しきしまの 大和の国は 細月の ごとくなりとも 波を越えゆく
*これは大火の詠った歌ですが、感銘を受けた人も多いようです。
「しきしまの(敷島の)」は「やまと(大和、日本)」にかかる枕詞ですね。もちろん日本の国のことだ。「大和」などという感じを充てるが、元の意味は、山のところ、という程度の意味らしいです。日本には山が多いですから、そこから名前が発生したものでしょう。
「日本」すなわち「にほん」とか「ひのもと」とかいう名前ができたのは、もっと後世のことです。人間も自己活動が発展し、高いことがわかってくると、自分にもっといい名前をつけたくなってくるものだ。この名前を考えた人が何を考えてこの名をつけたかは、わからないが、すばらしいことだと思う。
太陽の国だ。明らかにひかる、唯一のあの光の、元にある国なのだ。
名前というのは必ず、それがついたものを導いていきます。
日本の国は、長い歴史の中で間違ったこともたくさんした。迷いの中をさまよってきた。だがこの太陽の国だという名前を誇らしく名乗っている限り、太陽のように大切な何かを、見失わなかったのです。
それが、自分と言うことだ。
すばらしいですね。
日本の国は、その姿は細月のように細く頼りなく見えるが、みごとに波を越えてゆくのだ。この自分というものを頼りにして。
細い月というものは、時に空をこいでゆく船にもたとえられますから、国を荒波を越えて行く船にもたとえられる。それは困難な道だが、船と自分を信じていれば、必ず乗り越えてゆけるのだ。
太陽の国の姿が、細月のようだというのは不思議だ。剋しあっているのではない。大切な意味を補い合っている。一体そこにどんな意味があるでしょう。
この美しい国名を、これからも大事にしていってください。