那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

わたしに合気道を教えてくれた大澤師範の話

2016年02月15日 | 思い出の記

 

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私が合気道養神館の道場の門を叩いたのは50歳を過ぎてからである。それには理由があり、私は小学校4年生から中学2年生まで剣道に打ち込み、5段の師範と真剣勝負をして勝つなど、徹底的に練習をしたために、左手ばかり使い、またバッグも重いものも左手で持つ癖がついてしまい体にヒズミが出来たからである。その後も途中で浮気しながら大学生まで剣道を続けた。東洋医学を知っている人なら常識だが、合気道以外のスポーツは徹底してやると人間を「カタワ」にしてしまうのである。もう一つの理由は、ダイエットをしようと思いスポーツジムに通って毎日1キロ泳いでいたが、上手くなると水に体が浮くようになり、毎日1キロ泳いでも少しも体重が減らなかったからである。

大澤師範と出会ったのは以前八王子駅にあったSOGOの10階にある読売カルチャーホールの「合気道入門」という講座だった。私がラッキーだったのは、練習生はたった3人しかいないのに、師範は大澤師範と中島師範の二人がいたからだ。そのうえ、私以外の二人は勤め人だったためにしばしば師範は二人、練習生は私一人というときがあった。

それまでは50人ほどの練習生がいたらしいが、大澤師範が教えるようになり、たった3人にまで減ってしまったので養神館の本部から「一体どういう教え方をしているのか」としばしば怒られていたらしい。

練習の前に全員(たった5人だが)でまず30畳ほどの畳を敷くことから始まり、そのあとに畳の上に絨毯を敷く。それから独特のストレッチをしてから練習が始まる。私より前に入門していた湯川?さんは、素人の私が見てもスジが悪かったが、この大澤師範に手首を痛めつけられても練習に通っているうちにドンドン上手くなっていった。

以前なんども言っている通り「あなたのように上達の早い人は初めて見ました」「あなたの基本動作はとても白帯レベルのものではありません」と言ってくれたのは中島師範である。中傷ブログには「那田はお世辞も分からないのか」「合気道を習ったと言ってもせいぜい一週間だろう」と書いてあるらしいが、そう書いた人は読売カルチャーホールに電話をかけて中島師範に直接聞いてみるといい。但し威力業務妨害にならないようにしないと手が後ろに回ることを覚悟しておくよう忠告する。また私は昇級試験の時、中島師範から「何も言うことはありません。そのまま稽古を続けて下さい」と言われるだけだったが、私以外の練習生の昇級試験の時は15分から20分ほど具体的にここをこういう風に、等々注意をしたものだ。

中島師範は人格者で非常におとなしい人だった。大澤師範は相模原市役所の監査役で二人とも普通のサラリーマンのように見えた。もしチンピラがこの二人に喧嘩を打ったら面白いことになるだろうと当時から思っていた。

大澤師範はしばしば「痛い、と言ったら100円」というのでみんなな「痛くない!」と叫んだ。というのは、そう言わないと怪我をしてしまうからである。私は大澤師範と組手をするときに、本当は投げ飛ばした後で手を放すべきところをわざと手を離さ無かったことがある。するとさすが師範だけあって「痛い」とは言わず「いいですねぇ、でも手を離さないと危険だから、この場合は手を放すようにしましょう」と答えたことをよく覚えている。流石師範は、決して「痛い」とは言わず、技が決まると「いいですねぇ、その容量で」と答えた。

またこういうことがあった。私と同じように50歳を過ぎた新人が入ってきたときに大澤師範は四方投げを掛けて、その新人はその場で脳震盪を起こし途中で稽古を辞めて病院でMRIを撮ったところ「一週間の安静が必要」と言われたらしい。そこで私は大澤師範に「それは傷害罪になりますよ」と言ったら、「いや私は四方投げの格好をしただけで途中で止めたのに、相手が勝手に後頭部から転倒したのだから私が悪いわけでは無い」と答えたので、私は「大澤先生、同じネコ科でもネコとトラは違うのだから、途中で止めても素人は転倒するに決まっているじゃないですか」と言ったこともある。

あるとき女性の見学者が来た。基本動作など華麗なふるまいをすればいいものを、大澤師範は何故か全員に四方投げの練習をやらせた。これは脳天から後ろに落ちるため全員が「痛くない」と叫ぶ。私はその見学者の顔を見て、目が泳いでいるので、次には絶対にやってこないだろうと思った。練習が終わってそのことを大澤師範にいうと「いや、絶対に来ると言っていたから絶対に来るはずだ」と答えたが、翌週行ってみると案の定その見学者が来ていなかった。

暫く経ってまた二人目の見学者がやってきた。この度は若い男性だった。大澤師範は多少は学習能力があるらしく、その見学者に合気道の技を掛けさせて、「合気道には痛い技など一つもないから安心して来週来てください」と言った。私は練習が終わったあと「大澤先生、合気道は痛い技ばかりじゃないですか、あんなことをいうと詐欺罪になりますよ」と冗談を言ったが、私もその見学者は来週来るだろうと思った。

ところがその見学者は翌週また来なかった。なぜなら大澤師範の目が飛んでいるからである。普段はサラリーマンのような顔をしているのに、稽古着に着替えて畳の上に立つと別人のように目が飛んでしまうのだ。だからその見学者は「この師範は怖い」と思って来なかったのだろう。

本当に面白いのは稽古が終わった後30分ほどある研究会である。その時に大澤師範は稽古には無い様々な応用技を教えてくれるからである。私は家に帰ると長男の千宝(当時中学1年生)に千円を渡して練習の稽古代にしたり、酔って絡まれたときの技を研究していた。そこでその研究会のときに、襟首を掴まれたときに、四ケ条で相手の手首を痛めつける技を大澤師範に披露したところ、別の方法を教えてくれた。相手が両手で襟首をつかんだ時は、こちらは両手で相手の腕を拝むようにして絞め一気に体重を乗せるのである。そうすると相手は膝から落ちるから後は蹴りを入れればいい。それを教えてくれたあと大澤師範は「那田さん、本当に喧嘩になってこの技を使ったら私が教えたとは言わないで下さいね」と言った。

そういうわけで合気道入門の講座は人数は少ないが非常に充実した講座だった。昨年、たまたま大澤師範の顔を見たくなって読売カルチャーホールに行ったところ、理由は不明だが今は辞めてしまい中島師範だけが教えるようになり、人数も20~30人に増えていると聞いた。そこで家に帰ってネット検索をしてみると、チンピラのような師範が読売カルチャーホールに来て、大澤師範より自分が強いのになぜこいつが師範なんだ、とケチを付けたらしい。そこで私は養神館の本部にメールを出して大澤師範が今どこで教えているか尋ねたが何の返答もなかった。

確かに営業的に見れば大澤師範のやり方ではマイナスだろうが、コアなファンが付く上に上達は圧倒的に早いと思う。現在は時間的にも経済的にも合気道入門に再度入門することは不可能だが、余裕が出来た時は必ず師範の資格を取るまで合気道を続けたい。出来ればまたあの個性的な大澤師範に教えてもらいたい。これで今回の思い出の記を終えることにする。



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