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いはをおひ 徒労の丘を のぼりつつ ふるさと思ふ 凡庸の罪
*シジフォスの神話では、神の怒りを買ったシジフォスは大きな岩を背負って山を登らねばならず、登り切った途端に石は転げ落ちる。永遠にその徒労を繰り返さねばならないという。
神話とはよく人の生を導いてくれるものです。わたしたちが人間世界を追い出されたものたちが向かう世界のことを、シジフォシアと名付けたのはこの神話によるのだが。そこは神が何も創造を行わなかった何もない世界です。
石と砂ばかりがあり、水はない。空には日月星もない。ただうすぼんやりとした光があり、すべては見えているだけ。
永遠の黎明の世界と言っていいでしょう。
そこでは人間は、神が与えたものをすべてはぎとられ、ぼんやりとした存在のまま、永遠にほとんど何もせずにいるのです。何かをしようにも、何もないからです。
なぜそんなことになったのか。それは何もしなかったからです。人間はみんなこんなものだと、凡庸の闇に甘えて、神になんでもやらせて、自分ではいいことは何もしなかった。それどころか、いいことをしたものからいいものを盗んで、自分だけをよいことにしてきたからです。
そういう凡庸の罪が、シジフォスの野という何もない世界への入り口を開き、彼らはそこに永遠に住むことになる。
永遠ということばにも含みがありますが、そこは、今はないのといっしょです。人間にとっては永遠に等しい。神にとってはそうではなくとも。
非科学的だとか言う言葉に逃げてはいけませんよ。科学というものは実に狭い世界の真実しか知らないのです。現に科学は、人類の感性の進歩の正体をつかむことができない。科学的な方法ではそれを説明できない。それなのに人類は実際、目で見るだけで見えないものの声を感じることができるようになったのです。
神の知っている世界は、あまりにも広く、人間の常識を超えているのだと思いましょう。人間はまだほとんど何も知らないのです。それなのに馬鹿なものたちは、何でも知っていると勘違いしてあらゆる愚かなことをしている。
悪さをする方が勝ちだということが、どんなに小さい知恵かと言うこともしらず、あらゆる悪さをしてきた。
神に偉大な権力があるということすら知らずにきた。
彼らはその権力の執行によって、永遠に、人類と決別させられるのです。