晴遊雨読・暢呑夢酔の戯れごと

絶景かな!!浅間山、空気と水の美味しい町で余命人生エンジョイ中

先人の 苦労で流る 塩沢堰

2009-03-14 21:37:38 | Weblog
先人の 苦労で流る 塩沢堰

 21年3月14日(土)雨から霙。14時ごろから晴れ間出る。 5度

 静かに降る春の雨
 

 春雨に霞む権現の湯
 

 6時に覚醒し障子を開けると、予報どうりに春の雨が静かに降っている。
日の出も浅間山も見ることは出来ない。小鳥の声が聞こえるほど静かである。
こんな朝はもうひと眠りと、目が覚めたら7時30分である。
 雨の降る中を新聞を取りに行き、ダイニングでしばらく読む。
外の気温は5度と暖かいのだが、太陽の恵みがないので室内は寒いほどだ。
床暖房を5の目盛に持ってくるがまだ寒い。敬妻など炬燵に入る有様なり。
 権現の湯のあたりは、雨に霞んでぼんやりと見える。

 雨に打たれる枯れ尾花
 

 隣接する荒廃地はススキの原である。新築した頃は葱など栽培していたようだが、今は荒れ果ててススキの楽園である。この中に狸や雉、狐などが棲んでいるのだろう?
 宝くじをせっせと買い求めているが、まったく当たらない。場所が悪いようだ。
「たからくじ」からタヌキをすれば「からくじ」となることを認識し愕然となる。

 コシヒカリ1俵届く
 

 真蒲のYさんが雨の降る中、お米を届けてくださる。
立科の特Aはぜ掛け米で美味しいのだ。茨城の娘にも時々分けてやり喜ばれている。また明日から美味しいお米が食べられる。ご飯好きなのでありがたい。

 「ふるさとの用水・塩沢堰を考える」
 

 歴史研究会主催.教育委員会・土地改良区後援の20年度公開講座の日である。
講師のK先生の「疎水百選・蓼科山麓の塩沢堰出版記念」をも兼ねた講演会である。
 開演は14時からだが、役員なので13時には行く。教育委員会のY氏がほとんど準備をしてくれてある。
朝から降る雨が霙に変わる寒さ。何人の人が来てくれるか?心配していると、時間には止んで来る。なんと心配をよそに机を追加するほどの73人が来てくれる。
 いつも顔を見せるTT氏は、チャリンコなので雨でこられないのか?

 S会長の挨拶
 

 講師のK先生
 

 塩沢堰の全図
 

 K先生自身、六川大将のあとをついて歩いて、塩沢堰作りを見分したそうだ。
そんな経過から多忙の合間を見て「蓼科の水」2巻を調べて発行し、今回の3冊目になった由。
 六川長三郎家系図と翠川家系図の説明。武田の家臣から長久保に住んだ25年間の記録はまったく残っていないとか。
このミステリーゾーンを、解明することが出来たら画期的と好奇心が湧いてくる。

 歴史的に塩沢堰がいまいちなのは、六川家の火事で資料が消失してしまい、写しだからという。誠に残念なことだ。
 塩沢に移転した長三郎が50ん歳から、堰つくりに着手して6年の歳月を費やして完成させたもの。
 蓼科山の麓から山坂、岩盤を砕いて、水漏れをふさいでひいてきた水。
55キロもの長さになる。上田から長野までの距離と同じだという。
 この立科町に塩沢堰がなかったら、どうなっていただろうか?
今のような米つくりや果樹つくりはなかったであろう。人も住めないはず。
 最近は先人の苦労を知らず、水は自然に流れて来るものと、感謝の気持ちを忘れている人が多い。水の尊さを知らないといわれるが、そのとうりだと同感する。

 六川氏は武田の埋蔵金がらみか?資産家であり、土木技術がすぐれていたようだ。最後は村人に土地の名義を変更してやり、残ったのは借金ばかりというから「義」に強い人物であったのだ。
「無別條書置・覚」など読むと、その人物の素晴らしさが想像できる。
 堰開発の動機は、小諸藩の政策によるところが大なりを感じる。
立科が誇れる人物で、みな生かされていることに感謝したい。

 ソマリア沖海賊対策
 

 海上自衛隊の2隻の護衛艦が出航する。乗組員に見送る家族、そして対照的に抗議活動に立ち上がる市民団体がゴムボートを膨らませている。
海賊への対応は、本来なら海の警察である、海上保安庁の役割のはず。
あえて自衛隊を出すところに、政府の思惑が感じられるのだが・・・懸念する。

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