「アルゴル的に、時間とはなんですか」
「人間のいう地球時間というのなら、地に堕とされた時間とでも言おうか」
「地に堕とされた」
「太古の人間は、時間感覚が曖昧だった。
天、星の運行を感じ、その永遠性と共鳴していたからね。
永遠とは、人間でいえば時間のない感覚、時間を超えた感覚だ。
地上で生活するのに、一応地上の地球時間のリズムの波はうまく乗りこなしながらも
天、星の無時間と共鳴していた。
ところがある時代から、人間が星とのつながりよりも、足元の地上と、そこを基点にした太陽との関係性ばかり見るようになった。
狭い視野というものは、その存在を地に引きずり落とす。
時間は、もともともっていた価値というか、全体性というものがあるのだが、そこから「地上と太陽を基点にした視野だけで捉えた一方的な時間」で多くの人間が時間を認識した。
認識というのは捕獲する、選択する、切り取るともいう。
こうして、時間という広大な存在性から、地上でのみ通用する地球時間が誕生した。
地球時間も、別に悪いことではないけどね。
そもそも君たちは肉体をもって人間をやっているのだから、地上での時間の上下、波や揺れ幅をうまくのりこなす必要性はある。
でもそればかりだと、地球の相対性にうもれてしまう。
地球と恒星をつないで、地上にいられるようアンカーを下ろして、地上の上下揺れ幅、リズムをいなしながらも、天や星の無時間、隙間をもって自分の意図を実現しながら生きていく。
それが全人間的な存在、行為というものだ」