日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

次世代自動車戦略は時代と共に

2018年03月14日 09時32分45秒 | 日々雑感
 今から100年ちょっと前の1913年にフォードが自動車の大量生産を始め、現在のガソリン自動車の原型が確立された。しかし、近い将来無人運転化された電気自動車が町中を走り回るようになれば、自動車のイメージも一新されるに違いない。

 電気自動車を巡っては、世界最大の自動車市場の中国のほか、イギリス、フランスが政策を相次いで打ち出すなど世界的に動きが加速している。日本の自動車企業も遅れじと電気自動車の開発に力を入れているようであるが、日本政府としての動きは鈍いようである。

 こうした中、経済産業省は、電気自動車などの次世代自動車について、初めてとなる総合的な政策作りに向け、”日本版EV戦略”をこの夏を目途に策定する方針を固めたそうだ。EVとは、Electric Vehicle で電気自動車のことだ。関係者によると、世耕経済産業大臣が、来る4月、学識経験者や大手自動車メーカーの幹部などからなる会議を設置し、官民で戦略の検討に入るという。これまで次世代自動車と称しても、燃料電池車等も同位置に含まれ焦点が定まらなかったが、いよいよ電気自動車に的が絞られてきた感である。

 次世代自動車戦略は今回が初めてではなく、過去何年も前から策定されてきたが、電気自動車は数多くある候補の一つに過ぎなかった。

 さて、1900年頃には蒸気・ガソリン・電気と3種類の動力源の車の開発競争が繰り広げられていたそうだ。この時代優位に立ったのは電気自動車で、19世紀末のアメリカで最盛期を迎えていたとことだ。その理由は、電気自動車は当時、スイッチを入れるだけでモーターが回り始めるなど構造が簡単で、製造やメンテナンスが容易で排ガスや臭いもない特徴があったためである。

 しかし、ガソリンエンジン車の性能向上が顕著であり、電気自動車は駆逐されてしまった。電気自動車の特徴は早くから注目され現在でも生きているが、燃費等の性能面でガソリン車に負け続けている。ガソリンエンジンは今なお車の横綱の地位を保っている。

 1990年代に入ると、地球温暖化問題が深刻となり、・大気汚染、・地球温暖化、・化石燃料の枯渇、という3つの課題解決への糸口として、電気自動車が再び注目を集めることになったのだ。

 2001年7月には、環境省・経済産業省・国土交通省は、自動車の環境負荷低減を加速するため、 ”低公害車開発普及アクションプラン”を策定した。この中で実用段階にある低公害車として、天然ガス自動車、電気自動車、ハイブリッド自動車、メタノール自動車、低燃費かつ低排出ガス認定車を挙げ、また次世代低公害車として燃料電池自動車等を挙げていた。この時代次世代自動車の的は定まっておらず、電気自動車は一つの候補に過ぎなかった。

 2010年には経産省が”次世代自動車戦略2010”を発表した。自動車や関連産業及び社会全体の中長期的な対応のあり方に関する国家戦略を纏めている。この中で、2020~2030年を目途とし、6つの戦略(全体、電池、資源、インフラ整備、システム、国際標準化)を整理している。

 例えば全体戦略では、日本を次世代自動車の開発・生産拠点にすることを目標に、政府が目指す車種別普及目標は、従来車、すなわちガソリン車が50~80%で、次世代自動車は20~50%である。次世代自動車とは、ハイブリッド自動車と電気自動車が主流であり、燃料電池自動車やクリーンディーゼル自動車も候補に上がっているが余り期待されていない。

 また、経産省は昨年2017年に水素基本戦略もまとめた。この中で、2030年に燃料電池車を80万台、燃料電池ハイブリッドバスを1200台、水素ステーション900か所を設置目標にしているが、先の戦略との関係は分からない。また、今年4月から検討が始まる”日本版EV戦略”の中で燃料電池車の位置づけがどのようになるか不明である。

 兎も角、次世代自動車の鍵を握るのは電池である。現在リチウムイオン電池が本命であるが、大幅な性能進化が果たせない場合は、ガソリン車やディーゼル車が相変わらず横綱の地位を保っているかも知れない。また水素を燃料とするトヨタ製燃料電池車は700万円を超える値段の高さであり、ニッサン製の電気自動車の300万円に比べると倍以上だ。目下、電気自動車の方が優勢であるが、燃料電池車も技術革新があれば、次世代自動車の本命になっているかも知れない。2018.03.14(犬賀 大好-424)

