前みそになりますが、この詩学を応用して作ったのが次の自作です。
 
蝶々が舞い降りて
泣いている二人を
翅でそっと
抱き寄せたまま
蝶番になったよ
 
これは自分が小学校高学年ぐらいの年齢になったつもりで、尚且つ蝶番という死んだ比喩を生きた比喩に蘇えらせようとして作ったものです。こういうのをメタ詩歌といいます。それ以外の理由もありますが割愛しましょう。
 
そこで詩歌には独特の技巧が埋まることになります。
①比喩 比喩(ひゆ)の中で代表的なものが直喩と隠喩です。比喩を直喩(ちょくゆ)と隠喩(いんゆ)というように分けて考えます。2つの区別は簡単で、「~のような」「~のように」「~のようだ」「~のごとく」「~のごとし」などを使ったたとえが直喩で、それらを使わないたとえが隠喩です。直喩とは、「~のような」といった語句を使った直接のたとえであり、隠喩とは「~のような」といった語句を使わない隠されたたとえなのです。
直喩の例
子犬のように甘える・・・甘えている様子を子犬にたとえています。
ひまわりのような太陽・・・太陽をひまわりにたとえています。
竜のごとく暴れる・・・暴れる様子を竜にたとえています。
隠喩の例
ガラスの心・・・壊れやすい繊細な心をガラスのもろさにたとえています。「ガラスのような心」から「ような」を省いて隠喩氏にしています。
小鹿の瞳をした女の子・・・女の子の美しい瞳を、小鹿の黒い瞳でたとえています。これも小鹿の瞳のような女の子と直喩表現で表すことができます。
 
②体言止め 名詞止めとも言われます。文や語句の終わりを、名詞や代名詞といった体言でとめる表現技法です。詩、短歌、俳句で多く用いられます。
体言止めの例
子ども達があこがれる英雄・・・英雄という名詞(体言)で文が終わっているので体言止めです。
さびれた街を吹き抜けていく凍てついた風・・・風という名詞で終わっているので体言止めです。
 
③倒置法 普通の言い方での語句の順番をひっくり返した言い方が倒置法です。
普通の言い方・・・この村にもようやく平和な日々が訪れたのだった。
倒置法での言い方・・・この村にもようやく訪れたのだった、平和な日々が。
普通の言い方だと、「平和な日々が訪れたのだった」となりますが、語句の順番を入れ替えて「訪れたのだった、平和な日々が」としています。主語と述語がひっくり返っていますね。こうした表現が倒置法です。倒置法は、強調したい語句を文の最後に持ってくる表現技法です。
倒置法の例
世界遺産の名に恥ずかしくない眺めですね、秋晴れの日の富士山は。
いったい何をしたというんだ、この少年が。
 
④擬人法 人間でないものを人間にたとえて表しているのが擬人法です。擬人法は比喩の一種です。人間にたとえているのが特徴です。
擬人法の例
風が優しく僕に話しかける・・・人間ではない風が、僕に話しかけるというように、人間にたとえているので、擬人法です。山が眠っている・・・人間ではない山を、眠っているという表現を使って擬人法にたとえています。
 
⑤対句法 対立した意味の語句、反対の意味の語句、類似した意味の語句、対照的な意味の語句を並べることによって、文章に味わいを持たせる表現技法です。
対句法の例
高くそびえ立つ山 低くうずくまる大地・・・「高く」と「低く」、「そびえ立つ」と「うずくまる」、「山」と「大地」という言葉がそれぞれ対(つい)になっていて「高くそびえ立つ山」と「低くうずくまる大地」が対句法になっています。
瞳には希望が満ち、口元には喜びが宿っている・・・「瞳」と「口元」、「希望」と「喜び」、「満ち」と「宿っている」がそれぞれ対になっていて「瞳には希望が満ち」と「口元には喜びが宿っている」が対句法になっています。
 
⑥反復法 同じ語句を繰り返す表現技法です。反復法やリフレインなどとも言います。強調する効果を表します。
繰り返しの例
吹け、吹け、真冬の風よ・・・「吹け、吹け」の部分が繰り返しです。
ドシ、ドシ、歩く ドシ、ドシ、歩く 僕は怒れる巨人だ・・・「ドシ、ドシ、歩く ドシ、ドシ、歩く」が繰り返しです。
 
ほぼ以上ですが、これは中学生レベルの基本的な詩歌の技法でより難解な撞着語法や以前このブログでも紹介した「折句」などもあります。折句とはある単語を五行の頭に置くもので、「はひふへほ」であれば
 
 初めて会ったときから
ひ 引き寄せられていた
ふ 振られても諦めないの
へ 平凡だった毎日が
ほ 炎のように燃えだしてしまったから
 
や、手前みそになりますが、「初日の出」なら
 
は 歯を食いしばるほど
つ 辛いことでも
ひ 日々の努力で
の 乗り越えられる
で 出来上がった時の喜び
 
などがあります。「春名先生を囲む会」に参加されるからはこのブログを参考にしてぜひ来月の歌会までに私までメールで投稿をお願いします。

 



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