小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

一寸、気になるCM:

2014年01月31日 | 社会戯評
一寸、気になるCM:
何気なしに、テレビを観ていたら、福山雅治が、何処かのタイヤの会社のCMで、山頭火の俳句を詠っていたのに、気が付いた。「ほととぎす、明日はあの山こえてゆこう」
成る程、そうか、車のタイヤなのか!今日、私達は、簡単に、遙かかなたに見える山ですら、車で、あっという間に、越えて云ってしまうが、その昔は、徒歩で、ゆっくり、ゆっくりと、歩いて行ったものである。そして、その歩みの中に、或いは、その目指す方角に、どんな未来が待ち受けているのかを歩きながら、心の中で、ドキドキしながら、想像していたのかも知れない。それが、あるときは、希望に満ちた旅であり、又、あるときは、苦渋に満ちた、逃げるように立ち去る辛い旅だったのかも知れない。それを、旅の道連れに、ほととぎすに託して、見事に、詠っている山頭火のこの句は、実に、切なく、奥深い。トレッキングの山歩きでもない。メタボ対策のための健康歩行ではない。生活のためでもなければ、ましてや、そんなタイヤのドライブでも、ましてやない。ただ、ひたすら、歩くことで、求道者の「道」を求めていたのであろうか?せいぜいが、今日、「街道を行く」ときも、関所があるわけでもなく、自由往来が、当たり前の時代である。国境を超えるのにも、ビザがいらなくなりつつある。それでも、「歩く」と云うことは、何か、皮肉にも、タイヤのCMとは、異なるものが、その背景には隠されているのではなかろうか?このCM制作者は、もし、そうした矛盾に気が付きながら、福山に、この句を呟かせたとなると、なかなか、興味深いものがある。その隠された意図する所は、タイヤの軽快な走りとは実は、真逆の所にある山頭火の心を理解していたとしたら、スポンサーの会社は、どうコメントしたのであろうか?俳句のCMというジャンル、シリーズも、宜しいではないだろうか、、、ともおもう。実に皮肉なCMである。残念乍ら、そんなことを考えていたら、メーカーのブランド名が覚えていなかった。申し訳ない!




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