チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

30 vinar印刷版

2008年05月21日 21時05分20秒 | スロヴェニア切手
30 vinar印刷版

1. 1919年10月4日、石版、リュブリャナ、I. Blazniks Nachfolgern印刷所
厚い粗紙
rosaバラ色(淡紅色、ピンク色)、karminrosa深紅色がかったバラ色(淡紅色、ピンク色)
(FleckとNovakによるとweinrotワインレッド(深紅色)、fleischrot肉のような赤色、karmin深紅色)
目打ち11 1/2
D. Novakによると137万4200枚、S. Veselićによると9月25日と26日に300枚/シートを4586シート(137万5000枚)印刷された。
(訳注: 掛け算すると300×4586=137万5800枚になります。セルボクロアート語の部分には137万5800枚と記載されています。よって、このドイツ語の部分の137万5000枚という記載は誤りであり、正しくは137万5800枚です。)

2. 1919年12月10日、凸版、ウィーン、A. Reisser Nachfolgern印刷所
平滑白色~黄色紙
rosaバラ色(淡紅色、ピンク色)、rot赤色 (FleckとNovakによるとkarminrot深紅色(えんじ色)の濃淡あり)
目打ち11 1/2
200万枚(D. Novakによる)

3. 1920年1月11日、凸版、ウィーン、A. Reisser Nachfolgern印刷所
灰色海綿紙
rot赤色、karminrot深紅色(えんじ色)、rosaバラ色(淡紅色、ピンク色)、ziegelrotレンガ色
目打ち11 1/2
66万枚(D. Novakによる)

4. 1920年2月11日、凸版、リュブリャナ、Jugoslovanska tiskarna (ユーゴスラヴィア印刷所)
平滑白色~黄色紙
色はNo.6版と同一(hellkarminrot明るい深紅色(えんじ色)~dunkelkarminrot暗い深紅色(えんじ色))
目打ち11 1/2
60万枚(D. Novakによる)

5. 1920年2月14日、石版、リュブリャナ、I. Blazniks Nachfolgern印刷所
多孔質縞紙
rosaバラ色(淡紅色、ピンク色)、lilarosa淡紫色(藤色)がかったバラ色(淡紅色、ピンク色)、trüb rosa濁ったバラ色(淡紅色、ピンク色)、rosalilaバラ色(淡紅色、ピンク色)がかった淡紫色(藤色)、braunlila茶色(暗褐色)がかった淡紫色(藤色)、braunrot茶色(暗褐色)がかった赤色、fleischrot肉のような赤色
目打ち11 1/2
D. Novakによると888万枚、S. Veselićによると2月13日に300枚/シートを1万6789シート(503万6700枚)、2月14日~19日に225枚/シートを1万8256シート(410万7600枚)印刷。
(訳注: 発行数集計には888万枚を使用)


6. 1920年2月20日、凸版、リュブリャナ、Jugoslovanska tiskarna (ユーゴスラヴィア印刷所)
平滑白色~黄色紙
hellkarminrot明るい深紅色(えんじ色)~dunkelkarminrot暗い深紅色(えんじ色)
目打ち11 1/2
363万2700枚(D. Novakによる)

No.1, 3印刷版はDeroccoのものと一致する。その他の版は、FleckとNovakの記載に従っている。

Deroccoは彼のNo.4印刷版に、FleckとNovakのNo.4, 6を含めているように思われる。彼のNo.4印刷版で、のこぎりと直線ルレット複合目打ち、11 1/2であると記載している。印刷量は423万2700枚。

S. Veselićによると、2月3日~21日に200枚/シートを2万1163シート(423万2600枚)印刷し、そしてその時期4万2327シート(100枚/シート)すなわち423万2700枚、その後6000シートの無目打ちシート(恐らくその後ザグレブ(クロアチア)で目打ちをされた)も、郵便経済局に納入された。