猿真似の 美人を衒ひ 堂々と 世間を歩く 醜女の驕り
*今週は第3館から持ってきました。大火の作です。見たらわかるでしょうけどね。
残念ながらわたしは今週一つも歌が詠めませんでした。歌を詠むことに使うアタマを、ほとんど添島にとられていたのでね。まあ仕方がありません。
でも大火が詠む時に使うアタマは、わたしや添島が使うアタマとは違うところみたいですね。こういうきついのがすっと出てくる。たぶん、感性より知性のほうを重く使うからでしょう。
それはそれとして、表題の作にいきましょう。
猿真似で作った美人を見せびらかしながら、堂々と世間を歩いている、ブスの驕り、と。
大火は言いにくいこともばっさりと言いぬきます。
はっきり言って、偽物の美人の傲慢は醜い。自分を美人だと思い込んで、気取って世間を歩いているそのさまは、見られたものではない。
本当の美人は、美をそれほど衒わないものですよ。美というものは、それを見る人を少し苦しめるものだと、わかっているからです。それに、美しいのは神であり、自分はそれをお預かりしているだけだという心が、ちゃんと備わっているからです。
真面目に自分の勉強をしている本当の美人は、愛がわかっていますから、美を衒って人を見下すように世間を歩くことなどしないのです。
でも偽物は、そんな勉強など何もしていませんから、どうも美を特権だと思っている節がある。どんなわがままも通用するんだ、わたしは美人なのだからと。
たまりませんね。
そんな心が美しいわけがない。偽物の美人の正体は、勉強など何もしてなくて、愛がわからなくて、人の美貌を盗んで甘い汁ばかり吸ってきた、いやらしいブスなのです。
ブスなのに、自分は美人だと思って、それを鼻にかけているさまは、たまらなく醜い。
それは猿が人間の皮をかぶって、えらくいい気でいるかのような、あまりにも愚かなブスなのです。