愛がない 愛が欲しいと 人は言い 去り行く神の あともしたわず
*毎朝大火がツイッターでいろいろつぶやいていますが、表向きは何の反応もないものの、痛いところからはそれを読んでいる人の反応が伝わってきます。
聞こえない声が、聞こえてくるのです。それは、愛、愛がない、愛が欲しい、とくりかえし言っている。馬鹿な人たちは、自分の周りから一斉に愛が引いていって、その寒さにおびえているらしい。
なぜそんなことになったのか。それは愛を馬鹿にしたからです。人の美貌を盗み、自分を美貌にして、愛をだまそうとしたからなのです。それが一気にばれて、愛が一斉に引いていった。
しかし、馬鹿な人たちは、愛が欲しいというばかりで、自分からは何もしようとはしないのです。愛が欲しいなら、自分から愛していくよりないのに、そんなことをしようともしない。ただ、愛がない、愛が欲しいとうめいているだけなのです。泣いていればだれかがよってきてくれるとでも思っているかのように、くりかえしているだけなのです。
そんな馬鹿に神もあきれている。神の愛さえ失ってしまった馬鹿は、それでも動こうとしない。失いたくないなら、追いかけて取りすがっていけばいいものを、そんなことをすれば自分が馬鹿になるからと、やろうとしない。
だからすべてを失うのです。
ここでこうして書いているわたしも、もう馬鹿者には愛がわいてきませんね。これ以上何を書く気もしない。だが一応言ってあげられることは言っておきましょう。繰り返しになりますが。
本当に愛が欲しいなら、自分から追いかけてとりすがり、自分を下げてでも人を愛していきなさい。神を愛していきなさい。愛のためになんでもやっていきなさい。
自分から愛して、愛をかせいでいかなければ、愛はもう振り返ってはくれないのです。