小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

イスラエルの危うさとしたたかさ:

2014年08月02日 | 社会戯評
イスラエルの危うさとしたたかさ:
双方の誘拐事件を契機としたイスラエルによるガザ地区への進攻が、徐々に拡大されているが、考えてみれば、一昔前であれば、第何次中東戦争などという文字が、踊るのであろう。しかしながら、今日、アラブ諸国には、そんな力も無いし、自国の内乱を治める事の方が先決である程、言い換えれば、決してイスラエルとの戦争を出来る状態ではない。エジプト・シリア・レバノン・イラク・イラン、それぞれが、各々の問題を抱えている。それは、イスラエルにとっても、同様のことが云えよう。考えてみれば、軍事的な対立というものは、東西冷戦ではないが、ある種の力の均衡のようなものであり、それが、昔のアラファトのPLOやPFLPやら、今日のアッバス派、モスリム同胞団、ハマスであっても、徹底的に、相手を殲滅することは、逆説的に云えば、統治機能、バランスが失われてしまうわけで、まるで、それは、強みが、ある時を境にして、弱みに、転化するようなものであろう。言い換えれば、常に、落としどころを模索しながら、パンチを繰り出し、相手の勢いを探りながら、自らは、クリンチに持ち込み、又、好きあらば相手にダメージを与えては、引き分けか、痛み分けにもちこむようなボクシングの闘いぶりではなかろうか?そして、その殴り合いの最中に、常に、犠牲を強いられるのは、弱者で有り、民衆で有り、幼気のない子供である。今や、戦争が出来ない、動乱や戦乱・内乱に明け暮れすることが、唯一、互いの存在理由を確認するかの如き、クリンチと果てしない消耗戦であり、そうすることで、時として間欠泉が吹き上がるように、果てしなく、何十年と続く消耗戦が、お互い、続くのであろうか?まるで、勝ち負けのつかない、敢えて言えば、レフリーすらもいないような、ノック・アウトのない、否、ノック・アウトをしてしまってはならない消耗戦の末に、未来はあるのであろうか?何とも、お互いに、落としどころのない、終末が見えずらい紛争であることは確かであろう。


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