瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

無限後退

2008年11月17日 | 瞑想日記
瞑想をやったらやったで、エゴの思考は、たえずそれを「自分の瞑想」、「自分の修行」として、出来不出来を一瞬一瞬うれしがったり、がっかりしたりしている。

瞑想が少しうまくいったと感じると、「オッ、うまく行っているぞ、いいな」と思う。これもまた、エゴの自己満足であり、エゴを肥やす糧だ。そう思った瞬間に「思考」、「エゴの満足」とサティを入れる。それらの心の動きを、無限後退しながらサティしていく。

「『私はいつかエゴから解放されるだろう』。そう言っているのは何者か? エゴだ。エゴからの解放は決して大それた偉業ではなく、ちょっとした仕事にすぎない。必要なのは自分の思考と感情に――それが起ったときに――気づくこと。これはしっかりと『観察する』ことで『行動』ではない。」(『ニュー・アース』P131)

「成長したい、覚醒したい」と思うのは、エゴの思考によるのだから、修行や瞑想の結果に、そのつどエゴの思考が伴うのは当然といえば当然。大切なのは、当然の思考と感情を「無限後退」しつつキャッチしていくことだ。

あきらめずに続けていると、思考から気づきへの変化は、確実に起るのだと思えるようになった。