小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

ホーム・ステイと国際交流:

2016年09月25日 | 社会戯評

ホーム・ステイと国際交流:

上田市の旧武石村で、ほっとステイを長年、主宰している小林一郎さんの活動は、もっと、様々な他の地域でも、学ばれて然るべきである。たまたま、小諸で今夏催された第九回『ディスカバーこもろ』の反省会に、参加して、様々な意見を聞く機会を得たが、何とも、民間有志によるボランティア・スタッフの努力には、誠に頭が下がる思いがするものの、その目指す志に関しては、残念乍ら、その思いとその結果には、若干、疑問符を投げかけなければならない現状は、遺憾である。私は、ボランティアで、インバウンドによる文化・伝統・歴史・食文化・農作業などを通じて、地域住民も含めた地域活性化活動に、サポーターとして、協力しているが、この流れの経験からすると、この小諸市がわずか10万円という予算規模で実行されている、誠にささやかな、『国際交流』という大義の割には、まるで、語学留学生という一種の貧困ビジネスに、結果的に、荷担しているかの如き罪悪感に、苛まれるのは、どうしたものであろうか?一体、国際交流とか、異文化交流に、言葉の壁は、どの程度、関係するのであろうか?実際、これまでの経験では、外国語は、一種のコミュニケーション・ツールであるから、どちらかが、理解出来るに越したことはないが、やはり、最終的には、相手の文化を理解したい、それをこちら側が、或いは、向う側も、双方が、互いに、混じり合うようなそんな『インター・アクティブな心の交流』が無ければ、所詮は、一種の語学学校の行事の一環、或いは、2日間の短い観光旅行を愉しめる程度にしか、位置づけられないのが落ちであろう。決して、こちら側から、一方的に与えるモノでもなければ、逆に、与えられるモノでもないし、互いが、あるときはぶつかり合い、あるときには、融合し、互いに刺激、刺激されながら、双方が、これまでの意識とは違ったレベルに移行して行くというある種のプロセスが、必要で有り、その為には、どんなプログラムを組んだらよいのか、という具体的な各論へと、落とし込まれて行くのであるが、それが、何とも、古い街並みくらいしか、みせるところが無いなどと云う、誠に、心寒い感じになってしまう。そんなことは、初めから判りきっていることで有り、それを逆手にとって、こちらは、主張しない限り、もっと新しいところを観たいなどと云う、まるで、それなら、はとバスにでも乗って、新しい名所を巡ったらよいではないかと、私は云いたくなってしまう。カフェなども、ユニークなものが点在するものの、逆に、地元の人間は、行ったことがないらしく、知らないことが、露見された。それにしても、やる気溢れる民間のボランティア・スタッフの献身には、頭が下がってしまうものの、何とも、勿体ない限りである。ホーム・ステイと国際交流の具体的な方法というものをもう一度、原点に立ち返って、考えなければならないのかも知れない。

 

 



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