技能実習制度はジャパンファーストの移民制度だ

2018年03月10日 10時16分47秒 | 日々雑感
 週刊誌、東洋経済の特集、”隠れ移民大国ニッポン” によると、最近の日本は、訪日観光客だけではなく、日本に住み、働く外国人が着実に増えているのだそうだ。2017年には在留外国人は247万人で過去最高とのことだ。

 今年3月の始めのウイークデイに京都を訪れた知り合いが、静かな京都を期待していたが中国人を始めとする外国人でごった返していたと嘆いていた。また、都会ばかりでなく地方の観光地の飲食店で働く外国人も珍しくなくなった昨今の日本であり、東洋経済の指摘を実感する。

 働く外国人が増えたと言っても、就労ビザを持つ人はその内18%に過ぎず、残りは技能実習生、留学生、日系外国人とのことだ。すなわち日本は、飲食店の店員や建設作業員のような単純労働をする外国人には、就労ビザが給付されていないのだ。人手不足が日本経済の最大のボトルネックになっているようだが、日本の外国人政策の基本方針は「単なる労働者不足への対応として、外国人の受け入れを考えることは適当ではない」という1990年代の方針を踏襲したままなのだ。

 また、政府は先日の閣議で、外国人の無期限の定住を前提とした移民政策は採らない方針を示した答弁書を決定したそうだ。そこでは「国民の人口に比して一定程度の規模の外国人を家族ごと、期限を設けず受け入れることで国家を維持する政策を採ることは考えていない」と記されているそうだ。

 厚生労働省が今年1月に発表した2017年平均の有効求人倍率は1.50倍であり、人手不足状態が続いており、特に建設、運輸、介護サービス等で目だっているようである。国家を維持するためには、単純労働者も相当数必要かと思うが、この不足状態に日本の技能実習制度が大いに貢献しているようである。長野県上川村はレタスの産地として有名であるが、繁忙期には村民の1/4が技能実習生に占められているとのことだ。

 技能実習制度とは、日本の優れた諸々の技術を発展途上国の人々に教え、その技術を自国の発展に役立ててもらおうとする高尚な目的の下に作られたが、現実的には人手不足を補う役目を果たしているのが大半のようである。

 法務省によると技能実習生は2017年6月末時点で25万1721人だそうだが、一方失踪者は3205人、半年間で3千人を超えたのは初めてだそうだ。高尚な目的の実習制度も、現実的には日本では割安な労働力、外国人にとっては金儲けが目的と考える人が多く、様々な問題を起こしている。失踪者が多いのも、携帯電話が普及した今日頻繁な情報交換で、高い報酬を目指して秘かに逃げ出すのだろう。

 格安な労働力と考える受け入れ企業は、技能の勉強の名の下、長時間労働や賃金不払いといった労働関係法令の違反を繰り返しているとの話だ。

 そこで外国人技能実習制度の適正実施法が昨年11月に施行され、新設した外国人技能実習機構が受け入れ先などを監督し、技能実習計画を審査、認定する体制を整備した。

 この新設の機構の中身をよく知らないが、日本の労働者を守る労働基準局と同じような役目であろう。日本の職場におけるいわゆるサービス残業は常識化しており、余程ひどい違反でもない限り労働基準局は動き出さない。そこで、新設の機構が20万人を超える現実習生をちゃんと守ることが出来るとは到底思えない。

 また、適正実施法では、滞在期間を3年から5年に延ばし落ち着いて仕事に取り組めるようにするとしているが、3年では技術習得が出来ないとの理屈であろうが、そもそも本来の技能実習が行なわれているのか甚だ疑問である。単に安価な労働力を長期間使用したいとの経営側の意向だけではないだろうか。

 技能実習制度が本来の目的を達成し、母国における産業活動に寄与していることであれば、政府はもっと胸を張って広報すべきであるが、余り聞こえてこない。

 技能実習生は非正規労働者の雇用と全く同じで、不況になった場合、簡単に首に出来る。経営者側から見ればまことに都合の良い制度である。単純労働のための移民政策を採用しない日本政府は、外国人非正規労働者を技能実習に名を借りて、実行しているだけと思えてくる。

