チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

50 vinar印刷版

2008年05月25日 06時01分39秒 | スロヴェニア切手
50 vinar印刷版

1. 1919年4月8日、凸版、リュブリャナ、Jugoslovanska tiskarna (ユーゴスラヴィア印刷所)
薄い平滑軟質紙
grün緑色~dunkelgrün暗い緑色
目打ち11 1/2、複合目打ち(11 1/2×のこぎりルレット、11 1/2×直線ルレット)
200万3606枚(D. Novakによる)
Deroccoは185万3500枚と記述している。
S. Veselićによると、4月8日~7月27日に100枚/シートを1万8535シート郵政経済局に納入した。
(訳注: 目打ち後に糊引きしたため、目打ち穴が糊で埋まっています。)
(訳注: 発行数集計には185万3500枚を使用)

2. 1919年7月19日、凸版、リュブリャナ、Jugoslovanska tiskarna (ユーゴスラヴィア印刷所)
平滑白色~黄色紙
grün緑色、russischgrünロシア風の緑色、dunkelgrün暗い緑色
目打ち: のこぎりルレット、Deroccoは複合目打ち(11 1/2×のこぎりルレット)も述べている。
D. Novakによると231万2554枚、E. Deroccoによると126万1800枚。
Veselićの記載では、7月9日と10日に100枚/シートを2493シート(24万9300枚)、7月19日に100枚/シートを1万125シート(101万2500枚)郵政経済局に納入。
(訳注: 発行数集計には231万2554枚を使用)

3版と4版
リュブリャナ郵政局の記録にも、FleckとNovakによる記載にも、この版についての記述はない。後者の記載では、両方の版の印刷量は72万6640枚(?)となっている。
Deroccoは3版について、1919年9月、凸版、リュブリャナ、Jugoslovanska tiskarna (ユーゴスラヴィア印刷所)、503万2600枚としている。
Veselićによると、9月4日~10月3日に100枚/シートを5万306シート(503万600枚)印刷し、1919年9月4日~1920年4月2日の期間に郵政経済局に納入したとしている。
(訳注: 発行数集計には503万2600枚を使用)


5. 1920年1月11日、凸版、リュブリャナ、Jugoslovanska tiskarna (ユーゴスラヴィア印刷所)
平滑白色~黄色紙
grün緑色、russischgrünロシア風の緑色、dunkelgrün暗い緑色
目打ち11 1/2
多くの表裏逆さ刷り(訳注: 裏映り)
373万2600枚(D. Novakによる)

6. FleckとNovakによる記述では、印刷時期と印刷量は記載されていない。
凸版、リュブリャナ、Jugoslovanska tiskarna (ユーゴスラヴィア印刷所)で印刷
grün緑色(濃淡多い)、olivgrünオリーブ色(黄緑色)
目打ち11 1/2と11(珍しい)
Deroccoは4.で1919年12月10日のウィーン、A. Reisser Nachfolgern印刷所で凸版での印刷版について述べている。平滑白紙あるいは黄色紙、olivgrünオリーブ色(黄緑色)、目打ち11 1/2と11。
Deroccoは5.で1920年1月20日のリュブリャナ、Jugoslovanska tiskarna (ユーゴスラヴィア印刷所)の凸版の1つの印刷版について言及しているが、しかし、それ以上の説明はなく、それらは郵政局記録保管所でも発見されていない。
Deroccoは、この印刷版は彼の3.印刷版に含まれ、そして60 vinar, 1, 2 Kronaの最後の印刷版に存在する可能性を示している。