これはまあ、いってみればかなり個人的なプライベートなことですが、読書を重ねる中、だんだん書いてあったことを忘れ去っていく度合いが多くなってきましたので、十数年前から、気になる文章や知らなかった言葉などを覚書としてノートに書きとめているのですが、そのとき直接ノートに書き写すことがなかなか出来なくて、メモに書きとどめておいて後でノートに書き写そうと机などに置いておいたりするのですが、それをそのまま紛失してしまうということが最近増えていましたので、今日は意を決して(そんな大げさなことじゃないですけど)ずいぶん久しぶりにノートに清書しました。
ペラペラとそのノートのページをめくりながら、ああこんなことも書き留めておいたなと眼をとめたのが、ヘルマン・ヘッセの言葉でした。
「・・・・・・戦争ならアリでもする。国家ならミツバチでも持っている。財産ならネズミでも集める。
君の魂が求めるのは、別の道だ。そして君の魂が損なわれるとき、君が魂を犠牲にして成功を得る時、君にはいかなる幸福も花咲かない。
というのは「幸福」を感じることが出来るのは、胃袋でもなく、頭脳でもなく、財布でもなく、魂だけであるからだ」
― ヘルマン・ヘッセ著「魂について」 ―
若い頃に「車輪の下」など読まれた方もおありかとおもいますが、私は一時期このドイツのノーベル賞作家の晩年のエッセイをよく読んでいました。
「人は成熟するほど、若くなる」など、私はどうも20代後半から30代前半の頃にもう、年取った自分をかなり想像していたようです。
ペラペラとそのノートのページをめくりながら、ああこんなことも書き留めておいたなと眼をとめたのが、ヘルマン・ヘッセの言葉でした。
「・・・・・・戦争ならアリでもする。国家ならミツバチでも持っている。財産ならネズミでも集める。
君の魂が求めるのは、別の道だ。そして君の魂が損なわれるとき、君が魂を犠牲にして成功を得る時、君にはいかなる幸福も花咲かない。
というのは「幸福」を感じることが出来るのは、胃袋でもなく、頭脳でもなく、財布でもなく、魂だけであるからだ」
― ヘルマン・ヘッセ著「魂について」 ―
若い頃に「車輪の下」など読まれた方もおありかとおもいますが、私は一時期このドイツのノーベル賞作家の晩年のエッセイをよく読んでいました。
「人は成熟するほど、若くなる」など、私はどうも20代後半から30代前半の頃にもう、年取った自分をかなり想像していたようです。