瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

すべては手放しうる

2006年03月27日 | 瞑想日記
先週は、私が夕飯の準備をしたり、家族で外食したり、という事情で、一日断食をしなかった。二週間ぶりに昨日、一日断食。今日の復食は、職場でおにぎりと野菜サラダ。要するにいつもの昼食だった。

23日までは多忙だったが、今週はすこしゆっくりできる。瞑想も久しぶりに充実している。平日は、できないでいたが、やはり毎日少しでも行うことが大切。この一週間で平日の瞑想の習慣を取り戻したい。

最近よく歩いている。駅から職場への行き帰り。日曜日には、父の車椅子を押して一駅を歩く。寒さもすっかり和らぎ、むしろ歩くと少し汗をかくぐらいだ。路面に光る陽射しがやわらかく美しい。視覚へのサティが多くなる。

歩きつつ、サティしつつ、ハッと気づいたことがある。結局は、「持っていること」「握りしめていること」が問題なのだと。握りしめているものは、手放すことができる。本当は、握りしめる必要などないものばかりだ。自我、思考、プライド‥‥‥。握りしめているかぎりで、それらは実体化する。手放してしまえば、すべては幻影だと気づくだろう。まだ私は握りしめているけれど、すべては手放しうると感じた。


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