小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

カセット・テープで聴き直す「小椋佳」:

2014年12月28日 | 映画・テレビ批評
カセット・テープで聴き直す「小椋佳」:
NHKの生前葬コンサート・ダイジェスト版を観て、ふと、昔のカセット・テープを聴き直してみた。胃癌の手術をしてから、体力・気力の衰えを感じて、4日間に亘って、毎日25曲、合計100曲を香典返しのつもりで、歌うというものだそうである。むろん、50分ほどのダイジェスト版であるから、曲は限られているのであるが、昔の映像を交えながら、その当時を想い起こさせるのには、充分である。聴衆も、同じ時間を共有して、一緒に生きてきた似たような世代が、中心であろう事は、容易に想像に難くない。唄というものは、実に面白いモノで、一度聴いて、その心に響いたものは、何年、経っても、その往事にタイム・スリップさせてしまうものであろうか?遊びで、絵を描いていたときに、個々人の作風・画風というものは、変わらないことが、何かの拍子に分かり、ふと、一体、作風や画風というものは、どのように変わるモノなのか、それとも、意図的に、変えられるものなのであろうか、それとも、無意識に、変わってしまうモノなのか?興味深いところである。それと同様に、歌手というものも、唄を作曲したり、作詞するときにも、年齢やキャリアを重ねるにつれて、商品ライフサイクルではないが、テイク・オフや、絶頂期や衰退期があるのであろうか?体力や気力の衰えと共に、やはり、歌手というものも、その範疇の一員であることに変わりはないのであろうか?そうすると、人生というものも、そういうものなのであろうか?松任谷由実よりも、やはり、荒井由実が、ユーミンと呼ばれる前の荒井由実が、おおいに、宜しいという風に、「小椋佳」も、やはり、初期作品、とりわけ、70年代の作品が、我々、団塊の世代には、同じ頃、社会に出て、同じように、組織の歯車の中で、懸命になって、馬車馬の如く、競争の中で揉まれ、学生時代とは違った、社会の価値観の変化や矛盾の中で、葛藤したあの時代を共に、生き抜いたこの古希を迎えた老人歌手とどこかで、その姿を重ね合わせているのかも知れない。「さらば青春」、「しおさいの詩」、「少しは私に愛を下さい」、「屋根のない車」、「残された憧憬」、「落書き」、「糸杉のある風景」、「野ざらしの駐車場」、「白い一日」、「花化粧」、「木戸を開けて」、「春の雨はやさしいはずなのに」、「盆がえり」、「シクラメンのかほり」、「時」、「心のひだ」等…、時間とか、少年とか、少女とか、母とか、恋とか、ありふれた日常にある風景、駐車場でも、糸杉でも、海でも、言葉を大切にして、そこに無限の想像力を吹き込むことにより、譜面が読めなくても、テープに、曲を口ずさんで録音すれば、それをプロが、楽譜に、音楽的に、変換してくれ、この作業の中で、銀行員でありながらも、可能になったのであろうか?その意味では、フォークソングの世界というものは、やはり、唄を一部のプロの特権的な作曲家や作詞家から、ある種、「独占を解放した」といっても、過言ではないのかも知れない。初期作品には、お馴染みの星勝氏も、今では、三原綱木同様に、タクトを振っているのをみると、その風貌も、昔とは、様変わりだったのにも、驚かざるを得ない。もっとも、小椋佳然り、聴く側の我々、聴衆も、然りで、既に、同じように、40数余年の時間を共有しているのであるから、同じように、頭の毛も薄くなろうというものである。美空ひばりを聴いていたら、「愛燦燦」だけでなくて、密かに、ファンの中で評価が高い「函館山」という楽曲も、作詞・作曲を小椋佳がしていたとは、何とも、興味深いことである。旧いカセット・テープで、聴き直す「小椋佳」は、飽くまでも、70年代前半の小椋佳そのものだった。井上揚水の「白い一日」も、宜しいが、小椋佳のそれも、作詞の観点から、聴くに充分、価しよう。長い間、銀行印と歌手・作詞家・作曲家として、ご苦労様でしたといいたいものです。


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