 トランプ大統領のアメリカファーストがとかく槍玉に挙げられるが、技能実習制度はジャパンファーストの制度だ。
2018.03.10(犬賀 大好ー423)

オリンピック選手に国家はどこまで関わるべきか

2018年03月07日 09時34分41秒 | 日々雑感
 平昌冬季オリンピックで日本は過去最大のメダル13個を獲得したと、日本中盛り上がりマスコミは大はしゃぎである。テレビも連日、繰り返し繰り返し選手の活躍の様子を放映している。

 メダル獲得の選手はインタビューに答えて異口同音に ”日頃支えてくれた多くの皆様に感謝する”、とのコメントを発している。自分の努力はさておき皆様のお蔭であるとの発言は大いに涙ものであるが、一方余りにも一様な優等生的コメントに異様さも感ずる。

 活躍の背景には、国を挙げての選手育成がある。かっては企業が選手を育ててきたが、最近国が代わって選手育成に力を入れるようになった。選手の育成には金がかかり、選手は国家の戦略の下に育成されている。選手は多くの関係者により援助されて育てられているのだ。選手はその恩返しとばかり、優勝でもすれば、国旗を背中に掲げ場内を一周し、皆様のお蔭と連発するのであろう。

 社会主義国での国を挙げての支援は有名である。4年に一度のオリンピックは、活躍が全世界に伝えられ、この上ない国威発揚の場となる。日本も真似を始めたのだ。

 国を挙げての支援となると、その範囲は単に練習環境の整備だけにとどまらず、体調管理等の身体ケア、故障した場合の心身のケアにまで及ぶ。成果を挙げれば老後の面倒まで見てくれる所までは徹底していないが、国民栄誉賞を受けるチャンスも生まれてくる。

 徹底した国家管理の行きつく先が、ロシアに例を見る国家ぐるみのドーピングであろう。この為平昌五輪では、ロシアは国としての参加は認められなかった。ロシアの選手はOAR(ロシアからの五輪選手)、として個人資格で参加した。個人参加と言っても、個人が自由に参加した訳ではないだろう。参加出来たのはロシアの各スポーツ団体の推薦の下、IOCがドーピングに関係なしと認めた選手であろうので、実質的には国の代表であることには間違いない。

 勝負に勝つための最終手段であるドーピングは実に根の深い問題である。一般的には、薬を使って運動能力を高めることが ”ドーピング” とされるが、薬以外にも、自分の血液を冷凍保存しておき、試合の直前に再び体内に入れ、酸素運搬能力を高める ”血液ドーピング”や、また細胞、遺伝子、遺伝因子、あるいは遺伝子表現の調整を競技力向上のために行う ”遺伝子ドーピング” といった新しい方法も開発され、普及し始めているようである。これらも一応禁止対象になっているが、更に巧妙な新しい手法はどんどん考案され、”いたちごっこ”となるだろう。

 薬によるドーピングは、それが選手の健康を害することにつながることが一番の禁止理由であり、よく理解できる。しかし、血液ドーピングは健康を害するであろうか。これに限らず副作用の無い薬や発見されにくい方法は、運動機能増強の名の下どんどん開発されるであろう。

 もう一つの禁止理由はフェアプレの精神からとのことであるが、フェアプレイ精神そのものが曖昧である。公平な競争がフェアプレイの基本であろうが、競争はその場だけの競争だけではなく、練習段階から始まっている。 

 しかし、すべての選手の練習環境まで揃えることは土台無理な話であり、身体強化に役立つ食事となると、それを金銭的に出来る選手と出来ない選手が生ずる。それらを一律に規制することは出来っこない。フェアプレの精神とは何であろうか考えてしまう。

 最近は両親のどちらかが海外にルーツを持つ日本人アスリートの活躍がめざましい。日本陸上選手では、ガーナ出身の父親を持つサニブラウンや父親がジャマイカ出身のケンブリッジ・飛鳥が有名である。陸上だけでなく、柔道、サッカー、バスケットボールにバレーボール、ハンドボールなど、各日本代表の候補にハーフの選手が1人や2人はいるそうだ。

