瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

K・ウィルバー『意識のスペクトル[1]意識の変化』04

2012年01月01日 | 読書日誌
引き続き、『意識のスペクトル 1』の章ごとに要約

K・ウィルバー『意識のスペクトル[1]意識の変化』 第2章 二つの〈知〉の様式(続き)


主体と客体という認識論的な二元論に対応する存在論的なそれが、霊と物質(精神と物質)という二元論であった。科学者は確かにいかなる霊の素子も見出すことはできなかったが、重要なことは、彼らはいかなる物質の素子をまた見出せなかったということである。つまり量子力学は、精神と物質というもう一つの二元論をも絶滅の危機に追いやり、消滅させてしまう。二元論の放棄こそが新しい物理学がなしたことである。(p41・43・44・45)

主体と客体、霊魂と身体、エネルギーと物質とは、一つのリアリティへの二通りの接近方法であるにすぎない。このことに気づかず、「対立するもの」を互いに拮抗させ、どちらが「本当に」現実かを割り出そうとすることは、意味のない問題を解こうとするのと同じだ。‥‥求められているのは、非象徴的、非二元論的な知識、「科学の象徴の背後にある実在の直接的知識」である。(p47・52)

        象徴的・推論的・二元論的知識    直接的、無媒介的・非二元論的知識
道教           慣習的知識            自然の知識
ヒンドゥー教    低い知の様式(アパラヴィドゥヤ)    高い知の様式(バラヴィドゥヤ)
エックハルト      黄昏の知識            曙の知識
大乗仏教          識(ヴィジュニヤーナ)      智慧(プラジュニャー)

ホワイトヘッドはとくに、二つの知の様式を区別する根本的な重要性を強調した。「抽象化とは真理の一部を省略すること以外の何ものでもない。」また象徴的な知の様式は分岐、すなわち「縫い目のない世界の衣を切断することによって」機能する。‥‥この知の様式に対立するものが、ホワイトヘッドが会得(プレヘンジョン)と呼んだものであり、非二元論的な実在の知覚なのである。(p57)







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