をしどりの 憂きとこそいへ ゆみはりの 浮くごときなる つまをらざれば
*今日も一年前のツイートから持ってきました。
「憂きとこそいへ」は係り結びですから、已然形で終わっていても、意は終止形と同じです。これはよく現代人が勘違いするので確実に覚えておきましょう。よく命令形の意と間違うからです。もちろん、命令形に近い形から、終止形の意を強めているのです。
おしどりは、かなしいといいますよ、弓張り月が浮いているような妻がいなければ。
おしどりは、つがいが仲がいいことで有名ですね。おしどり夫婦などというと、とても仲がいい夫婦のことを表します。しかしなんで仲がいいかと言うと、たがいが円満な人格だからではない。人間には欠点が誰にもありますから、その欠点が好きだ、というくらい好きだということでしょう。
弓張りは、弓張り月の略です。半分に欠けた月のことですね。それを、大きな欠落を持つ人間の人格にたとえているのです。半分も欠けているほど、欠点の大きなパートナーだが、いないと悲しい。
なぜなら、もうパートナーは自分の一部だからです。いなくなれば、自分が半分いなくなるほど、寒いのです。
そんな風に、人は人を好きになることがあるのです。
それは性別を持つ人間の、深い喜びでしょう。愛するものを、まるで自分のように愛することができる。いつもそばにいることが当たり前でいないことが考えられないほど深く愛している。
そういうパートナーをつくることができたひとの幸せはどんなものでしょう。
欠点が嫌だからと言って、人をまるごと否定してしまうのは、悲しいことですよ。欠点があるからこそ人間はかわいい。愛しやすい。自分もまた、欠点の多い存在ですから。
完璧で円満な人格など目指そうとしたら、嘘をつき続けていなければならない。そんなことで苦しむよりは、自分の欠落を受け入れて、人の欠落も受け入れて、互いに助け合って愛し合っていく方が、どんなに幸せでしょうか。