 国際化が進み、国際結婚は珍しくなくなった現在、将来のオリンピック選手を目指して国際結婚を望む人が出てきてもおかしくない。

 オリンピックで勝つための手段はどんどんエスカレートして行くだろう。国が絡むと規模は果てしなく大きくなる。それでなくとも、最近の幼児の時からの早期育成、専門化、職業化も含め、スポーツを楽しむ精神は二の次になっているのが気になる。2018.03.07(犬賀 大好-442)

異次元金融緩和の副作用に分かり易い説明を願う

2018年03月03日 09時42分59秒 | 日々雑感
 現在政府・日銀が進める異次元金融緩和の副作用の論議がようやく活発化し始めた。ところで、日銀の国債買い取りによる副作用はその道の専門家により色々指摘はされているが、経済素人には今一はっきりしないし、一般国民にはどのような影響が及ぶのか理解できない。

 曰く、日銀が銀行などから買った国債などの資産が巨額になり、将来の金利上昇局面で日銀の財務が悪化する。

 また曰く、今の国債買い入れペースを続けると、本年半ばにも日銀が国債を買えなくなる限界を迎える。市場に出回る国債が極端に減り、金利が乱高下するなど、金融市場の大混乱を引き起こす恐れさえある。

 更に曰く、民間銀行の国債保有は緩和前から半減し、日銀が買える国債は減った。金融機関が資産運用に必要な国債まで日銀が買っている。

 以上のような諸々の副作用が指摘されているが、何のことか理解できず、特に一般国民との関わりが分からず、従って、副作用の懸念は他人事となる。

 経済素人が考える副作用は、政府が乱発する国債の行方に関してだ。銀行や保険会社は政府から国債を割り当てられていやいや買っても、日銀が買い戻してくれれば、何ら問題がないだろう。

 日銀は単にお金を印刷して買い取っているだけだ。国の資産が増えないのに、お金の量が増えると言うことは、これまでの資産の価値を下げることに他ならない。そう考え、異次元金融緩和の副作用は、インフレによる物価の上昇と思い込んでいた。

 異次元緩和の開始時には物価上昇率2%の目標は簡単に達成され、その後物価上昇の歯止めが効かず、物価上昇は果てしなく続くと懸念された。しかし、現実的には物価の上昇は起こっていない。

 それどころか、日本経済はデフレ基調と言いながら絶好調のようであり、株価は上がり、一部では土地バブルが起こっているとのことだ。

 海外から見れば、日本の国は資産が増えないのにお金の絶対量だけは増えているので、日本円の価値は相対的に下がっている、とのことになろう。そこで円安となり、輸出企業は大儲かり、海外旅行者は増加する結果となろう。

 異次元緩和でお金が国民に均等にばら撒かれたならば、物価上昇率の達成があったかも知れない。しかし、実質賃金は上がらず、経済格差を助長しただけだ。円安誘導により株価が上がれば、株所有者は利益を得るが、株を持っていない人は蚊帳の外だ。こうして格差は助長される。

 日本経済の好調さが一般国民に実感されないとの世論であるが、これが格差の拡大を如実に物語っている。しかし、経済格差は異次元緩和の直接の副作用ではなく、運用上の問題から来る二次的な副作用と考えるべきであろう。

 そもそも日銀が国債を貯め込むとどのような副作用があるのか。果てしなく貯め込めば、その場合に始めて筆者の考えるインフレの副作用が生ずるのであろうか。異次元緩和に対する副作用に対する専門家の意見は、経済素人の疑問には難解過ぎる。

 異次元緩和の一環として行われている日銀の上場投資信託(ETF)購入による株式市場のゆがみは、その副作用の一つであり、経済素人の目からも分かり易い。すなわち日銀が株を購入する限り、その会社の信用は高まり、客は安心して株を購入出来るからである。その逆も真であり、副作用は明確である。

 国債買い取りによる副作用に関し、金利上昇面での財務悪化とは、日銀が国債を買えなくなる限界とは、市場に出回る国債が減ると金利がなぜ乱高下するのか、資産運用に必要な国債とは何か、等に関する解説、またそれが一般国民にどのような影響を及ぼすのか分かり易い説明をお願いしたいものだ。2018.03.03(犬賀 大好-421)