神のなき 山河は冷えて しかばねの ノースコリアは 常闇の穴
*またノースコリアの歌を上げて見ました。北朝鮮という言葉は何か嫌な感じがするが、ノースコリアというと詩情をかきたてられる。それで詠ってみたくなって詠ってみたものです。
ツイッターでも何度か言っているように、北朝鮮という国だけには、神がいらっしゃいません。それは写真に写っているかの地の山河を見ればわかる。なだらかな山が見えるが、何やらそっけなく、岩だけのものだという感じがするでしょう。
それに反して、わたしたちが近くで見る山々には、何か明るいものがみなぎっているような気がするでしょう。山河の中に、神がいらっしゃるからです。深く美しい霊魂が、いらっしゃるからなのです。
この世界にあるものが、すばらしく美しく、豊かに見えるのは、とても高く美しい霊的存在が、すべてをやってくださっているからなのです。
山には山をやってくださる大きな存在がいて、海には海をやってくださる、大きな存在がいるのです。そこにはとてつもなく大きな愛がある。だからわたしたちは山河を目の前に見る時、なにやら大きな愛に包まれているような気がして、深い感動に襲われるのです。
だが、かの地の山河を見ていると、そんな愛が何も感じられない。何もいないからです。あそこの山には、山をやってくれる存在が誰もいないのです。ほとんど岩塊に等しい。冷たくそこにあるだけで、何もしてはくれない。呼びかけても、何も答えてはくれない。
あそこの人々は、そんな世界に住んでいるのです。
なぜそういうことになってしまったのか。まれにみる馬鹿が、自分の低級な欲望のためにすべてを全くさかさまにしてしまったからです。恐ろしい馬鹿が自分を一番偉くするために、なんにもしてない空っぽの馬鹿を、神にしてしまったからです。ゆえに真実の神が、一斉にあそこから退いたのです。
あなたがたはあそこを見ることを通して、神のいらっしゃらない世界というものを見ることができるのです。それもまた深い学びだ。
今あそこにはひとりの為政者がいますがね、あの男は、自室に閉じこもって妄想ばかりしているオタクですよ。何もできない。そんな馬鹿が、一番偉いという世界なのです。
このように、馬鹿というのは、自分を一番偉くするために、世界のすべてをさかさまにしてしまおうとする。
それは神を奴隷にしようとする試みなのです。